白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか 作:ディーノpc35
神会での話し合いは、その後も長く続いた。
ヘスティア・ファミリアとフレイヤ・ファミリア。
両者の戦力差があまりにも大きいことに加え、シン・クラネルという規格外の存在をどう扱うのかという問題まである。
単純な殲滅戦では、シンが参加した時点で勝敗が決まる。
かといってシンを完全に参加不能とすれば、正式にヘスティア・ファミリアへ所属しているわけではないとはいえ、今回の騒動で最も深く関わった人物の一人を一方的に排除する形になる。
何より、シン本人がその決定をどう受け取るのかを気にする神も少なくなかった。
様々な意見が出された末、最終的に戦争遊戯の形式が決まった。
フラッグ戦。
ただし、通常の旗を奪い合う形式とは少し異なる。
両陣営から一名ずつ「大将」を選出し、その人物を自軍の旗として扱う。
大将が戦闘不能になった時点で、その陣営の敗北。
逆に言えば、どれほど多くの団員が倒されても、大将さえ戦える状態を維持している限り戦争は続く。
戦場はオラリオから離れた広大な荒野。
遮蔽物となる森林や岩場、いくつかの廃砦が存在する場所が選ばれた。
戦闘開始後は、両陣営がどのような方法で大将を守り、敵の大将を倒すかは自由。
ただし、神々の権能の使用は禁止。
戦争遊戯へ登録されていない外部戦力の介入も認められない。
そして開催日は――七日後。
その決定が下された時、神々の間では再び大きなざわめきが起きた。
七日。
あまりにも短い。
通常であれば、戦力差を埋めるには到底足りない期間だった。
フレイヤ・ファミリアは、オラリオ最大派閥の一角。
団長オッタルを筆頭に、アレン、ヘディン、ヘグニ、ガリバー兄弟という第一級冒険者達が揃っている。
それ以外の団員達も強者ばかりだ。
対するヘスティア・ファミリアは少数。
ベルが急速に成長しているとはいえ、単純な戦力を比較すれば勝負にならない。
それでも七日後という日程になった理由は、これ以上問題を長引かせないためだった。
フレイヤが再び動けば、今度こそシンを止められなくなる可能性がある。
ならば、正式な決着の場を早急に用意する必要がある。
両主神も了承し、開催日は七日後に決定した。
そしてもう一つ。
神々が最後まで揉めたのが、シンの扱いだった。
最終的にシンは戦場へ入ること自体は認められた。
ただし、戦闘への直接参加には条件がつけられる。
ヘスティア側の戦闘員が全員戦闘不能になった場合。
あるいは戦争遊戯の最中に神の権能が使用された場合。
そのどちらかが発生するまでは、シンから攻撃を仕掛けてはならない。
シンが最初から動けば戦争遊戯そのものが成立しない以上、神々が考えた苦肉の策だった。
その条件をヘスティアが持ち帰ったのは、神会が終わった日の夕方だった。
◇
「フラッグ戦か」
ヘスティア・ファミリアの本拠地。
居間で神会の内容を聞いたシンは、特に不満を見せることなく呟いた。
向かいにはヘスティア。
その周囲にはベル、リリ、ヴェルフ、命、春姫が集まっている。
アリアも話を聞くために同席していた。
ヘスティアは神会で決定した内容を一通り説明し終える。
「大将が戦闘不能になった方が負け。開催は七日後だよ」
「大将は?」
シンが尋ねる。
「まだ決めてない。フレイヤ側も当日まで非公開になると思う」
「そうか」
シンはそれ以上気にしなかった。
誰が大将になろうと大きな問題ではない。
「それとシン君」
「何だ?」
「君も戦場には入れる。ただし、ベル君達が全員戦闘不能になるか、相手が神の権能を使うまでは直接戦闘は禁止」
「構わない」
即答だった。
ヘスティアが少し驚く。
「随分あっさり受け入れるね?」
「元々、ベル達が自分達で決着をつけるための戦いだろう」
シンはベル達を見る。
「俺が最初から全員倒したら、戦争遊戯を選んだ意味がない」
「まあ……そうなんだけど」
ヘスティアは少し拍子抜けした。
神会ではシンがこの条件を拒否する可能性まで考え、かなり慎重に話し合っていた。
本人にとっては、最初からどうでもよかったらしい。
「七日後か」
シンはもう一度呟く。
その言葉にベルが反応した。
「兄さん?」
「ちょうどいい」
「何が?」
シンはベルを見る。
「修行するぞ」
ベルが固まった。
「……え?」
リリ達もシンを見る。
「修行、ですか?」
「ああ」
シンは当然のように頷いた。
「相手は、お前達を襲った連中なんだろう?」
「そうだけど……」
ベルは嫌な予感を覚えた。
シンの言う修行。
その言葉が、自分の知っている一般的な意味と同じなのか。
再会してまだ日が浅いとはいえ、兄が約十億年もの時間を異世界で生き抜いてきたことは既に知っている。
そのシンが「修行する」と言っている。
何故か背筋に冷たいものが走った。
ヴェルフも似たようなことを感じたらしい。
「一応聞くけどよ……普通の訓練じゃねえよな?」
「普通という基準が分からない」
「その返事が一番怖えよ」
ヴェルフの顔が引きつる。
シンは少し考える。
「先に説明しておいた方がいいな」
その言葉で。
何故か全員が姿勢を正した。
「修行は異空間で行う」
「異空間?」
春姫が首を傾げる。
「ああ。俺が作った空間だ」
シンは何でもないことのように言う。
「内部の時間を外と切り離せる」
リリが眉を寄せる。
「それは……どういう意味ですか?」
「外で一日経過する間に、中で一年経過させることもできる」
誰も反応しなかった。
数秒後。
「……はい?」
リリが聞き返した。
「外の一日を、内部では一年にできる」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
リリが思わず立ち上がる。
「それなら七日全部使ったら……!」
「七年だな」
あまりにも平然と答えられた。
ベル達が言葉を失う。
七日後に戦争遊戯。
普通なら僅かな調整しかできない。
だがシンの異空間を使えば。
最大で七年。
戦争遊戯までに七年間の修行が可能になる。
「そんなの……反則じゃねえのか?」
ヴェルフが呟く。
「神会で禁止されたのか?」
「いや」
ヘスティアが首を横へ振った。
そもそも神々は、そんなものが存在するとは知らない。
禁止条件に入れようがなかった。
シンは続ける。
「ただし、七年も必要ない」
ベルが少し安心する。
「じゃあ、どれくらい?」
「五日」
「五日?」
「外で五日。中では五年だ」
安心しかけたベルの表情が固まった。
「……五年?」
「ああ」
シンは頷く。
「残り二日は休養と最終調整に使えばいい」
合理的ではある。
合理的なのだが。
ベル達は誰一人としてすぐには返事をしなかった。
「それと」
シンが続けた。
「始める前に、お前達全員の意思を確認する」
その言葉にヘスティアがシンを見る。
昨日、自分が言ったことを意識しているのだと気づいた。
「嫌なら断っていい」
シンはベルだけではなく、リリ、ヴェルフ、命、春姫を順番に見る。
「俺は無理強いするつもりはない」
「……そんなに危険な修行なのですか?」
命が慎重に尋ねる。
シンは少し考えた。
「危険という表現は少し違う」
「違う?」
「死んでも元に戻すから、最終的に死ぬ危険はない」
静寂が訪れた。
ベルがゆっくり兄を見る。
「……今、死んでもって言った?」
「ああ」
「聞き間違いじゃないんだ……」
ベルの顔が引きつった。
春姫の狐耳が完全に伏せる。
リリも椅子から僅かに身体を引いた。
「待ってください。どういう修行をするつもりなんですか?」
シンは平然と答える。
「基礎からやる」
「基礎で死ぬんですか!?」
リリが即座に叫んだ。
「場合による」
「場合によっちゃ死ぬ基礎って何ですか!」
「限界を超えるためには、現在の限界を知る必要がある」
シンの説明は淡々としていた。
「体力が尽きた程度で終わるつもりはない。魔力が枯渇しても続ける。骨が折れた程度なら動ける部位で戦わせる。意識を失った場合は起こす」
ヴェルフの顔から血の気が引いていく。
「おい……」
「肉体が完全に戦闘不能になった場合は修復する。死んだ場合も同じだ」
「同じで済ませるな!」
「元通りになる」
「そういう問題じゃねえ!」
シンは少し首を傾げる。
約十億年。
無数の世界で。
それ以上の環境を経験してきたシンにとっては、本当に理解しにくいらしい。
アリアはそんなシンを見ながら、少し困ったような顔をしていた。
「シン」
「何だ?」
「あなたの普通を、この子達に当てはめない方がいいと思うわ」
「だから意思を聞いている」
「そこは成長したのね……」
ヘスティアも何とも言えない表情になる。
「ちなみにシン君」
「何だ?」
「君が考えてる修行って、どのくらい厳しいの?」
シンは少し考える。
そして。
「地獄の方が優しいと思う」
誰も喋らなくなった。
冗談を言っている顔ではない。
むしろ、かなり控えめに表現した顔だった。
「兄さん」
ベルが恐る恐る尋ねる。
「それ、本当に修行?」
「そうだ」
「拷問じゃなくて?」
「強くなるために行う以上、修行だろう」
「基準がおかしいよ……」
ベルが頭を抱える。
しかし。
シンはふざけているわけではなかった。
「だから、今ここで確認する」
空気が変わった。
シンは真剣な表情で五人を見る。
「やるか、やらないかは自分で決めろ」
誰も口を開かない。
「途中で逃げたいと思う可能性は高い」
シンは隠さず告げる。
「痛い。苦しい。もう無理だと思う。俺を殺したくなるかもしれない」
「そこまで言います?」
リリが青ざめたまま呟く。
「先に言っておくべきだろう」
正論ではある。
内容がおかしいだけで。
「ただし」
シンは続ける。
「五年間やり切れば、お前達は今とは比較にならないほど強くなる」
ベル達の表情が変わる。
「恩恵だけに頼るつもりはない。まず身体そのものの使い方を変える。次に魔力操作を教える」
「魔力操作?」
ヴェルフが聞き返す。
「ああ」
シンは自分の手を開く。
微かな魔力が掌へ集まり、薄い膜のように表面を覆った。
「魔力を魔法として放つだけではなく、身体そのものへ巡らせる」
ベルが目を見開く。
「身体に?」
「筋力、速度、反応、耐久力。魔力を正確に操作すれば、身体能力そのものを強化できる」
続いて。
シンは腰の絶劫刀の柄へ手を添えた。
「武器にも同じことができる」
ヴェルフの目が変わった。
鍛冶師として。
そこは聞き逃せない。
「武器に魔力を流すのか?」
「ただ流すだけじゃない。武器の性質を理解し、壊さないよう均等に巡らせる。扱えるようになれば、斬撃や刺突の威力も大きく変わる」
さらに。
シンの指先へ魔力が集まった。
そのまま軽く指を振る。
誰もいない方向へ、細い魔力の刃が飛んだ。
空気が切れる。
ベル達の目が大きく開いた。
「最終的には、こうして魔力そのものを遠距離攻撃へ変換する」
「魔法じゃ……ない?」
ベルが尋ねる。
「ああ。魔法ではない」
詠唱もない。
魔法枠も使わない。
純粋な魔力操作だけで成立する攻撃。
この世界の冒険者にとっては。
全く異なる戦闘技術だった。
「まず最低限、そこまで覚えてもらう」
「最低限……」
リリが遠い目になる。
「これが最低限なんですね……」
「余裕があれば、その先も教える」
シンは何でもないことのように言った。
「魔力の属性変換。無詠唱での運用。複数の性質を同時に扱う方法。範囲攻撃への対処。感覚強化。相手の魔力の流れから攻撃の前兆を読む方法」
ベル達は。
もはや言葉を失っていた。
現在のオラリオでは。
誰も体系化していない技術ばかりだった。
そして。
それを得るための代償が。
五年間。
地獄より厳しい修行。
「もちろん」
シンは最後に付け加える。
「死んでも治す。腕がなくなっても戻す。脚がなくなっても戻す。身体が原形を留めなくなっても元通りにする」
「具体的に言わなくていいよ、兄さん!」
ベルが慌てて止めた。
シンはベルを見る。
「重要なことだ」
「重要だけど!」
「修行中に後遺症が残ることはない。それは保証する」
シンはそこで話を止めた。
これ以上。
自分から勧めることはしない。
「決めろ」
静かな声だった。
「フレイヤ・ファミリアと戦うためだけなら、俺がいる以上、無理に強くなる必要はない」
ベル達がシンを見る。
「お前達が負けても、全員が戦闘不能になれば俺が動ける。だから戦争遊戯で死ぬ心配はしなくていい」
それは事実だった。
神会で決められた条件でも。
ベル達が全員倒れた時点で。
シンの戦闘参加が解禁される。
その瞬間。
フレイヤ・ファミリアの敗北は確定する。
「だから」
シンは改めて五人を見る。
「これは戦争遊戯に勝つために絶対必要な修行じゃない」
ベルの表情が変わった。
「お前達自身が強くなりたいなら来い」
強制ではない。
義務でもない。
戦争遊戯を理由に逃げ道を塞ぐこともしない。
「ただし、一度始めたら甘くするつもりはない」
シンの言葉に。
ベル達は黙り込んだ。
丸一日かけて。
自分達で戦争遊戯を選んだ。
そして今度は。
その戦争遊戯へ向かうために。
さらにもう一つ。
自分達自身で選ばなければならない。
安全なまま戦場へ向かうのか。
それとも。
五年間の地獄へ足を踏み入れるのか。
シンは急かさなかった。
答えが出るまで。
ただ静かに。
弟と。
その仲間達の意思を待っていた。