[刀剣乱夢]らいぶ   作:himausa

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第一話 [に] 逃げるな

時の政府から本丸へと帰るゲート前には他に誰もいなかった。

今日呼ばれたのがうちの主と、別本丸の審神者だけで、先方は帰還済みだからだ。

でも、今、日本号にとってはどうでもいい。

「主」

呼びかけると、いつもどおり表情を無くしたままの主が振り返る。

隠さなくても何も読ませない、感情のない瞳。

さっきまではそこまで気になることではなかった。

「今日の見合いで、あんた、自分がどうしたいって話、一回もしてねぇな」

主は答えない。表情も変えない。何も見せない。

日本号の前で、ずっと徹底している。

「それに、そいつだ」

日本号の疑問はもうひとつある。

これまでも見えていた。人間の霊力。うちの主はそれがただ濃いだけだと思っていた。力の強い人間にはよくあることだ。

だが、さっきからみえているこれは、朝よりもかなり、濃い。

「あんたの霊体が妙だ。日に日に妙なもんが増えてる」

「妙な?」

「その凝りはなんだ」

霊体に溜まる、どす黒く濁った霊力の塊。それが、朝よりも増えた。

「……あぁ。霊力です」

主はまったく表情を変えずに、答えた。

「増えすぎるので、固めています」

「な」

「もう見えるほどになりましたか」

少し考え込む素振りをして。まるで他人事のように。

「引継ぎを急がないと」

「……マジで何言ってんだ……」

風が二人の間を強く吹く。主の一つに括られた腰まである真っ直ぐな長い髪を舞い上げる。

一瞬だけ、主が目を閉じた。風に長い髪が揺れる。その隙間にだけ。諦めと、寂しさが滲んだ。すぐにいつもの無表情へ戻る。

「本丸を引き継ぐ?」

寝耳に水過ぎた。酔いもさめる一言。続くと思っていた明日を一気に終わらせようとするそれに、日本号は無性に腹がたった。

「刀どもがそんなもん望むと思ってんのか」

日本号の唸るような声に、主は平然と返す。

「私は、ただの審神者です。代わりはいくらでもいます」

転移ゲートに立つ主と向かい合い、にらみつける。しかし、主である娘は意に介していないようにみえた。

転移の光が収まり、周囲が自本丸になる。その前にいたへし切長谷部が、声を上げた。

「主!」

「ただいま戻りました。出迎えありがとうございます」

いつものように、表情無く長谷部に頭を下げる主。

「主、少し顔色が……」

「問題ありません。では、失礼します」

主は振り返らずに、自室のある屋敷へと歩いていった。

心配そうな長谷部の隣に立った日本号は、深く息を吐く。

「日本号、なにがあった」

「あぁ?」

「主の様子が、いつも以上に固い」

険しい顔の長谷部を前に、日本号は頭をがしがしと掻いて、息を吐いた。

「……ふぅ」

「日本号」

「悪いが、少し預けてくれ」

「はあ?」

「……俺も納得できてねぇ」

日本号の目が、主の背の消えた先を睨みつけた。

 

 

 

夕餉後の本丸は少し騒がしい。

特に本丸の中心にある屋敷は、大広間と厨房があるだけに夜中まで賑やかであることが多い。

他の本丸がどうだか日本号は知らない。

ただ、この本丸の主の執務室と自室は、この屋敷の中心にある。

今はそれだけわかっていれば、十分だ。

主の自室の前の廊下に立っていると、小さな足音が聞こえた。

湯上りの主が歩いている音だ。本丸で足音を立てるものは多くない。

「……日本号さん?」

「おう」

主は日本号の姿を認め、立ち止まった。

暗闇でも主は表情を変えない。

「昼間の、続きだ」

「その件なら、明日にでも――」

「そうじゃねぇ」

荒げそうな声を抑える。この主に怒鳴っても聞き入れるわけじゃない。それはわかっている。自分より体格の大きな男士に怯えている姿なんてみたこともない。

「……馬鹿言ってんじゃねぇ」

抑えていても、苛立ちは声に乗った。

「俺ぁ人間なんざ何人も見送ってきた。だからわかる」

「あんたぁ、生きるのを諦めてる奴の顔じゃねぇ」

「死ぬ準備ばっかりして、生きる準備を一つもしちゃいねぇ」

日本号は、この主が自分を切り捨て続けていることに腹を立っていた。

別に主だろうが、小娘だろうが、そんなことはいい。

それよりも、こいつのモノのような生き方が気に食わない。

言わずにはいられなかった。

無表情がわずかに歪みかける。

主が、何かを言おうとして、口を開いて。

とっさに口を押えて、日本号から顔をそむけた。

次いで、身体を折るほど激しく咳き込み、血が手からあふれる。

「主…あんた…」

主に近づこうとした次の瞬間、日本号は目を見開いた。

主の内部の霊力が圧縮されてゆく。

渦のようなものを自分の中に生み出し、霊力を巻き込んで小さくして、凝りに変わるまで見えてしまった。

――ぽん。

幻聴が聞こえた。主の中に新たな凝りが生まれた。

唖然としている日本号の目の前、主は自分の手を見て、力なく口元を緩める。表情なんて一つも見せようとしなかった娘が、初めて人間の顔をしていた。

きっと、これは初めてのことではないのだ。この人間にとって。

主が、ミニタオルを取り出し、手と口を拭って、日本号に初めて笑いかける。

「……まだ、大丈夫です。ね?」

なにが、大丈夫だ。

「んなことしてるからだろーが……っ」

絞りだした声が震える。

主は、こいつは、自分が壊れていくことさえ当然だと思っている。

それが腹立たしく、苦しかった。

「……っ」

「限界まで抱え込んで」

「誰にも言わねぇで……っ」

壁に手をつき、誰にも助けを求めようとしない主を、自分と壁の間に囲い込む。

「あ、あの……?」

そこにあるのはいつもの無表情の主ではなく、ただの戸惑い。理性で全てを押し込んでいない、ただの娘だった。

「日本号さん、離してください」

弱弱しい力で離れようとする身体を、さらに狭く囲う。

「だめだ」

「え?」

そこには熱があった。感情があった。

日本号は、これが己の主であると、改めて気づいて、苦しかった。

今まで見ていた無表情の主。

ただ淡々と、そっけない姿勢を崩さない主。

人間の歳なら、箸が転げても笑う年頃の娘。

それが、生きていない。すべてを、己の死さえも受け入れている事実がただ、苦しかった。

「今だけは」

「主命でも何でも聞いてやる」

「だからこれは聞け」

日本号は人間が好きだ。

酒で笑う奴もいた。

泣く奴もいた。

喧嘩する奴もいた。

それでも皆、生きようとしていた。

人間はそういうものだと思っていた。

それなのに、こいつはなんでか全部を受け入れている。

人間なのに、生きていない。

それは苦しくて仕方ない。

なんでこんなふうになっちまった。

胸の奥が、どうしようもなく掻き回される。

言葉が出ない。

それでも。

 

「生きろ」

 

主に耳に届くように、呟く。

「主、頼む」

主は、こうじゃない。

本当はこいつはもっと、人間らしいはずだ。

それがこんなふうに終わっていいとはどうしても思えない。

「頼む」

身体が震える。

どうして、こんなふうに思うのかわからない。

ただ、苦しかった。

娘は何も言わずに、ただ日本号の腕にそっと触れた。

一瞬、手を伸ばすのを躊躇って。そのまま、優しく一度だけ叩いた。

それでも、それだけで礼を言われた気がした。

しばらくそうして、日本号は囲いを緩めて見下ろす。そこにはいつもの無表情な娘がいた。

ただ、弱い力で押し返して。

日本号の腕から出て、自分の部屋へ入っていった。

「……くそっ」

ただその背を見送って、日本号は苛立ちのままに、壁を一度叩く。

あの凝り。あれがなければいいのか。

主の霊体を、あの黒い塊が埋め尽くしていた。

あれがなければ、主はまだ生きられるのか。

(あの凝り……)

目に焼き付いて離れねぇ。

あれさえ。

あれさえ何とかできれば。

 

「……絶対、あんたを生かすからな、主……」

 

静かな廊下に、日本号の呟きが落ちて消えた。

 

 

 

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