白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか 作:ディーノpc35
それから数日後。
ヘファイストス・ファミリアには、以前にも増して凄まじい熱気が満ちていた。
もともとオラリオ最大級の鍛冶派閥である。
所属する鍛冶師達の向上心は高く、昼夜を問わず各工房から槌を振るう音が響いていることなど珍しくない。
しかし、ここ数日の活気は明らかにそれまでとは違っていた。
「炉壁を厚くするだけじゃ駄目だ! この前は内部の温度を上げたせいで、炉そのものが限界寸前までいったんだぞ!」
「耐火煉瓦を別のものに変えるか?」
「それだけじゃ足りない! 炉壁だけじゃなく、炉の骨組みまで高温に耐えられる素材に変える必要がある!」
「空気の送り方も見直せ! もっと火力を上げるなら燃焼効率から変えないと駄目だ!」
「待て、いきなり大型炉で試すな! また壊したら修理だけで何日かかると思ってる! まず小型炉を作って実験しろ!」
あちらこちらで鍛冶師達の声が飛び交う。
ある工房では新しい炉の構造について議論し、別の工房では高温に耐えられる素材を片っ端から試している。
槌や金床についても同様だった。
純化されたオリハルコンを加工するためには、これまで使用してきた道具では強度が足りない。
ならば、それに耐えられるものを作る。
極めて単純な結論だった。
もっとも。
実際に作るとなれば、話はまったく単純ではない。
発端となったのは、シンが行ったオリハルコンの精錬だった。
自分達が完成品だと思っていたオリハルコンには、まだ不純物が残されていた。
しかも不純物を取り除き、純度を高めるほど、オリハルコン本来の性質が強く現れていった。
最終精錬まで終えたものに至っては、シンの異空間工房にあった試験装置ですら正確な強度を測り切れなかった。
その事実は、ヘファイストス・ファミリアの鍛冶師達が持っていた常識を根底から揺さぶった。
だが。
心を折られた者はほとんどいなかった。
むしろ逆だった。
自分達が知らなかった領域がある。
今まで最高だと思っていた技術の、その先が存在する。
ならば。
そこへ行ってみたい。
鍛冶師としての探究心に火をつけられた団員達は、それまで以上の勢いで技術開発へ没頭し始めていた。
そして。
その異常とも呼べる活気は、当然ながら同じオラリオにいる別の鍛冶神の耳にも届くことになった。
◇ ◇ ◇
その日。
シンはヘスティア・ファミリアのホームにいた。
ベルの怪我は既にシンが治療している。
深層から帰還した直後とは違い、今では普通に身体を動かせる状態まで戻っていた。
シン自身も、この世界へ帰還してから急いで確認しなければならなかったことが一段落し、ようやく弟やその仲間達と落ち着いて過ごす時間が増え始めている。
そんな中。
ホームの玄関が叩かれた。
「はーい!」
ヘスティアが玄関へ向かう。
しばらくすると。
「シン君」
ヘスティアが戻ってきた。
「君にお客さんみたいだよ」
「俺に?」
シンが僅かに眉を上げる。
この世界へ帰還してから、まだそれほど時間は経っていない。
自分を名指しで訪ねてくる者は多くない。
シンが玄関へ向かうと、そこには見覚えのない男が立っていた。
だが。
姿を見た瞬間、人間ではないことだけは分かった。
下界へ降りる際に権能を封じているとはいえ、神が持つ特有の気配までは完全には消えない。
少なくとも。
大神を遥かに上回る神気を持つシンの感覚を欺くことはできなかった。
「神か」
男の眉が僅かに動いた。
「……聞いていた通りじゃな」
「何がだ?」
「お主には、神が人に紛れておっても分かるという話じゃ」
男はシンを真っ直ぐ見る。
「わしはゴブニュ」
シンはその名前を記憶から探す。
情報収集の過程で聞いたことがあった。
鍛冶を司る神の一柱。
オラリオではゴブニュ・ファミリアを率いており、武器や防具だけでなく大型の建造物にも関わる鍛冶派閥だったはずだ。
「それで、鍛冶神が俺に何の用だ?」
シンが尋ねる。
ゴブニュは回りくどい前置きをしなかった。
「お主の精錬を見せてほしい」
「……精錬?」
「ああ」
ゴブニュは大きく頷いた。
「最近、ヘファイストスのところが妙に騒がしい」
シンはその一言で、おおよその事情を察した。
「以前から鍛冶馬鹿の集まりではあったが、ここ数日は輪をかけて酷い」
後ろから聞いていたヘスティアが苦笑する。
「ゴブニュがそれを言うのかい……」
ゴブニュは気にせず続ける。
「今まで使っていた炉を調べ直し、新しい炉の設計を始めたと思えば、耐火材を片っ端から試しておる。槌や金床まで一から見直し始めた」
「もうそこまでやっているのか」
シンは少しだけ感心した。
純化されたオリハルコンを見せた時、確かに彼らの鍛冶師としての探究心には火がついていた。
それでも数日で設備そのものの改良へ本格的に着手しているとは思わなかった。
「何があったのか調べた」
ゴブニュが続ける。
「すると、お主に行き着いた」
「俺?」
「正確には、お主が見せたオリハルコンの精錬じゃ」
ゴブニュの目が鋭くなる。
「ヘファイストス・ファミリアが誇る炉を、一度の精錬だけで限界寸前まで酷使したそうじゃな?」
「ああ」
「それでも最終精錬には程遠かった」
「ああ」
「だから、その後はヘファイストスと椿だけを連れて、お主の工房へ移動した」
「そうだ」
ゴブニュは僅かに身を乗り出す。
「そこで、さらに不純物を取り除いた」
「ああ」
「最終的には、今までオリハルコンと呼んでいたものとは比較にならん純度と硬度になったと聞いた」
「間違ってはいない」
ゴブニュは黙った。
しばらくシンを見つめる。
そして。
「見たい」
極めて単純な言葉だった。
「鍛冶神として、そんな話を聞かされて黙っておれるか」
ゴブニュの目には隠しようのない好奇心が浮かんでいる。
「わしらが長年扱ってきたオリハルコンに、さらに先があった。それだけでも見過ごせん」
一歩前へ出る。
「しかもヘファイストスですら知らなかった精錬方法じゃ」
そして頭を下げた。
「頼む。わしにも見せてくれ」
シンは無言でゴブニュを見る。
相手は神。
それだけなら警戒する理由には十分だった。
シンがこれまで旅してきた異世界では、神々が人間を道具や玩具として扱う光景など珍しくなかった。
だからこそ、シンは神という存在を簡単には信用しない。
だが。
目の前のゴブニュから感じられるのは、少なくとも今のところ悪意ではない。
鍛冶神として。
純粋に、自分の知らない鍛冶技術を見たい。
その欲求だった。
「どこから見たい?」
シンが尋ねた。
ゴブニュが顔を上げる。
「どこから?」
「精錬には段階がある」
シンは説明する。
「最初にヘファイストス・ファミリアの工房でやった精錬と、俺の工房で行った最終精錬では必要な火力がまったく違う」
「なら最初から最後までじゃ」
ゴブニュは即答した。
「全部見たい」
「最終精錬は見学しているだけでも危険だぞ」
「構わん」
「防護装備なしなら死ぬ」
「…………」
さすがのゴブニュも一瞬黙った。
近くで話を聞いていたベルが、何とも言えない表情を浮かべる。
「兄さん……」
「何だ?」
「鍛冶の見学だよね?」
「ああ」
「何で見ているだけで死ぬの?」
「最終精錬に必要な熱量が高いからだ」
ベルは嫌な予感を覚えながら聞く。
「どのくらい?」
「太陽と同程度だ」
「…………」
ベルが完全に黙った。
ゴブニュもシンを凝視する。
「今、太陽と言ったか?」
「ああ」
「比喩ではなく?」
「実際にそれくらいの熱量が必要になる」
ゴブニュの表情が変わった。
驚愕は当然ある。
だが。
それ以上に強くなったのは、鍛冶神としての好奇心だった。
「なおさら見たい」
「そこで引かないんだ……」
ヘスティアが呆れたように呟く。
だが、鍛冶を司る神にとっては逆だった。
太陽に匹敵する熱量を制御して金属を精錬する。
そんな鍛冶を目の前で見られる機会など、二度とないかもしれない。
「防護装備は?」
ゴブニュが尋ねる。
「俺が用意する」
「なら問題ない」
「簡単に言うな」
「鍛冶神じゃぞ?」
「神だから何だ」
シンは即座に切り返した。
「今のお前は権能を封じている。防護なしで最終精錬中の炉へ近づけば、神だろうと肉体は保たない」
「……分かっておる」
ゴブニュもそこは反論しなかった。
シンの異空間工房にある炉は、オラリオに存在する鍛冶炉とは根本的に違う。
炉そのものに使われている素材から違う。
異世界で入手した耐熱金属。
強大な龍から得た素材。
さらにシンが異世界を巡る中で身につけた術式や陣法を組み込み、炉そのものを保護すると同時に、発生した熱が精錬区画の外へ漏れないように制御している。
それらはすべて、シンが異世界で得た技術だった。
この世界の鍛冶師達が使う炉には存在しない。
ヘファイストス・ファミリアの工房にある炉も同じだ。
高度な設計。
優れた耐火材。
熟練した鍛冶師による温度管理。
送風による火力調整。
そうした純粋な鍛冶技術によって性能を高めている。
だからこそ、シンが最初の精錬を行った際も、限界を超える熱量に対して炉そのものが耐え切れなくなりかけた。
シンの異空間工房にある設備は、この世界の鍛冶技術とはまったく別系統の技術体系によって作られているのだ。
その時。
「ちょっと待ってくれ」
別の声が割り込んだ。
全員が振り返る。
そこに立っていたのはヴェルフだった。
どうやら途中から話を聞いていたらしい。
「ヴェルフ?」
ベルが名前を呼ぶ。
ヴェルフはゴブニュを一度見た後、シンへ視線を向けた。
「俺も見たい」
シンが僅かに眉を上げる。
「精錬をか?」
「ああ」
ヴェルフの表情は真剣だった。
「前にヘファイストス様と椿さんを工房に連れていったって聞いた時から気になってた」
ヴェルフ自身も鍛冶師だ。
クロッゾの血を引き、特殊な魔剣を生み出す力を持つ。
しかし、ヴェルフ自身は血に頼って魔剣を作るだけの鍛冶師で終わるつもりなどない。
自らの腕で。
自分自身が納得できる武器を鍛える。
そのために鍛冶師としての技術を磨き続けている。
そんなヴェルフが。
鍛冶神ヘファイストスすら驚愕させた精錬技術を知って、興味を持たないはずがなかった。
「ヘファイストス・ファミリアの連中が最近やたら工房に籠もってるのも知ってる」
ヴェルフは続ける。
「何があったのか聞いたら、あんたの精錬を見てからだっていうじゃないか」
「そうらしいな」
「しかも、今まで使ってたオリハルコンが完全に精錬されたものじゃなかったんだろ?」
「ああ」
「だったら、鍛冶師として見てみたい」
ヴェルフは真っ直ぐシンを見る。
「頼む。俺にも見せてくれ」
ゴブニュが横からヴェルフを見る。
「お主、クロッゾじゃな?」
ヴェルフもゴブニュを見る。
「ヴェルフ・クロッゾだ」
「ヘファイストスのところの鍛冶師だったな」
「ああ」
ゴブニュはヴェルフをしばらく観察した後、笑みを浮かべた。
「ならば見たいと思うのも当然か」
「神様だけに独占させる気はないぜ」
「ほう?」
二人の間に妙な対抗意識が生まれる。
ベルが困ったように二人を見る。
一方。
シンは少し考えていた。
ゴブニュ。
ヴェルフ。
二人とも目的は同じ。
なら、別々に見せる必要はない。
「分かった」
その一言に二人が反応した。
「見せてやる」
ヴェルフの顔が明るくなる。
ゴブニュも満足そうに頷いた。
だが。
シンは続ける。
「ただし、俺の指示には絶対に従え」
二人の表情が引き締まる。
「特に最終精錬へ入った後は、勝手に動くな。触るなと言ったものには触るな。防護装備も俺が許可するまで外すな」
「分かった」
ヴェルフが即答する。
「異論はない」
ゴブニュも頷いた。
シンは二人を見る。
「それならいい」
その会話を聞いていたベルが、少し迷った後に口を開いた。
「兄さん」
「何だ?」
「僕も――」
「お前は鍛冶師じゃないだろ」
言い切る前に返された。
「……はい」
ベルは素直に引き下がった。
その横でヘスティアが吹き出す。
こうして。
鍛冶神ゴブニュと。
鍛冶師ヴェルフ・クロッゾ。
新たな二人が、シンの異空間工房へ足を踏み入れることになった。
ヘファイストスと椿が目撃した。
この世界の鍛冶技術とはまったく異なる体系によって成立した工房。
そして。
自分達が知るオリハルコンという金属の常識を覆した精錬を、その目で確かめるために。