白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか   作:ディーノpc35

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第一話 白兎の目覚めと帰還者

最初に感じたのは、薬草の匂いだった。

 

鼻の奥に残る独特の苦み。

 

次いで、全身を包み込む柔らかな感触と、身体のあちこちから訴えかけてくる鈍い痛み。

 

「……ん……」

 

重い瞼が、ゆっくりと開く。

 

ぼやけた視界に映ったのは、見慣れない白い天井だった。

 

「……ここ……は……?」

 

声を出した瞬間、喉が焼けるように痛んだ。

 

それでもベル・クラネルは、自分が生きていることを理解した。

 

最後の記憶は――深層。

 

絶望そのものとしか思えない怪物。

 

『ジャガーノート』。

 

リュー・リオンと二人、満身創痍になりながら戦い続けた。

 

何度も死を覚悟した。

 

腕を折られ、身体を引き裂かれ、それでも立ち上がった。

 

そして――。

 

「リュー……さん……!」

 

記憶が一気に蘇り、ベルは反射的に身体を起こそうとした。

 

「ぐっ……!」

 

全身に激痛が走った。

 

「ベル君!」

 

聞き慣れた声と同時に、誰かがベッドへ駆け寄ってくる。

 

「動いちゃ駄目だ!」

 

「……神様?」

 

霞む視界が徐々に鮮明になる。

 

そこにいたのは、青い瞳いっぱいに涙を溜めた主神――ヘスティアだった。

 

その後ろにはリリルカ・アーデ、ヴェルフ・クロッゾ、ヤマト・命、サンジョウノ・春姫。

 

そして少し離れたところには、ミアハやナァーザの姿まである。

 

誰もが憔悴していた。

 

しかし、ベルが目を覚ましたことを確認すると、張り詰めていた表情が一気に崩れた。

 

「ベル様……!」

 

「ベル殿……!」

 

「お前……ほんっと心配させやがって……」

 

「……みんな……」

 

ベルは呆然と仲間達を見回した。

 

そして、すぐに最も重要な人物の姿を探す。

 

「リューさんは!?」

 

室内の空気が僅かに変わった。

 

その変化にベルの顔から血の気が引く。

 

「リューさんは……リューさんはどこですか!?」

 

「落ち着け、ベル」

 

ヴェルフが慌てて制止する。

 

「生きてる」

 

その一言に。

 

ベルの身体から力が抜けた。

 

「……よかった……」

 

深く息を吐く。

 

目元に涙が滲んだ。

 

「本当に……よかった……」

 

リューは生きている。

 

それだけで十分だった。

 

ヘスティアがベルの肩を押し、ゆっくりとベッドへ寝かせる。

 

「君も他人の心配をしている場合じゃないんだよ。どれだけ酷い状態だったと思ってるんだい?」

 

「す、すみません……」

 

「謝ればいいってものじゃない!」

 

怒鳴りながらも、ヘスティアの声は震えていた。

 

ベルが深層から救出された時、その身体は見るに堪えない状態だった。

 

全身に無数の裂傷と骨折。

 

右腕をはじめとした深刻な損傷。

 

極度の疲労。

 

大量の失血。

 

そして精神力も体力も、文字通り限界まで使い切っていた。

 

治療師達からも、生きていること自体が奇跡だと言われたほどだった。

 

「……ごめんなさい、神様」

 

「……まったく」

 

ヘスティアはベルの手を握った。

 

今度は怒鳴らなかった。

 

ただ、その手を離さなかった。

 

しばらくしてベルが落ち着いたところで、リリ達から状況を聞かされた。

 

ここは『バベル』内部に存在する、ギルドが運営する治療施設。

 

ベルが目覚めるまで、地上へ帰還してから数日が経過しているという。

 

仲間達も負傷している。

 

リューも重傷。

 

だが、全員生きている。

 

その事実を聞くたび、ベルの胸に安堵が広がった。

 

誰も失わなかった。

 

あの地獄から。

 

帰ってこられた。

 

「……帰って、これたんだ……」

 

ベルは天井を見上げた。

 

その言葉を聞いたリリが俯く。

 

ヴェルフも何も言わなかった。

 

あまりにも多くのことがあった。

 

遠征。

 

階層主アンフィス・バエナ。

 

異常事態。

 

ジャガーノート。

 

そして深層。

 

誰一人として無傷ではない。

 

それでも、生きている。

 

その意味を噛み締めるように、ベルは静かに目を閉じた。

 

その時だった。

 

「ベル君?」

 

「……え?」

 

ヘスティアに呼ばれ、ベルは再び目を開く。

 

「どうしたんだい?」

 

「……何がですか?」

 

「いや……」

 

ヘスティアが不思議そうな顔をする。

 

「今、急に窓の方を見たから」

 

「……窓?」

 

ベル自身、自覚していなかった。

 

顔だけが、いつの間にか窓の方向を向いている。

 

カーテンの隙間からオラリオの空が見えた。

 

ただ、それだけ。

 

何もない。

 

何かが飛んでいるわけでもない。

 

誰かがいるわけでもない。

 

「……なんだろう」

 

ベルは胸に手を当てた。

 

胸の奥。

 

いや。

 

もっと深いところ。

 

魂とでも呼ぶべき場所が、ほんの一瞬だけ震えた。

 

恐怖ではない。

 

危機感でもない。

 

懐かしい。

 

どうしてそんな感情を抱いたのか、自分でも分からない。

 

ただ――。

 

とても、とても懐かしい何かが。

 

遥か彼方から近づいている。

 

そんな奇妙な感覚だった。

 

「……ベル様?」

 

「いえ……何でもないです」

 

ベルは首を振った。

 

疲れているのだろう。

 

そう考え、再び身体を横たえる。

 

やがて治療師が入ってきたことで話は中断され、ベルの診察が始まった。

 

誰も気づかなかった。

 

ベル本人でさえ、それ以上深く考えなかった。

 

だが。

 

その瞬間。

 

オラリオから遥か遠く離れた場所。

 

世界に存在しなかった『何か』が、こちら側へ足を踏み入れた。

 

見た目だけなら二十歳前後、黒髪に腰には一振りの刀。

 

背には、布で包まれた一振りの剣を持った青年――シン・クラネル

 

長かった。

 

あまりにも長すぎた。

 

シン・クラネルが故郷を失ったのは、まだ五歳だった頃のことだ。

 

何の前触れもない、突然の出来事だった。

 

家族と暮らしていた日常の中で時空が歪み、幼いシンはその渦へ呑み込まれた。

 

次に目を覚ました時、そこはもう故郷ではなかった。

 

空中に大陸が浮かぶ世界もあった。

 

魔法ではなく科学によって星々を行き来する世界もあった。

 

武功を極めた者が山を断ち、海を割る世界もあれば、神々が地上を直接支配し、人間がその支配へ抗っている世界もあった。

 

龍が世界そのものを喰らうような場所にも行った。

 

死者が蘇ることを当然とする世界もあれば、肉体だけではなく魂まで完全に消滅する世界も存在した。

 

シンは、そんな数え切れないほどの異世界を渡り歩いた。

 

最初から強かったわけではない。

 

むしろ最初の頃は、何もできなかった。

 

五歳の子供が、言葉も常識も分からない見知らぬ世界へ一人で放り出されたのだ。

 

生き延びるだけでも、奇跡に近かった。

 

それでもシンは生きた。

 

生きるために学び、戦うために鍛え、そして故郷へ帰るために力を求め続けた。

 

剣術を学び、刀術を修め、魔法を身につけた。

 

武功を学んで真気を練り、自らの身体そのものを戦うための器へ変えていった。

 

やがて、自分の力に耐えられる武器が必要となり、鍛冶技術まで身につけた。

 

その技術も長い年月の中で磨き続けた結果、並の鍛冶師では比較にもならない領域へ達している。

 

さらにシンは、空間へ干渉する術理だけでなく、時間そのものへ触れる方法さえ身につけた。

 

異世界を渡るためには、そこまで辿り着く必要があったからだ。

 

その過程で、シンは神々とも何度となく遭遇した。

 

だが、彼が旅の中で出会った神々は、決して人間に優しい存在ばかりではなかった。

 

人間を自らの目的を果たすための道具としか考えない神もいた。

 

短命で弱い下等生物として見下し、気まぐれで命を奪う神もいた。

 

信仰を奪い合うためだけに国同士を争わせ、数え切れない人間が死んでいく様子を娯楽として眺める者さえ存在した。

 

もちろん、全ての神がそうだったわけではない。

 

人間を守ろうとする神もいれば、自らを犠牲にしてまで世界を救おうとする神もいた。

 

それでもシンは、神という存在を無条件で信じることがどれほど危険なのかを知るには、あまりにも多くのものを見すぎていた。

 

だからこそ、いつしか神を特別扱いしなくなった。

 

相手が人間であろうと、魔物であろうと、龍であろうと関係ない。

 

敵なら斬る。

 

人を害するなら止める。

 

殺さなければ止まらないのであれば、殺す。

 

その基準は、相手が神であっても変わらなかった。

 

そうして長い旅を続けるうちに、シンは神を殺せるほどの力を持つようになった。

 

それでも、力を求めた本当の理由だけは一度も変わらなかった。

 

故郷へ帰るためだった。

 

祖父のもとへ。

 

そして、双子の弟であるベルのもとへ。

 

世界を渡るたびに、時間の流れは大きく異なっていた。

 

ある世界では数百年を過ごした。

 

別の世界では数万年もの時間が流れた。

 

さらに、時間そのものの概念が故郷とは大きく異なる世界に滞在したこともある。

 

シン自身、途中から正確な年月を数えることをやめていた。

 

それでも概算すれば、旅を始めてから既に約十億年もの時間が経過している。

 

人間の一生という尺度では、到底理解できないほど長い年月だった。

 

その間に、シンは何度も死にかけた。

 

世界の滅亡に立ち会ったこともある。

 

神々同士の戦争へ巻き込まれたこともあれば、自分自身が神と敵対して戦うこともあった。

 

そして実際に、神を殺したことも一度や二度ではない。

 

そんな異世界巡歴の中で遭遇した存在の中でも、とりわけ異質だったのが一頭の龍だった。

 

その龍は神々を喰らっていた。

 

ただ殺すだけではない。

 

神が持つ神気を喰らい、権能を喰らい、それら全てを自らの力へ変えていた。

 

数多の神々を捕食し続けた結果、その龍は神々からさえ恐れられるほどの怪物へ変貌していた。

 

シンは、その龍と戦った。

 

どれほど長く戦ったのかは、もう正確には覚えていない。

 

ただ、最後まで立っていたのはシンだった。

 

そして龍を討ち滅ぼした後、シンはその真元を自らの内へ取り込んだ。

 

そうして得た力が、神龍魔気だった。

 

神龍魔気は、外部から向けられた力を吸収し、無効化し、そのまま自らの糧へ変える性質を持っている。

 

神力であろうと魔力であろうと、種類を問わず喰らい取り、自身の力へ変換する。

 

その力を得たことで、シンの戦闘能力はさらに大きく変わった。

 

もちろん、龍の素材も無駄にはしなかった。

 

牙と血肉を材料として剣を鍛えた。

 

その剣は、長い旅の中で数多の神々や龍を斬り、その血を浴び続けたことで、やがて製作者であるシン自身の想定さえ超えて変質していった。

 

その名を、滅劫剣。

 

肉体だけではなく、存在そのものへ終焉をもたらす剣だった。

 

さらにシンは、神の骨と龍の角や牙を材料として、一振りの刀も鍛え上げている。

 

絶劫刀。

 

その刃は肉体を断つだけではない。

 

対象へ繋がる因果を断ち、魂を断ち、さらには輪廻そのものまで切り離す。

 

どれほど強大な再生能力を持っていても、死後に蘇る術を持っていても、不死という性質によって守られていても関係ない。

 

絶劫刀に斬られた存在は、再び生へ戻るための繋がりそのものを失う。

 

そんな武器を必要とする相手と戦い続けた末に。

 

シンは、ようやく故郷へ通じる時空座標を発見した。

 

「……見つけた」

 

暗い虚空の中で、シンの前には無数の時空座標が展開されていた。

 

世界を越えるだけなら、今のシンにとって不可能ではない。

 

だが、目的の世界へ正確に戻るとなれば話は別だった。

 

一つ座標を間違えれば、まったく別の世界へ飛ぶ。

 

仮に世界そのものが合っていても、数千年前の過去や遥か未来へ到着する可能性もある。

 

だからこそ、シンは何度も確認した。

 

世界固有の波長を調べ、時間軸を照合し、空間座標を重ねる。

 

最後に、自らの魂に残っている故郷との繋がりまで照合する。

 

その全てが一致した。

 

「間違いない」

 

声は静かだった。

 

それでも、滅多なことでは揺れなくなったシンの心が、僅かに高鳴っていた。

 

約十億年。

 

ようやく帰れる。

 

シンが右手を伸ばす。

 

時空間魔法が発動し、目の前の虚空に大きな亀裂が走った。

 

その裂け目の向こう側から、長い年月を経ても忘れることのなかった故郷の気配が流れ込んでくる。

 

シンはしばらく動かなかった。

 

怖気づいたわけではない。

 

ただ、どうしても考えてしまった。

 

自分が消えてから、故郷ではどれほどの時間が流れたのか。

 

祖父は今も生きているのか。

 

ベルは無事なのか。

 

自分のことを覚えているのか。

 

そもそも、自分が帰る場所そのものがまだ残っているのか。

 

不安がないわけではない。

 

それでも、ここまで来て引き返すという選択肢は最初から存在しなかった。

 

「帰ろう」

 

シンは一歩を踏み出し、時空の裂け目へ入った。

 

約十億年に及んだ異世界巡歴が、ようやく終わりを迎えた。

 

          ◇ ◇ ◇

 

空間が裂ける。

 

そこからシンが姿を現し、長い旅の末にようやく故郷の大地へ足をつけた。

 

「…………」

 

最初に感じたのは、周囲に満ちた濃密な魔力だった。

 

どうやら人間の街へ出たわけではないらしい。

 

周囲を見渡しても建物はなく、人の気配さえ存在しない。

 

巨大な岩山がいくつも連なり、大地には深い亀裂が走っている。

 

草木もほとんど見当たらず、周囲の空気そのものが異様な圧力を帯びていた。

 

「……場所を少し外したか」

 

シンは周囲を確認する。

 

世界そのものは間違っていない。

 

時間軸にも大きなズレはない。

 

問題があるとすれば、空間座標に多少の誤差が出ただけだろう。

 

十億年近く離れていた世界へ帰還したのだから、その程度は十分想定の範囲内だった。

 

「まあ、世界が合っているなら――」

 

そこまで言った瞬間。

 

空気が震えた。

 

シンが顔を上げる。

 

遠くで、山と見間違えるほど巨大な黒い影が動いた。

 

次の瞬間には巨大な翼が広がり、それだけで猛烈な風圧が発生して周囲の岩石が吹き飛ばされる。

 

大地が震え、空気を満たす圧力も一気に増大した。

 

やがて、その巨大な黒龍がゆっくりとこちらを向く。

 

片目しかない。

 

それでも、その一つの眼から放たれる殺気だけで、普通の人間なら意識を保つことさえ難しいだろう。

 

シンも黙って黒龍を見る。

 

故郷へ帰還して最初に出会った生物が龍とは、ずいぶん運がいいのか悪いのか分からない。

 

しかも、その龍はこの世界において最悪の怪物だった。

 

かつてゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアを壊滅させ、人類最大の脅威として恐れられてきた隻眼の黒竜。

 

もっとも。

 

シンはそんな事情を何一つ知らなかった。

 

この世界から消えた時、まだ五歳だったのだから。

 

「龍か」

 

それだけだった。

 

驚きも恐怖もない。

 

黒竜が咆哮する。

 

轟音が大気を揺らし、その衝撃だけで周囲の岩山へ亀裂が走る。

 

だが、シンは動かなかった。

 

「帰って早々これか」

 

面倒そうに呟く。

 

黒竜が翼を広げ、その口腔へ莫大な魔力を集め始めた。

 

周囲の空間が震える。

 

敵意も殺意も明確にシンへ向けられていた。

 

「俺は今、かなり機嫌がいい」

 

約十億年ぶりに故郷へ戻れたのだ。

 

できることなら、帰還直後に殺し合いなどしたくはない。

 

「見逃してやるから、どこかへ行け」

 

もちろん。

 

黒竜がその言葉へ従うはずもなかった。

 

口腔へ集められた莫大な力が一気に解放される。

 

巨大な奔流が大地を抉りながら、真正面からシンへ迫った。

 

「……そうか」

 

シンは小さく溜息をつく。

 

避けることもしない。

 

防御の構えすら取らなかった。

 

ただ右手を上げ、迫り来る攻撃へ掌を向ける。

 

その瞬間。

 

神龍魔気が動いた。

 

黒竜の放った莫大な力は、シンへ直撃する寸前で崩れ始めた。

 

爆発したわけではない。

 

何かに弾かれたわけでもない。

 

神龍魔気へ吸収されている。

 

強大な魔力の奔流が次々と喰らわれ、そのままシンの力へ変換されていった。

 

数秒後。

 

黒竜が放った攻撃は、跡形もなく消えていた。

 

シンは何事もなかったかのように掌を下ろす。

 

「今ので分かっただろ」

 

赤い瞳が黒竜へ向けられる。

 

「次はない」

 

しかし。

 

黒竜は退かなかった。

 

再び咆哮し、大地を蹴り砕きながらシンへ突進する。

 

その瞬間。

 

シンの表情から、僅かに残っていた温情が消えた。

 

「警告はした」

 

右手が背中へ伸びる。

 

握ったのは滅劫剣だった。

 

鞘から剣身がほんの僅かに抜かれただけで、周囲の空気が変わる。

 

それは殺気でも威圧でもなかった。

 

ただ、万物の終わりそのものを形にしたような気配が世界へ滲み出していく。

 

突進していた黒竜が、そこで初めて本能的な恐怖を覚えた。

 

だが。

 

もう遅い。

 

シンは滅劫剣を抜いた。

 

「故郷へ帰った最初の日くらい」

 

静かな声が響く。

 

「平穏に過ごさせろ」

 

一閃。

 

ただ一度。

 

剣を振るった。

 

巨大な光も、派手な爆発も起こらない。

 

ただ一本の斬線が、黒竜の巨大な身体を通り過ぎた。

 

そして次の瞬間。

 

隻眼の黒竜は消滅した。

 

肉体だけではない。

 

その存在を構成していた力さえ、滅劫剣によって終焉を与えられている。

 

長い時代にわたって人類最大の脅威として君臨し、ゼウスとヘラの眷属達さえ退けた怪物は、シンにとっては故郷へ帰還した直後に襲ってきた龍でしかなかった。

 

だから。

 

その最期も単純だった。

 

自分を襲った。

 

警告しても止まらなかった。

 

それなら斬る。

 

シンにとっては、それだけのことだった。

 

滅劫剣を鞘へ戻す。

 

周囲を見渡すと、先ほどまでとは違って完全な静けさが戻っていた。

 

「さて」

 

今度こそ、人のいる場所を探そう。

 

そう考えた時だった。

 

シンの感覚が、黒竜がいた場所とは別の方向へ向く。

 

何かいる。

 

気配はかなり弱い。

 

人間ではない。

 

それでも生きている。

 

シンは意識を集中させ、その存在を探る。

 

「……精霊か」

 

しかも、並の精霊ではない。

 

かなり高位の存在だ。

 

だが。

 

その力はほとんど残っていなかった。

 

長い年月にわたって何かへ力を使い続けた結果、存在そのものが消滅しかけている。

 

「限界寸前だな」

 

放置すれば、そう長くは保たない。

 

シンは少し考えた後、その気配がある方向へ歩き始めた。

 

そして。

 

そこで出会うことになる。

 

長きにわたって黒竜を封じる結界を維持し続け、その代償として今にも消滅しようとしていた風の大精霊。

 

アリアと。

 

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