白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか 作:ディーノpc35
シンの異空間工房で最終精錬を終えた後、ヘファイストスと椿は純化されたオリハルコンを持ってファミリアの本拠地へ戻った。
転移が終わると、そこは先ほどまでシンが一度目の精錬を行っていた工房だった。
中では、残っていた団員達が炉の状態を確認しながら修理の準備を進めている。
限界寸前まで酷使された炉は、既に一部が分解されていた。
耐火材の交換。
接合部の点検。
歪みの確認。
シンが行った一度の精錬だけで、かなり大掛かりな整備が必要になっている。
さらに別の一角では、精錬時に取り除かれた不純物を保管し、何が混ざっていたのかを調べようとしていた。
そんな団員達が、戻ってきた三人へ気づく。
「ヘファイストス様!」
「団長!」
何人もの鍛冶師が手を止めた。
最初に視線が向いたのはヘファイストスと椿だったが、すぐに二人が持っているものへ目が移る。
正確には。
椿の手にある金属塊へ。
「……それ」
一人の鍛冶師が動きを止めた。
「もしかして……」
椿が口元を吊り上げる。
「察しがいいのう」
そして作業台へ近づき、慎重に金属塊を置いた。
「これが、さっきのオリハルコンじゃ」
工房が静まり返った。
「…………」
誰もすぐには反応できなかった。
一人が恐る恐る聞く。
「これが?」
「ああ」
「本当に?」
「何度聞いても同じじゃ」
団員達が作業台の周囲へ集まってくる。
当然、全員がある程度の距離を保っていた。
シンの武器ではない。
危険な力を持つ素材とも聞いていない。
それでも、目の前の金属が先ほどまで自分達の知っているオリハルコンだったとは簡単に信じられなかった。
色合いから違う。
余計な濁りがない。
表面は異様なほど均一で、光の反射にすらほとんど乱れがない。
何より。
鍛冶師として見れば見るほど、不自然だった。
「……綺麗すぎる」
一人が呟く。
それは装飾品として美しいという意味ではない。
素材としてだ。
天然の鉱石を精錬した金属なら、どうしても僅かな偏りが残る。
微妙な色むら。
内部の組成差。
叩いた時の音の違い。
熟練した鍛冶師ほど、そうしたものを感じ取る。
だが。
目の前のオリハルコンには、それがほとんど見当たらない。
年配の鍛冶師がゆっくりと近づいた。
「触っても?」
椿がヘファイストスを見る。
ヘファイストスは一度シンへ視線を向けた。
「もう問題ない?」
「ああ」
シンが頷く。
「冷却も終わっている。触る程度なら問題ない」
その許可を聞き、年配の鍛冶師が慎重に手を伸ばした。
持ち上げる。
「……重い」
先ほどヘファイストスが言ったのと同じ言葉が漏れた。
「いや……違うな」
男は少し考える。
「重さそのものじゃない。密度が詰まっている感じがする」
ヘファイストスが頷いた。
「私も同じ感想だったわ」
男は指先で軽く金属を叩いた。
澄んだ音が響く。
別の場所。
もう一度。
さらに別の場所。
どこを叩いても、返ってくる音にほとんど差がない。
「……嘘だろ」
周囲から声が漏れる。
「ここまで均一になるのか?」
「天然の鉱石だぞ?」
「鋳造した人工素材でも、こんな揃い方しないだろ」
椿が笑う。
「太陽と同等の熱量で一度完全に溶かしておるからのう」
その一言で。
団員達の動きが止まった。
「…………はい?」
若い鍛冶師が聞き返した。
「今、何て?」
「太陽と同等の熱量じゃ」
「太陽?」
「ああ」
「何でオリハルコンを精錬する話に太陽が出てくるんですか?」
「必要だったからじゃ」
椿はシンの真似をするように平然と答える。
すると何人もの鍛冶師が一斉にシンを見る。
シンは特に否定しなかった。
「最終精錬ではそれくらい必要だった」
工房が再び静まり返る。
一人がゆっくりと壊れかけた炉を見る。
その炉は一度目の精錬だけで限界寸前まで使われた。
「……じゃあ」
別の鍛冶師が恐る恐る尋ねる。
「さっきここでやったのって、本当に最初の段階だけだったんですか?」
「ああ」
「その先が……」
「俺の工房でやった」
「しかも太陽の熱量で?」
「ああ」
「…………」
誰も何も言えなかった。
ようやく。
自分達の炉で続きを行えなかった理由が、理解できた。
設備の性能差という程度ではない。
そもそも到達しなければならない領域そのものが違いすぎる。
「そんな温度……鍛冶師が死ぬだろ」
誰かが呟く。
「死ぬぞ」
シンが普通に答えた。
全員の視線が集まる。
「……死ぬ?」
「ああ」
「じゃあ、ヘファイストス様と団長は?」
「防護装備を渡した」
ヘファイストスが自分の首元にある首飾りへ触れた。
まだ身につけている。
「これがなかったら、私達も精錬を見ることすらできなかったわ」
鍛冶師達の表情が完全に変わる。
未知の精錬技術。
未知の炉。
未知の素材。
その程度なら、まだ鍛冶師として興味を持つだけで済む。
しかし。
見学するために命を守る装備が必要になる精錬。
それはもう自分達の常識で測れるものではなかった。
「……で」
一人が純化されたオリハルコンを見る。
「性能は?」
全員の視線が一斉に戻った。
それこそが最も重要な問題だった。
ヘファイストスが腕を組む。
「まず、硬度はかなり上がってる」
「かなりってどのくらいです?」
「正確には測れなかったわ」
「測れなかった?」
「シンの試験装置が先に限界を迎えた」
沈黙。
「……試験装置が?」
「ああ」
椿が答える。
「圧力をかけ続けたが、オリハルコンが変形する前に装置の方が限界に近づいた」
「…………」
また言葉が消える。
誰かが乾いた笑いを漏らした。
「もう笑うしかないな……」
「いや待て」
別の鍛冶師が食いつく。
「じゃあ刃物で試したんですか?」
「ああ」
ヘファイストスが答えた。
「シンが作った剣を一本使ったわ」
「結果は?」
「オリハルコンに浅い痕がついただけ」
「おお……」
「代わりに剣の刃が欠けた」
「……は?」
反応が止まる。
「その剣、粗悪品だったんですか?」
「違うわよ」
椿が苦笑する。
「少なくとも、わしらの目から見れば十分以上の業物じゃ」
「それが負けた?」
「ああ」
「純度上げただけですよね?」
若い団員が困惑する。
シンが答える。
「不純物が取り除かれたことで、オリハルコン本来の性質が強く出ただけだ」
「『だけ』って……」
団員達が次々とオリハルコンを見る。
そこにあるのは、同じ名前の素材だった。
ダンジョンから採取され。
彼らも何度も目にし。
最高硬度の金属として扱ってきたオリハルコン。
だが。
目の前のものは、それと同じ素材だと思えない。
「これ……加工できるんですか?」
一人が尋ねる。
椿が黙った。
ヘファイストスも一瞬だけ目を逸らした。
その反応だけで嫌な予感がする。
「……まさか」
「今の設備では難しいわ」
ヘファイストスが認めた。
「やっぱり!?」
「炉が足りない」
椿が指を一本立てる。
「槌も足りん」
二本目。
「金床も長くは保たん可能性が高い」
三本目。
団員達が固まる。
「全部じゃないですか!」
「だから作り直すのよ」
ヘファイストスは平然と言った。
「炉も?」
「ええ」
「槌も?」
「ええ」
「金床も?」
「当然でしょう」
団員達が顔を見合わせる。
それから純化されたオリハルコンを見る。
さらに修理中の炉を見る。
そしてヘファイストスを見る。
「……ヘファイストス様」
「何?」
「本気ですか?」
「本気よ」
即答だった。
その瞳を見た団員達は理解した。
止めても無駄だ。
そもそも鍛冶神本人が、完全に未知の素材へ火をつけられている。
椿も同じだった。
むしろ団長の方が楽しそうですらある。
「最高ではないか」
椿が笑う。
「今までの設備では満足に鍛えられん素材が目の前にあるんじゃぞ」
「団長、それを最高って言います?」
「言うとも」
「設備全部作り直しなんですよ?」
「だから面白いんじゃろうが」
完全に鍛冶師の理屈だった。
だが。
周囲にいるのも鍛冶師達である。
最初こそ困惑していた者達の中にも、少しずつ違う表情が生まれ始めた。
「……確かに」
一人が呟く。
「これを鍛えられるようになったら……」
その言葉で、空気が変わる。
「今まで作れなかったものが作れる」
「純化オリハルコンの武器か」
「どれくらいの耐久になるんだ?」
「魔剣の芯材にしたら?」
「いや、まず加工法を確立しないと話にならん」
「炉だ。先に炉をどうする?」
次々と声が上がる。
先ほどまでの驚きが。
鍛冶師としての好奇心へ変わっていく。
ある者は純化されたオリハルコンを観察する。
ある者は限界寸前となった炉の構造を見直し始める。
また別の者は、高温に耐えられる炉材として何を使えるか考え始めていた。
ヘファイストスがその様子を見て僅かに笑う。
「そうでなくちゃね」
シンが横を見る。
「何がだ?」
「鍛冶師よ」
ヘファイストスは団員達を見ながら答える。
「自分達の知らないものを見て、ただ怖がって終わるようじゃ駄目でしょう?」
「そうだな」
シンもその点については同意した。
扱えない。
ならば扱えるようになればいい。
知らない。
ならば調べればいい。
その考え方は、シンが長い異世界巡歴の中で繰り返してきたことと同じだった。
その時。
一人の団員がシンへ近づいた。
「シンさん」
「何だ?」
「一つ聞いていいですか?」
「ああ」
男は純化されたオリハルコンを見る。
「これを鍛えられる設備を作るとして……」
少し迷う。
「今の俺達の技術で、そこまで行けると思います?」
工房が少し静かになる。
他の鍛冶師達も気になっていたのだろう。
シンはすぐには答えなかった。
限界寸前となった炉。
普段使われている槌。
金床。
そして周囲の鍛冶師達を見る。
やがて答えた。
「今のままなら無理だ」
誰も言葉を発さない。
シンは続ける。
「だが、別に不可能ではない」
男が顔を上げる。
「炉の構造を変えろ。耐熱素材も見直せ。熱を閉じ込めることだけ考えるのではなく、炉壁へ伝わる熱そのものを制御する方法を考えた方がいい」
何人もの鍛冶師が聞き入る。
「槌と金床は?」
「素材を変える必要がある。単純に硬くすればいいわけでもない。衝撃を逃がせなければ、どこかが先に割れる」
椿の目が細くなる。
ヘファイストスも真剣に聞いていた。
「それから」
シンは純化されたオリハルコンを指す。
「最初からこれと同じものを完全に加工しようとするな」
「え?」
「段階を作れ」
一人の鍛冶師が首を傾げる。
「段階?」
「ああ。今回の精錬途中の状態でも、元のオリハルコンより硬度は上がっていた」
そこでヘファイストスが理解した。
「つまり、純度を段階的に上げたオリハルコンを用意する?」
「ああ」
シンが頷く。
「今までのものより少し純度を上げた素材。それを扱えるようになったら次へ進む。さらに純度を上げる。最初から最終精錬品へ挑むより、その方が技術も設備も段階的に改善できる」
工房が静かになった。
そして。
椿が豪快に笑った。
「ははははっ! なるほど!」
「確かに、その方が現実的ね」
ヘファイストスも頷く。
鍛冶師達の表情が変わる。
最終精錬されたオリハルコンを見た時には、自分達との間にあまりにも大きな隔たりを感じた。
だが。
そこへ至るまでに段階を作ればいい。
最初からシンと同じことをする必要はない。
自分達が一つずつ追いついていけばいい。
「……やってみるか」
誰かが言った。
「やるしかないだろ」
「最高硬度の金属がさらに先へ行けるって分かったんだぞ」
「鍛冶師が放っておけるかよ」
声が増えていく。
やがて。
工房全体が騒がしくなった。
炉の修理計画。
新しい炉の構造。
精錬途中のオリハルコンをどの程度の純度まで上げるか。
必要な道具。
材料。
問題は山ほどある。
だが。
誰一人として嫌そうな顔をしていなかった。
シンはそんな彼らを静かに眺めていた。
神の眷属。
ヘファイストス・ファミリア。
シンは神へ盲目的に従う者を好まない。
しかし。
今目の前にいる者達は。
主神から命じられたから動いているのではない。
鍛冶師として。
自分達の知らない先を見たいから動こうとしている。
その違いは、シンにとって大きかった。
ヘファイストスがシンを見る。
「どう?」
「何がだ?」
「うちの子達」
シンは少しだけ考え。
「鍛冶師らしいな」
それだけ答えた。
だが。
ヘファイストスには十分だった。
「でしょう?」
鍛冶神は満足そうに笑った。
その日。
ヘファイストス・ファミリアに一つの新しい目標が生まれた。
純化されたオリハルコンを。
自分達自身の炉で熱し。
自分達自身の槌で鍛え。
自分達自身の手で武器へ変えること。
その道がどれほど長くなるのか。
この時点では。
誰にも分からなかった。