白兎の兄が規格外なのは間違っているだろうか   作:ディーノpc35

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第9話 輪廻を断つ刀

滅劫剣の観察を終えると、シンはゆっくりと剣身を鞘へ戻した。

 

最後まで慎重に見ていたヘファイストスは、完全に鞘へ収まったのを確認してから小さく息を吐く。

 

「……すごいわね」

 

その言葉には、鍛冶神としての驚きと、純粋な鍛冶師としての興奮が混じっていた。

 

椿も腕を組みながら頷く。

 

「わしも長く鍛冶をやってきたつもりじゃが、あれはまったく分からん。見れば見るほど分からなくなる剣など初めてじゃ」

 

ベルは二人とは少し違う意味で疲れた顔をしていた。

 

「僕はもう、あんまり見たくないかも……」

 

「さっき魅入られたからな」

 

シンが当然のように返す。

 

「兄さん、他人事みたいに言わないでよ」

 

「止めただろ」

 

「そういう問題じゃないよ……」

 

ベルが肩を落とす。

 

だが。

 

ヘファイストスの視線は、既に別の場所へ向いていた。

 

シンの腰。

 

そこに差されている一振りの刀。

 

滅劫剣とは違い、こちらは最初から布などで覆われていない。

 

しかし。

 

鞘に収まった状態でも、やはり異様な存在感があった。

 

「……次は、その刀ね」

 

ヘファイストスの声が変わる。

 

椿もそちらへ視線を移した。

 

「絶劫刀、と言ったか?」

 

「ああ」

 

シンは滅劫剣を背中へ戻すと、今度は腰の刀へ手を添えた。

 

ベルの表情が僅かに強張る。

 

「兄さん」

 

「何だ?」

 

「これも見たら変なことになる?」

 

「滅劫剣とは違う」

 

「安全ってこと?」

 

「そこまでは言っていない」

 

ベルがすぐに一歩下がった。

 

「やっぱり危ないんじゃん!」

 

椿が豪快に笑う。

 

「はっはっはっ! 学習したのう、ベル!」

 

「笑い事じゃないですよ!」

 

ヘファイストスも苦笑しながら、シンへ尋ねる。

 

「滅劫剣とは違う危険性があるの?」

 

「ああ」

 

シンは絶劫刀の柄へ手をかけた。

 

「こっちは見るだけで意識を引き込まれることはほとんどない」

 

「ほとんど?」

 

「普通に見ている分には問題ない」

 

「その言い方、嫌な予感しかしないわね」

 

シンは気にせず続ける。

 

「ただし、刃へ不用意に触るな。こいつは滅劫剣より性質が直接的だ」

 

椿が眉を上げる。

 

「先ほど聞いた、因果や魂を断つという話か?」

 

「ああ」

 

「それは本当に比喩ではないのじゃな?」

 

「比喩で言う意味がない」

 

椿が黙る。

 

ヘファイストスはむしろ真剣な表情になった。

 

「分かったわ。触らない」

 

「なら抜く」

 

シンは絶劫刀を鞘からゆっくりと引き抜いた。

 

最初に見えた刀身は、滅劫剣とはまったく違う印象を与えた。

 

滅劫剣が見る者へ終わりそのものを感じさせる剣だったとするならば。

 

絶劫刀は。

 

あまりにも静かだった。

 

「…………」

 

ヘファイストスの瞳が僅かに見開かれる。

 

刀身は細身で、長さも滅劫剣より短い。

 

無駄な装飾はほとんどなく、全体としては極めて洗練された造りをしている。

 

だが。

 

それ以上に異常だったのは、刃から何も感じられないことだった。

 

魔力もない。

 

神気もない。

 

呪いの気配もない。

 

強大な力を秘めた武器なら、本来は何かしらの気配が漏れてもおかしくない。

 

しかし。

 

絶劫刀には、それがない。

 

「……何も感じない?」

 

ベルが思わず呟いた。

 

「そうだな」

 

椿も同意する。

 

「いや、違う」

 

ヘファイストスが静かに言った。

 

二人が彼女を見る。

 

ヘファイストスは絶劫刀から目を離さない。

 

「何もないんじゃない」

 

声が僅かに低くなる。

 

「何かを感じ取ろうとした瞬間に……そこで切れてる」

 

椿の表情が変わった。

 

「切れている?」

 

「ええ」

 

ヘファイストスは鍛冶神として感覚を研ぎ澄ます。

 

刀身。

 

そこへ流れる力。

 

素材。

 

鍛造の痕跡。

 

構造。

 

見ようとする。

 

しかし。

 

普通ならば何らかの繋がりを辿れるはずの感覚が、途中で途切れてしまう。

 

まるで。

 

刀そのものが。

 

世界との繋がりを拒絶しているようだった。

 

「……何なの、これ」

 

ヘファイストスの声には、滅劫剣を見た時とは別種の驚きがあった。

 

シンは絶劫刀を横へ向ける。

 

「絶劫刀だ」

 

「名前は聞いたわよ」

 

「なら答えはそれだ」

 

「説明になってないわ」

 

ベルが横から小さく笑う。

 

「兄さん、いつもこうなんです」

 

「ベル」

 

「何?」

 

「余計なことを言うな」

 

「本当のことだよ」

 

椿が楽しそうに笑う。

 

「なるほど。兄弟らしくなってきたのう」

 

シンは一度だけベルを見てから、絶劫刀へ視線を戻した。

 

「こいつは、切断そのものを極めるために作った」

 

ヘファイストスが眉を寄せる。

 

「切断?」

 

「ああ」

 

「ただ斬れ味がいいという意味ではないのね?」

 

「違う」

 

シンは絶劫刀を僅かに持ち上げる。

 

「普通の刀は物質を斬る」

 

「ええ」

 

「高位の武器なら魔力や結界、場合によっては魂へ干渉できるものもあるだろ」

 

ヘファイストスが頷く。

 

「あるわ」

 

「絶劫刀は、その先へ届かせるために作った」

 

「先?」

 

シンは淡々と答えた。

 

「対象を存在させている繋がりそのものだ」

 

室内が静かになる。

 

ベルにはすぐ意味が分からなかった。

 

だが。

 

ヘファイストスと椿は違った。

 

「繋がり……」

 

ヘファイストスが呟く。

 

「因果か?」

 

椿が尋ねる。

 

「ああ」

 

シンは頷く。

 

「肉体と魂を繋ぐもの。魂と輪廻を繋ぐもの。再生する前の状態と現在を繋ぐ因果。不死を成立させている法則。それらを刃が捉えられるように作った」

 

ベルの表情が徐々に引きつる。

 

「兄さん」

 

「何だ?」

 

「前に聞いた時より説明が怖いんだけど」

 

「詳しく説明しろと言われたからな」

 

「詳しくしなくてよかったかも……」

 

ヘファイストスはベルの反応とは対照的に、完全に絶劫刀へ意識を向けていた。

 

「だから、再生や蘇生ができなくなるのね」

 

「ああ」

 

「傷口が治らないからではない?」

 

「違う」

 

シンは首を振る。

 

「傷そのものは治せる場合もある」

 

「え?」

 

ヘファイストスが反応する。

 

「でも、あなたは再生も蘇生も不死も通用しないって」

 

「斬り方による」

 

「……斬り方?」

 

「ただ肉体だけを斬るなら普通の傷として扱える」

 

「普通?」

 

ベルが小さく聞き返すが、誰もそちらを見ない。

 

「だが、俺が絶劫刀の本質を使えば、傷ではなく繋がりを斬る」

 

シンの声は変わらない。

 

「腕を斬るなら、腕と本体を繋いでいた因果まで断てる」

 

ヘファイストスの目が細くなる。

 

「再生能力で新しい腕を作ろうとしても?」

 

「元に戻るという結果へ繋がる因果を先に断てば戻らない」

 

「蘇生は?」

 

「魂と生を繋ぐものを断てばいい」

 

「輪廻転生は?」

 

「輪廻へ戻る道を断つ」

 

ヘファイストスが完全に黙った。

 

椿も笑っていなかった。

 

ベルだけが一人、どんどん顔色を悪くしていく。

 

「……兄さん」

 

「何だ?」

 

「本当に何と戦ってたの?」

 

その質問に。

 

シンは少しだけ考える。

 

「死んでも死なない奴が多かった」

 

「答えになってないよ!」

 

「事実だ」

 

「その事実が一番怖いんだよ!」

 

ベルの声が隔離区画に響く。

 

椿が肩を震わせながら笑いを堪える。

 

「ベルよ。お主、今後兄に過去を聞く時は覚悟した方がよさそうじゃな」

 

「僕もそう思います……」

 

ヘファイストスはそんな二人を無視し、絶劫刀の刀身をさらに注意深く観察する。

 

滅劫剣とは違う。

 

こちらは圧倒的な存在感を押しつけてこない。

 

見る者の意識を奪うこともない。

 

むしろ正反対だ。

 

静かすぎる。

 

異常なほど。

 

鍛冶神として力の流れを見ようとしても、刃の表面で感覚が途切れてしまう。

 

「素材は?」

 

ヘファイストスが尋ねる。

 

「神の骨と龍の角、牙が主だ」

 

「神の骨……」

 

椿が反応する。

 

「本当に神を素材へ使ったのか?」

 

「ああ」

 

「どうやって手に入れた?」

 

「殺した奴から取った」

 

あまりにも普通に答えられ。

 

ベルが両手で顔を覆った。

 

「兄さん……」

 

「何だ?」

 

「もう少し言い方……」

 

「倒した神から回収した」

 

「意味同じだよ!」

 

椿が今度こそ大笑いする。

 

ヘファイストスは笑えなかった。

 

神の骨。

 

自分と同じ神という種族の骨を、目の前の青年は素材として扱った。

 

本来ならば不快感を抱いてもおかしくない。

 

だが。

 

異世界の神。

 

しかもシンが敵として討った存在だという。

 

それ以上に。

 

鍛冶神として気になることがあった。

 

「神の骨なんて、そのまま鍛えられるものじゃないわ」

 

「ああ」

 

シンも頷く。

 

「だから加工した」

 

「どうやって?」

 

「神性を一度分解して、素材として安定する形へ組み直した」

 

「…………」

 

ヘファイストスの表情が止まった。

 

「今、何を分解したって?」

 

「神性」

 

「それを鍛冶の工程で?」

 

「鍛冶だけじゃない。錬金術、魔法、陣法、真気操作を併用した」

 

ヘファイストスが額へ手を当てる。

 

「鍛冶の話をしているのに、知らない分野がどんどん増えるんだけど……」

 

「武器が完成すれば方法は何でもいいだろ」

 

「鍛冶師としてはその発想、ものすごく理解できるのが腹立つわね」

 

椿が笑いながら頷く。

 

「使えるものは何でも使う。わしも嫌いではないぞ」

 

シンは絶劫刀を少し回転させ、光の角度を変える。

 

それを見た椿が、今度は刀身の表面へ目を凝らした。

 

「……刃文が見えん」

 

「必要ないから作っていない」

 

「いや、そういう意味ではなくてじゃな」

 

椿が身を乗り出しかけ。

 

途中で止まる。

 

先ほどの滅劫剣の件を思い出したのだろう。

 

今度は一定の距離を保ったまま観察する。

 

「これは本当に一枚の金属なのか?」

 

「違う」

 

ヘファイストスがすぐに反応する。

 

「違うの?」

 

「ああ」

 

「じゃあ複合素材?」

 

「それとも違う」

 

「……どういうこと?」

 

シンは少し考える。

 

「説明するなら、複数の素材を一度同じ根源状態まで崩してから、一つの素材として再構築した」

 

ヘファイストスが黙る。

 

椿も黙る。

 

ベルだけは最初から理解を諦めた顔をしていた。

 

「つまり」

 

ヘファイストスが慎重に確認する。

 

「神の骨と龍の角と牙を、それぞれ別々の素材として鍛接したんじゃなくて……」

 

「ああ」

 

「素材そのものの境界を消した?」

 

「そうだ」

 

「そんなこと可能なの?」

 

「できたからこれがある」

 

「それを言われると何も言えないわね……」

 

ヘファイストスは絶劫刀を見ながら、悔しそうに口元を歪める。

 

それでも。

 

楽しそうだった。

 

自分の知らない鍛冶。

 

自分が考えたこともない製法。

 

それを目の前で実際に形にした人物がいる。

 

鍛冶神として、これほど刺激的なことはなかった。

 

「触ってもいい?」

 

ヘファイストスが尋ねる。

 

ベルと椿の視線が一斉にシンへ向く。

 

シンは少し考えた。

 

「柄だけならいい」

 

「刃は?」

 

「触るな」

 

「分かった」

 

今度のヘファイストスは即座に従った。

 

シンは絶劫刀を自分の側へ向けたまま、柄の部分だけをヘファイストスへ差し出す。

 

「持っても?」

 

「俺が刀身の力を抑える」

 

「お願いするわ」

 

ヘファイストスが慎重に手を伸ばす。

 

まず片手で柄へ触れる。

 

異変はない。

 

それを確認してから、ゆっくりと握った。

 

「……重い」

 

見た目から想像していたよりも明らかに重量がある。

 

だが。

 

不自然な重さではない。

 

鍛冶師として見れば、むしろ奇妙なほど手へ馴染む。

 

「重心が……」

 

ヘファイストスが目を見開く。

 

「動いてる?」

 

椿が驚く。

 

「何?」

 

「違う」

 

ヘファイストスは絶劫刀を軽く動かしてみる。

 

もちろん刃には触れず、シンも柄から手を離していない。

 

「私が持とうとする角度に合わせて、重心が最適な位置へ移ってる」

 

椿が眉を寄せる。

 

「そんなことがあるのか?」

 

「普通はないわ」

 

ヘファイストスは何度か角度を変える。

 

縦。

 

横。

 

斜め。

 

そのたびに絶劫刀の感覚が変化する。

 

「これ、使い手に合わせてるの?」

 

「ああ」

 

シンが答える。

 

「完全な所有者は俺だから、今はかなり制限しているがな」

 

「完全なら?」

 

「持った瞬間に体格や筋力、真気の流れに合わせて最適化する」

 

「魔力じゃなくて?」

 

「俺が使う武器だから真気基準だ」

 

ヘファイストスは絶劫刀をシンへ返した。

 

「……駄目ね」

 

「何が?」

 

「見れば見るほど欲しくなる」

 

ベルが驚く。

 

「ヘファイストス様でも?」

 

「鍛冶師としてよ」

 

ヘファイストスは即座に付け加えた。

 

「自分の武器にしたいんじゃない。分解して調べたい」

 

「駄目だ」

 

シンが即答する。

 

「分かってるわよ!」

 

椿が大笑いした。

 

「はっはっはっ! ヘファイストス様がここまで子供のようになるのも珍しいのう!」

 

「椿、うるさい」

 

そう言いながらも。

 

ヘファイストスの視線は絶劫刀から離れない。

 

滅劫剣は、見ただけで理解を拒絶するような圧倒的な異物だった。

 

だが。

 

絶劫刀は違う。

 

静かで。

 

精密で。

 

一見すれば滅劫剣より理解できそうに思える。

 

だからこそ。

 

余計に恐ろしい。

 

見れば見るほど。

 

自分の知識へ当てはめようとするほど。

 

どこかで必ず理屈が断ち切られる。

 

まるで。

 

刀そのものが。

 

理解へ至る道すら切っているようだった。

 

「……ねえ、シン」

 

ヘファイストスが静かに呼ぶ。

 

「何だ?」

 

「あなた、自分の鍛冶技術がどれくらい異常か分かってる?」

 

シンは少し考えた。

 

「異世界では俺より上もいた」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「今も?」

 

「さあな。途中で追い越した奴も多い」

 

「…………」

 

ヘファイストスは頭を抱えた。

 

ベルが苦笑する。

 

「兄さん、多分この世界の基準で聞いてるんだと思うよ」

 

「この世界の鍛冶師をほとんど見ていないから分からない」

 

シンは正直に答える。

 

「ただ」

 

絶劫刀を見た後。

 

ヘファイストスへ視線を向ける。

 

「お前の目は悪くない」

 

「……え?」

 

「滅劫剣も絶劫刀も、見ただけでかなり本質へ近づいている」

 

シンにとっては、相応に高い評価だった。

 

「この世界の鍛冶神という肩書きが飾りではないことは分かった」

 

ヘファイストスがしばらく固まる。

 

椿も少し驚いたようにシンを見る。

 

これまでのシンの言動を見れば分かる。

 

神だから持ち上げるような男ではない。

 

むしろ神というだけなら警戒する側だ。

 

そのシンが。

 

鍛冶師として。

 

ヘファイストスを評価した。

 

「……そう」

 

ヘファイストスの口元が僅かに緩む。

 

「それ、褒めてるのよね?」

 

「ああ」

 

「なら、ありがたく受け取っておくわ」

 

シンは絶劫刀を鞘へ戻した。

 

刀身が完全に収まった瞬間。

 

ヘファイストスはようやく肩の力を抜く。

 

滅劫剣。

 

絶劫刀。

 

二つとも。

 

自分がこれまで知っていた神造武器や魔剣とはまるで違う。

 

そして。

 

何より興味深いのは。

 

その二振りを作った鍛冶師本人が目の前にいるということだった。

 

ヘファイストスはシンを見る。

 

その瞳には。

 

先ほどまでより明らかに強い興味が宿っていた。

 

武器だけではない。

 

それを生み出した技術。

 

シン・クラネルが約十億年という時間の中で積み上げてきた鍛冶そのものを。

 

もっと知りたいと思っていた。

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