回廊を抜けて直ぐ、日本号は外に出る扉の前で、立ち止まった。
顔を押え、深く息を吐く。
「日本号さん?」
娘は平然としているが。
「……少し、いいか」
「はい?」
娘の肩に頭を乗せる。
「え」
「……無事で……」
「え?」
娘は本気で分かっていないようだが、日本号は無事では済まない可能性があった。
加護を調べたときに、気づかれるとわかっていたはずだ。
あれは、強すぎる神。
とても相手にならなかった。
「お優しい神様でよかったです」
本気で言っているというのはわかる。
完全に娘には本性を隠していた。
まあ、それでいいんだろう。
約定は取り付けた。
「主」
「はい?」
「さっきの、本気ってことでいいんだな?」
「え」
「俺と居たい、ってやつだ」
顔を上げ、娘の薄布をはずして、顔を覗き込む。
その顔がふいと、外を向く。
「……もうちょっとだけだから……」
「……人間の寿命の範囲だけ……」
「……いっしょに、いきたい、です……」
頬を染め、小さく言う。
ずっとずっと言わせたかった言葉。
これで、さっきのも今までのも耐えた甲斐があるというもの。
嬉しさのままに、娘を高く抱き上げる。
「やっと言ったな!」
下から見上げる娘の顔は特別に愛らしく。
「それで十分たい」
「撤回は聞かねえぞ」
日本号の言葉にも即座に返答が返される。
「し、しませんっ」
今までなら、答えなどなかった。
本来は、素直過ぎる娘。
わかっていた。
そのまま、腕に抱きこむ。
「あとな」
「そげん格好、ほんに綺麗か」
「似合いすぎて、驚いた……」
娘の腕が日本号の首に回される。
「号さんも、すっごく、格好いいですっ」
「惚れなおしました!」
夢の中でだけだった、呼び名が耳元で聞こえて。
しがみつくように抱き着かれて。
「お、おい?」
「なんですか」
「……いきなりだな」
腕を緩めても、娘は力を緩めない。
顔を見せないために、ぎゅうぎゅうと身体を押し付けてくる。
「全部終わるまでは、って我慢してたんです」
「だから、今は……許してください」
そんな可愛すぎるお願いなんてないだろう。
回廊を抜けた先、あの職員が待っていた。
主の姿を見つけて、明らかに安堵している。
「ご無事でよかった……」
そういえば、何故この職員は知っていたのだろうか。
「まずは着替えましょうか」
「は? このままでいいだろうが」
日本号の不満に、主は呆れた声を出す。
「これは一族のものですし、私は舞ができませんから」
「舞?」
「……少し、相談してみます」
職員が端末でどこかに連絡を取り始める。
「おい、舞ってなんだ?」
「本家には神楽舞が伝わっていたそうです」
「え?」
「私は音感がなくて……」
ここにきて、なんて情報を出してくるのか。
これはあれか。
正装が白拍子なのは、神楽舞を奉納する一族か。
神々は酒と歌舞音曲が好きだ。ありえるかもしれん。
「そういうことは早くいえ」
「ええ、でも、踊れませんし」
「この姿だけで充分だ」
「……踊れないのに?」
「踊れなくても、酒の肴になる」
「ええぇ?」
主と小さく話している途中で、職員が端末を仕舞った。
「申し訳ありませんが、やはり衣装は」
「いいんです、日本号さんが無理を言っているだけですし」
「着替えた後で、代わりの品をお渡しします」
「え?」
「さあ、参りましょう。日本号様は、他のものが案内します」
またも主を連れていかれた。
あの職員、主の加護の神と同じような気がする。
(まあ、主に危害が及ばなければいいか)
主の背を見送りながら、日本号は小さく息を吐いた。
いつもの巫女服に着替えて戻ってきた主に、日本号は安堵の息を吐いた。
「帰るか」
「はい」
「お待ちください」
それを職員が引き留めた。
「これを」
主に差し出されたのは、古びた舞扇ひとつ。
隣で息を止めた音がした。
日本号には、ただのモノにしか見えない。
「私は、舞えませんが」
「持つだけで結構です。それが護りになります」
「え?」
「どうか、お幸せにおなりください」
主の手に舞扇を握らせた後、一歩職員は下がり、頭を下げた。
「これが、私たちからの、祝いの品にございます」
主も姿勢を正し、頭を下げる。
「……ありがとうございます……」
二人はしばらくそうしていた。
外で風が吹き、雲が空に広がっているのが見える。
「帰りましょう、日本号さん」
主の少し気の抜けた笑顔に、その頭を撫でて返す。
「ああ」
やっと、終わった。
いや、始まったのか。
転移ゲートで、移動の光が収まる。
待っているのは、いつも通りに長谷部と。
「蜂須賀さんに、三日月さん?」
「おかえり、主」
初期刀、蜂須賀虎徹。
これまで関わりがなかったからわからないが、主の前、目を細めている。
「確認をしておきたいと思って」
「主は最初、長くこの本丸を続けられないと言っていただろう」
「その考えは、今も変わらないのだろうか」
不安そうな蜂須賀に、主が日本号をちらりと見上げ、一歩前に出た。
その手を掴む。
「長くご心配をおかけしました」
「もう少し、続けられることになりました」
照れの混じる声。
絶対、今、良い顔をしている。
見られないのは残念だが。
「もう少し?」
「はい」
主がもう一度しっかりと頷く。
蜂須賀の目が日本号を見て、また主に戻る。
その顔が喜色に染まるのを見て、日本号は主の肩に手を置いた。
「ま、そういうことだ」
「そうか! ……良かった。本当に……!」
主は誰にも話していないのかと思っていた。
だが、流石に初期刀には話していたらしい。
……何も出来なかったのはよくわかる。
「代わりに、皆さんには少しご迷惑をおかけしますが」
「迷惑じゃねえって」
「なんの話だ?」
何かを切り捨てる音に、振り返る。
「主よ」
三日月が鞘に仕舞う所だった。
ちん、と小さく音が鳴る。
「それはこの珍客のことだな?」
三日月の足元に黒い影が、サラサラと砂粒になり、空気に溶けた。
「三日月さん」
「うむ、冥府からか。なるほど」
三日月は主の前、膝をつく。
「……まずは主よ、その舞扇を見せていただきたい」
主が渡すと、三日月は震える手で受け取り、それを見つめる。
「……やはり」
そういえば、名に月をもつ刀剣男士だ。
あの神に繋がりがあってもおかしくない。
「何か知ってんのか」
「……さてな」
三日月から主に、舞扇が戻る。
「主よ、これからはこのような誘いが増えるということで、相違ないか?」
「は、はい」
「あい、わかった」
「……三日月さん?」
「なれば、護るまでのこと。のう、日本号?」
細められた三日月の目に睨まれ、日本号は大きく頷いた。
「おうよ」
「はっはっはっ、楽しくなるな」
笑いながら三日月が去り。
「え、楽しい?」
首を傾げる主の頭に手を置く。
「ま、そういうこった」
「ええ?」
「わかった。では、皆に知らせておくとしよう」
蜂須賀がいなくなり。
「長谷部さん、あの」
「はい」
「新しい出陣先の部隊編成案を、お願いできますか?」
それは、初めて主が仕事を分けたということで。
「っ、お任せください!」
嬉しそうな長谷部を見て、主は日本号に笑いかけた。
日本号もまた、主に笑いかけた。
「さて、飯を食いに行くか」
「まだ残ってるでしょうか?」
時間は昼食提供開始の半刻前。
「朝飯に行かなかったから、きっと心配してる」
「あ……」
「だから、今日もここにいるって、教えてやらねえとな」
日本号の言葉に、主は少し目を瞬かせ。
満開の向日葵のような笑顔を見せた。
「はい!」
これから何度も見られる笑顔と共に、二人で歩き出す。
その後ろを暖かくも柔らかな風が流れ、二人を追い越していった。