白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか   作:ディーノpc35

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第33話 超越の道へ

シンから修行の内容を聞かされた後、ベル達はすぐには答えを出さなかった。

外の世界では五日。

しかし、シンが用意する異空間では五年もの時間が流れる。

その間に行われるのは、単に長期間身体を鍛えるだけの修行ではない。肉体が壊れれば修復され、死ねば蘇生され、そのたびに限界を越えるところまで追い込まれる。

シン自身が「地獄の方が優しい」と表現したほどの内容だ。

普通なら断って当然だった。

それでも、最初に口を開いたのはベルだった。

「……やる」

シンが弟を見る。

「本当にいいんだな?」

「うん」

ベルの声に恐怖がないわけではなかった。

むしろ怖い。

シンが冗談を言っていないことも、修行がどれほど苛烈になるのかも分かっている。

それでもベルは、自分の意思で頷いた。

「今回、兄さんが助けてくれたから僕達は無事だった」

シンは黙って続きを待つ。

「でも、これから先も必ず兄さんが近くにいるとは限らない。誰かを守らなきゃいけない時に、兄さんが来るまで何もできないのは嫌なんだ」

それは、シンを頼りたくないという意味ではない。

ベルにとって、兄が自分達を守ってくれることは嬉しかった。

困った時に駆けつけてくれるという安心感もある。

だが、それだけに甘えていたくはなかった。

「僕自身が強くなりたい。次は、自分で仲間を守れるくらいに」

その言葉を聞いたシンは、小さく頷いた。

「分かった」

続いてヴェルフが口を開いた。

「俺もやる」

シンがヴェルフを見る。

「いいのか?」

「ああ。正直、死ぬほど嫌だけどな」

「実際に死ぬ可能性はある」

「そこは今言わなくていいんだよ!」

反射的に叫んだヴェルフだったが、すぐに真剣な表情へ戻った。

「でも、今回みたいに何もできねえ方がもっと嫌だ」

アレンに襲われた時、ヴェルフはほとんど抵抗することができなかった。

シンから渡されていた首飾りの結界がなければ、最初の一撃を受けた時点で大きな傷を負っていただろう。

そして、シンの分身が来なければ、その後もどうなっていたか分からない。

「鍛冶師だからって、戦えなくていいわけじゃねえ。それに、あんたが教える魔力操作は武器にも使えるんだろ?」

「ああ」

「だったら余計にやる」

冒険者としてだけではない。

鍛冶師としても、シンの技術を学びたい。

ヴェルフにとって、それは十分すぎる理由だった。

「リリも参加します」

次に口を開いたのはリリだった。

ベルが思わず振り向く。

「リリ?」

「何です?」

「いや、その……」

リリは前衛を担当する冒険者ではない。

戦闘能力だけを見れば、ベルや命、ヴェルフより低い。

それでもリリは、視線を逸らさなかった。

「リリだけ安全なところにいるつもりはありません」

「でも――」

「ベル様」

リリは強い口調で遮った。

「今回一番怖かったのは、襲われたことではありません。何もできなかったことです」

自分では敵を止められない。

防護結界に守られ、シンが来るのを待つしかなかった。

指揮を担当する者としても、その無力感は悔しかった。

「少なくとも、自分の身くらいは自分で守れるようになりたいです。それに、戦場で皆さんへ指示を出すなら、リリ自身がもっと戦いを理解しないといけません」

だからやる。

リリはそう言い切った。

命も迷わなかった。

「私も参加いたします」

「理由は?」

シンが尋ねる。

「武人として、これほどの機会を逃す理由がございません」

命にとって答えは単純だった。

「シン殿ほどの使い手から五年間、直接鍛えていただける。どれほど厳しかろうと、このような機会は二度とないかもしれません」

最後に、全員の視線が春姫へ向いた。

春姫は僅かに身体を強張らせた。

怖くないはずがない。

戦闘経験では他の四人に劣る。

シンが告げた修行の内容を思い返すだけでも、狐耳が下がりそうになる。

それでも。

春姫は一度深く息を吸った。

「わたくしも参加します」

「無理をする必要はないぞ」

シンが言う。

春姫は首を横へ振った。

「無理をしたいのです」

その言葉に、シンが僅かに目を細めた。

「これまでは、皆様に守っていただくことしかできませんでした。わたくしの魔法は皆様を強くできますが、魔法を使った後に自分が狙われれば、結局誰かに守っていただかなければなりません」

春姫は両手を握る。

「わたくしも、自分の身を守れるようになりたいです。それに、できることなら皆様と一緒に戦いたいのです」

シンを見る。

「お願いします」

ベル、ヴェルフ、リリ、命、春姫。

五人全員が、自分の意思で参加を決めた。

シンはそれを確認すると、静かに頷いた。

「分かった。なら明日から始める」

「明日!?」

ヘスティアが思わず声を上げた。

「ああ」

「もう少し心の準備とかないのかい!?」

「時間は五日しかない」

「そうだけどさ!」

シンは特に気にした様子もなく続ける。

「今日のうちに必要な準備を終わらせる。明日の朝から異空間へ入る」

ベル達は互いに顔を見合わせた。

もう後戻りはできない。

そう理解し始めていた。

翌朝。

ヘスティア・ファミリアの本拠地には、修行へ向かうベル達五人が並んでいた。

少し離れた場所にはヘスティアとアリアがいる。

母親に会いに来ていたアイズも、修行へ向かうベル達を見送るために残っていた。

シンは五人の前に立つ。

「最後に確認しておく」

全員の表情が引き締まる。

「異空間へ入った後、外の世界で五日が経過するまで基本的には戻さない」

ヴェルフが僅かに眉を寄せた。

「基本的には?」

「本当に続行不能だと俺が判断した場合だけ外へ出す」

「死んでも?」

「死ぬ程度では出さない」

ヴェルフが顔を引きつらせる。

「分かってたけど、改めて聞くとひでえな……」

シンは構わず説明を続けた。

「異空間の内部では五年が経過する。最初の一年は基礎を徹底的にやる」

リリが恐る恐る尋ねる。

「一年間ずっと基礎ですか?」

「ああ。身体能力、姿勢、呼吸、重心移動、反応速度、武器の扱い方、魔力感知、それから魔力操作を身体に染み込ませる」

「それだけで一年……」

「足りないくらいだ」

リリはそれ以上何も言わなかった。

「二年目以降は実戦を増やす。三年目からはそれぞれの進み方を見て内容を変える」

ベルがシンを見る。

「兄さん。途中で本当に無理だと思った時は?」

「理由は聞く」

「その後は?」

「続けられる状態なら続けさせる」

ベルの表情が遠くなる。

予想通りだった。

シンは最後に五人を見渡した。

「それでも行くなら、今から入れ」

右手を上げると、空間が静かに歪み始めた。

やがて、何もなかった場所に巨大な入口が開く。

その向こうに広がっていたのは、通常の訓練場とは到底呼べない世界だった。

荒野。

森林。

山岳地帯。

巨大な湖。

岩山。

そして遠くには、様々な地形を利用して作られた訓練区画が見える。

無数の武器も用意されていた。

ヴェルフが遠くに突き刺さっている大量の剣や槍を見る。

「……何であんなに武器があるんだ?」

「壊れるからだ」

「誰が壊すんだ?」

「お前達が使う」

「そんなに壊すのかよ……」

シンは答えず、先に異空間へ入った。

ベル達はしばらく入口を見つめる。

ここを越えれば、自分達にとって五年間が始まる。

ベルが最初に一歩踏み出した。

「行こう」

ヴェルフも続く。

「ここまで来たら腹括るしかねえな」

命も迷いなく歩き出す。

「行って参ります」

リリと春姫は最後まで僅かに迷っていた。

だが、やがて二人も頷き合い、異空間へ足を踏み入れた。

最後の一人が中へ入ると、入口は静かに閉じた。

後に残ったヘスティアは、何もなくなった空間を見つめる。

「……大丈夫かな」

アリアが苦笑する。

「シンが最後には元通りにすると言っているのだから、生きて帰ってはくるでしょう」

「最後にはってところが怖いんだよ……」

ヘスティアの不安そうな声を聞きながら、アイズも入口が消えた場所を見つめていた。

外の世界では、たった五日。

しかしベル達にとっては、本当に五年もの時間が流れる。

自分が次にベルへ会う時、ベルにとっては五年ぶりになる。

その事実は、アイズにとっても不思議な感覚だった五日後の早朝。

ヘスティア・ファミリアの本拠地には、ベル達の帰還を待つ者達が集まっていた。

ヘスティアとアリアに加え、母親に会いに来ていたアイズもいる。さらに、シンが五年間もの修行をベル達につけたと聞いたヘファイストス、ゴブニュ、椿も、その成果に興味を持って訪れていた。

もっとも、彼女達にとっては五日前に異空間へ入っていったベル達を待っているだけだ。

実際に五年間という歳月を過ごしたのは、異空間へ入ったベル達とシンだけだった。

やがて、何もなかった空間が静かに歪んだ。

「来た!」

ヘスティアが立ち上がる。

異空間への入口が開き、最初にシンが姿を現した。

シン自身には、五日前と比べて目立った変化はない。本人にとって五年間程度の時間は、約十億年という人生から見れば極めて短いものなのだろう。

「全員いるな」

周囲を確認したシンへ、ヘスティアがすぐに尋ねた。

「ベル君達は!?」

「後ろだ」

シンが横へ退く。

その向こうから、最初にベルが姿を現した。

ヘスティア達はしばらく何も言わなかった。

ベルの外見そのものは変わっていない。

異空間で過ごした五年間によって肉体年齢まで五年進んだわけではなく、シンが外界との時間差による肉体的な老化を起こさないよう調整していたため、十四歳の姿のままだった。

しかし、雰囲気は明らかに違った。

その変化に気づいたのは、魔力を感知したからではない。

ただ立っている時の姿勢だった。

以前のベルには、まだ若い冒険者らしい未完成さがあった。身体能力こそ高くても、意識していない時には僅かな隙もあり、立ち方にも癖が残っていた。

今は違う。

身体に余計な力が入っておらず、それでいて完全に脱力しているわけでもない。どの方向から攻撃されても即座に動けそうな、自然でありながら隙の少ない立ち方になっていた。

第一級冒険者であるアイズには、その違いが特によく分かった。

「……ベル?」

呼ばれたベルがアイズを見る。

「アイズさん」

そして、以前と変わらない笑顔を浮かべた。

その表情を見て、アイズは僅かに安心した。

続いてヴェルフが姿を現す。

「……ヴェルフ」

椿が片目を細めた。

「椿」

ヴェルフも外見に大きな変化はない。

しかし、椿は武人として、そして鍛冶師として長年冒険者達を見てきた。

だからこそ、歩き方一つで分かった。

足運び。

腰の位置。

腕の置き方。

武器を抜くための予備動作が極端に減っている。

以前より遥かに身体の扱いが洗練されていた。

「本当に五年鍛えてきたようじゃな」

椿の言葉に、ヴェルフは疲れ切ったような笑みを浮かべた。

「五年どころか、二十年くらい経った気分だよ」

その後ろからベルも苦笑する。

「途中から、一日なのか一ヶ月なのか分からなくなりました」

リリ、命、春姫も順番に姿を現した。

全員、外見には大きな変化がない。

しかし、共通しているのは動作の無駄が大幅に減っていることだった。

リリは以前より姿勢が安定し、周囲を見る時にも首だけを不用意に動かさない。

命は刀へ手を置いていないにもかかわらず、いつでも抜刀へ移れる自然な構えが身体に染みついている。

春姫も、以前のような戦闘へ不慣れな者特有の危うい立ち方がほとんど見られなくなっていた。

ただし。

魔力については、外から見ただけでは分からない。

アイズやアリアであっても、ベル達の体内で魔力がどのように巡っているのかを正確に捉えることはできなかった。

ヘファイストスやゴブニュも同じだ。

彼らは魔力という力の存在そのものは知っている。

魔法が発動されれば、その力を感じ取ることもできる。

だが、シンがベル達へ教えたように、体内を流れる魔力の細かな経路や、どの部位へどれだけの魔力を配分しているのかを正確に把握する技術は持っていなかった。

それを五年間かけて叩き込まれたのは、ベル達だけだった。

シンが五人を見渡した。

「身体強化を見せろ。ベルからだ」

「分かった」

ベルが一歩前へ出る。

何かを詠唱することはない。

目に見える魔法陣も現れない。

ベル本人には、自分の魔力がどのように流れているのか明確に分かっていた。

丹田から送り出した魔力を全身へ巡らせ、必要以上に一箇所へ集中させることなく、筋肉や骨格、神経の動きに合わせて配分していく。

五年間。

何度も失敗した。

魔力を流しすぎて筋繊維を損傷し、逆に配分が少なすぎて意味を成さず、左右の均衡を崩して自分から転倒したこともある。

その全てを修正され続けた結果、今では呼吸と同じ感覚で行える。

しかし。

それを見ている側には、ベルが何をしたのかほとんど分からなかった。

ヘスティアが首を傾げる。

「……何か変わった?」

「変わってるよ」

ベルが答える。

「どこが?」

「身体を魔力で強化してます」

ヘスティアはベルをじっと見る。

「全然分からないんだけど……」

アイズもベルを見ていたが、やはり詳細までは分からない。

「魔法を使った感じがしない」

「ああ」

シンが答える。

「魔法ではないからな」

「でも、魔力を使ってる?」

「使っている」

アイズは僅かに眉を寄せた。

魔力を使っているというのに、その動きを正確に捉えられない。

それ自体が、これまでの彼女の常識とは違っていた。

シンがベルを見る。

「動け」

「うん」

ベルが床を蹴った。

次の瞬間。

「え?」

ヘスティアの視界からベルが消えた。

気づいた時には、既に数メートル先へ移動している。

椿やアイズは何とか動きを追えたものの、以前のベルとは明らかに速度が違っていた。

ヘファイストスが驚いたように尋ねる。

「今のが魔力による身体強化なの?」

「ああ」

シンが頷く。

「恩恵そのものを更新したわけではない。ベルが自分の魔力を使って、現在の身体能力をさらに引き上げている」

ゴブニュがベルを見る。

「だが、わしには魔力がどう流れたのか全く分からなんだぞ?」

「普通は分からなくて当然だ」

「普通?」

「ああ。正確に感知する技術から覚えさせたからな」

シンはベル達を見る。

「こいつらは、自分自身だけじゃなく相手の魔力の流れもある程度読めるようになっている」

その言葉に、ヘファイストス達の表情が変わる。

「相手の魔力まで?」

「魔力がある相手ならな。ただし距離や相手の技量によって精度は変わる」

アイズがベルを見る。

「私の魔力も分かる?」

ベルは少し困ったように答える。

「全部じゃないです。でも、身体のどこに魔力が集まりやすいかとか、魔法を使おうとした時に流れが変わるのは分かります」

アイズの金色の瞳が僅かに大きくなる。

自分はベルの魔力の細かな流れを捉えられない。

だがベルは、逆に自分の魔力の動きをある程度読み取れる。

五年間の修行によって身についた感覚の差だった。

シンは続いてヴェルフへ視線を向けた。

「武器強化」

「分かってる」

ヴェルフが大刀を抜く。

そして魔力を武器へ流し始めた。

やはり、ヘファイストスや椿には魔力が刀身内部をどのように巡っているのかまでは分からない。

ただ。

しばらくすると、刀身全体が薄い光を帯び始めたため、そこで初めて何らかの力が加えられていることが視覚的に確認できた。

ヘファイストスが目を細める。

「魔法剣とは違うわね」

「ああ」

ヴェルフが答える。

「刀そのものに自分の魔力を通してるだけです」

「そんなことをして武器が耐えられるの?」

「最初は耐えられませんでした」

ヴェルフが嫌そうな顔をする。

「何本壊したかもう覚えてません」

するとシンが何でもないように答えた。

「三千七百二十一本」

「数えてたのかよ!」

椿が大声で笑う。

「はははっ! そりゃまた派手に壊したのう!」

「笑い事じゃねえですよ! 少しでも魔力の流し方を間違えると刀身が割れるんですから!」

「それだけ壊してようやく今の制御を覚えたということか」

ゴブニュが興味深そうに大刀を見る。

ヴェルフは頷く。

「流してる魔力の量だけじゃないんです。武器のどこに負担がかかってるかを感じながら調整しないといけない」

「それも分かるようになったのか?」

「ああ」

「……面白い」

ゴブニュの目が完全に鍛冶神のものへ変わった。

しかし、シンはそこで終わらせなかった。

「次は遠距離攻撃だ」

ベル達五人が揃って少しだけ嫌そうな顔になる。

それでも、修行中に身についた反射なのか、すぐに準備へ入った。

ベルは指先へ魔力を集める。

その過程を正確に感知できるのはベル自身とシンだけだった。

他の者達には、最初は何も起きていないようにしか見えない。

だが次の瞬間、ベルが指を横へ振った。

圧縮された魔力が細い刃の形となって放たれ、離れた場所の標的を切り裂いた。

「……魔法じゃない」

アイズが呟く。

「そうです」

ベルが答える。

「自分の魔力をそのまま形にして飛ばしてます」

命も刀を抜かずに掌を振り、斬撃状に圧縮した魔力を飛ばす。

リリは複数の小さな魔力弾を作り、別々の方向へ飛ばした。

春姫は魔力を針のように細く圧縮し、狙った一点へ命中させる。

ヴェルフは大刀へ魔力を通し、そのまま振り抜くことで斬撃そのものを遠くへ飛ばした。

ヘファイストス達は、その結果を見ることはできる。

しかし、どうやって魔力をその形へ変えたのか、その過程までは感知できない。

ヘファイストスがゆっくり息を吐いた。

「結果は見えるのに、途中で何をしているのか分からないって、かなり気持ち悪いわね……」

「わしも同感じゃ」

ゴブニュが頷く。

「魔法なら、ある程度は発動時の魔力や現象から分かる。だがこれは全く別物じゃな」

シンは平然と答える。

「だから最初に魔力感知を教えた」

「その感知そのものを、私達はできないのね?」

ヘファイストスが確認する。

「ああ。少なくとも今のお前達には無理だ」

「今の、ということは?」

「訓練すれば覚えられる可能性はある」

その言葉を聞いた瞬間、ヘファイストスとゴブニュの目が同時に変わった。

椿も同様だった。

ベル達はその反応を見て、揃って少し嫌な予感を覚える。

五年前の自分達も、似たような興味から異空間へ入った。

その先で何が待っていたのかを、誰よりもよく知っている。

シンはそんな三人を無視してベルへ次の指示を出した。

「属性変換」

「うん」

ベルは右手を上げる。

やはり最初は何も見えない。

しかし、ベルが操作を進めるにつれ、手のひらに炎が現れた。

続いて水。

風。

土。

雷。

どれも魔法として発動したものではない。

自分の魔力そのものへ性質を与え、現象へ変換している。

「無詠唱……という言い方でいいのかしら?」

ヘファイストスが尋ねる。

「そもそも魔法ではないから、詠唱という前提がない」

シンが答えた。

ベルはさらに右手へ炎、左手へ雷を生み出す。

二つの異なる属性を同時に維持していた。

アイズはその光景をじっと見つめる。

魔法を使わずに属性を生み出している。

しかも、自分にはその魔力変化の細かな過程を読み取ることができない。

五日前のベルとは、戦闘の仕組みそのものが違っていた。

「ベル」

「はい?」

「私が【エアリアル】を使おうとしたら、分かる?」

ベルは少し考える。

「発動する前に魔力が動くので、たぶん分かります」

「どのくらい前?」

「実際にやってもらわないと何とも言えません。でも、魔法を発動する瞬間よりは前です」

その答えにアイズが黙る。

つまり。

相手が魔法を放ってから反応するのではない。

魔力が動いた段階で、魔法を使おうとしていることを察知する。

それが戦闘でどれほど大きな差になるのか。

アイズほどの冒険者なら、すぐに理解できた。

シンは五人を見渡す。

「最低限は身についた」

ヘファイストスが思わず聞き返した。

「これで最低限なの?」

「ああ」

「あなたの最低限って、本当におかしいわよ」

シンは気にしなかった。

「ただし、まだ制御が甘い部分もある。相手の魔力を読む精度も距離が離れれば落ちるし、複数人を同時に相手にすれば情報処理が追いつかなくなることもある」

その言葉を聞いた瞬間。

ベル、ヴェルフ、リリ、命、春姫の五人が反射的に姿勢を正した。

「はい」

声が完全に重なる。

ヘスティアが少し引いた。

「本当に……五年間で何があったんだい?」

誰も答えなかった。

詳しく話せば、思い出したくない修行まで蘇る。

それでも。

五年間の成果だけは明らかだった。

外の世界では、わずか五日。

だがベル達にとっては、その五日の間に五年間の修行を積んできた。

そして、シンから教わったことで最も大きく変わったものの一つが、魔力に対する認識だった。

これまで彼らにとって、魔力は主に魔法を発動するための力だった。

今は違う。

自分自身の魔力を正確に感じ取り、その流れを変え、身体や武器へ巡らせ、必要なら攻撃そのものへ変換する。

さらに、相手の魔力の変化まで戦闘情報として利用する。

それを正確に行えるのは、現時点ではシンから直接五年間の訓練を受けたベル達だけだった。

アイズやアリアですら、彼らの体内で起きている魔力操作を正確に読み取ることはできない。

ヘファイストス、ゴブニュ、椿も同様だった。

だからこそ。

二日後の戦争遊戯でフレイヤ・ファミリアが相手にすることになるベル達の本当の変化を、今この場にいる者達でさえまだ完全には理解できていなかった。

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