FINAL FANTASY Ⅶ Revengers 作:オレンジⅩⅢ
誰かが息を呑む気配に、震える瞼がゆっくりと持ち上がっていく。滲んだ視界の中心に、白い天井の輪郭が、まだぼんやりと像を結ばないまま揺れていた。
かすかな消毒液の匂いと、遠くで規則正しく響く機械音。左側の視界だけが、どこまでも塗り潰されたような絶対的な暗闇に沈んでいる。右目だけでその感覚を確かめながら、重く鈍い意識をゆっくりと引き上げていった。花畑で交わした言葉の断片が、まだ耳の奥に残っている。生きて、と誰かが言った。あれは、誰の声だっただろうか。輪郭のぼやけた記憶を手繰り寄せようとするたび、意識の芯がずるりと現実側へ引き戻されていく。
失われた左半分の感覚は、想像していたよりもずっと重く、身体の均衡そのものを狂わせていた。それでも、いつまでもこの重さに引きずられているわけにはいかない。やるべきことは、まだ山のように残っている。セフィロスの足取り、黒マントの正体、神羅の内側で進む何か――立ち止まっている時間など、どこにもなかった。
身を起こそうと右腕に力を込めた瞬間、左肩から先の途切れた感覚と、崩れる重心が全身を襲った。強行処置によって強引に繋ぎ合わされたばかりの神経と筋繊維が、鋭い拒絶反応を上げる。呼吸のたびに、左顔面の包帯の下から鈍い熱が疼き、ベッドのシーツを握る右手に、無意識に力が籠もった。指先に伝わる布の感触だけが、辛うじて今が現実であることを教えてくれる。
それでも、身体を起こすのをやめるつもりはなかった。いつまでも横たわっていては、この先の戦いに間に合わない。歯を食いしばり、痛みごと現実を引き受けるようにして、右腕へさらに力を込める。
「ジュリアス……っ!」
声にならない呻きを飲み込んだところへ、弾かれたように駆け寄る足音が響いた。焦点を右目に合わせると、そこにいたのはユフィだった。ティファに背を支えられながら、街での捜索から戻ってきたばかりらしい。その後ろにはクラウドとエアリスも、静かな面持ちで佇んでいる。バレットとナナキ、ヴィンセントの姿は見当たらない。それぞれ別の宿で休んでいるのか、あるいはまだ街のどこかにいるのか――そこまで考える余裕もなく、意識は目の前の光景に引き戻された。
ユフィの瞳からは、堪えきれなくなった涙が次から次へとこぼれ落ちていた。ベッドの縁を握る指先が、白くなるほど強張っている。
「ごめん……っ、ごめんなさい……! アタシが油断したから……アタシのせいでこんな……っ!」
声はところどころ震え、掠れながら続いた。
「また、アタシのせいで大切な人が傷つくなんて……っ! こんなの、絶対おかしいよ……っ! アタシがもっと強かったら、こんなことには……っ!」
激しい自責の言葉が、堰を切ったように溢れる。マテリアキーパーの一撃が振り下ろされたあの瞬間、無防備だったユフィを庇うのは当然の判断だった。後悔などしていない――そのはずなのに、目の前で泣きじゃくる姿を見ると、胸の奥がわずかに軋む。欠損した左肩と、包帯の下に隠れた潰れた左目にそっと手を触れながら、その叫びをしばらく黙って受け止めた。やがて、低く冷ややかな、けれど確かに芯の通った声が続いた。
「騒ぐな、ユフィ。生きているし、右目も残っている。義手とグリモアを失った程度で、俺の意思が瓦解するとでも思っていたのか」
「あっ……」
「いつまでも泣いて、お前らしくない顔をするな。……こちらの調子が狂う」
素っ気なく、けれどどこにも責める色のない言葉に、ユフィは言葉を詰まらせたまま、濡れた瞳をぱちぱちと瞬かせた。溢れかけていた涙が、行き場を失ったように頬の途中で止まる。
「……アタシ、もっと泣いてやろうと思ってたのに」
小さく洟をすすりながら、それでも口元にはわずかに力が戻っていた。ティファがその背中をそっと撫で、安堵したように目を細める。
「よかった……本当に、目が覚めてよかった」
ティファの静かな声には、ここに来るまでの間に抱えていたであろう緊張が滲んでいた。エアリスも小さく頷き、傍らの椅子にそっと座り直す。
「意識が戻ってすぐの頃、少しだけうわ言を聞いたの。……大丈夫、誰にも話してないから」
エアリスが囁くように付け加えた言葉に、右目だけでその表情を窺う。責めるでも探るでもない、ただ静かに見守るような眼差しが返ってきた。何を聞かれたのかまでは分からないが、それ以上追及する気配がないことに、内心で小さく安堵する。
「感謝しておく」
短く応じると、エアリスはふわりと笑って首を横に振った。その気遣いの柔らかさに、少しだけ肩の力が抜けるのを感じる。
「うわ言まで言っちゃってたんだよ、ジュリアス。目が覚めたらちゃんと聞かせてもらうんだからね」
ユフィが涙の跡を拭いながら、わざと明るい声で茶化した。何のことを指しているのか、心当たりはあった。だが答えるつもりはなく、片眉だけをわずかに上げて見せる。
「聞かせる義理はない」
「うわ、感じ悪い!」
軽口の応酬に、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。入れ替わるように病室の扉が開き、バレットとナナキが顔を覗かせる。
「おい、聞いたぞ。目ェ覚ましたんなら、なんで呼ばねえんだ」
バレットが大きな声でそう言いながら、ベッドの脇まで歩み寄ってきた。ナナキもその後ろから、心配そうに耳を伏せて覗き込んでいる。
「体、辛くないか」
「見ての通りだ。多少は」
素っ気ない返事に、バレットは呆れたように鼻を鳴らしたが、その目には隠しきれない安堵が浮かんでいた。二人の来訪で、病室は一段と騒がしくなる。ナナキが鼻先を寄せ、包帯の匂いをそっと嗅いでから、心配そうに耳を伏せた。
「薬の匂いがきつい。……無理はするなよ」
「善処する」
素っ気ない返答に、ナナキは小さく喉を鳴らして苦笑するような仕草を見せた。
静観していたクラウドが、その喧騒が落ち着くのを待つように一歩前に進み出た。
「……ずいぶん、思い切りがいいんだな」
見下ろす視線を、右目だけで受け止める。
「腕も目も失ったっていうのに、迷いがない。何かあったのか」
その問いに、ほんのわずかに自嘲するような笑みが浮かんだ。花畑の夢の記憶は、まだ意識の底に生々しく残っている。だが、それを言葉にするつもりはなかった。
「……死者に、諦めるなと背中を押されただけだ」
それ以上の追及を拒むように短く言い捨てる。クラウドは何かを察したように、それ以上は問わずに小さく頷いた。
「……そうか」
短く応じたきり、クラウドはそれ以上何も聞かなかった。詮索しないという選択が、かえって信頼の証のように感じられた。
そのやり取りが途切れたところで、病室の木製の扉が静かに叩かれ、一人の女が入ってきた。ウータイの伝統的な衣を纏い、物腰の端々に染み付いた威厳を漂わせた女性――元首ゴドーの使者、チェホフだった。
「ウータイの英雄『ゼロ』殿……息災な姿を拝見でき、何よりでございます」
深く頭を下げると、チェホフは静かに告げた。
「元首ゴドー様が、ゼロ殿とご一行をお屋敷でお迎えしたいと望んでおられます。今宵、どうか足をお運びいただけないでしょうか」
その言い回しに、かすかな引っかかりを覚えた。単なる見舞いの招待にしては、あまりに丁重すぎる物腰。ウータイの元首が、負傷したばかりの余所者一行をわざわざ夜のうちに、しかも自邸へ呼びつける理由――それが本当に「感謝」だけで説明のつくものなのか。右目だけでチェホフの表情を探るが、そこには職務に徹した無表情しか浮かんでいない。指先が僅かに震えているのは、緊張のせいか、それとも別の何かを隠しているせいか。何を隠しているのか、あるいは本当に何もないのか。判断材料はまだ足りなかった。
「……承知した」
短く応じると、チェホフは礼を尽くして病室を後にした。扉が閉まった途端、それまで黙っていたユフィが露骨に嫌そうな顔を作り、頭を抱えて声を上げる。
「嫌だよっ! アタシ、オヤジの屋敷なんて絶対行かないからね! あんな頭の硬い頑固ジジイ、顔も見たくない!」
「ユフィ……でも、ゴドー様はあなたのお父さんでしょう? ジュリアスの義手のことも、これからのこともあるし……」
エアリスが宥めるように声をかけるが、ユフィはふんとそっぽを向き、ベッドの脇で腕を組んで頑なに黙り込んでしまった。
「行かないったら行かないの! 一緒に行ったら何言われるかわかったもんじゃないし……大体、アタシがいなくたって話くらいできるでしょ!」
投げやりな口調の奥に、何か言葉にできない苦さが滲んでいるように感じられた。父娘の間に何があったのかまでは知らないが、詮索するつもりはない。そのやり取りを右目でただ静かに見つめながら、小さく息を吐いた。ゴドーという男の名を、ユフィがどれほど頑なに遠ざけているのか――その様子を見るだけで、二人の間に横たわる溝の深さがうかがえた。ウータイの元首という重責を背負う男と、その娘との間に流れた歳月は、簡単な言葉で埋まるものではないのだろう。
「無理に連れて行くつもりはない。行きたくないなら、残っていろ」
意外そうな顔をするユフィに構わず、淡々と続けた。
「その代わり、後で聞かれたことにはきちんと答える気があるんだろうな」
「……べ、別に。行きたくないだけで、逃げてるわけじゃないし」
視線を泳がせながら、そう強がって見せる姿に、内心でわずかに苦笑が漏れた。バレットとナナキも顔を見合わせ、何も言わずに小さく肩をすくめる。
「ま、無理強いはよくねえよな。行きたい時に行きゃあいい」
バレットの言葉に、ユフィは一瞬だけほっとしたような顔を見せたが、すぐにまた不貞腐れた表情を作り直し、ベッドの脇の椅子にどすんと腰を下ろした。
長い一日の疲労が全員の肩にのしかかる頃、病室にはようやく穏やかな静けさが戻ってきていた。窓の外では、ウータイ特有の赤く染まった夕陽が、屋根瓦の連なりを橙色に照らし出している。誰からともなく、夜の面会に備えて一度体を休めようという話になり、病室は静かな沈黙に包まれていった。
夜の帳がウータイの街を静かに包む頃、チェホフの手引きに従い、一行は郊外の竹林の奥に佇むゴドーの屋敷へと向かっていた。提灯の灯りが連なる街並みを抜けると、木戸の隙間から漏れる三味線の音色と、屋台の油の匂いが夜風に混じって流れてくる。戦火の傷跡を残しながらも、人々の営みは着実に息を吹き返しつつあるようだった。
石畳の小道を進むたび、夜露に濡れた竹の葉が擦れ合う音が、辺りの静寂を一層際立たせる。片目だけの視界では距離感を掴みにくく、何度か体勢を崩しかけたが、隣を歩くユフィが何も言わずにさりげなく歩調を合わせてくれていた――そう思っていたはずだったが。
「本当に、今夜行って大丈夫なの? まだ本調子じゃないでしょう」
ティファが心配そうに声をかけてくる。
「問題ない。むしろ、早く済ませておきたい」
短く答えると、ティファはそれ以上何も言わず、ただ静かに歩調を合わせてくれた。
篝火に照らされた厳かな長屋門をくぐり、玄関先に足を踏み入れたその時――
「……あれ? ユフィは……?」
ふと振り返ったティファが、驚いたように声を上げた。後ろをついてきていたはずのユフィの姿が、どこにも見当たらない。
「……チッ、病院からずっと嫌がっていたからな。門をくぐる直前にズラかったか」
クラウドが呆れたように息を吐いた。病院で散々渋っていたユフィは、結局、父親と顔を合わせる直前になって土壇場で姿を消したらしい。あれほど気配を殺して離脱できるあたり、忍びの血筋は伊達ではないということか。
(やれやれ……なぜウータイで「ゼロ」が英雄視されているのか、あいつに探りを入れるつもりだったのだがな……)
内心で小さく苦笑が漏れる。だが、ユフィがいなくなったのならば話は早い。その答えを握る当事者が、すぐ目の前にいるのだから。
長屋門をくぐった先には、手入れの行き届いた枯山水の庭が広がっていた。石灯籠の柔らかな灯りが、白砂の上に静かな陰影を落としている。案内されるまま渡り廊下を進むと、磨き上げられた床板が足音を静かに吸い込み、時折すれ違う使用人たちが一様に深く頭を下げてすれ違っていった。誰もが一様に、こちらへ向ける視線の奥に、単なる客人以上の何かを湛えている。通された広間の奥、行灯の淡い光の中に、かつてウータイを束ねた豪傑であり、ユフィの父でもあるゴドーの姿があった。傍らにはチェホフが静かに控えている。
薄暗い広間には、香の匂いが微かに漂っていた。控えていた侍女が茶を運んでくると、音もなく人数分を並べ、一礼して下がっていく。誰も口をつけないまま、湯気だけが静かに立ち昇っていた。
「遠路遥々、よくぞ参られた」
重厚な声で迎え入れると、ゴドーは一行に向かって深く頭を下げる。
「まずは、我が娘ユフィと共に戦い、守ってくれたことに感謝する。……そして、ゼロ殿。娘のためにこれほどの重傷を負わせてしまい、まことに申し訳ない」
(……変わらないな、ゴドー)
右目だけで、目の前に鎮座する老将を静かに射抜く。初対面の体裁で言葉を交わしてはいるが、この男は遠い過去から明確に見知った顔だった。幼い頃、母と自分たちを郊外の集落へ落ち延びさせるよう手配した男。空爆で集落が焦土と化した後、コスモキャニオンにいたアバランチの老人へ引き渡し、その場に立ち会っていた男そのものである。何十年もの歳月が流れたわけではないというのに、あの日と変わらぬ重々しい佇まいが、記憶の底の光景をそのまま引きずり出してくる。深く刻まれた皺、鋭さを失わない双眸――記憶の中の男と、目の前の老将は寸分違わず重なった。あの日、燃え盛る集落を背に無言で頭を下げていた男の姿が、今も鮮明に瞼の裏に焼き付いている。
「謝罪は不要です」
感情を削ぎ落とした声で返し、そのまま本題を切り出す。
「……ゴドー殿。単刀直入に尋ねましょう。なぜ俺がウータイで『英雄』などと呼ばれているのか。理由を聞きたい」
逃げたユフィの代わりに、直接本人へぶつけられた問い。クラウドやティファが息を呑む気配が背後から伝わってくるが、構わず言葉を継いだ。
「街を歩けば知らぬ者に頭を下げられ、病院では医療班が『ゼロ』という名だけで即応した。これが単なる噂の域を超えていることは、当人が一番よく分かっている」
ゴドーは静かに目を閉じ、重々しく口を開いた。
「……かつて、神羅との戦の折、貴殿『ゼロ』からもたらされた極秘の情報によって、作戦行動中だった多くのウータイ兵の命が救われた。それが第一の理由だ」
「……情報、か」
その一言に、記憶の断片が幾つか浮かんでは消える。二重スパイとして流した情報の中には、確かにウータイ本流に近い筋へと渡ったものもあった。神羅の哨戒ルート、駐屯部隊の配置換えの周期、増援の到着日程――タークスとしての立場を利用して掴んだ断片を、いくつもの偽名を介して外へ流し続けた日々。それが誰の手をどう渡り、どの戦場でどれほどの命を救ったのか、当時は確かめる術もなかった。だが、それが「英雄」という形にまで結晶するとは想定していなかった。あの頃は、ただ神羅の内側を食い破ることだけを考えていた。誰かに感謝される未来など、思い描いたこともない。
「そしてもう一つ」
ゴドーは言葉を重ねる。
「現在の暫定政権が、アバランチ本流との足並みを揃えるためだ。民や兵の士気を高めるには、アバランチと繋がる象徴的な『英雄』の存在が必要だった。……政治的な都合だよ」
裏事情を含め、筋の通った説明だった。だが、その言葉の奥には、以前から拭えずにいた違和感が重なる。暫定政権とアバランチ本流の足並みが、本当にそれほど揃っているのか――ニブルヘイムを発つ前から胸の内に留めていた懸念が、今この場でひとつの形を取り始めていた。表向きの結束の裏で、まだ見えていない駆け引きが動いているのではないか。
同時に、ゴドーが終始一貫して「ゼロ殿」と呼び、初対面の他人として接している意図も瞬時に察せられる。
(俺の過去も、本名も、母や姪のことまで全て知っていながら、借り物の名で接するか。……クラウドたちに素性を悟らせないための配慮か、あるいはウータイの元首としての老獪な腹積もりか)
老将の内側を見透かしながらも、その配慮を無言で受け入れることにした。今この場で本名を明かす利は、どこにもない。
「政治的な都合、か。ずいぶん都合よく担ぎ上げられたものだ」
皮肉げにそう返すと、ゴドーの口元にわずかな緩みが浮かんだ。
「英雄という看板は、時に本人の意思とは無関係に一人歩きするものだ。貴殿にはさぞ不本意であろうが……この地では、しばらくその名を背負ってもらうことになる」
含みのある物言いに、内心で小さく眉根を寄せる。担ぎ上げられた「英雄」という立場が、単なる士気高揚以上の何かに利用される予感――だが、今この場でそれ以上を追及したところで、確かな答えは返ってこないだろう。
「しばらく、とはどの程度を指すのでしょう?」
「……それは、貴殿の今後の働き次第だな」
ゴドーの返答は、あくまで柔らかく、けれどどこか核心をぼかすような響きを帯びていた。
「もう一つ聞かせてもらいましょう。『今後の働き』とやらに、俺の与り知らぬ話が含まれているのでは?」
わずかに語気を強めて問い詰めると、ゴドーは一瞬だけ、探るような視線をこちらへ向けた。だが、それもすぐに柔和な笑みの下へと隠される。
「……買い被りだ、ゼロ殿。今宵は、これ以上の話をするために呼んだわけではない」
明確な否定でも、明確な肯定でもない。その曖昧さこそが、何よりも雄弁な返答のように感じられた。長年ウータイの舵を取ってきた老将の狸ぶりを、今この場で崩すのは容易ではない。この程度で尻尾を出すような相手ではない――そう判断し、それ以上の追及はひとまず飲み込む。目の前の現実的な課題を片付けるほうが先だった。
「娘は連れてこなかったようだな」
ゴドーがふと視線を巡らせ、低く呟いた。表情には落胆とも安堵ともつかない、複雑な色が浮かんでいる。
「……門の前で姿を消した。気が進まなかったのでしょう」
素っ気なく答えると、ゴドーは小さく息を吐き、目を伏せた。
「あれの母親を、早くに亡くしている。……男手一つで育てたつもりだったが、政務にかまけて、まともに向き合ってやれなかった時期も長い」
ゴドーの声が、わずかに沈む。統治者としての威厳の奥に、不器用な父親の顔が滲んで見えた。
「無理もない。あれには……随分と、辛い思いをさせてきた」
その一言だけで、それ以上は語らない。老将の横顔に刻まれた深い皺の一本一本に、長年積み重ねてきた統治者としての苦悩と、一人の父親としての不器用さが同居しているように見えた。父娘の因縁に踏み込むつもりはなく、話を進めるべく口を開いた。
「チェホフ、あれを」
ゴドーの指示を受け、チェホフが恭しく運んできたのは黒塗りの箱だった。蓋が開かれると、からくりと魔導技術が融合した漆黒の機械義手が姿を現す。指先の関節には精緻な彫金が施され、行灯の灯りを受けて鈍い光を放っていた。
「神羅製には及ばぬやもしれんが、ウータイの技術の粋を集めた品だ。ゼロ殿、失った腕の代わりとして受け取ってほしい」
差し出された義手を見つめながら、静かに右手を伸ばす。
「なるほど……機械仕掛けを魔導技術で補うことで、神経接続を容易にする仕掛けですか。よくできている」
「一目見ただけで、そこまで分かるか」
「仕事柄、何度か義手は付け替えているので。接続部も共通規格か。……戴きましょう」
冷たい金属の感触を指先で確かめる。神羅の技術とはまた異なる、繊細で重厚な作りだった。これでどれほどの戦術が組み直せるか――そんな計算が頭の片隅を過るのを、努めて意識の外へ押しやる。今はまだ、感謝を言葉にする余裕もなかった。
箱の底には、予備の駆動部品と調整用の工具一式まで丁寧に収められていた。ここまで用意周到なのは、単なる謝罪の域を超えている――そんな考えが頭の片隅を過るのを、今は脇へ置く。
「装着には多少の調整が要る。明日、専門の職人をこちらへ向かわせよう。チェホフ、手配を」
「かしこまりました」
チェホフが恭しく一礼する。ゴドーの申し出に、静かに頷きを返す。
「感謝は、必要な分だけ受け取っておくことにします」
素っ気ない返答に、ゴドーはかすかに口元を緩めた。
「……相変わらず、可愛げのない物言いをする。だが、それでいい。愛想の良さだけで生き延びられる立場ではないだろう、貴殿もな」
老将の言葉には、皮肉とも励ましともつかない、独特の温度があった。
「だが、客人、そして娘の友人の前だ。何度でも言おう。娘を頼む」
ゴドーの声には、政治的な計算だけでは片付けられない重みが確かに宿っていた。それに小さく頷きを返しながら、過去の因縁とこれから始まる戦いの気配を、右目だけで静かに見据えていた。
窓の外に広がる夜の帳へ一度視線をやると、ゴドーがふと表情を和らげた。
「夜も更ける。今宵はこのまま、屋敷に留まられるといい。その身体で夜道を戻るのは、無理があろう」
思いがけない申し出に、クラウドとティファが顔を見合わせる。遠慮する素振りを見せかけたティファだったが、ゴドーの重ねての勧めに根負けし、素直に頭を下げた。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
異論はなかった。むしろ、片目の視界のまま夜道を戻るよりは、幾分か都合がいい。
「世話になります」
短く応じると、ゴドーは満足そうに頷き、チェホフへ目配せをした。
「客間へご案内いたします」
チェホフの案内で、渡り廊下を奥へと進む。行灯の連なる廊下は静まり返り、時折、庭の方からかすかな虫の音だけが響いていた。それぞれあてがわれた部屋の前で、クラウドたちと短く言葉を交わし、別れる。
「……英雄、か。似合わないとは言わないさ。だが、お前の思うようにはいかない部分もありそうだな」
戸口の手前でふと足を止めたクラウドが、そう呟いた。
「分かっている」
短くそれだけ返す。ゴドーの言葉の端々に滲んでいた含みが、まだ意識の隅にわだかまっていた。政治的な都合という表向きの理由の奥に、何かもっと個人的な事情が横たわっているような気がしてならない。だが、それを確かめる術は、今はまだない。
宛がわれた一室に足を踏み入れると、簡素ながら丁寧に整えられた寝具と、傍らに置かれた小さな行灯の灯りだけが出迎えた。黒塗りの箱を文机の上に置き、腰を下ろす。蓋の隙間から覗く義手の指先が、灯りを受けて鈍く光っていた。装着はまだ先――明日、職人の手を借りてから、ようやく戦列に戻る最低限の条件が整う。それまでは、この重みをただ傍らに置いておくしかない。
今日一日で積み上がった問いの数々が、脳裏を巡っていく。英雄という看板の裏に隠された政治的な思惑、暫定政権とアバランチ本流の間に横たわる不透明な均衡――片付けるべき謎は、まだいくつも積み残されたままだった。だが、今この瞬間だけは、その全てを一旦脇に置いてもいいだろう。
行灯の灯りを吹き消し、疲れた身体を横たえる。屋敷を包む夜の静けさに耳を澄ませながら、過去の因縁とこれから始まる戦いの気配を、静かに見据えたまま、ゆっくりと意識を手放していった。
そんなに早く動けるかよ!ってツッコミはご勘弁を……
ファンタジーですから、ね!()