白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか 作:ディーノpc35
ヘファイストス達との話が一段落した後も、ヘスティア・ファミリアの本拠地には、しばらく重い空気が残っていた。
フレイヤが何をしたのか。
シンがどこまで怒っていたのか。
そして、この問題を本当に戦争遊戯という形で決着させるのか。
どれも簡単に結論を出せる話ではない。
ベル達はそれぞれ考え込んでいた。
そんな中、シンは少し離れた場所にいるアイズへ視線を向けた。
アイズはアリアの隣に座っている。
今回の騒動に、アイズ自身は直接関係していない。
ベル達が襲撃された時、彼女はただ母親であるアリアに会うため、ヘスティア・ファミリアの本拠地を訪れていただけだった。
それにもかかわらず、シンは襲撃を察知した直後、アイズにも本拠地から動かないよう命じた。
さらに本拠地全体へ空間断絶結界を張ったため、結果としてアイズはシンが戻るまで外へ出られない状態になっていた。
判断そのものに後悔はない。
ベル達が別々の場所でほぼ同時に襲撃されていた以上、本拠地まで狙われる可能性は十分にあった。
また、フレイヤ側の目的を完全に把握できていなかった以上、アリアだけでなくアイズまで標的にされる可能性も否定できなかった。
だから残らせた。
しかし、それと本人の意思を確認しなかったことは別の問題だ。
シンはその点を自覚していた。
「アイズ」
呼ばれたアイズが顔を上げる。
「……何?」
シンは少し間を置いてから口を開いた。
「悪かった」
突然の謝罪に、アイズが僅かに首を傾げる。
ベル達もシンを見る。
シンが誰かに謝罪する場面自体、彼らにとってはまだそれほど見慣れたものではなかった。
「何が?」
アイズが尋ねる。
「今回のことだ」
それでもアイズは、まだ何について謝られているのか分かっていない様子だった。
シンは続けた。
「本来、お前は今回の件には関係なかった」
そこでアイズもようやく理解したらしい。
「ベル達が襲われた時、お前にもここから動くなと言った。しかも結界まで張った」
「うん」
「危険があると判断したから止めた。それ自体が間違っていたとは思っていない」
シンは率直に言う。
「だが、お前の意思を確認しないまま決めたのは事実だ。結果的に、こちらの事情へ付き合わせることになった」
ベルがその言葉を聞いて、少しだけシンを見る。
先ほどヘスティアから指摘されたことを、シンなりに受け止めているのだろう。
フレイヤがベルの意思を無視したことに怒った以上、自分も同じように他人の意思を無視してはいけない。
その考えが、少しずつシンの行動にも表れ始めていた。
アイズはしばらくシンを見つめていたが、やがて小さく首を横へ振った。
「……気にしてない」
「そうか?」
「うん」
アイズは隣にいるアリアを見る。
「母さんがここにいたから」
アリアも娘へ視線を向けた。
「ベル達が襲われたって聞いた時は、私も行きたかった」
「アイズさん……」
ベルが反応する。
アイズは続ける。
「でも、母さんを一人にしたくなかった」
その言葉に、アリアの表情が柔らかくなる。
「だから、シンに残れって言われなくても……最後はたぶん残ってたと思う」
シンは少し黙る。
アイズは改めてシンを見る。
「だから、謝らなくていい」
「分かった」
本人がそう言うなら、必要以上に繰り返すつもりはなかった。
ただし、もう一つ頼まなければならないことがある。
「それと、アイズ」
「何?」
「頼みがある」
アイズが僅かに姿勢を正した。
「ロキ・ファミリアへ戻ったら、今回の事情を説明してほしい」
その言葉に、ベル達が少し反応する。
アイズも僅かに目を見開いた。
「私が?」
「ああ」
シンは頷く。
「お前は今回の流れをかなり見ている」
アイズは、ベル達が襲撃されたという知らせをシンが受け取ったところから、その場にいた。
シンが本拠地へ空間断絶結界を張ったことも、四体の分身を出したことも見ている。
ベルのもとにはシン本人が向かい、他の四人のもとへは分身が向かったことも知っている。
さらにその後、ヘスティアが戻ってきてからは、フレイヤが何をしたのか、何故戦争遊戯の話が出ているのかまで聞いている。
今回の事情を説明するには、十分な情報を持っていた。
「ロキ・ファミリアも、さっきの殺意には気づいているはずだ」
アイズが頷く。
「たぶん」
「なら、何も説明しないまま放置すると余計な誤解が生まれる」
ヘファイストスとゴブニュは、自分達から確認しに来た。
だが、ロキ・ファミリアは違う。
彼らはシンについて詳しい情報をほとんど持っていない。
知っているのは、ベル・クラネルには九年前に行方不明になった双子の兄がいて、その兄が最近オラリオへ戻ってきたという程度だ。
そんな状況で、オラリオ全域へ影響を及ぼすほどの殺意が突然発生した。
その直後に、ヘスティア・ファミリアとフレイヤ・ファミリアの間で大きな騒動が起きたと知られれば、当然警戒するだろう。
だからこそ、今回その場にいたアイズから事情を伝えてもらう必要がある。
「お前が実際に見た範囲でいい」
シンは続ける。
「フレイヤがベル達を襲わせたこと。その襲撃を俺が止めたこと。さっきの殺意が出た理由。それから、戦争遊戯の話が出ていることを説明してくれ」
アイズは少し考えてから尋ねる。
「どこまで話していい?」
重要な質問だった。
シンの異世界での経歴。
約十億年という時間。
神殺し。
神龍魔気。
そして黒竜を既に消滅させているという事実。
それら全てを、今この段階でオラリオ中へ広めるつもりはない。
「今回の件に関係する範囲だけでいい」
シンが答える。
「俺の過去や能力について詳しく話す必要はない」
アイズは頷く。
「黒竜のことも?」
その言葉が出た瞬間、ヘファイストスとゴブニュが僅かに反応した。
だが、シンは気にせず答える。
「言わなくていい」
「分かった」
アイズは素直に頷いた。
ヘファイストスは少しだけ目を細める。
先ほどから黒竜という言葉が出るたびに、ヘスティア・ファミリア側とアイズ、アリアの反応が自分達とは微妙に違う。
何か知っている。
その程度のことは分かる。
しかし、今ここで無理に聞き出すつもりはなかった。
ゴブニュも同じように黙っている。
一方、アイズはさらに確認する。
「ロキにも話す?」
「ああ」
「フィン達にも?」
「普段、お前が報告する相手なら構わない」
シンはそこで一度言葉を切った。
「ただし、分からないことまで推測で話す必要はない」
アイズがシンを見る。
「俺の過去や力について聞かれても、知らないことは知らないと答えればいい」
「うん」
「今回、自分が見たことだけ説明すれば十分だ」
「分かった」
非常に単純な指示だった。
実際、アイズ自身もシンについて全てを知っているわけではない。
ならば、余計な推測を混ぜる必要はない。
ヘスティアが少し考えてから言った。
「それなら、ボクからロキに説明してもいいけど?」
「それでも構わない」
シンは答える。
「ただ、アイズは襲撃の知らせが来た時からここにいた」
ヘスティアも納得したように頷く。
「ああ、確かにそうだね」
アイズは、シンが五人分の異常を察知した瞬間から一連の流れを見ている。
その意味では、ヘスティアより前から状況を把握していた。
「それに」
シンはアイズを見る。
「お前をこちらの事情で長時間ここに留めた以上、所属しているファミリアへ説明する責任もある」
アイズが少しだけ目を瞬かせた。
「……そこまで考えてたの?」
「勝手に人を留めておいて、所属先には何も説明しないというのは問題だろう」
その返答に、ヴェルフが思わず笑った。
「そこは妙に常識的なんだな」
シンがヴェルフを見る。
「どういう意味だ?」
「いや……」
ヴェルフは苦笑する。
「神様を存在ごと消そうとした直後に、所属先への説明責任を気にする奴も珍しいだろうなと思ってよ」
「それとこれは別だ」
シンは真顔で答える。
「別なのは分かるけどよ……」
ヘファイストスも小さく笑った。
「シンって、本当に変なところで律儀なのよね」
「変か?」
「自覚ないの?」
「ない」
即答だった。
そのやり取りで、先ほどまで張り詰めていた部屋の空気がほんの少しだけ和らいだ。
アイズは隣に座るアリアを見る。
「母さん」
「何?」
「一度、黄昏の館に戻る」
アリアの表情が僅かに寂しそうになる。
だが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「ええ。ちゃんと皆に説明してきなさい」
「うん」
「終わったら、また来る?」
アイズは少し考えるまでもなく頷いた。
「来る」
アリアの笑みがさらに深くなる。
「待っているわ」
アイズが立ち上がる。
ベルもつられるように立った。
「アイズさん」
「何?」
「気をつけてください」
「うん」
アイズは短く答えた。
そしてシンを見る。
「行ってくる」
「ああ」
シンも頷く。
「ロキ達に、今回の件について余計な誤解をさせない程度に説明してくれればいい」
「分かった」
それだけ言うと、アイズはヘスティア・ファミリアの本拠地を後にした。
彼女が向かう先は、ロキ・ファミリアの本拠地である黄昏の館。
そこでは今頃、ロキをはじめ、フィン、リヴェリア、ガレス達が、先ほどオラリオ全域を襲った異変の正体を探ろうとしているはずだった。
彼らはまだ知らない。
オラリオ中のLv.3以下の強さしか持たない者達を気絶させ、それ以上の者達にまで本能的な恐怖を抱かせたあの殺意が、最近オラリオへ現れたベル・クラネルの双子の兄、シン・クラネルただ一人から発せられたものだったことを。
そして、その原因が女神フレイヤによるベルとヘスティア・ファミリアへの強襲だったことも、まだ知らない。
アイズは、自分が実際に見聞きしたことを伝えるため、静かに黄昏の館へ向かって歩き始めた。