白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか 作:ディーノpc35
リューの病室を後にしたシンとベルは、ルノアから救助隊に参加していた者達の居場所を聞き、次の目的地へ向かうことになった。
その中でも、ベルが最初に名前を挙げた人物がいた。
「次は椿さんのところがいいと思う」
治療施設を出て大通りを歩きながらベルが言うと、シンは聞き覚えのない名前に僅かに眉を動かした。
「椿?」
「椿・コルブランドさんです。ヘファイストス・ファミリアの団長をしています」
「団長自ら救助に来たのか?」
「はい。僕達を探すために深層まで来てくれました」
「そうか」
それだけ聞けば、シンにとって会いに行く理由としては十分だった。
「場所は?」
「ヘファイストス・ファミリアの本拠地にいると思います」
「なら、そこへ行こう」
二人はそのまま進路を変え、ヘファイストス・ファミリアの本拠地へ向かった。
◇ ◇ ◇
ヘファイストス・ファミリア。
オラリオのみならず、世界的にも名を知られている鍛冶系ファミリアである。
所属する鍛冶師達が作り出す武器や防具は非常に高い評価を受けており、冒険者であれば一度はその武具を手にしたいと考えるほどだった。
その頂点に立つのが、鍛冶を司る女神ヘファイストスである。
シンもオラリオへ来る前に情報を集めた際、その名前は既に耳にしていた。
もっとも、シンにとって鍛冶神という存在自体は珍しいものではない。
異世界を巡る中で、鍛冶や武具の製造を司る神々とも何度か出会っている。共に武器を作った者もいれば、敵として戦った者もいた。
中には、自分が鍛えた武器こそ世界最高だと豪語する神もいたため、ヘファイストスが鍛冶神だと聞いても、それだけで特別な反応を示すことはなかった。
やがて二人は、ヘファイストス・ファミリアの本拠地へ到着した。
敷地へ足を踏み入れた時点で、周囲から絶え間なく金属を打つ音が聞こえてくる。
高温の炉から立ち上る熱気と、鉄や炭の独特な匂いが漂い、工房からは槌を振るう音や武器を研ぐ音が響いている。
その環境に入ったシンは、周囲の工房へ僅かに興味を向けた。
ベルがそれに気づく。
「兄さん、やっぱり鍛冶場が気になる?」
「多少はな」
「兄さんも武器を作るんだよね?」
「ああ」
「どのくらい作れるの?」
「必要なものなら大体は作れる」
あまりにも簡単な返答だった。
ベルはシンの腰に差されている刀と、背中に背負われた布包みの長剣へ視線を向ける。
どちらもシン自身が作った武器だとは聞いている。
しかし、その詳しい来歴や能力についてはまだ知らなかった。
本拠地へ入り、ベルが受付で事情を説明すると、幸いにも椿は中にいるという。
しばらく待った後、二人は奥へ案内された。
そこにいたのは、褐色の肌と長い黒髪を持ち、左目を眼帯で覆った長身の女性だった。
ヘファイストス・ファミリア団長、椿・コルブランド。
そして、その隣には赤い髪を持つ女性が立っていた。
右目を眼帯で覆った彼女こそ、このファミリアを率いる主神にして鍛冶神――ヘファイストスだった。
「椿さん」
ベルが声をかける。
椿が振り返り、ベルの姿を認めると豪快な笑みを浮かべた。
「おお、ベルじゃないか!」
「こんにちは」
「……って、お主」
椿の表情がすぐに変わる。
ベルへ近づき、身体を上から下まで確認した。
「もう動いてよいのか? 確か、まだしばらく治療施設で安静にしておらねばならんほどの怪我だったはずじゃろ?」
「それなんですけど……」
ベルが隣を見る。
そこで初めて、椿もシンへ意識を向けた。
「そちらは?」
「僕の兄です」
「兄?」
椿が目を瞬く。
「双子の兄のシン・クラネルです」
「……双子?」
また同じ反応だった。
オラリオへ入ってから何度も似た反応をされているため、シンも既に慣れ始めていた。
「シン・クラネルだ」
シンが短く名乗る。
椿はベルとシンを交互に見た。
「ベルに兄がおったとは初耳じゃな」
「九年前に生き別れているからな。俺がこの世界へ戻ってきたのは今日だ」
「今日?」
椿の顔にさらに疑問が浮かぶ。
「今日再会して、そのままここへ来たのか?」
「その前に何人か会っている」
「何のために?」
シンは椿を真っ直ぐ見る。
「ベルを助けてくれた奴らへ礼を言うためだ」
その言葉で、椿もシンが自分を訪ねてきた理由を理解した。
シンは椿へ向き直ると、深く頭を下げた。
「深層までベルを助けに来てくれたと聞いた。ありがとう」
椿は少し驚いたようにシンを見る。
「ベルが今こうして生きている。そのために力を貸してくれたことを、兄として感謝する」
数秒の沈黙の後、椿が豪快に笑った。
「はっはっはっ! なるほど! それでわざわざ訪ねてきたのか!」
「ああ」
「律儀な兄じゃな!」
椿は笑いながらシンの肩を叩こうとしたが、その手が途中で止まった。
何か具体的な理由があったわけではない。
シンから殺気を感じたわけでもなければ、威圧されているわけでもない。
それでも、第一級冒険者として長年戦ってきた椿の本能が、目の前の青年を普通の人間として扱うことを躊躇わせた。
どれほどの実力を持っているのか、まるで分からない。
それどころか、強いのか弱いのかという判断すらできなかった。
椿は結局、伸ばしかけた手を下ろした。
「じゃが、礼を言われるほどのことでもないぞ。わしらは必要だから行った。それだけじゃ」
「それでも、助けに行ったという事実は変わらない」
「なるほどのう」
椿は少しだけ笑みを深める。
「ベルとは随分性格が違うが、兄弟というのは本当らしい」
「最近そればかり言われる」
「じゃろうな!」
そんな二人のやり取りを、少し離れたところからヘファイストスも笑いながら見ていた。
しかし、しばらくすると彼女の意識はシン本人ではなく、彼が身につけている二つの武器へ向けられていた。
一つは腰に差された刀。
もう一つは背中に背負われ、布で厳重に包まれている長剣。
最初は単に見慣れない武器だと思っただけだった。
だが、鍛冶神として長い年月を武器と向き合ってきたヘファイストスの感覚が、次第に強い違和感を訴え始める。
何かがおかしい。
それが何なのかは、まだ分からない。
鞘に収まった刀身を見ることはできず、背中の長剣も布に覆われている。
それにもかかわらず、どうしても目を離せなかった。
「…………」
ヘファイストスの表情から徐々に笑みが消えていく。
最初はシンの腰にある刀を見ていたが、やがて視線が背中の長剣へ移る。
どちらからも神気や魔力が溢れているわけではない。
むしろ異常なほど静かだった。
それなのに、鍛冶神としての感覚が強く刺激される。
「ヘファイストス様?」
椿が主神の様子に気づいた。
返事はない。
ヘファイストスは二つの武器を見比べ続けていた。
その視線にシンも気づく。
「何だ?」
声をかけられ、ヘファイストスが我に返った。
「……ごめんなさい」
「さっきから俺の武器を見ているが、何かあるのか?」
「ええ」
ヘファイストスは否定しなかった。
むしろシンへ一歩近づく。
「あなた、鍛冶師なの?」
「鍛冶もする」
「その刀は自分で作ったの?」
ヘファイストスの視線が腰の刀へ向く。
「ああ」
今度は背中の長剣を見る。
「そちらの剣も?」
「ああ」
即答だった。
ヘファイストスの目つきが明らかに変わった。
椿も興味を示す。
「ほう。お主、鍛冶師でもあるのか」
「必要だったから覚えた」
「必要だったから、とな。随分簡単に言うのう」
椿が楽しそうに笑う。
だが、シンにとっては本当にそれだけの理由だった。
異世界を巡り続けるうちに、シン自身の力は際限なく増していった。
それに伴い、普通の武器ではシンの力に耐えられなくなった。
魔力や真気を込めれば刀身が砕け、強大な敵と打ち合えば武器そのものが壊れる。
どれほど優れた武器を手に入れても、やがて自分の力へついてこられなくなる。
ならば、自分で作るしかない。
最初はただそれだけだった。
様々な世界で鍛冶を学び、数多の職人から技術を吸収した。時には人間以外の種族が持つ製法を学び、鍛冶を司る神々から知識や技術を得たこともある。
それらを数え切れないほど長い年月をかけて磨き続け、自分自身の技術として昇華した。
その果てに生み出した武器の一つが、腰にある絶劫刀。
そしてもう一つが、背中にある滅劫剣だった。
ヘファイストスが二振りを見つめたまま尋ねる。
「見せてもらってもいい?」
シンの表情が僅かに変わる。
「どちらを?」
「できれば両方とも見たいわ」
ヘファイストスの視線は真剣だった。
「もちろん、嫌なら無理にとは言わない。自分で鍛えた武器なら、他人に触れさせたくない鍛冶師がいることも理解しているわ」
鍛冶師にとって、自ら作り上げた武器は特別なものだ。
まして自分自身が使うために鍛えた武器であれば、その扱いに慎重になるのも当然だった。
ヘファイストス自身も鍛冶師だからこそ、それは十分に理解している。
「でも、気になるのよ」
ヘファイストスは素直に言った。
ベルが不思議そうに尋ねる。
「鞘と布越しなのにですか?」
「ええ。自分でも理由を説明するのは難しいけれど、鍛冶神としてどうしても見過ごせないものを感じるの」
椿もその言葉を聞いて、改めてシンの武器へ視線を向けた。
「そこまでですか?」
「ええ」
ヘファイストスが他人の武器へこれほど強い興味を示す姿を、椿も滅多に見たことがない。
ヘファイストスはシンの腰に差された刀を見る。
外から確認できるのは柄や鍔、鞘だけだったが、それだけでも異様なほど精密に作られていることが分かる。
無駄な装飾で価値を誇示しているわけではない。
実戦で使うことだけを考え抜き、それでいて鍛冶師として妥協した痕跡が一切ない。
続いて背中の長剣を見る。
こちらは布で覆われているため、外見すらほとんど確認できない。
それでも見たいと思った。
一人の鍛冶師として、どうしても中身を確認したかった。
「少しでいいわ。あなたが作ったその二振りを、見せてもらえないかしら?」
シンはすぐには答えなかった。
腰にある絶劫刀へ意識を向ける。
神の骨と龍の角、牙を材料として作り上げた刀。
その力は単純に物質を斬るだけのものではない。
斬った相手の存在へ深く干渉し、因果や魂、さらには輪廻にまで刃を届かせる。
そのため、通常ならば致命傷から再生できる存在であろうと、肉体を失って蘇生できる存在であろうと、この刀で完全に斬られれば意味を成さない。
続いて背中の滅劫剣へ意識を向ける。
こちらは神々を喰らい続けた龍の牙と血肉を主な材料として鍛えた剣であり、完成後も数多の神々や龍との戦いを経て、その血を浴び続けたことでさらに変質している。
その本質は、あらゆる存在へ終焉をもたらすことにある。
どちらも、気軽に鞘から抜いて他人へ見せるような武器ではなかった。
「……見るだけなら構わない」
シンが答える。
ヘファイストスの表情が明るくなる。
「本当?」
「ああ。ただし条件がある」
「条件?」
「ここでは抜かない」
ヘファイストスが周囲を見る。
今いるのはヘファイストス・ファミリアの工房の一室であり、近くには他の鍛冶師達もいる。
「危険なの?」
「危険だから言っている」
シンは平然と答えた。
椿の片眉が上がる。
「鞘から抜くだけで危険な武器なのか?」
「俺が制御している限り、勝手に周囲を斬るようなことはない。ただ、武器そのものが持つ性質まで完全に消せるわけではない」
その返答に、椿の表情から笑みが薄れる。
逆に、ヘファイストスの興味はさらに強くなった。
「どういう武器なの?」
「見ればある程度は分かるだろ」
「私なら分かると思っているの?」
「鍛冶神なんだろ?」
その一言で、ヘファイストスの鍛冶師としての矜持が刺激された。
「いいわ」
ヘファイストスの口元に笑みが浮かぶ。
「そこまで言うなら、見せてもらおうじゃない」
椿も楽しそうに笑う。
「面白くなってきたのう」
一方、ベルだけは少し不安そうだった。
「兄さん、本当に大丈夫なの?」
「ああ」
「その刀と剣って、そんなに危ないの?」
ベルは今まで何度もシンが二つの武器を身につけているところを見ている。
しかし、実際に抜いたところはまだ見ていない。
「使い方次第だ」
「どのくらい?」
シンは少し考えた後、まず腰にある刀へ手を添えた。
「絶劫刀は、物質だけを斬る刀じゃない。必要なら相手の因果や魂、輪廻まで断ち切れる」
ベルの表情が固まった。
椿も先ほどまで浮かべていた笑みを消す。
ヘファイストスの目も僅かに見開かれた。
「……今、何て?」
「絶劫刀が持つ性質の話だ」
シンは腰の刀へ軽く触れながら説明を続ける。
「再生や蘇生、不死といった能力を持つ存在を確実に斬る必要があったから、それらを無視して存在そのものへ刃を届かせられるように作った」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
この世界にも特殊な力を宿した武器は存在する。
魔剣や呪具、神秘を宿した武器など、ヘファイストス自身も数え切れないほど見てきた。
しかし、肉体を斬るだけではなく、魂や因果、輪廻そのものにまで干渉する武器など聞いたことがない。
椿はしばらく絶劫刀を見つめた後、恐る恐るシンの背中へ視線を向けた。
「では、そちらの長剣はどのような武器なのじゃ?」
「滅劫剣だ」
シンは短く答える。
「絶劫刀が断つことを本質としているのに対して、こっちは滅ぼすことを本質としている」
「滅ぼす?」
「ああ。俺がそう望んで振るえば、斬った対象へ終焉を与える」
椿の表情が僅かに引きつる。
「何を滅ぼすための剣なのじゃ?」
シンは少し考えたものの、特に隠す必要もないと判断した。
「相手が何者かは関係ない。人間でも、魔物でも、龍でも、神でも、それ以外でも同じだ。存在しているなら滅ぼす対象にできる」
室内が静まり返った。
ベルは頭を抱えそうな表情になる。
「兄さん……」
「何だ?」
「僕、聞かない方がよかった気がしてきた……」
「聞いたのはお前だろ」
「そうだけど!」
ベルの反応とは対照的に、ヘファイストスの表情は完全に鍛冶師のものへ変わっていた。
危険な武器であることは理解した。
常識外れであることも分かる。
シンの説明だけを聞けば、到底信じられるような代物ではない。
それでも鍛冶師としては、だからこそ見てみたかった。
一体どのような素材を使ったのか。
どうやって加工したのか。
どのような方法で鍛え、武器として形を与えたのか。
そして何より、どうすれば因果や魂、存在そのものへ干渉する性質を武器へ定着させることができるのか。
疑問が次々と湧き上がってくる。
「場所を変えましょう」
ヘファイストスが即座に言った。
椿が主神を見る。
「ヘファイストス様?」
「ここでは抜けないんでしょう?」
「ああ」
シンが答える。
「なら、抜いても問題のない場所へ行けばいい」
その答えには一切の迷いがなかった。
シンが僅かに眉を上げる。
「そこまで見たいのか?」
「当たり前でしょう」
ヘファイストスは即答した。
「私は鍛冶神よ。未知の武器を目の前にして、しかもそれを作った鍛冶師本人がここにいるのよ。それを見ずに帰すなんてできるわけがないでしょう?」
椿が豪快に笑う。
「はっはっはっ! これは完全に火がついたのう!」
ベルは苦笑するしかない。
一方、シンはほんの僅かにヘファイストスを見る目を変えていた。
神だからではない。
一人の鍛冶師としてだった。
ヘファイストスからは、武器を奪おうとする欲も、自分こそ鍛冶神なのだから優れていると誇示する傲慢さも感じられない。
そこにあるのは、自分が知らない技術を見たい、知りたい、理解したいという純粋な探究心だった。
長い年月を鍛冶へ費やしてきたシンだからこそ、その感情は理解できる。
未知の素材。
未知の製法。
未知の技術。
鍛冶師にとって、それらを目の前にして興味を抱くのは当然のことだった。
「分かった」
シンは頷く。
「場所を用意してくれ」
ヘファイストスの口元に満足そうな笑みが浮かぶ。
「任せなさい」
こうして、ベルを救助してくれた椿へ礼を伝えるだけだったはずの訪問は、思いがけない方向へ進み始めた。
一方にいるのは、この世界で鍛冶を司る女神ヘファイストス。
もう一方にいるのは、数多の異世界を巡り、人間や異種族だけでなく神々の鍛冶技術まで学び、それらを途方もない年月をかけて自らの技術へ昇華したシン・クラネル。
二人の鍛冶師が、互いの知る鍛冶の常識へ初めて触れようとして