白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか 作:ディーノpc35
ベル達にとって、今の状況は純粋に困惑するしかないものだった。
五年間の修行を終え、自分達が以前より遥かに強くなったことは理解している。
だが、どれほど強くなったのかまでは分かっていなかった。
修行中の比較対象は、常にシンだったからだ。
全力で殴っても止められる。
全力で斬っても防がれる。
遠距離から攻撃しても避けられ、複数人で包囲しても突破される。
ようやく一撃を届かせたと思っても、それが有効打になることはほとんどない。
ベル達にとってこの五年間は、自分達が強くなったと実感するよりも、自分達とシンの間にどれほど途方もない差が存在しているのかを思い知らされ続ける時間でもあった。
だからこそ、目の前で起きていることが理解できない。
「……やっぱり、もっと弱くしないと駄目なのかな」
ベルは自分の拳を見ながら呟いた。
少し離れた場所では、先ほど吹き飛ばされたオッタルが立ち上がろうとしている。
ベルとしては本当に軽く殴ったつもりだった。
魔力による身体強化も大幅に抑えた踏み込みもほとんど使っていない腰も十分に回していない。
シンから何度も修正された身体操作を意識的に崩し、威力が出ないようにしたほどだ、それでもオッタルは吹き飛んだ。
「次は……十分の一くらい?」
ベルが真剣に考える、その声はオッタルにも聞こえていた。
「…………」
オッタルの表情が僅かに変わった。
ベルに悪意はない、本当にないのだが。
オラリオ最強と呼ばれてきたオッタルを一撃で吹き飛ばした少年が、その本人を目の前にして、
――次は十分の一くらい。
などと言っている、挑発以外の何物にも聞こえなかった。
オッタルの手に力が入るがベルは気づかない。
「いや……十分の一でも危ないかな」
さらに追い打ちをかけられたオッタルの額に青筋が浮かんだ。
◇
同じことは、他の場所でも起きていた。
ヴェルフは自分の拳を開いたり閉じたりしながら、遠くに吹き飛んだアレンを見ていた。
「おかしいな……」
アレンが槍を支えにして立ち上がる。
「何が……おかしい……!」
「いや、今の威力だよ」
ヴェルフは普通に答えた。
「俺、かなり力抜いたんだけどな」
「…………」
アレンの顔が引きつった。
「なのに、あんな飛ぶとは思わなかった」
「貴様……!」
殺気が膨れ上がる。
しかしヴェルフは、それどころではなかった。
自分がどの程度まで力を落とせば相手を安全に戦闘不能へ追い込めるのか。
そちらを考える方が重要だった。
「武器は絶対使わねえ方がいいな」
その一言で。
アレンの殺気がさらに強くなる。
「……何だと?」
「だって危ねえだろ」
ヴェルフは背負っている大刀を確認する。
「これに魔力を通して斬ったら、手加減失敗した時に洒落にならねえ」
「…………」
アレンの手が震え始めた。
ヴェルフは真面目に心配しているだけだった。
だがアレンからすれば。
――お前など武器を使う価値すらない。
そう言われているのと何も変わらない。
「舐めるな……!」
「いや、舐めてねえよ」
ヴェルフは即座に否定する。
「だから殺さないように考えてるんだろ」
「それを舐めていると言っている!!」
「何でだよ!?」
ヴェルフには本当に分からなかった。
◇
命も似たような状況に陥っていた。
立ち上がったヘグニを見ながら、命は自分の掌へ視線を落とす。
「困りました・・・・・・」
「……何がだ」
ヘグニの低い声が響く。
命は素直に答えた。
「先ほどは、ほとんど力を入れていなかったので」
ヘグニの眉が動いた。
「にもかかわらず、あれほど吹き飛ばしてしまったの
「…………」
「次はさらに力を落とす必要がありそうでござるな」
ヘグニの周囲に殺気が満ちる。
命はようやく相手の様子がおかしいことに気づいた。
「……どうされたのですか?」
「貴様……どこまで我を愚弄すれば気が済む」
「愚弄?」
命は本気で首を傾げた。さ
「そのような意図はないのです」
「ならば刀を抜け!」
ヘグニが叫ぶ。
命は腰の刀を見る。
そして少し考えてから。
「それは危険です」
「…………」
「今の私では、手加減に失敗すれば斬り過ぎてしまう可能性があるので」
「貴様ァッ!」
「な、何故怒るのですか!?」
命は困惑した。
◇
ヘディンもまた。
これまでの人生でも滅多に経験したことのない種類の屈辱を味わっていた。
目の前にいるのは春姫である。
かつてなら、戦闘能力だけを見れば自分とは比較することすらできなかった少女。
その春姫が。
先ほど自分を軽く押しただけで吹き飛ばした。
そして今。
「……どうしましょう」
本気で困っている。
ヘディンの眉間に皺が寄る。
「何を悩んでいる」
「次の攻撃を、どのくらい弱くすればいいのか分からなくて……」
「…………」
春姫は自分の両手を見る。
「先ほども、かなり弱くしたつもりだったのですが……」
ヘディンの眼鏡の奥で目が細くなる。
「私を愚弄しているのか?」
「えっ?」
春姫の狐耳が跳ねる。
「そ、そのようなつもりはありません!」
「ならば何故、先ほどから力を抜くことばかり考えている」
「それは……」
春姫は困った。
理由は単純だ。
本気で攻撃したら危険だから。
しかし。
そのまま言ったら、さらに怒らせるような気がする。
五年間の修行によって戦闘技術は桁違いに向上した春姫だったが、こういう時の対人関係までシンに鍛えられたわけではない。
「……お怪我をさせたくないので」
結局、正直に答えた。
「…………」
ヘディンが完全に黙った。
春姫は不安そうに尋ねる。
「あの……?」
「もういい」
「え?」
「全力で来い」
ヘディンの魔力が膨れ上がる。
「ええっ!?」
春姫は慌てた。
「それは駄目です!」
「何故だ!」
「死んでしまいます!」
沈黙。
ヘディンの額に。
はっきりと青筋が浮かんだ。
◇
そして。
最も悲惨だったのはガリバー兄弟だった。
リリは四人を見ながら、腕を組んで真剣に悩んでいた。
「困りましたね……」
アルフリッグが武器を構える。
「何がだ!」
「皆さん、思っていたよりずっと脆いです」
四兄弟の動きが止まった。
リリに悪意はない。
本当に、これっぽっちもない。
シンとの五年間の戦闘では、同じ程度の攻撃を当てても何の意味もなかった。
だから純粋に。
自分の感覚と相手の耐久力との差を口にしただけだった。
しかし。
フレイヤ・ファミリア最高幹部。
四人揃えばレベル六相当とも評されるガリバー兄弟へ向かって。
「思っていたより脆い」
と言った。
完全な挑発だった。
「リリ、ほとんど力を入れてなかったんですよ?」
さらに続いた。
アルフリッグの顔が引きつる。
ドヴァリンが武器を握り締める。
ベーリングとグレールからも殺気が漏れ始める。
だがリリは止まらない。
「しかも皆さんの連携、思っていたより隙が多いですし」
「…………」
「一人が攻撃してから次の人が動いているので、誰が次に来るのかすぐ分かります」
「…………」
「シン様だったら、そんな隙を見せた瞬間に五回くらい殺されてますよ」
「…………」
リリは真面目に分析しているだけだった。
だからこそ。
余計に腹が立つ。
「貴様ァァァァァァッ!!」
アルフリッグの怒声が戦場へ響いた。
リリが驚く。
「な、何ですか!?」
「我らをどこまで愚弄するつもりだ!」
「愚弄なんてしてませんよ!」
「なら何故そんなことを言う!」
「事実だからです!」
「それが愚弄だと言っている!!」
リリは納得できない顔になった。
「でも、本当に遅いんですから仕方ないじゃないですか!」
四兄弟の殺気が一気に膨れ上がった。
◇
そして。
この光景は、最高幹部達だけが見ているわけではない。
周囲に展開しているフレイヤ・ファミリアの団員達にも。
ベル達の会話は聞こえていた。
「次は十分の一くらいにしよう」
「武器を使うと危ない」
「刀は抜けない」
「全力だと死んでしまう」
「思ったより脆い」
「連携が遅い」
それらの言葉が。
フレイヤ・ファミリアの団員達の耳へ次々と入っていく。
当然。
彼らにベル達の事情など分からない。
五年間、何度死んでも蘇生されながらシンと戦い続けたことも。
今のベル達一人一人が、おそらく黒竜へ単独で完勝できるほど強くなっていることも。
単独で全力の武神を一時間ほど正面から相手にできる領域へ達していることも知らない。
彼らから見えるのは。
自分達が絶対的な強者として尊敬している最高幹部達を軽く殴って吹き飛ばした後。
ヘスティア・ファミリアの者達が。
「次はもっと弱く攻撃しよう」
と相談している姿だけだった。
一人の団員が歯を食いしばる。
「ふざけやがって……」
別の団員も武器を握る。
「俺達をどこまで馬鹿にすれば気が済む……!」
「団長達を侮辱しやがって……!」
怒気が伝播していく。
やがて。
最高幹部だけではなく。
周囲にいたフレイヤ・ファミリアの団員達まで、一斉にベル達へ殺気を向け始めた。
ベルがその変化に気づく。
「……あれ?」
ヴェルフも周囲を見る。
「何か、さっきより怒ってねえか?」
命も困惑する。
「某達、何か失礼なことをしたでござろうか?」
春姫は不安そうに狐耳を伏せた。
「わ、私達が攻撃したからでしょうか……」
リリだけは眉をひそめた。
「戦争遊戯なんですから、攻撃するのは当然じゃないですか」
「それはそうなんだけど……」
ベルは困ったように頬を掻く。
「何か、それとは違うような……」
五人には。
本当に分かっていなかった。
◇
その様子を神鏡で見ていた観戦席では。
何とも言えない空気が流れていた、ロキが顔を引きつらせながら呟く。
「……あかん」
ヘスティアが見る。
「何が?」
「あいつら、自分らが煽っとるって全然気づいとらん」
「煽ってないよ!」
ヘスティアが反射的に否定する。
「ベル君達は本当に困ってるだけだよ!」
「せやから余計タチ悪いんや!」
ロキが神鏡を指差す。
「オラリオ最強の男を殴り飛ばして『次は十分の一にしようかな』やぞ! 挑発以外の何に聞こえんねん!」
「でもベル君は本当に力加減が分からないだけだもん!」
「相手はそんなん知らん!」
ヘファイストスが小さく息を吐いた。
「ヴェルフも酷いわね」
ゴブニュが頷く。
「本人に悪気が全くないのが、またのう……」
「『武器を使ったら危ない』なんて、アレンからすれば『お前程度に武器は必要ない』と言われたようなものよ」
ミアハが苦笑する。
「命と春姫も似たようなものだね」
タケミカヅチは頭を抱えていた。
「命……せめて言葉を選べ……」
神鏡の中から命の声が聞こえる。
『刀を使えば斬り過ぎてしまうのでござる』
タケミカヅチは目を閉じた。
「……遅かった」
リヴェリアは春姫とヘディンのやり取りを聞きながら、何とも言えない表情をしていた。
「全力で攻撃すれば死ぬ、か」
フィンが苦笑する。
「事実なのだろう?」
「シンの説明が正しいならな」
「なら、春姫としては相手を気遣っているだけだ」
「ああ」
リヴェリアは少し間を置いた。
「だが、ヘディンの立場なら腹が立つだろうな」
ガレスが大きく笑った。
「そりゃそうじゃろう! 戦場で敵から『本気を出したら死ぬから手加減する』などと言われて、平然としておれる武人の方が珍しいわい!」
ベートは鼻で笑った。
「実力差が分からねえ奴からすりゃ、ただの舐めプにしか見えねえだろ」
ティオナはリリとガリバー兄弟のやり取りを見ながら、困ったように笑う。
「リリが一番酷くない?」
ティオネも頷いた。
「『思ったより脆い』『連携が遅い』『シンなら五回殺してる』……全部本人達の前で言ってるものね」
フィンが静かに訂正した。
「ただし、リリルカ・アーデ本人は分析結果を説明しているだけだ」
「それが一番酷いんや!」
ロキの叫びが響いた。
◇
シンもベル達の様子を見ていた。
ヘスティアが尋ねる。
「シン君。ベル君達に、相手が怒ってる理由を教えてあげた方がいいんじゃない?」
『必要ないだろう』
「何で!?」
『戦争遊戯の最中だぞ』
シンは平然としていた。
『相手が怒ったところで何の問題もない』
「いや、そういう問題じゃ……」
ヘスティアが言葉に詰まる。
ロキが横から口を挟んだ。
「そもそも、お前があいつらの感覚おかしゅうした原因やろ!」
『何故だ?』
「五年間、お前基準で戦わせたからや!」
シンは少し考える。
『確かに、それはあるな』
「認めるんかい!」
シンは再び戦場を見る、怒りに満ちたフレイヤ・ファミリアその中心でベル達五人は、何故相手が急に怒り始めたのか分からず困惑している。
だが、シンからすれば問題はそこではなかった。
『ただ、ベル達の判断自体は正しい』
観戦席が静かになる。
『今のまま武器を使えば、手加減に失敗した時に相手を殺す。だから素手を選んだ。素手でも威力が高すぎたから、さらに出力を落とそうとしている』
リヴェリアが頷く。
「戦術的には当然の判断だな」
『ああ』
「でも相手には挑発にしか見えへんぞ」
ロキが呆れたように言う。
シンは少しだけ考え。
『それは相手の問題だろう』
「お前ほんまにそういうとこやぞ!」
ロキの叫びが観戦席へ響き渡った。
その直後、戦場では。
完全に激昂したオッタル達とフレイヤ・ファミリアの団員達が、一斉にベル達へ向かって動き始めた。
対するベル達は。
「今度こそ、もっと弱くしよう」
「そうだな」
「十分の一でも危険かもしれませんよ」
「では、さらに落としましょう」
「怪我をさせないように気をつけましょう」
と。
最後まで、自分達が盛大に相手を挑発しているように見えていることへ気づかないまま二度目の迎撃態勢へ入った。