白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか 作:ディーノpc35
「……おかえり、兄さん」
ベルの言葉を聞いたシンは、しばらく何も返さなかった。
九年。
ベルにとっては、それだけの時間だった。
だがシンにとっては、九年という言葉では到底収まらない。
数え切れないほどの世界を渡り、無数の戦場を越え、何度も死にかけ、それでも帰ることだけは諦めなかった。
その果てに、ようやく聞くことができた言葉だった。
「……ああ」
シンは小さく頷いた。
それ以上、言葉を重ねる必要はなかった。
ベルもまた、しばらく泣いていた。
ヘスティア達は誰も口を挟まない。
リリもヴェルフも、命も春姫も、普段とはまるで違うベルの姿を黙って見守っていた。
エイナも同じだった。
冒険者としてのベルしか知らない彼女にとって、今のベルはあまりにも幼く見える。
団長でも。
冒険者でも。
『白兎の脚』でもない。
ただ、九年前に兄を失った少年だった。
やがて。
ベルがようやく落ち着きを取り戻す。
「……ごめん」
「何がだ?」
「その……こんなに泣くつもりじゃ……」
「九年ぶりなんだろ」
「うん」
「なら別にいい」
シンはあっさり答えた。
ベルは少しだけ笑う。
「兄さん、そういうところ変わってないね」
「お前もな」
「僕?」
「ああ。泣き虫なのは昔のままだ」
「ちょっと!」
思わずベルが抗議する。
ヴェルフが吹き出した。
「お前、昔から泣き虫だったのかよ」
「ヴェルフ!」
「いや、なんか納得した」
「納得しないでよ!」
少しだけ病室の空気が和らぐ。
シンはそんなベルを見ながら、改めてその姿を確認した。
白い髪。
赤い瞳。
面影は確かに残っている。
それでも、記憶の中にいる五歳の弟とは全く違う。
顔立ちは成長し、身体つきも冒険者らしいものになっている。
何より。
目が違った。
五歳の頃にはなかったものがある。
何度も死線を越えた者の目。
恐怖を知り、それでも前へ進んできた者の目だった。
シンはベルの身体へ視線を落とす。
包帯。
固定された箇所。
治療魔法を受けた痕跡。
さらに内部には、まだ完全には癒えていない損傷も残っている。
「……随分やられたな」
シンの声が少し低くなった。
ベルが苦笑する。
「まあ……ちょっと色々あって」
「ちょっとで済む傷じゃない」
「……はい」
即座に訂正された。
シンはベルを見つめる。
「誰にやられた?」
その一言で。
病室の空気が僅かに変わる。
ヘスティアがシンを見る。
先ほどまで弟との再会を喜んでいた兄の顔ではない。
感情的に怒鳴っているわけではない。
むしろ静かだった。
だが。
だからこそ。
その声には、妙な圧があった。
ベルも気づいた。
「兄さん」
「何だ」
「そんな怖い顔しないで」
「してない」
「してるよ」
シンは少し黙る。
ベルは困ったように笑った。
「誰かに襲われたとかじゃないから」
「なら何だ?」
「ダンジョン」
シンの目が僅かに細くなる。
「遠征中に色々あって、深層まで落ちたんだ」
「深層?」
「ダンジョンのかなり下の方」
「どれくらい危険なんだ?」
ベルは少し考える。
「僕くらいの冒険者が一人で行ったら、普通は帰ってこられないと思う」
シンの表情がさらに険しくなった。
「そこへ落ちた?」
「うん」
「事故か?」
「……色々重なって」
ベルは少しずつ説明を始めた。
遠征。
リュー・リオンを追っていたこと。
異常事態が起きたこと。
ジャガーノートと呼ばれる怪物が現れたこと。
そして。
リューと共に深層へ落とされたこと。
詳しく話すほど、周囲の仲間達も表情を曇らせていく。
シンは途中で一度も口を挟まなかった。
ただ聞いている。
ベルが何を経験したのか。
どこで傷ついたのか。
誰と戦ったのか。
一つずつ頭へ入れていく。
「それで最後は、リューさんと一緒にジャガーノートを倒して……なんとか助けてもらったんだ」
ベルが説明を終える。
シンは少しだけ考えた。
「そのジャガーノートという奴は?」
「倒したよ」
「確実に?」
「うん」
「ならいい」
シンはそれだけ言った。
ヴェルフが眉を上げる。
「生きてたらどうするつもりだったんだ?」
シンは当然のように答える。
「殺しに行く」
「即答かよ」
「ベルをここまでした相手だろ」
「まあ、そうだけどよ……」
あまりにも迷いがない。
ベルが慌てて口を挟む。
「兄さん、ダンジョンにいきなり行っちゃ駄目だからね」
「何故?」
「何故って……!」
「敵はもう死んでいるんだろ?」
「そうだけど」
「なら行かない」
「……それならいいけど」
ベルは少しだけ安心する。
シンの基準は単純だった。
敵がいるなら倒す。
もういないなら、わざわざ探しに行く理由はない。
そして。
今度はベルが、ずっと聞きたかったことを口にした。
「兄さんは?」
シンが視線を向ける。
「何だ?」
「今まで、どこにいたの?」
病室が静かになった。
当然の疑問だった。
九年前に突然消えた兄が。
何の前触れもなく。
今になって帰ってきた。
しかも。
ベルは改めてシンを見る。
黒髪。
赤い瞳。
自分より明らかに年上に見える外見。
五歳の時から九年しか経っていないのなら、同じ十四歳のはずだ。
それなのに。
目の前のシンはどう見ても十四歳には見えない。
「それに……」
ベルが続ける。
「兄さん、僕と同い年には見えないけど……」
「そうだな」
シンは否定しない。
「何歳なの?」
その質問に。
シンは少しだけ困った顔をした。
「どの意味で聞いている?」
ベルが首を傾げる。
「どの意味って?」
「肉体年齢か、実際に生きた時間か」
「…………」
ベルが止まる。
リリ達も止まる。
ヘスティアが眉を寄せた。
「それ、普通は同じじゃないのかい?」
「普通ならな」
シンは答える。
「俺は普通じゃなくなった」
ヴェルフが小さく呟く。
「それは見ればなんとなく分かる」
「ヴェルフさん……」
春姫が困ったように見る。
シンは説明するために、近くの椅子へ腰を下ろした。
「九年前」
ベルが表情を改める。
「あの日、突然発生した時空の渦にお前が巻き込まれそうになった」
「……覚えてる」
「俺がお前を押し出した。その結果、俺だけが呑み込まれた」
ベルは小さく頷く。
完全に鮮明な記憶ではない。
それでも。
最後に見た兄の姿だけは覚えている。
「次に目を覚ました時」
シンは続ける。
「俺はこの世界にはいなかった」
ベルが目を瞬く。
「……どういうこと?」
「別の世界へ飛ばされた」
「別の世界?」
「ああ」
シンは淡々と話す。
「空も大地も、使われている力も、この世界とは違う場所だった」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
最初に反応したのはヘスティアだった。
「異世界……ということかい?」
「ああ」
神であるヘスティアは、人間達よりも早く意味を理解した。
「そんなことが……」
「ある」
シンは断言する。
「俺自身が証拠だ」
ベルは呆然と兄を見る。
「じゃあ兄さんは……ずっと別の世界に?」
「一つじゃない」
「え?」
「何度も世界を移動した」
「何度も……?」
「ああ」
元の世界へ帰るため。
時空間について調べるため。
生き残るため。
様々な理由で。
シンは数え切れないほどの世界を渡り歩いた。
「世界によって時間の流れも違った」
シンは続ける。
「この世界では九年でも、俺が過ごした時間はそうじゃない」
ベルが嫌な予感を覚えた。
「……どれくらい?」
シンは少しだけ考える。
隠しても意味はない。
「概算で十億年ほどだ」
沈黙。
完全な静寂だった。
「…………」
ベルは兄を見ている。
シンもベルを見る。
「……ごめん、兄さん」
「何だ?」
「聞き間違えた」
「そうか?」
「うん」
ベルは頷く。
「十億年って聞こえた」
「合っている」
「…………」
再び沈黙。
ヴェルフが最初に動いた。
「待て」
シンを見る。
「今、十億年っつったか?」
「ああ」
「十年じゃなく?」
「十億年だ」
「百年でもなく?」
「十億年」
「千年――」
「何回聞くつもりだ?」
ヴェルフが頭を抱えた。
「いやいやいやいや、おかしいだろ!」
「何がだ?」
「全部だよ!」
リリも顔を引きつらせている。
「じゅ、十億年って……リリには数字が大きすぎてよく分からないです……」
命も珍しく絶句していた。
春姫に至っては、どう反応すればいいのか分からず固まっている。
ヘスティアだけは。
笑っていなかった。
シンをじっと見ている。
神として。
目の前の人間を観察している。
外見だけなら若い。
だが。
その目。
存在の重さ。
そして先ほどから感じている奇妙な違和感。
もし。
本当に。
十億年もの時間を生きているのだとすれば。
「君……」
ヘスティアが静かに尋ねる。
「その間、ずっと人間だったのかい?」
「人間であることは変わっていない」
「そういう意味じゃないよ」
ヘスティアの表情が真剣になる。
「十億年なんて時間を、普通の人間が生きられるはずがない」
「普通ならな」
「じゃあ、どうやって?」
シンは少し考える。
「色々やった」
「説明が雑すぎるよ!」
ヘスティアが思わず叫んだ。
ベルが小さく笑う。
「兄さん、昔から説明するの苦手だったよね」
「必要なことは説明していた」
「いつも『見れば分かる』って言ってたじゃん」
「見れば分かることを説明する必要があるのか?」
「あるよ!」
ベルの反応を見て。
シンの表情が少しだけ和らいだ。
これも。
昔と変わらない。
ただ。
ベルはすぐに別のことへ気づいた。
「十億年……」
声が小さくなる。
「じゃあ兄さんは……」
シンを見る。
「ずっと帰れなかったの?」
その質問で。
先ほどまで少し和らいでいた空気が変わった。
シンは少しだけ黙った。
「ああ」
「帰ろうとはした?」
「当たり前だ」
即答だった。
ベルの瞳が揺れる。
「ずっと探した」
シンは続ける。
「元の世界へ帰る方法を」
時空間について学んだ。
様々な文明の技術を調べた。
魔法体系を解析した。
神々が扱う空間権能を研究したこともある。
それでも。
故郷の座標だけが見つからなかった。
「……何度も諦めかけた」
シンが静かに言う。
「この世界そのものがもうないんじゃないかとも思った」
ベルが何も言えなくなる。
「お前も爺さんも、とっくに死んでいるかもしれないと思ったこともある」
それでも。
忘れられなかった。
ベルの顔。
祖父の声。
故郷の風景。
小さな家。
全部。
約十億年という時間を経ても。
消えなかった。
「だから探し続けた」
ベルの目に。
再び涙が浮かんだ。
「十億年も……?」
「ああ」
「僕を?」
「お前と爺さんをだ」
「…………」
ベルは俯く。
肩が僅かに震える。
シンが眉を寄せる。
「また泣くのか?」
「だって……」
ベルが顔を上げる。
「そんなの……泣くに決まってるよ……」
シンは何も言わなかった。
ただ。
もう一度。
ベルの頭へ手を置く。
ベルは今度はその手を拒まず。
むしろ。
少しだけ頭を寄せた。
しばらくして。
病室の扉が控えめに叩かれた。
全員がそちらを見る。
エイナが扉を開ける。
「すみません。シンさん」
「何だ?」
「同行されていた方が、まだ外で待っているんですけど……」
シンが一瞬止まった。
「ああ」
完全に忘れていた。
「アリアか」
「アリアさん?」
ベルが首を傾げる。
「誰?」
「この世界へ帰ってきて最初に会った奴だ」
「一緒に来たの?」
「ああ」
ベルは少し考えてから。
「じゃあ、入ってもらおうよ」
シンがベルを見る。
「いいのか?」
「兄さんと一緒に来た人なんでしょ?」
「ああ」
「だったら会いたい」
シンは頷く。
「分かった」
エイナが一度廊下へ戻る。
しばらくして、エイナに案内されながら一人の女性が病室へ入ってきた。
その女性を目にした瞬間、ベルは大きく目を見開いた。
腰まで伸びた美しい金髪に、澄んだ翡翠色の瞳。整った顔立ちはベルがよく知る少女と驚くほど似ており、すらりとした体つきや身に纏う雰囲気に至るまで面影が重なって見える。
ただし、まったく同じというわけではない。
ベルが知る少女よりも明らかに大人びており、その表情にはどこか柔らかく、包み込むような雰囲気があった。
それでも、あまりにも似ていた。
まるでアイズ・ヴァレンシュタインがそのまま十年ほど成長すれば、このような姿になるのではないか。
そう思えるほどだった。
だからこそ、ベルの口から無意識にその名前が零れた。
「……アイズさん?」
「……え?」
今度はアリアが足を止めた。
その声を聞いたことで、ベルもすぐに違和感へ気づいた。
「いや……違う」
改めて見れば分かる。
似ているどころではないほど酷似しているが、アイズ本人ではない。
年齢も違えば、纏っている雰囲気も異なる。
何より、目の前の女性から感じられる気配には、普通の人間とは明らかに異なるものがあった。
「ご、ごめんなさい。知り合いと見間違えて……」
ベルが慌てて謝ろうとしたところで、アリアの表情が変わった。
「今、何て言ったの?」
「え?」
「あなたが今呼んだ名前よ。誰と見間違えたの?」
先ほどまで穏やかだったアリアの声に、僅かな動揺が混じっている。
シンもそれに気づき、隣に立つアリアへ視線を向けた。
ベルは戸惑いながらも素直に答えた。
「アイズさんです。アイズ・ヴァレンシュタインさん」
その名前を聞いた瞬間、アリアの瞳が大きく見開かれた。
「……アイズ?」
呟いた声が僅かに震えている。
聞き間違えるはずがない。
アイズという名前も。
ヴァレンシュタインという姓も。
そして何より、先ほどベルが自分を見た瞬間、その人物と見間違えたことも。
それら全てが、一つの可能性を示していた。
「その子……今、どこにいるの?」
「え?」
突然問いかけられ、ベルは目を瞬く。
「アイズよ。アイズ・ヴァレンシュタインは今どこにいるの?」
先ほどまでとは明らかに違うアリアの様子に戸惑いながら、ベルは答えた。
「オラリオにいます。ロキ・ファミリアに所属していますけど……」
「オラリオに……」
アリアは呆然と呟いた。
探し求めていた娘が、自分達が今いるこの都市にいる。
その事実を理解するまで、少し時間が必要だった。
そんなアリアを見ていたシンが尋ねる。
「アイズという奴を知っているのか?」
アリアはすぐには答えなかった。
様々な感情が入り交じったような表情を浮かべたまま、しばらく俯いている。
やがて顔を上げると、静かに答えた。
「……娘よ」
病室が静まり返った。
ベルだけでなく、ヘスティアやリリ、ヴェルフ、命、春姫、そしてエイナまで、すぐにはその言葉を理解できなかった。
最初に声を出したのはベルだった。
「……娘?」
「ええ」
アリアはゆっくりと頷いた。
「アイズは私の娘よ」
「…………」
ベルは改めてアリアの顔を見る。
そして、自分の記憶にあるアイズの姿と重ね合わせた。
言われてみれば、似ているという表現では足りない。
長い金髪も、整った顔立ちも、目元も、纏う雰囲気さえもよく似ている。
アリアの方が大人びていることを除けば、まるで成長したアイズを見ているようだった。
「だから……こんなに似てるんだ」
ベルが納得したように呟く。
その言葉を聞いたアリアがベルを見る。
「そんなに似ている?」
「はい。病室に入ってきた時、本当にアイズさんだと思いました。大人っぽくなっているから少し変だとは思いましたけど……それくらい似ています」
「そう……」
アリアの表情が僅かに柔らかくなった。
自分がいない間に成長した娘。
その姿をまだ直接見ることはできていない。
それでも、自分を見た人間が娘本人と間違えるほど似ていると言われたことが、どこか嬉しかったのだろう。
だが、すぐにアリアの表情が真剣なものへ変わった。
「ベル」
「はい」
「アイズのことを教えてもらえる?」
「アイズさんのことですか?」
「ええ。今はどんな子なのか、普段は何をしているのか、誰と一緒に暮らしているのか……私は何も知らないの」
そこで一度言葉を切ったアリアは、少し不安そうに続けた。
「ちゃんと食事はしている? 大きな怪我をしたりしていない? 危険なことばかりしているわけじゃないわよね?」
「アリア」
次々と質問を重ね始めたアリアを、シンが止める。
「何?」
「落ち着け。ベルは怪我人だ」
「……あ」
その一言でアリアも我に返った。
ベッドの上にいるベルの身体には、まだ多くの包帯が巻かれている。
「ごめんなさい。つい……」
「大丈夫です」
ベルは苦笑しながら答えた。
先ほどまでのアリアの様子を見れば、どれだけアイズを心配しているのかは十分に伝わってきた。
自分も九年間会えなかった兄と再会したばかりだからこそ、その気持ちは少し分かる。
「僕が知っていることなら話します」
「……ありがとう」
アリアは心から安堵したように微笑んだ。
ベルは少し考えてから、アイズについて話し始める。
「アイズさんは今、ロキ・ファミリアに所属しています。ファミリアの中でも主力の一人で、第一級冒険者です」
「第一級冒険者というのは?」
「オラリオでも特に強い冒険者のことです。アイズさんはその中でも有名で、『剣姫』って呼ばれています」
「剣姫……」
その二つ名を口にしたアリアの表情に、僅かな驚きと誇らしさが浮かぶ。
「剣を使うのね」
「はい。僕が知っている中でも、すごく強い剣士です」
ベル自身、アイズの剣技には何度も驚かされている。
初めて出会った時から、自分にとって遥か遠くにいる憧れの冒険者だった。
そのアイズの母親が目の前にいる。
そう考えると、ベル自身も未だに現実感がなかった。
「それで……性格は?」
アリアに尋ねられ、ベルは少し考え込む。
「すごく真面目な人です。それと、ちょっと無口で、表情もあまり変わらなくて……」
「……そうなの?」
「はい。でも、優しい人ですよ」
ベルは迷うことなくそう言った。
「僕も何度も助けてもらいました。ダンジョンで助けてもらったこともありますし、剣の訓練をしてもらったこともあります」
「アイズがあなたに剣を?」
「はい」
「そう……」
アリアの表情がさらに柔らかくなる。
自分の知らないところで成長した娘が、誰かを助け、その相手へ剣まで教えている。
その事実が嬉しいのだろう。
「それに、アイズさんにはちゃんと仲間もいます」
「仲間?」
「ロキ・ファミリアの人達です」
ベルは自分が知っている範囲で、ロキ・ファミリアについて説明していった。
団長のフィン。
副団長のリヴェリアとガレス。
ティオナとティオネ。
ベート。
そして、アイズを慕っているレフィーヤ。
もちろんベル自身はロキ・ファミリアの内情を全て知っているわけではない。
それでも、外から見て分かる範囲で、アイズが決して孤立しているわけではないことを伝えた。
アリアは一言も聞き漏らさないように、その話へ耳を傾けていた。
「……一人じゃないのね」
話を聞き終えたアリアが、安堵したように呟く。
「はい。少なくとも僕が見る限り、ロキ・ファミリアのみんなはアイズさんのことを大切な仲間だと思っています」
「そう……よかった」
心の底から安心したような声だった。
自分が傍にいることのできなかった長い年月。
その間、娘がずっと孤独だったのではないか。
アリアにとって、それは何よりも恐れていたことだった。
ベルはそんなアリアを見ながら、ふと疑問を抱いた。
「アリアさんは、ずっとアイズさんに会っていないんですか?」
「……ええ」
「どれくらい?」
その問いに、アリアは少しだけ目を伏せた。
「長い間よ。私自身、正確にどれほど時間が経ったのか分からなくなるくらいに」
ベルはそれ以上聞くことを躊躇した。
アリアの表情から、単純に離れて暮らしていただけではないことが分かったからだ。
シンも何も言わなかった。
アリアが黒竜を封じる結界を維持するために長い年月を費やし、その代償として存在そのものが消滅しかけていたことを、ベル達はまだ知らない。
少しの沈黙の後、アリアが再びベルを見る。
「ベル。もう一つだけ聞いてもいい?」
「はい」
アリアは少し迷ってから尋ねた。
「アイズは……笑う?」
その質問に、ベルは一瞬だけ答えに詰まった。
アイズが笑っている姿。
思い返してみれば、決して多くはない。
普段は無表情に近く、感情が顔へ出ることも少ない。
だが。
まったく笑わないわけではない。
「笑いますよ」
「本当?」
「はい。そんなに頻繁じゃないですけど、嬉しい時とか、楽しい時にはちゃんと笑います」
「そう……」
アリアは目を閉じる。
そして再び目を開いた時には、穏やかな笑みを浮かべていた。
「それなら、よかった」
その笑顔を見たベルは、改めて二人が母娘なのだと実感した。
普段のアイズよりも表情は豊かだ。
それでも、ふとした時の目元や、僅かに口元を緩めた時の表情が驚くほどよく似ている。
「本当に似てる……」
思わずベルが呟くと、アリアが不思議そうに首を傾げた。
「そんなに?」
「はい。今の笑い方も、アイズさんに似てました」
「……そう」
アリアは嬉しそうに微笑んだ。
その様子を見ていたシンは、二人の会話が一段落したところで口を開く。
「会いに行けばいいだろ」
アリアがシンを見る。
「……今から?」
「同じ都市にいるんだろ。場所が分からないなら探せばいい」
シンにとっては極めて単純な話だった。
十億年近く故郷へ帰る道を探し続けた自分とは違う。
アリアとアイズは、今や同じ都市の中にいる。
会おうと思えば会える距離だ。
しかし、アリアはすぐには頷かなかった。
「会いたいわ」
その答えに迷いはない。
「今すぐにでも会いたい。でも……」
自分の手を見る。
「アイズは、私が生きていると思っているのかしら」
ベルは答えられなかった。
アイズが自分の過去についてほとんど話さないことを知っているからだ。
母親について何を知っているのか。
アリアをどう思っているのか。
ベルには分からない。
「なら、なおさら本人に聞けばいい」
シンは変わらず淡々としていた。
「考えても答えは出ない」
アリアが少し呆れたように彼を見る。
「あなたは本当にそういうところが極端ね」
「十億年考えても答えが出ないことはいくらでもあった。本人に聞けるなら聞いた方が早い」
「……経験談として言われると反論しにくいわね」
ベルが思わず小さく笑った。
先ほどまで少し重くなっていた病室の空気も、それで僅かに和らいだ。
アリアもやがて小さく息を吐く。
「そうね」
そして、今度は迷いなく頷いた。
「会いに行くわ。アイズに」
その瞳には、不安が消えたわけではない。
それ以上に、長い年月を経てようやく娘と再会できる喜びが浮かんでいた。
ベルはそんなアリアを見ながら笑う。
「アイズさん、きっと驚きますよ」
「そうでしょうね」
アリアも微笑んだ。
「私も、どんな顔をすればいいのか分からないもの」
その言葉を聞きながら、ベルはふと思った。
九年間死んだと思っていた兄が突然帰ってきた自分でさえ、未だに夢を見ているような気分なのだ。
もしアイズも同じように母親を失ったと思っているのなら。
再会した時、彼女はどんな顔をするのだろう。
ベルには想像できなかった。
ただ一つ分かるのは。
自分とシンがそうだったように。
アリアとアイズにも、長い間止まっていた時間があるということだった。
そして、その時間もまた。
ようやく動き出そうとしていた。アリアとベルの会話が一段落したところで、シンは病室の中をゆっくりと見回した。
ベルの仲間達。
エイナ。
そして最後に、視線はヘスティアへ向いた。
ベルが恩恵を受けている神。
ヘスティア・ファミリアの主神。
街へ入る前から、シンは彼女についてある程度の情報を集めていた。
かつてはベル一人しか眷属がいない零細ファミリアだったこと。
生活が苦しく、自ら働いていた時期があること。
ベルを非常に大切にしている一方で、他の女性がベルへ近づけば露骨に嫉妬すること。
少なくとも、集めた情報の中にベルを道具として扱っているような話はなかった。
そして先ほどから病室で見ていた限りでも、その印象に大きな間違いはなさそうだった。
ベルが無理に身体を起こそうとした時、ヘスティアは誰より早く止めている。
ベルへ向ける視線にも、不自然さは感じられなかった。
眷属を所有物として見ている神の目ではない。
大切な家族を心配する者の目だった。
もっとも、それだけで全てを信用するほど、シンは神という存在に対して楽観的ではない。
「ヘスティア」
突然名前を呼ばれ、ヘスティアがシンを見る。
「ん?」
シンは椅子から立ち上がった。
「少しいいか?」
「何だい?」
「二人で話がしたい」
その言葉で、病室の空気が僅かに変わった。
ベルがシンを見る。
「兄さん?」
「お前は休んでろ」
「でも……」
「少し話をするだけだ」
シンはベルを安心させるように言った。
もっとも、表情そのものはほとんど変わっていない。
ヘスティアもシンを見上げる。
「ボクと二人で?」
「ああ」
「ここでは駄目なのかい?」
「ベルの前では聞きづらいこともある」
その言葉に、ヘスティアの表情が僅かに真剣になる。
何について話したいのか、大体の予想はついたのだろう。
「……分かった」
ヘスティアは頷いた。
「ボクも君とは話しておきたいと思っていたところだ」
「神様……」
ベルが心配そうに二人を見る。
ヘスティアはそんなベルへ笑いかける。
「大丈夫だよ、ベル君。ちょっとお兄さんと話してくるだけだから」
「でも……」
ベルは今度はシンを見る。
兄が神々をどう見ているのか、ベルはまだ詳しく知らない。
ただ、約十億年もの異世界巡歴の中で何か大きな経験をしてきたことだけは分かる。
そのため、何となく不安が拭えなかった。
シンもその視線に気づいた。
「心配するな」
「……本当に?」
「ああ。話をするだけだ」
ベルは少し疑うような目を向ける。
「その言い方、ちょっと怖いよ」
ヴェルフが横から口を挟んだ。
「俺もそう思う」
「ヴェルフ!」
「いや、お前の兄貴だろ。お前が止めろよ」
「今日再会したばかりなのに無理だよ!」
病室に僅かな笑いが広がる。
シンは小さく息を吐いた。
「何もしない。ヘスティアが俺に何かしない限りはな」
「それ余計に怖いよ!」
今度こそベルが声を上げた。
ヘスティアは苦笑する。
「大丈夫だよ。ボクだってベル君のお兄さんと喧嘩するつもりなんてないさ」
それからベルの頭を軽く撫でる。
「だから君は休んでいなさい」
シンはその仕草を黙って見ていた。
やはり、今のところベルへ向けている感情に嘘は感じられない。
「行くぞ」
「ああ」
ヘスティアがシンについていく。
病室を出る直前、シンはアリアへ視線を向けた。
「少し頼む」
「ベルを見ていればいいの?」
「ああ」
「分かったわ」
アリアは素直に頷いた。
シンはそのままヘスティアと共に病室を出た。
扉が閉じる。
残されたベルは、しばらくその扉を見つめていた。
「……大丈夫かな」
ヴェルフが聞く。
「どっちが?」
ベルは少し考えてから答えた。
「両方……」
◇ ◇ ◇
シンとヘスティアは治療施設を出ると、人通りの少ない場所へ移動した。
完全に誰もいないわけではない。
だが、普通の声量で話している限り、周囲に会話を聞かれる心配はない場所だった。
「ここでいい」
シンが足を止める。
ヘスティアも数歩離れた位置で立ち止まった。
病室とは違い、ここにはベルも、仲間達も、アリアもいない。
今ここにいるのは、ベルの兄とベルの主神だけだった。
最初に口を開いたのはヘスティアだった。
「それで?」
先ほどまでベルへ向けていた柔らかな表情は消えている。
今は神として、そしてベルの主神として真剣な顔でシンを見ていた。
「ボクに何を聞きたいんだい?」
シンはすぐには答えなかった。
目の前にいる存在を改めて観察する。
神。
間違いない。
権能を封じているとはいえ、存在の本質そのものが人間とは違う。
シンはこれまで、数え切れないほどの神々を見てきた。
人間を愛する神もいれば、人間を家畜としか見ない神もいた。
信仰を集めることだけを考える神もいれば、自らの欲望のためなら文明一つを滅ぼすことさえ躊躇しない神もいた。
そして、そうした神々をシン自身の手で殺したことも、一度や二度ではない。
だからこそ、目の前にいるヘスティアが神であるという事実だけでは、シンにとって信用する理由にならなかった。
むしろ逆だった。
「まず一つ」
シンが口を開く。
「ベルをどう思っている?」
ヘスティアが少し目を瞬く。
もっと複雑な質問をされると思っていたのだろう。
「どう、って?」
「そのままの意味だ。お前にとって、ベル・クラネルは何だ?」
「ボクの大切な眷属だよ」
即答だった。
シンの表情は変わらない。
「眷属だから大切なのか?」
「違う」
今度も、ヘスティアは迷わなかった。
「ベル君だから大切なんだ」
シンの目が僅かに細くなる。
ヘスティアはそのまま続けた。
「ベル君がボクの眷属だから大切なんじゃない。ベル君がベル君だから大切なんだ」
「もしベルが恩恵を返して、ファミリアから出ていくと言ったら?」
「…………」
ヘスティアが少しだけ嫌そうな顔をする。
「できれば言ってほしくないな」
「質問に答えろ」
「分かってるよ」
ヘスティアは小さく息を吐いた。
「悲しいし、できるなら考え直してほしいと思う」
「止めるか?」
「止めたいとは思うよ」
「強制してでも?」
「それはしない」
その答えには迷いがなかった。
「ベル君が本当に自分で考えて、自分で決めたことなら、ボクは最後には受け入れる」
シンは黙って聞いている。
「もちろん理由は聞くよ。嫌だとも言うし、できるなら考え直してほしいとも言う」
ヘスティアは少し苦笑した。
「ボクはそんなに物分かりのいい神じゃないからね」
「だろうな」
「君、初対面の神に遠慮がないね?」
「神だから遠慮する理由がない」
「……なるほど」
その返答で、ヘスティアも少しだけ理解した。
シンは単に無礼なのではない。
神だから敬う、神だから恐れるという発想自体をほとんど持っていない。
神と人間が異なる存在であることは理解している。
しかし、そこに上下関係を置いていない。
「君は神が嫌いなのかい?」
ヘスティアが尋ねる。
シンは少しだけ考えてから答えた。
「嫌いというより、信用していない」
「どうして?」
「経験だ」
短い返答だった。
ヘスティアは続きを待つ。
シンも隠す必要はないと判断した。
「俺が異世界を巡る中で出会った神々には、人間を同じ命だと考えていない奴が多かった」
ヘスティアの表情が変わる。
「人間を道具や家畜、あるいは玩具のように扱う神もいた。自分達を楽しませるためだけに文明同士を争わせる奴もいたし、信仰を増やすために戦争を起こす奴もいた。自分を崇めないという理由だけで国を滅ぼした神もいる」
ヘスティアは何も言わなかった。
「自分達の気まぐれで人間の運命を弄び、死んでも『また増える』程度にしか考えない神もいた」
シンの声には怒りすらほとんどない。
だからこそ、それを何度も見てきたのだという重みがあった。
「だから俺は神を信用しない」
「全ての神を?」
「最初から信用しないだけだ」
シンはヘスティアを見る。
「敵だと決めつけるのとは違う。俺はお前のことを知らない。だから今、こうして話している」
ヘスティアは少しだけ目を細めた。
「街へ来る前にある程度調べた」
「ボクのことを?」
「ああ」
「何を?」
「零細ファミリアだったことと、借金があること。それからベルを養うために働いていたことも聞いた」
ヘスティアの顔が徐々に引きつる。
「そこまで?」
「ベルに近づく女に嫉妬することも」
「誰だそんなことまで話した奴は!」
ヘスティアの声が響いた。
シンは気にしない。
「少なくとも調べた範囲では、ベルを利用しているようには見えなかった」
「当たり前だ!」
ヘスティアが胸を張る。
「ボクはベル君を利用するために眷属にしたんじゃない!」
「なら、何故眷属にした?」
ヘスティアは少しだけ黙った。
やがて、懐かしそうな表情を浮かべる。
「出会ったからだよ」
「それだけか?」
「それだけで十分だった」
ヘスティアは笑う。
「ボクには眷属がいなかった。ベル君にも入れるファミリアがなかった。だから、一緒に始めたんだ」
当時の二人には何もなかった。
眷属を一人も持たない女神と、どのファミリアにも受け入れてもらえなかった少年。
「最初は本当に二人だけだったんだよ。お金もなかったし、住む場所だってまともじゃなかった」
「聞いた」
「ボクが働いていたことも?」
「ああ」
「本当に何でも調べてるな、君」
「ベルに関係することだからな」
その言葉に、ヘスティアが少しだけ笑った。
「君も大概だね」
「何がだ?」
「弟馬鹿だってことさ」
シンの眉が僅かに動く。
「違う」
「いや、絶対そうだよ」
「九年ぶりに会った弟を心配するのは普通だろ」
「君にとっては九年じゃないんだろう?」
シンが黙る。
ヘスティアは病室で聞いた話を思い出していた。
約十億年。
常識では到底理解できない年月。
それでも、もし本当なら。
目の前の青年は、その途方もない時間を越えて弟へ会うために帰ってきたことになる。
「君はベル君を大切にしてるんだね」
「弟だからな」
「なら、ボクも一つ聞いていいかい?」
ヘスティアの表情が変わる。
「君はこれから、ベル君をどうするつもりだ?」
シンの目が僅かに細くなる。
「どうする、とは?」
「連れていくつもりなのかって聞いてるんだ」
ヘスティアはシンを真っ直ぐ見る。
「ベル君は君の弟だ。それは分かった。でも今のベル君には、ここで作った生活がある」
仲間がいる。
ファミリアがある。
帰る家もある。
そして、ヘスティア達と積み上げてきた時間がある。
「九年間離れていた兄が帰ってきたからって、それを全部捨てさせるつもりなら、ボクは反対する」
その言葉に、シンはしばらく黙った。
ヘスティアも視線を逸らさない。
やがて。
「何を言っている?」
シンが本気で分からないという顔をした。
「……え?」
今度はヘスティアが戸惑う。
「ベルは十四歳だろ」
「あ、ああ」
「自分で考えられる年齢だ。なら、俺が決めることじゃない」
あまりにも当然のように言われ、ヘスティアが目を瞬く。
「ベルがここにいたいなら、ここにいればいい」
「君は……一緒に暮らしたいとか思わないのかい?」
「思う」
即答だった。
「思うのかい!」
「当たり前だろ。ようやく再会したんだぞ」
「じゃあ!」
「だが、それとベルの意思は別だ」
シンの答えは変わらない。
「俺が十億年探したからといって、ベルに俺を優先する義務が生まれるわけじゃない」
ヘスティアが黙る。
「ベルにはベルが生きた九年がある」
自分がいなかった時間に、ベルは一人で成長した。
祖父を失い、オラリオへ来て、ヘスティアと出会い、仲間を得て、冒険者として歩んできた。
その全てがベル自身の人生だった。
「俺が取り戻したいからといって、その九年を否定するつもりはない」
ヘスティアはしばらくシンを見つめた後、僅かに肩の力を抜いた。
「そうか」
「ああ」
「なら安心した」
「ただし」
シンの声が僅かに低くなる。
ヘスティアの表情も再び引き締まった。
「何だい?」
「ベルが自分の意思でお前の眷属でいる限り、俺は何も言わない。ベルがお前を家族だと思っているなら、それも尊重する」
そこまでは問題ない。
「だが、神だからという理由でベルの意思を無視するなら話は別だ」
ヘスティアは黙って聞いている。
「権能を使ってベルを縛ったり、心を操ったり、神という立場を利用して服従を強制するような真似をするなら、その時はお前をベルの家族とは見ない」
そこで一度言葉を切り、シンはヘスティアを真っ直ぐ見据えた。
「ベルの敵として見る」
ヘスティアは数秒間、何も言わなかった。
シンから殺気が漏れたわけではない。
神龍魔気も魔力も放っていない。
それでも、目の前の青年が本当に神を恐れていないことだけは分かった。
神だから手を出せないという考えを持っていない。
必要なら本当に敵として扱う。
そう確信できるほど、その言葉には迷いがなかった。
「分かった」
ヘスティアは真っ直ぐに答えた。
「そんなことはしない」
「そうか」
「信じないのかい?」
「今すぐはな」
シンは隠さない。
「信用は時間をかけて判断する」
ヘスティアは少しだけ苦笑した。
「徹底してるね」
「そうしなければ死ぬ世界を何度も見てきた」
「……そうだったね」
ヘスティアは少し考えた後、右手を差し出した。
シンがその手を見る。
「何だ?」
「握手」
「何故?」
「ベル君を大切に思う者同士として」
シンはヘスティアを見る。
ヘスティアも少しだけ笑う。
「ボクはまだ君がどういう人なのか分からない。十億年生きて、異世界を巡ってきたなんて話も、正直まだ全部は理解できてないよ」
それでも。
「ベル君のお兄さんだということだけは分かった」
ベルの反応を見れば疑いようがない。
「だから、これから知ればいい」
シンはしばらく差し出された手を見つめた。
やがて、その手を握る。
「シン・クラネルだ」
ヘスティアが笑う。
「ヘスティアだよ」
「知っている」
「こういう時は改めて名乗るものなんだよ!」
「そうか」
「本当に君、ベル君とは性格が全然違うね……」
ヘスティアが呆れたように笑う。
シンも握手を解いた。
完全に信用したわけではない。
ヘスティアもまた、シンという人間を完全に理解したわけではない。
それでも。
互いにベルを大切にしているという一点だけは、疑う必要がなかった。