――ごめんなさい、頑張ったけれどもう限界なの。
――あなた達の期待に応えられなくて、ごめんなさい。
「……最近、多いわね」
目が覚める。十分な睡眠時間は取れていることから、身体的な疲れや疲労はない。
だが、気分は最悪そのものだった。
ミレニアム自治区にあるセミナー管理下のマンションの一室。寝間着姿で身をベッドから起こせば、カーテンの隙間からは陽の光が漏れており、徐々に騒がしくなっていくだろう街の日常の音が聞こえてくる。
少女の名は、空崎ヒナ。元、ゲヘナ学園所属にして風紀委員会の委員長を務めていた存在であり。今は全く別の場所で日常を送っている。といっても、彼女の現在の立場は以前と似たように重責があり重要な立場ではあるのだが。
ミレニアムにおける治安維持、そして法と秩序を担うセミナー直下の執行機関。『治安維持局』。その局長、それが現在の彼女の立場であった。
とはいうものの、ヒナとしても驚いて最初は暫く戸惑うほどに業務の環境は激変していた。治安維持局の部下はちゃんと報連相を徹底しており業務中は規律にも厳しくしているし、彼女が少し。といっても、傍から見れば少しではないのだが、ヒナ的に言えば『頑張ろう』としてみたらすぐさまそれを見た部下からセミナーへと連絡が行き、現在は後輩であるユウカやノアに『ヒナ先輩、ちょっとお時間よろしいですか?』と業務を強制的に中断させられて連行され、お説教されたり。
休みと定められた日に時間が出来たので業務をしようと治安維持局本部へと向かおうとすれば、私服姿で本部に現れたヒナを見た部下からこれまたセミナーへと連絡が行き、時にはネルが現れて『休みの日は休むんだよ!やることがない?……あー、ならあれだ。私とゲーセン行こうぜ!』などと言って連行されたり。
とにかく挙げ出すとキリがないが、かつての風紀委員長という立場からは考えられないほどに業務環境は激変していた。しかも休みや休息は徹底されており、緊急事態を除いてその休みで業務をしようとすれば怖い後輩や友人からいい笑顔で怒られるのである。
更には、技術が発達しているミレニアムらしいといえばらしいのだが。最先端の技術や、それを運用することに長けているミレニアムの生徒によって日々の業務は効率化されている。設備や装備についても同様で、最新鋭のものが揃っている。ヒナがミレニアムに来た当初、彼女のスペックが高すぎるせいで大抵の戦闘用装備ではついていけず、『ならついていける装備を作ればいいんじゃない?』というエンジニア部のとある少女の発言が発端となり、ちょっとしたお祭り騒ぎになったこともあった。
その結果というか、産物として生み出されたのが現在の彼女の愛車とも言うべき、漆黒の可変式大型戦闘ビークル『フェルニル』だった。ベースとなったビークルは自称超天才清楚系病弱美少女ハッカーの少女が設計し、コスト度外視で現在のミレニアムの技術がこれでもかと言うほどに詰め込まれ、更には並大抵の攻撃では傷すらもつかない特殊な装甲にホバー機能を搭載。戦闘時には必要に応じて変形して人形オートマタ形態となり戦闘を支援する。
そうして本人と開発に関わった数名しか知らないことだが、このビークルのコアにはミレニアムの廃墟で見つかった遺物が使用され。持ち主を支援するためのAIが搭載されている。ヒナ本人としては、最先端技術には疎いがあまりにもAIらしくないような話し方なので本当にAIなのか疑問ではあるのだが。
ともあれ。現在の彼女の私生活や業務は極めて安定していると言ってよかった。だが、時たま見るのだ。あまり思い出したくはない、自分で決別を決めたことではあるが、決していい思い出ではない記憶を。
夢を見る。限界が来て、身体的にも精神的にも壊れる一歩手前という状態になって心が折れたあの時のことを。そうして、自らが口にした、決別と謝罪の言葉を。最近はよくその夢を見るのだ。自分で決めたことで、後悔などないはずなのに。
振り返れば、間違いなくあのまま無理をしていれば自分は壊れていたと思うのだ。限界一歩手前、だが自分ではもう止まれない状態。そんな時に、分岐点とでも言うべきものが訪れた。
ゲヘナ自治区に逃げ込んだ、ミレニアムからのある特殊な犯罪者集団。その制圧と捕縛のために正規の手続きでゲヘナへと訪れた、C&C。その中に、重要作戦ということもあってか美甘ネルの姿もあった。
ミレニアムにおける最高戦力と、ゲヘナにおける最高戦力。その二人が動員されるほどにそれは大きな作戦だった。そこで出会った、自分と同じような立場なのに活き活きとしており迷いのない立ち振舞を見せるネルを見て最初ヒナはこう思った。
――どうして、自分と同じような立場なのにこんなに違うのだろう
と。
作戦期間は数週間。その間、ヒナはC&Cと行動を共にした。その中でC&Cのメンバーたちの生徒としてのあり方や、ネルのリーダーとしての立ち振舞いを見て。交流の中で自分の本音をこぼしてしまったことがあった。それを真剣に聞いたネルは、ヒナへとある言葉を返したのだ。
それが分岐点。作戦の後、ヒナは考えに考え抜いて。そして、決断を下したのだ。
「私が決めたことなのにね……起きて準備しましょう」
溜息の後、切り替えるようにして身を起こして朝の支度を始める。
今の自分は、もうゲヘナの風紀委員長ではないのだ。選んだのが、今の立場と生活なのだ。
その選択に後悔はない。だからこそ、今日も今の日常を始めよう。
◆ ◆ ◆
「おはようございます、ヒナ局長!」
「おはようございます局長、先日の事件報告書をデータで提出しておきましたので、お手すきの時に確認をお願いします」
「みんなおはよう、報告書はわかったわ。目を通しておく」
朝の寝間着姿から一転。黒のブーツにデニムショートパンツ、そして同じ色のミレニアムの制服のジャケットと白のシャツを纏い、完全にミレニアムの生徒として。そして治安維持局の局長としてのモードになっているヒナは、いつも通りの時間に治安維持局へと出動すれば早番の生徒達から挨拶や報告を受ける。
早番の生徒達と暫く話してから局長室に入ろうとして扉へと手をかけた時だ。ふと、ポケットの中に振動するものがあった。黒のメインカラーに紫のラインカラー。普通のスマートホンより一回りほど大きく、分厚い軍事作戦用の端末。最近は業務でもプライベートでも持ち歩いている、エンジニア部謹製のそれが振動した。
「……ユウカから?おかしいわね、最近は怒られるようなことは何も」
ふと考えて、もしかするとと思うことが幾つか浮かび上がるが考えないことにした。あれは無理の範疇ではないしユウカ達にバレているとも限らない、と内心で冷や汗をかきながら。キヴォトスにおいて最強クラスの存在の一人ではある彼女にも怖いものは存在する。そのうちの筆頭の一つが、冷酷な算術使いや記憶力の高い後輩である。
「――もしもし。おはよう、ユウカ。どうしたの?」
『おはようございますヒナ先輩。ちょっとお時間よろしいですか?』
「……っ。え、ええ大丈夫だけれど」
『時間外業務の件でお話が』
「ごめんなさい、でも聞いてユウカ。あれには深い訳が」
『……はぁ。あまり無理はしないでくださいよ。先輩は実働が多くて結構激務なんですから』
「善処するわ……」
『それ、またやる人の言葉ですからね。本当にもう……。さておき、ちょっとお話したいことがあって』
電話先のユウカの声のトーンが呆れ声のお説教モードから真面目なものへと切り替わる。どうやら、何かあったようだ。
「何かあった?」
『あ、問題というわけではないんです。ちょっとアポ取りの電話があったというか、なんというか』
はて、とヒナは思う。アポを取ってまでということは、恐らくミレニアムではない外部からのものだろう。心当たりがなくはないが、ゲヘナからのものについては自分が全て拒否しているしそう対応するようにとセミナー、ユウカ達にも頼んである。
とすれば、別方面だが心当たりがあまりない。今の局長という立場になってから、確かに連邦生徒会や他自治区。ゲヘナの頃からはあまり考えられなかったが、トリニティなどとも会談の機会はある。しかし、最近の案件でいきなりのアポを取ってまでというものが思い浮かばない。
「ごめんなさい、思い当たる節がないのだけど……一体何処から?」
まったくわからない。そう結論づけたヒナがユウカへと一体誰からか、と聞いてみれば。
『存在自体は先輩もご存知だと思いますが、連邦捜査部。シャーレの先生からアポ取りの電話がありまして……一度、挨拶をしたいと』
■高機動型可変戦闘二輪ビークル『フェルニル』
フル武装した重装甲型ホバー可能な大型二輪ビークル。設計はヒマリ、武装と装甲開発はエンジニア部、コア部分の開発にはヒマリとリオが関わったヒナのワンオフ機。重装甲に加えての重武装、更にはデストロイヤーをマウントする武装ラックを備えミレニアムの最新技術をこれでもと詰め込まれている。人形モードに変形しての支援も出来る。滅茶苦茶ゴツい重武装オートバジンみたいなイメージ。
本当にただのAIなのか怪しい支援AIが搭載されている。従順で敵意は感じないためヒナは気にしないことにしている。