白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか   作:ディーノpc35

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第19話 鍛冶の常識、その向こう側

「……終わった」

 

シンの声が、静まり返った異空間工房に響いた。

 

その言葉とともに、炉の内部を満たしていた凄まじい光が徐々に弱まっていく。

 

だが、ゴブニュとヴェルフは返事をしなかった。

 

いや。

 

できなかった。

 

二人ともシンから渡された防護用の首飾りを身につけたまま、その場に立ち尽くしている。

 

視線はただ一点。

 

最終精錬を終えた炉へ向けられていた。

 

「…………」

 

ヴェルフは完全に言葉を失っていた。

 

一方のゴブニュも、鍛冶神とは思えないほど呆然とした表情を浮かべている。

 

二人は見た。

 

最初から。

 

最後まで。

 

オリハルコンという金属が、どのように変化していったのかを。

 

最初にシンが用意したのは、オラリオで普通に流通しているオリハルコンだった。

 

もちろん『普通』と言っても、素材そのものは最高級だ。

 

ダンジョンから得られる最高硬度の金属。

 

一流の鍛冶師ですら容易には加工できず、第一級冒険者が使う武器に用いられるほどの希少素材。

 

ヴェルフも知っている。

 

ゴブニュに至っては、これまで数え切れないほど見てきた。

 

だからこそ。

 

最初は分からなかった。

 

シンが何を問題視しているのか。

 

だが、精錬が始まった瞬間から。

 

二人の認識は変わった。

 

加熱。

 

内部状態の確認。

 

不純物の分離。

 

再加熱。

 

鍛打。

 

さらに加熱。

 

それらを繰り返すたび、オリハルコンから僅かずつ異物が取り除かれていった。

 

最初の段階だけでも。

 

二人が知る精錬とは、要求される水準が違った。

 

そして。

 

途中からは完全に別世界だった。

 

文字通り。

 

シンが異世界を巡りながら身につけた鍛冶技術なのだから当然ではある。

 

「……シン」

 

長い沈黙の後。

 

ようやくヴェルフが声を出した。

 

「何だ?」

 

「一つ聞いていいか?」

 

「ああ」

 

ヴェルフは炉を見る。

 

「今まで俺達が使ってたオリハルコンって……」

 

言葉を探す。

 

「本当に精錬済みだったのか?」

 

「この世界の基準ならな」

 

シンはそう答えた。

 

「精錬されていないわけではない。不純物も相当取り除かれている」

 

「でも」

 

ヴェルフは作業台を見る。

 

そこには今回の精錬途中で取り除かれたものが残されている。

 

「これだけ残ってた」

 

「ああ」

 

「俺達には見えてなかっただけで」

 

「そういうことだ」

 

ヴェルフは黙った。

 

別に。

 

オラリオの鍛冶師達が怠けていたわけではない。

 

技術が低いわけでもない。

 

単純に。

 

到達できなかった。

 

必要となる温度が高すぎる。

 

炉が耐えられない。

 

そして。

 

最後に必要となる熱量に至っては。

 

「……太陽、か」

 

ヴェルフが呟く。

 

先ほど見た光景を思い出す。

 

シンから事前に聞いていた。

 

最終精錬には太陽に匹敵する熱量が必要になる。

 

聞いた時は。

 

意味が分からなかった。

 

実際に見ても。

 

やはり意味が分からなかった。

 

炉の内部が、炎というより光そのものに変わった。

 

普通の火とは比較にならない。

 

赤。

 

橙。

 

青。

 

そういった炎の色を語る段階を通り越していた。

 

眩い光の中で。

 

最高硬度の金属であるはずのオリハルコンが。

 

完全に溶けた。

 

「……溶けたんだよな」

 

ヴェルフが確認する。

 

「ああ」

 

「オリハルコンが」

 

「ああ」

 

「完全に?」

 

「ああ」

 

ヴェルフは頭を抱えた。

 

「何度聞いてもおかしいだろ……」

 

だが。

 

隣にいるゴブニュは、ヴェルフとは少し違う反応をしていた。

 

黙っている。

 

ただし。

 

その目は異様なほど真剣だった。

 

炉。

 

シン。

 

精錬されたオリハルコン。

 

それらへ何度も視線を動かしている。

 

やがて。

 

「シン」

 

ゴブニュが口を開いた。

 

「何だ?」

 

「もう一度聞く」

 

鍛冶神の声から、先ほどまでの驚愕が消えていた。

 

代わりにあるのは。

 

純粋な探究心だった。

 

「最後の段階で、お主は何をしておった?」

 

「オリハルコンを完全に溶融させた後、残っていた不純物を分離した」

 

「それだけではないじゃろう」

 

シンがゴブニュを見る。

 

ゴブニュは続けた。

 

「わしも鍛冶神じゃ」

 

その目が鋭くなる。

 

「ただ熱していただけではないことくらい分かる」

 

ヴェルフも顔を上げる。

 

「炉の中にあるオリハルコンへ、何かを送り込んでおったな?」

 

「ああ」

 

「魔力か?」

 

「違う」

 

「では何じゃ?」

 

「真気だ」

 

ゴブニュが眉を寄せる。

 

「真気?」

 

この世界では馴染みのない概念だった。

 

シンは簡単に説明する。

 

「俺が武功で使っている力だ。体内で練り上げた気を操作している」

 

「それを金属へ?」

 

「ああ」

 

シンは冷却工程へ入ったオリハルコンを見る。

 

「炉の外から内部状態を確認するために使った」

 

ヴェルフが驚く。

 

「中が分かるのか?」

 

「分かる」

 

「溶けた金属の中まで?」

 

「ああ」

 

「…………」

 

ヴェルフが再び黙る。

 

シンは続けた。

 

「温度だけを見ても意味がない。どの部分に不純物が残っているか、どの段階で分離し始めるか、オリハルコンそのものに異常が出ていないか。それを確認しながら火力を調整していた」

 

ゴブニュがゆっくり息を吐く。

 

「なるほど……」

 

そこでようやく理解した。

 

シンの精錬を再現するために必要なのは。

 

単純に高火力の炉だけではない。

 

素材の内部状態を把握する能力。

 

その状態に応じて熱量を極めて細かく調整する技術。

 

完全に溶融した金属から、必要な成分を残したまま異物だけを分離する技術。

 

さらに。

 

その後の冷却まで含めた制御。

 

それら全てが揃って初めて。

 

目の前の結果になる。

 

「……炉だけ真似ても無理か」

 

ゴブニュが呟いた。

 

「そうだな」

 

シンは否定しなかった。

 

「太陽と同程度の火力を出せたとしても、それだけでは素材を駄目にする可能性が高い」

 

ヴェルフの表情が引きつる。

 

「オリハルコンを?」

 

「ああ」

 

「最高硬度の金属を駄目にする火力って何だよ……」

 

「必要以上に加熱すれば金属の性質を損なうこともある。強い火を出せばいいという話じゃない」

 

ヴェルフは思わず苦笑した。

 

「鍛冶の基本を、とんでもない規模でやってるだけなのか……」

 

シンがヴェルフを見る。

 

「そうだ」

 

その返答に。

 

ヴェルフは逆に何も言えなくなった。

 

確かに基本だ。

 

素材を見る。

 

適切な温度まで熱する。

 

状態に応じて槌を振るう。

 

必要なら再び炉へ戻す。

 

鍛冶師なら誰でも知っている。

 

だが。

 

シンの場合。

 

『素材を見る』という行為が、真気を内部へ浸透させて金属の内部構造を把握することを意味する。

 

『適切な温度』の上限が太陽に匹敵する。

 

『炉』には異世界の金属や龍の素材が使われている。

 

しかも、この世界には存在しない術式や陣法まで組み込まれ、異常な熱量を工房内へ完全に封じ込めている。

 

規模がおかしいだけで。

 

やっていることの根底は確かに鍛冶だった。

 

「……参ったな」

 

ヴェルフが笑った。

 

悔しそうでありながら。

 

同時に。

 

楽しそうだった。

 

「何がだ?」

 

シンが尋ねる。

 

「俺、自分がまだまだだって分かってるつもりだったんだ」

 

ヴェルフは炉を見る。

 

「ヘファイストス様がいる。椿さんがいる。俺より上の鍛冶師なんていくらでもいる」

 

それは分かっていた。

 

だから鍛えてきた。

 

魔剣を作れるクロッゾとしてではなく。

 

一人の鍛冶師として。

 

自分の武器を作れるようになるために。

 

「でもさ」

 

ヴェルフは純化されていくオリハルコンを見る。

 

「ここまで先があるとは思わなかった」

 

シンは何も言わない。

 

「ヘファイストス様達が、あれを見てから工房に籠もってる理由が分かったよ」

 

ヴェルフは笑う。

 

「こんなもん見せられたら、鍛冶師なら試したくなる」

 

自分ならどこまでできるのか。

 

何が足りないのか。

 

どうすれば近づけるのか。

 

知りたくなる。

 

「シン」

 

「何だ?」

 

「俺にも教えてくれないか?」

 

シンの目が僅かに細くなる。

 

ヴェルフはすぐに付け加えた。

 

「全部をいきなり教えてくれって意味じゃない」

 

真っ直ぐシンを見る。

 

「俺には真気なんて使えない。あの炉も作れない。太陽みたいな火力なんて扱えるわけがない」

 

それでも。

 

「今の俺にできるところからでいい」

 

ヴェルフは自分の手を見る。

 

武器を作り続けてきた手。

 

「精錬の見方でも、素材の扱い方でも、槌の振り方でもいい」

 

顔を上げる。

 

「もっと先に行けるなら、行ってみたい」

 

その言葉を聞いたシンは。

 

しばらくヴェルフを見た。

 

やがて。

 

「いいぞ」

 

「……いいのか?」

 

「ああ」

 

あまりにも簡単な返答だったため、ヴェルフの方が驚いた。

 

「お前が覚える気があるなら教える」

 

「本当に?」

 

「ただし」

 

シンは続ける。

 

「俺のやり方をそのまま真似する必要はない」

 

ヴェルフが黙って聞く。

 

「俺が使っている技術の大半は、この世界には存在しないものだ。真気もそうだ。術式もそうだ。素材も違う」

 

シンはヴェルフの手を見る。

 

「なら、お前はお前が使えるものを使えばいい」

 

「俺が使えるもの……」

 

「ああ」

 

「目的は俺と同じ方法で鍛えることじゃない。より良い武器を作ることだろう?」

 

ヴェルフの目が僅かに見開かれる。

 

そして。

 

「……そうだな」

 

笑った。

 

「ああ。その通りだ」

 

一方。

 

その会話を聞いていたゴブニュは。

 

「では、わしにも教えろ」

 

当然のように割り込んできた。

 

ヴェルフが振り返る。

 

「神様までかよ」

 

「当たり前じゃ」

 

ゴブニュは真顔だった。

 

「わしは鍛冶神じゃぞ?」

 

「神なら全部知ってるんじゃないのか?」

 

「知らんものを今見せられたところじゃ!」

 

堂々と言い切った。

 

ヴェルフが思わず笑う。

 

だが。

 

ゴブニュ本人は笑っていない。

 

「知らぬなら学ぶ。それだけじゃ」

 

その言葉に。

 

シンの目が僅かに変わった。

 

神。

 

シンがこれまで遭遇してきた神々の多くは。

 

自らを完全な存在だと考えていた。

 

人間から学ぶなどあり得ない。

 

下等な存在から教えを受けるなど神としての恥。

 

そんな考えを持つ者も珍しくなかった。

 

だが。

 

目の前の鍛冶神は。

 

自分の知らない技術を見つけた途端。

 

教えろと言った。

 

相手が人間であるかどうかなど、まるで気にしていない。

 

「神でも学ぶのか」

 

シンが呟いた。

 

ゴブニュが怪訝そうな顔をする。

 

「何を当然のことを言っておる?」

 

「…………」

 

「鍛冶に終わりなどあるものか」

 

ゴブニュは純化されていくオリハルコンを見る。

 

「神であろうが人であろうが、知らぬ技術があるなら学ぶ」

 

その目には。

 

鍛冶神としての矜持があった。

 

だが。

 

傲慢さではない。

 

鍛冶そのものへの誇りだった。

 

「それに」

 

ゴブニュはシンを見る。

 

「お主の技術が、わしらの鍛冶とは異なる道を歩んだ末に生まれたものなら」

 

僅かに笑う。

 

「なおさら面白い」

 

シンはしばらく黙っていた。

 

そして。

 

「分かった」

 

ゴブニュが笑みを深くする。

 

「教えられる範囲なら教える」

 

「十分じゃ」

 

ヴェルフも拳を握る。

 

「よし……!」

 

だが。

 

シンが続けた。

 

「ただし、最初は基礎からだ」

 

ヴェルフの動きが止まる。

 

「……基礎?」

 

「ああ」

 

「今見せてもらった精錬じゃなくて?」

 

「いきなりできると思っているのか?」

 

「思ってないけどよ……」

 

「なら基礎からだ」

 

ゴブニュは素直に頷いた。

 

「当然じゃな」

 

「神様、切り替え早いな……」

 

ヴェルフが呟く。

 

その間にも。

 

最終精錬を終えたオリハルコンは、シンの真気によって内部状態を整えられながら、ゆっくりと冷却されていく。

 

やがて。

 

シンが最後の調整を終えた。

 

「これでいい」

 

作業台の上に。

 

完全精錬されたオリハルコンが置かれる。

 

ゴブニュとヴェルフが近づいた。

 

先ほどまでのものとは違う。

 

濁りがない。

 

どこを見ても均一。

 

金属でありながら。

 

一つの完成された物質そのものを見ているようだった。

 

ゴブニュが手を伸ばそうとする。

 

「まだ待て」

 

シンに止められた。

 

手が止まる。

 

「冷却は終わったが、周囲にはまだ余熱がある」

 

「……分かった」

 

ゴブニュは素直に引っ込めた。

 

少しして。

 

シンが許可する。

 

「もういいぞ」

 

今度こそ。

 

ゴブニュがオリハルコンへ触れた。

 

「…………」

 

鍛冶神の顔から。

 

完全に表情が消えた。

 

手に取る。

 

指先で表面を確かめる。

 

軽く叩く。

 

澄み切った金属音が響いた。

 

位置を変える。

 

もう一度。

 

同じ音。

 

さらに別の場所。

 

ほとんど変わらない。

 

ゴブニュは何度も繰り返した。

 

やがて。

 

「……美しい」

 

その言葉だけが漏れた。

 

装飾としてではない。

 

金属として。

 

素材として。

 

鍛冶神がそう評した。

 

「これほど均質なオリハルコンを……わしは見たことがない」

 

ヴェルフも触れる。

 

「……これが」

 

自分達が普段扱っているものと。

 

元は同じ。

 

それが信じられなかった。

 

ヴェルフはしばらく黙っていた。

 

そして。

 

「シン」

 

「何だ?」

 

「さっきの話」

 

純化されたオリハルコンから目を離さないまま言った。

 

「絶対に忘れるなよ」

 

「教える話か?」

 

「ああ」

 

ヴェルフは顔を上げる。

 

その目には。

 

鍛冶師としての強烈な意欲が宿っていた。

 

「俺もいつか」

 

作業台の上にあるオリハルコンを見る。

 

「自分の手で、ここまで持っていってみたい」

 

その横で。

 

ゴブニュも同じ素材を見つめていた。

 

鍛冶神と。

 

若い鍛冶師。

 

立場も。

 

経験も。

 

持っている技術も違う。

 

だが。

 

この瞬間。

 

二人が考えていたことだけは同じだった。

 

――この先を見たい。

 

ヘファイストスと椿がそうなったように。

 

シンの精錬を最初から最後まで目撃した二人にもまた。

 

鍛冶師としての新たな火が灯っていた。

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