白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか 作:ディーノpc35
そして。
シン・クラネルは、アリアと共にオラリオの門を潜った。
巨大な都市が目の前に広がる。
大通りには人間だけでなく、エルフやドワーフ、獣人、パルゥム、アマゾネスなど様々な種族が行き交っていた。武器や防具を身につけた冒険者達が当然のように街を歩き、その間を商人や一般市民が忙しなく行き来している。
遠くから眺めていた時にも巨大な都市だとは思っていたが、実際に内部へ入ってみれば、その規模は想像以上だった。
そして都市の中心には、どこからでも見えるほど巨大な白亜の塔がそびえ立っている。
バベル。
事前に集めた情報によれば、あの塔の真下には、この都市を世界最大の迷宮都市たらしめているダンジョンの入口が存在するという。
地下へ向かって広がり続け、未だ誰にも全容を把握されていない巨大迷宮。
多くの冒険者達が神々から恩恵を授かり、その未知へ挑み続けている。
普段のシンであれば、多少は興味を持っただろう。
無数の異世界を巡ってきた彼でさえ、世界そのものと密接に繋がっている巨大迷宮という存在には、調べるだけの価値がある。
しかし、今は後回しだった。
「……近いな」
シンは雑踏の中で足を止めた。
街道にいた時とは比較にならないほど、ベルの存在を鮮明に感じ取ることができる。
血の繋がりだけではない。
魂そのものが互いを認識しているかのように、ベルがどこにいるのかが手に取るように分かった。
その場所は、目の前にそびえ立つバベルだった。
より正確には、その内部の一角。
事前に聞いた話では、バベルの内部にはギルドが管理する施設も存在し、その中にはダンジョンで重傷を負った冒険者を収容するための治療施設があるという。
ベルが遠征から帰還したばかりだという情報。
そして、現在感じ取れる明らかに通常より弱った生命力。
二つを合わせれば、ベルがそこにいる理由は容易に想像できた。
「治療施設か……」
口にしたシンの声が僅かに低くなる。
アリアが横から彼を見る。
「命に危険は?」
「今はない」
「そう……」
それを聞いて、アリアも少し安堵した。
ベルの命が今すぐ失われるような状態ではないことは分かっている。
少なくとも現在は安定している。
それでも、兄として弟が治療施設へ運び込まれるほどの重傷を負ったという事実を気にするなという方が無理だった。
一体、何があったのか。
誰に傷つけられたのか。
なぜそこまで追い詰められたのか。
聞きたいことはいくらでもある。
だが、それ以上に。
「……本当に、いるんだな」
シンは小さく呟いた。
ここまで来れば疑いようがない。
ベルは生きている。
同じ世界にいる。
手を伸ばせば届く場所にいる。
あまりにも長かった。
五歳の時、突然発生した時空の渦からベルを守るために弟を突き飛ばし、自分だけが呑み込まれた。
あの瞬間から、シンの長すぎる旅が始まった。
世界を一つ越えるたびに帰還方法を探した。
時空間について学び、魔法を学び、武功を修め、生き残るために戦い続けた。
自らの力に耐えられる武器を作るために鍛冶を学び、長い年月をかけて技術を磨き続けた結果、神の鍛冶師さえ凌駕する領域にまで到達した。
それでも、故郷へ帰る方法だけは長い間見つからなかった。
時には、この世界そのものが既に滅びているのではないかと考えた。
ベルも祖父も、とうの昔に死んでいるのではないかと思ったこともある。
それでも、二人の記憶を捨てることはできなかった。
そして今。
ようやく帰ってきた。
「…………」
シンは無意識に右手を握った。
今まで、どれほど強大な敵と対峙しても、これほど落ち着かないことはなかった。
神を前にしても。
世界を滅ぼせるほどの怪物を前にしても。
数多の神々を喰らい続けた龍を前にしても。
戦うのであれば、やるべきことは単純だった。
敵を見定め、武功を振るい、必要なら滅劫剣か絶劫刀を抜けばいい。
だが、今から会うのは敵ではない。
弟だ。
最後に見た時は五歳だった弟。
自分の後ろをついて歩き、何かあればすぐに頼ってきたベルが、今では十四歳になっている。
しかも冒険者となり、一つのファミリアを率いる団長にまでなっていた。
「九年……か」
この世界では、それだけしか経っていない。
シンにとっては、到底九年などという時間ではなかった。
その差を考えれば、妙な感覚になる。
ベルからすれば、兄がいなくなって九年。
シンからすれば、もはや数えることすら意味を失うほど長い別離。
同じ別れを経験しながら、二人が過ごした時間はあまりにも違う。
「緊張してる?」
不意にアリアが尋ねた。
シンは少しだけ彼女を見る。
「そう見えるか?」
「少しだけ」
「……そうか」
否定はしなかった。
アリアはそれ以上何も言わない。
黒竜を相手にした時でさえ何の動揺も見せなかった男が、弟へ会うというだけで僅かに落ち着きを失っている。
それだけで、ベルという少年がシンにとってどれほど大切な存在なのか十分に分かった。
「俺のことを覚えているか?」
シンがぽつりと呟いた。
五歳の頃の記憶だ。
忘れていたとしても責められない。
自分が逆の立場だったなら、どうだっただろうか。
そう考えて、すぐに首を振る。
「……いや」
覚えているかどうかなど、会えば分かる。
忘れられているなら、その時は改めて兄だと名乗ればいい。
それだけのことだ。
シンは再び歩き始めた。
黒髪が風に揺れる。
アリアも何も言わず、その隣を歩く。
大通りを進むにつれて、バベルがますます大きくなっていった。
周囲の冒険者達がシンへ視線を向けることもある。
見慣れない旅装。
腰に差した刀。
背中に背負った、布で厳重に包まれた長剣。
何より、冒険者らしい装備をしているにもかかわらず、神の恩恵を受けた者特有の雰囲気がない。
さらに隣には、精霊としての力を抑えているとはいえ、見る者によっては人間とは異なる清浄な気配を感じさせるアリアまでいる。
二人が目立たない方がおかしかった。
もっとも、シンもアリアも周囲から向けられる視線を気にすることなく歩き続ける。
やがて、二人はバベルへ到着した。
内部へ入れば、多くの冒険者やギルド職員が行き交っている。
シンが周囲を見回していると、受付側から一人の女性職員がこちらへ気づいて近づいてきた。
眼鏡をかけたハーフエルフの女性だった。
「何かお困りですか?」
柔らかな声で尋ねてきた女性へ、シンが視線を向ける。
「ギルドが運営している治療施設へ行きたい」
「治療施設ですか?」
女性の表情が僅かに改まる。
「お見舞いでしょうか?」
「人を探している」
「患者さんのお名前は分かりますか?」
「ああ」
シンは迷うことなく答えた。
「ベル・クラネル」
女性の表情が変わった。
「ベル君……?」
その呼び方に、シンが僅かに眉を動かす。
単に有名な冒険者として知っている反応ではない。
「知り合いか?」
「はい。私はベル君の担当アドバイザーをしています。ギルド職員のエイナ・チュールです」
そう名乗ってから、エイナは改めてシンを見る。
「失礼ですが、ベル君とはどのようなご関係でしょうか?」
シンは少しだけエイナを見る。
担当アドバイザー。
少なくとも、ベルと無関係な職員ではないらしい。
なら、余計な嘘をつく必要もない。
「家族だ」
「ご家族?」
「ああ。兄だ」
「……兄?」
エイナの目が大きく見開かれた。
「シン・クラネル。ベル・クラネルの双子の兄だ」
「双子の……お兄さん?」
エイナは明らかに困惑していた。
ギルド職員としてベルの登録情報を把握している彼女だからこそ、その反応は当然だった。
「でも、ベル君の家族は……」
言いかけて、エイナは言葉を止める。
ベルが故郷で祖父と暮らしていたことは知っている。
だが、現在生存している兄がいるという話は聞いたことがない。
「俺は五歳の時に行方不明になった」
シンが淡々と説明する。
「九年前だ。それ以来、この世界では一度も姿を見せていない」
「この世界では……?」
エイナが引っかかったように聞き返す。
「そこは今は気にしなくていい」
「いや、気になりますけど……」
アリアが横で小さく笑った。
エイナはますます困惑した表情になる。
「確認を取らせてください」
「ああ」
「ベル君は現在、治療施設にいます。ただ、目を覚ましたばかりなので、面会には医師の許可が必要です」
「分かった」
シンはすぐに頷いた。
あまりに素直だったため、エイナが一瞬だけ意外そうな顔をする。
「……無理に会おうとはしないんですね」
「何故無理をする必要がある?」
「いえ、その……」
「転移すれば今すぐ病室へ行けるが、ベルが世話になっている場所で騒ぎを起こすつもりはない」
「…………転移?」
エイナが固まる。
アリアが額へ手を当てた。
「シン。余計なことまで言わなくていいのよ」
「聞かれたから答えただけだ」
「聞かれてないわ」
エイナは二人を交互に見る。
理解できないことが増えたらしい。
それでも仕事は仕事だった。
「と、とにかく確認してきます。少しここで待っていてください」
「構わない」
エイナは足早に治療施設の奥へ向かった。
シンはその場で待つ。
アリアも隣へ立った。
「……あの子、ベルの担当なのね」
「ああ」
「悪い人には見えなかったわ」
「少なくともベルを心配しているのは分かった」
エイナがベルの名前を呼んだ時の反応。
治療施設にいることを告げた時の表情。
単なる業務上の付き合いだけではない。
ベルを気にかけていることは明らかだった。
「お前、そういうのも見るのね」
「人間を見る時は言葉より先に反応を見る」
「十億年の経験?」
「だいたいな」
しばらくして、エイナが戻ってきた。
「お待たせしました」
「どうだった?」
「ベル君がこちらの治療施設に入院していることは間違いありません。ただ……」
エイナは少し困ったような顔をした。
「やはり、ギルドの記録ではシンさんがご家族だということを確認できませんでした」
「当然だろうな」
シンは特に驚かなかった。
「九年間行方不明だった人間の生存記録が残っている方がおかしい」
「そうなんですけど……」
エイナも納得せざるを得ない。
「ならベル本人に確認してもらえばいい」
「それが一番確実だと思います。ただ、ベル君は重傷から目覚めたばかりですので、今は長時間の面会を許可できません」
シンの目が僅かに細くなる。
「重傷だったのか?」
エイナの表情が曇る。
「はい」
「どの程度だ?」
「詳しい診療内容まではお話しできません。ただ……本当に危険な状態でした」
シンの表情から、僅かに柔らかさが消えた。
アリアが横から彼を見る。
ほんの一瞬。
周囲の空気が冷たくなったように感じた。
「……そうか」
シンはそれだけ答えた。
今すぐ何があったのか問い詰めたい。
だが、エイナへ聞いても意味はない。
ベル本人から聞けばいい。
「なら待つ」
「え?」
エイナが驚く。
「面会できる状態になるまで待つ。ベルに無理をさせる必要はない」
「……よろしいんですか?」
「ここまで待ったんだ」
この世界では九年。
シンにとっては約十億年。
「今更、数時間増えたところで変わらない」
エイナはしばらくシンを見つめた後、ゆっくりと頷いた。
「分かりました。ベル君の状態を確認してきます」
その時だった。
シンが僅かに顔を上げる。
「……?」
エイナが首を傾げる。
シンは治療施設の奥を見ていた。
ベルの気配が動いた。
生命力に異常が起きたわけではない。
危険が迫ったわけでもない。
ただ。
意識がこちらへ向いたような感覚がある。
血と魂の繋がりが、ほんの一瞬だけ強く反応した。
「ベル?」
アリアが気づく。
「ああ」
シンは僅かに目を細めた。
「向こうも何か感じたみたいだ」
エイナには意味が分からない。
だが。
その頃。
治療施設の病室でも、同じような変化が起きていた。
◇ ◇ ◇
ベル・クラネルはベッドの上で、不意に会話を止めていた。
周囲にはヘスティアをはじめ、リリ、ヴェルフ、命、春姫達がいる。
深層から生還し、目を覚ましたばかりのベルを心配して集まっていた者達だ。
「……ベル君?」
ヘスティアが首を傾げる。
「どうしたんだい?」
「分かりません……」
ベルは胸元へ手を当てた。
目を覚ました時にも、一度だけ感じた奇妙な感覚。
それが今は、さらに強くなっている。
恐怖ではない。
警戒心でもない。
むしろ正反対。
懐かしい。
胸の奥が締めつけられるほど、懐かしい。
ずっと昔に失った何かが、すぐ近くまで戻ってきている。
そんな感覚だった。
「誰か……いる?」
ベルは無意識に病室の扉へ視線を向ける。
理由など分からない。
それでも。
扉の向こうに誰かがいるような気がした。
幼い頃には当たり前のように隣にいた誰か。
自分が泣けば励まし、怖いことがあれば前へ立ってくれた人。
そして。
九年前。
突然いなくなった人。
「……兄さん?」
その言葉が無意識に口から零れた。
「兄さん?」
ヘスティアが聞き返す。
ベル自身も驚いたように目を見開く。
何故、今その名前が出たのか分からない。
だが。
胸の奥にある感覚が消えない。
その時。
病室の扉が叩かれた。
「失礼します」
入ってきたのはエイナだった。
「エイナさん?」
ベルが驚く。
「どうしたんですか?」
エイナは一瞬、どう説明するべきか迷った。
だが、ベル本人へ確認するしかない。
「ベル君。少し確認したいことがあるの」
「はい?」
「今、あなたに面会を希望している人が来てるんだけど……」
エイナはベルの表情を見ながら続ける。
「その人が、シン・クラネルと名乗ってるの」
ベルの動きが止まった。
「…………え?」
時間そのものが止まったようだった。
「今……」
ベルの声が震える。
「何て?」
「シン・クラネルさん」
エイナはもう一度答える。
「あなたの双子のお兄さんだって言ってる」
ベルの瞳が大きく開かれた。
「……兄さん」
唇が震える。
記憶が一気に蘇る。
幼い頃。
いつも隣にいた双子の兄。
自分より勇敢で、何かあれば必ず前へ立ってくれた少年。
そして九年前。
時空の渦へ吸い込まれそうになった自分を突き飛ばし、代わりに消えた兄。
「生きてる……?」
ベルの目から涙が零れた。
エイナも、その反応だけで理解した。
少なくとも。
シンと名乗った青年が言ったことは、完全な作り話ではない。
「会います!」
ベルが反射的に身体を起こそうとする。
「ベル君!」
「ベル様!」
ヘスティアとリリが慌てて止める。
動いたことで身体へ痛みが走り、ベルが顔を歪める。
それでも、止まろうとはしなかった。
「会わせてください!」
「ベル君、今の身体で無茶しちゃ駄目だ!」
「でも兄さんが!」
「大丈夫!」
エイナが少し強い声を出した。
ベルの動きが止まる。
「シンさんは待つって言ってる」
「……待つ?」
「うん。ベル君が重傷から目を覚ましたばかりだって言ったら、無理に会う必要はないって。面会できる状態になるまで待つって言ってた」
ベルが俯く。
涙が一滴、シーツへ落ちる。
「……兄さんだ」
小さく呟く。
「絶対……兄さんだ」
昔からそうだった。
ベルが怪我をしていれば、無理をさせない。
自分が会いたいからという理由だけで、ベルへ無茶をさせるような人ではなかった。
「神様……」
ベルがヘスティアを見る。
「お願いです」
「…………」
「会わせてください」
ヘスティアはベルを見つめた。
双子の兄がいた。
その事実を今初めて知った。
しかも九年間も行方不明だった兄が、突然オラリオへ現れたという。
本来なら慎重になるべきだ。
しかし。
ベルの顔を見れば。
拒否することなどできなかった。
「……分かったよ」
「神様!」
「ただし、絶対に無茶しないこと。長話もしない。君はまだ治療中なんだからね」
「はい!」
ベルは何度も頷いた。
エイナもベルの状態を確認すると、一度病室を出る。
そして受付へ戻った。
「シンさん」
「どうだった?」
エイナは少しだけ笑った。
「ベル君が会いたいと言っています」
その瞬間。
シンの表情が変わった。
本当に僅かな変化だった。
だが。
ずっと隣にいたアリアには分かった。
嬉しいのだ。
「そうか」
シンは短く答える。
「案内してくれ」
「はい」
エイナが先導する。
シンが続き。
アリアもその後ろを歩こうとしたが。
途中で足を止めた。
シンが振り返る。
「どうした?」
「私はここで待ってるわ」
「何故?」
アリアは少し笑う。
「九年ぶりの兄弟の再会でしょう?」
シンにとっては、それより遥かに長い。
「最初くらい二人で会いなさい」
シンは少しだけアリアを見る。
やがて。
「ああ」
それだけ答えた。
アリアは壁際へ寄る。
エイナとシンが治療施設の奥へ進んでいった。
やがて。
一つの病室の前へ辿り着く。
エイナが扉を軽く叩いた。
「ベル君、入るよ」
「はい!」
病室の中から。
シンが忘れたことのない声が聞こえた。
五歳の頃より成長している。
それでも。
間違えるはずがない。
エイナが扉を開く。
シンが病室へ足を踏み入れた。
白い髪。
赤い瞳。
身体には多くの包帯が巻かれている。
幼い頃より遥かに成長している。
だが。
「……ベル」
シンには一瞬で分かった。
ベッドの上の少年も。
黒髪の青年を見た瞬間。
息をすることさえ忘れた。
最後に見た兄は五歳だった。
今の姿とは大きく違う。
それでも。
顔立ち。
赤い瞳。
そして何より。
感じるものがあった。
「……兄さん」
ベルの声が震える。
シンの表情が僅かに柔らかくなる。
「ああ」
その一言だけで。
ベルの目から涙が溢れた。
「兄さん……!」
身体を起こそうとする。
「動くな」
シンの声が飛ぶ。
ベルの身体が反射的に止まった。
昔と変わらない。
自分が無茶をしようとした時に聞いた声。
その事実が。
ベルの涙をさらに増やした。
シンはゆっくりとベッドへ近づく。
一歩ずつ。
九年。
そしてシンにとっては、それとは比較にならないほど長い時間を埋めるように。
やがてベッドの横まで来る。
しばらく。
二人は何も言えなかった。
やがて。
シンが右手を伸ばす。
そして。
ベルの白い髪へ、昔と同じように手を置いた。
「……大きくなったな」
その一言で。
ベルの感情が完全に崩れた。
「兄さん……!」
声を上げて泣いた。
ヘスティア達が見ていることも。
エイナがいることも。
団長であることも。
今だけはどうでもよかった。
「生きてた……!」
ベルが泣きながら言う。
「兄さん、生きてた……!」
「ああ」
「ずっと……死んだと思って……」
「ああ」
「探しても……どこにもいなくて……!」
シンは弟の頭を撫で続ける。
そして。
静かに言った。
「悪かった」
ベルが激しく首を振る。
「違う……! 兄さんが悪いんじゃない……!」
涙で顔を濡らしながら。
それでもベルは笑った。
「帰ってきてくれたから……」
シンの手が僅かに止まる。
そして。
もう一度。
ベルの頭を優しく撫でた。
「ただいま、ベル」
ベルは泣きながら答える。
「……おかえり、兄さん」
九年前に途切れた兄弟の時間が。
ようやく。
再び動き始めた。