白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか   作:ディーノpc35

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第23話 アリアの選択

どれほどの時間が経っただろう。

 

アイズとアリアは、しばらく互いを抱き締めたまま離れなかった。

 

アイズは何度も母の名を呼び、そのたびにアリアも娘の名前を呼び返す。

 

九年前に生き別れ、ようやく再会することができたシンとベル。

 

それ以上に長い時間を隔てて再会したアリアとアイズ。

 

事情こそ違うものの、失った家族と再び巡り会えたという点では同じだった。

 

だからベルもシンも、二人の邪魔をすることなく待ち続けた。

 

やがて。

 

少しだけ落ち着きを取り戻したアイズが、ようやくアリアの胸から顔を上げた。

 

それでも、その手は母親の服を掴んだままだった。

 

離せば、またいなくなってしまう。

 

そんな不安が残っているようにも見えた。

 

アリアはそれに気づいているのか、優しく娘の髪を撫でている。

 

「本当に……母さんなんだ」

 

「ええ」

 

アリアは微笑む。

 

「あなたの母親よ、アイズ」

 

「……うん」

 

アイズは再びアリアへ身体を寄せた。

 

その姿は普段の『剣姫』からは想像しにくい。

 

だが、アリアの前では第一級冒険者でも『剣姫』でもない。

 

ただの娘だった。

 

ベルも穏やかな表情で二人を見守っていた。

 

その隣で、シンが口を開く。

 

「アリア」

 

「何かしら?」

 

アリアが娘を抱いたままシンを見る。

 

「これからどうする?」

 

「これから?」

 

「ああ」

 

シンはアイズへ視線を向けた。

 

「娘が見つかった」

 

アリアの表情が僅かに変わる。

 

「今後はアイズと一緒に暮らすか?」

 

その言葉に。

 

アイズが顔を上げた。

 

金色の瞳がアリアへ向けられる。

 

期待していることは明らかだった。

 

アリアも当然それに気づいた。

 

「…………」

 

返事はすぐには出なかった。

 

一緒に暮らしたくないはずがない。

 

ようやく再会できた娘だ。

 

失ったと思っていた。

 

二度と会えないと思っていた。

 

その娘が目の前にいる。

 

今すぐにでもアイズの傍にいたい。

 

これまで離れていた時間を少しでも埋めたい。

 

だが。

 

アリアはシンを見た。

 

自分が今こうして娘を抱き締めることができている理由。

 

黒竜の棲家。

 

長い間、結界を維持するために力を失い続け。

 

存在そのものが消滅しかけていた自分を。

 

シンは助けた。

 

何かを要求したわけでもない。

 

見返りを求めたわけでもない。

 

ただ。

 

死にかけている自分を見つけ。

 

救った。

 

その恩がなければ。

 

この再会は存在しなかった。

 

アリアはアイズの頬へ手を添えた。

 

「一緒に暮らしたいわ」

 

アイズの瞳が僅かに輝く。

 

「……本当?」

 

「もちろんよ」

 

アリアは迷うことなく答えた。

 

「ずっと会いたかったもの」

 

「じゃあ……」

 

「でも」

 

続いた言葉に、アイズの表情が止まる。

 

アリアは困ったように微笑んだ。

 

「もう少しだけ待ってくれる?」

 

「……どうして?」

 

「シンに恩返しをしたいの」

 

アイズがシンを見る。

 

シン本人は特に反応しなかった。

 

「恩返し?」

 

「ええ」

 

アリアは娘へ説明する。

 

「私が今こうしていられるのは、シンが助けてくれたからなの」

 

黒竜の棲家で消滅しかけていたこと。

 

結界を維持するため、残っていた力さえ失い続けていたこと。

 

そこへシンが現れたこと。

 

そして。

 

自分を救ってくれたこと。

 

アイズは黙って聞いていた。

 

以前ベルから簡単には聞いていた。

 

しかし、母本人の口から聞けば重みが違う。

 

もし。

 

シンがアリアを見つけなければ。

 

今の再会はなかった。

 

アイズはシンを見る。

 

「……ありがとう」

 

突然言われ。

 

シンがアイズへ視線を向ける。

 

「何がだ?」

 

「母さんを……助けてくれて」

 

深く。

 

アイズが頭を下げた。

 

「ありがとう」

 

シンは少しだけ黙った。

 

「気にする必要はない」

 

「でも……」

 

「俺が勝手に助けただけだ」

 

「それでも」

 

アイズは顔を上げる。

 

「ありがとう」

 

シンはそれ以上否定しなかった。

 

「ああ」

 

それだけ答える。

 

アリアはそんな二人を見てから、話を戻した。

 

「だから、まずはシンに恩返しをしたいの」

 

「俺は別にいらないぞ」

 

シンが口を挟む。

 

アリアが即座に振り向いた。

 

「あなたが必要かどうかではなくて、私がしたいの」

 

「そうか」

 

「そうよ」

 

シンはあっさり引いた。

 

本人がそうしたいなら止める理由もない。

 

「それで?」

 

「しばらくヘスティア・ファミリアで暮らそうと思うわ」

 

ベルが驚く。

 

「僕達のホームで?」

 

「ええ。迷惑かしら?」

 

「全然!」

 

ベルは即答した。

 

「ヘスティア様に聞く必要はありますけど、たぶん大丈夫だと思います」

 

アリアは微笑む。

 

「ありがとう、ベル」

 

一方。

 

アイズは少し寂しそうだった。

 

アリアはそれに気づき、娘の頬へ再び手を添える。

 

「そんな顔をしないで」

 

「……してない」

 

「しているわ」

 

「……」

 

「同じ街にいるのよ?」

 

アイズが母を見る。

 

「もう、いなくなったりしない?」

 

その言葉に。

 

アリアは一瞬言葉を失った。

 

そして。

 

優しく娘を抱き締める。

 

「ええ」

 

今度は迷わなかった。

 

「もういなくならないわ」

 

アイズもアリアを抱き返す。

 

「約束?」

 

「約束よ」

 

しばらくして二人が離れると、シンが口を開いた。

 

「ヘスティアには俺から話しておく」

 

ベルが苦笑する。

 

「兄さん、またいきなり決めてない?」

 

「断られたら別の場所を用意する」

 

「そういう問題かな……」

 

とはいえ。

 

ベルもヘスティアが拒否するとは思えなかった。

 

こうして。

 

アリアは当面の間、ヘスティア・ファミリアのホームで暮らすことになった。

 

娘とはいつでも会える。

 

そのうえで。

 

自分を救ってくれたシンへ、まず恩を返す。

 

アリア自身がそう選んだ。

 

          ◇ ◇ ◇

 

その日の朝。

 

ヘスティア・ファミリアのホーム。

 

「――というわけで、アリアがしばらくここで暮らす」

 

シンが説明を終える。

 

ヘスティアは目を瞬かせた。

 

「…………」

 

そして。

 

アリアを見る。

 

次にベルを見る。

 

もう一度シンを見る。

 

「いやいやいやいや!」

 

ようやく声が出た。

 

「『というわけで』じゃないよ!」

 

「何か問題があるか?」

 

「説明が短すぎる!」

 

ヘスティアは頭を抱えた。

 

目の前にいるのは普通の女性ではない。

 

風の大精霊アリア。

 

それも『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインの母親。

 

そんな存在が突然、自分のファミリアのホームで暮らすという。

 

「ベル君!」

 

「はい!」

 

「何があったの!?」

 

「アイズさんとアリアさんが再会しました!」

 

「そこから説明して!」

 

結局。

 

ベルが早朝に起きた出来事を最初から説明することになった。

 

話を聞き終えたヘスティアは、しばらく唸っていたものの。

 

最後にはアリアを見る。

 

「まあ……君がここにいたいなら、ボクは構わないよ」

 

「ありがとう、ヘスティア」

 

「ただし」

 

ヘスティアがシンを指差す。

 

「次からこういう大きな話は、先に相談して!」

 

「分かった」

 

あまり反省しているようには見えなかった。

 

「絶対分かってないよね!?」

 

ベルが苦笑する。

 

その後。

 

リリ達にもアリアがしばらくホームで生活することが伝えられ。

 

当然ながら。

 

朝から一騒動となった。

 

だが。

 

この時。

 

ベル達はまだ知らなかった。

 

この直後。

 

ヘスティア・ファミリアを巻き込む新たな騒動が始まろうとしていることを。

 

その中心にいるのが。

 

ベルにとって馴染み深い少女であることを。

 

そしてシンだけは。

 

既にその少女の正体へ気づいていた。

 

          ◇ ◇ ◇

 

豊穣の女神篇

 

数日後。

 

ヘスティア・ファミリアのホーム。

 

朝食を終えたベルは、出かける準備をしていた。

 

アリアがホームで生活するようになってから数日。

 

最初こそ全員が緊張していたものの、アリア自身が穏やかな性格であることもあって、思った以上に早く馴染み始めていた。

 

アイズも時間を見つけては母親へ会いに来るようになった。

 

最初の頃など、普段の無表情が嘘のようにアリアから離れようとしなかったほどだ。

 

シンはそれを特に止めなかった。

 

失った時間を埋めることはできない。

 

だが。

 

これから一緒に過ごす時間まで奪われる理由はない。

 

そんな日々の中。

 

玄関から声がした。

 

「ベル様ー! お手紙ですよー!」

 

「僕に?」

 

リリの声を聞き、ベルが玄関へ向かう。

 

シンも居間にいたため、自然とそちらへ視線を向けた。

 

リリの手には一通の封書があった。

 

「誰から?」

 

「それが……」

 

リリは封筒を見る。

 

そして。

 

少し妙な表情になった。

 

「『豊穣の女主人』のシル・フローヴァさんからです」

 

ベルの動きが止まった。

 

「シルさん?」

 

シンの目が僅かに細くなる。

 

シル・フローヴァ。

 

『豊穣の女主人』で働いている灰色の髪の少女。

 

以前。

 

ベルの深層からの帰還と、シンとの再会を祝うために皆で店を訪れた時。

 

シンは一目見た瞬間から気づいていた。

 

――神。

 

それも。

 

ただ人間へ変装している程度ではない。

 

周囲の人間は誰一人気づいていなかった。

 

ベルも。

 

リリ達も。

 

店の客達も。

 

だからあの時。

 

シンは何も言わなかった。

 

下手に正体を暴けば、何が起こるか分からない。

 

何より。

 

シル自身がベルへ向けている感情が妙に強かった。

 

そして。

 

オラリオへ入った日に耳へ入った噂。

 

『女神フレイヤが白兎の脚に目をつけている』

 

二つの情報が。

 

シンの中では既に繋がり始めていた。

 

「ベル」

 

「何?」

 

「その手紙を見せろ」

 

「え?」

 

ベルは少し戸惑った。

 

「まだ僕も読んでないけど」

 

「なら先に読め」

 

「兄さん、シルさんのことになると妙に警戒するよね」

 

「そうか?」

 

「前に『豊穣の女主人』へ行った時も、ずっと様子を見てたし」

 

シンは答えなかった。

 

ベルは不思議そうにしながら封を開ける。

 

中から便箋を取り出した。

 

そして。

 

読み始める。

 

最初は普通だったベルの表情が。

 

少しずつ固まっていった。

 

耳が赤くなる。

 

リリが怪訝そうな顔をする。

 

「ベル様?」

 

「…………」

 

「何が書いてあるんですか?」

 

「いや、その……」

 

ベルが言い淀む。

 

シンはそんな弟を見ながら尋ねた。

 

「何だ?」

 

「……シルさんから」

 

ベルは困惑したまま答える。

 

「女神祭の間……一日だけ、僕と二人きりでデートしてくださいって」

 

沈黙。

 

数秒後。

 

「――デートぉ!?」

 

リリの叫び声がホーム中へ響いた。

 

別室から物音がする。

 

「何だい今の声は!?」

 

ヘスティアが飛び込んできた。

 

「ベル様にシルさんからデートの誘いです!」

 

「何ぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

今度は主神の叫び声が響いた。

 

ベルが慌てる。

 

「ヘスティア様、まだ行くって決めたわけじゃ――」

 

「ダメだよベル君!」

 

「まだ何も言ってません!」

 

「シル君と二人きりなんて絶対ダメ!」

 

「だから落ち着いてください!」

 

一気に騒がしくなるホーム。

 

その中で。

 

シンだけは笑っていなかった。

 

シル・フローヴァ。

 

人間として振る舞っている神。

 

そして。

 

ベルを求めている女神フレイヤ。

 

もし。

 

自分の考えている通りなら。

 

この手紙の意味は。

 

単なる少女からの恋文ではない。

 

シンは騒ぐヘスティア達を横目に、静かに考える。

 

――さて。

 

シル。

 

いや。

 

その奥にいる神が。

 

ベルに何を求めているのか。

 

まずは見極める必要がある。

 

シンはまだ動かなかった。

 

ベル自身がどうするのかも含め。

 

まずは見る。

 

だが。

 

もし神の都合で弟の意思を捻じ曲げようとするなら。

 

その時だけは。

 

話が変わる。

 

シンの視線が、ベルの持つ一通の手紙へ向けられた。

 

こうして。

 

女神祭を舞台とした騒動。

 

後にオラリオ全体を巻き込むことになる『豊穣の女神』を巡る物語が。

 

静かに始まった。

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