大広間ではだいたい夜には、人が集まるようになった。
「大将、これ」
厚藤四郎がつまみの皿を長机に並べる。
「ありがとうございます」
礼を言う主は、目も口元も緩く溶け、頬も染まっている。
主の隣で日本号は盃を傾ける。
少し前まで、こんな場に主がいるなんて考えられなかった。
だが、今はこれが日常になりつつある。
「粟田口部屋の隣が空き部屋なっててさ」
「そこに今日冥府の奴、出たぜ」
「後藤がこう、軽く消してた」
後藤藤四郎が離れた場所で、声を上げる。
「厚!? 何言ってんだよ」
「お前だって、ついでにその辺の潰してただろっ」
対して、厚は苦笑いしつつ、他の長机にもつまみを運んでいる。
「すっかり日常だな」
「……後で、石切丸さんにお祓いを頼みましょう」
「伝えておこう」
主の隣で三日月宗近がゆるりと答える。
日本号は、ぴくりと僅かに眉を上げた。
あれから大広間では、三日月がいつの間にか主のそばにいる。おそらく、月、が関係しているのだろうが。
「よろしくお願いします」
「うむ」
正直、面白くはない。
夕刻のことを思い出す。
主の凝りは、増加は緩やかになったが、今までのが減ったわけではない。
だが、一気に取り出すこともできず、今も少しずつやっている。
「……っ……」
娘は今だに顔を赤くし、身体を震わせている。
「凝りを取るのは、まあ、いいんです」
「その、号さんの神気が……良すぎるんです」
「直接は、気持ち良すぎて」
娘が渋々言っていた。
「頭がぶわーってして、わーってなって」
「わかるか」
娘の鼻を摘む。
「んーっ」
抗議する様子を笑う。
とりあえず、今は凝りの増加も落ち着いているから、直接の神気は少しだけに留めているが。
(徐々に慣れてもらわないとな)
「主」
三日月の注ぐ酒を奪って呷る。
神気を少し混ぜてある。油断も隙もない。
「やめてくれや」
「あなや」
「号さん?」
娘が見上げてくるのを、頭に手を置いて宥める。
相変わらず、手を置くだけで、きゅっと目が閉じる。
「なんで?」
「あんた、酒強くないだろ」
「でも、号さんのは酔わないです」
「他のは酔うだろ」
「……試しても」
「だめだ」
娘は、日本号のそれを嬉しそうに笑う。
「わかりました」
そして、隣に座ったまま、楽しそうに笑う。
(これが見たかったんだ)
盃を傾けつつ、時折主の頭を撫でる。
その度に振り返って、笑いかけてくる。
ふとすると、あの白拍子姿を思い出す。
あの一度きりだが、目に焼きついている。
舞は苦手だと言っていたが、実は踊れるんじゃないだろうかとも思う。
主自身が言い忘れていることも、きっとまだある。まだまだ知らないことばかりだ。
それでも、いつかは話してくれるだろう。
「日本号、今日は唄わないのか?」
どこからか声がかかる。
「ああ?」
「主も聞きたいよなあ!?」
「なんですか?」
「黒田節だ」
「酔うと定番だよなあ」
娘の視線が日本号に向く。でも、何も言わない。ただキラキラとした視線だけ。
「……少しだけな」
その目が嬉しそうに細められる。
寄ってきた娘が好奇心を隠さずに、日本号を見上げてくる。その額を軽く叩く。
「近ぇ」
「痛っ」
「くくっ」
次いで、その頭をそっと撫でて。
歌に声を乗せる。さほど長くもない。
一番を歌い終わると、娘はすっかりと俯いて、両頬を自分で抑えていて。
「……ぅぅ……っ」
「どうした?」
「ん……ちょ、ちょっと、おまちください……」
首から上が真っ赤に染まっている。
「主は日本号をすいとぅね」
びくりと娘の肩が震える。
「え、あ、その……」
「違うとか言わんでよ?」
「……違いません、けど……」
娘が顔を両手で覆う。
「号さんの、い、良い声過ぎて……やば……」
素直な賛辞に、こちらの方が恥ずかしくなる。周囲はニヤニヤしてるし。
「おい、その辺にしとけ」
「ははは、日本号も形無しだなー」
「うるせぇ」
笑い声を散らしながら、娘を陰に隠す。
(なんで、これだけで)
そう思わないでもないが。嬉しくもある。
盃を呷る。
ああ、もう本当に。酒がうまい。
「……今夜はもう、寝とくか?」
ちらりと見ると、首を振る。
「もうちょっと」
「おう」
「……もうちょっとだけ、歌って?」
「はぁ? 大丈夫なのかよ」
「……聞きたい、号さんのお歌」
仕方なく、娘の耳元に口を寄せる。
「後で、部屋で歌ってやる」
ぱっと娘の顔が輝いた。嬉しい、と雄弁に。
日本号はまた娘の頭を強く撫でまわした。
――まったく、今日は酒が進みすぎる。
主の部屋の中には、不思議と冥府の使いが出ない。その一因はあの舞扇なのだろう。三日月が言うには、あれに神の力が一部宿っているらしい。
娘を膝に乗せ、そっと黒田節を歌う。
身体中を桃色に染めながらも、うっとりと聞いている。その頭をそっと撫でる。
「……なあ、少しだけ教えるから」
「黒田節、舞ってみんか」
目を閉じて聞きほれていた娘が、ゆっくりと目を開ける。
「えぇ? できないって……」
「少しだけだ。な?」
しぶしぶと頷く娘を立ち上がらせ、少しだけ振りを教える。
本人の言う通り、動きが固く、まったくできてはいない。
でも、自分の歌で踊る姿を見たくなったのだ。
「じゃあ、一番だけ」
「ああ、一番だけ」
娘が舞扇を手に、日本号の声で歌いだす。
ぎこちなく踊り始めて直ぐだった。
(ん?)
舞扇を構えたところからだろうか。
踊りとも言えない拙い動きだというのに。
やけに、空気が軽い。娘の霊力が大人しい。
まるで共に動くように、ゆっくりと流れている。
(……こいつぁ……)
世界を掴むような霊力の動き。
娘の中の凝りが混ぜられ、散らばる。
ふるりと震え、あと少しでひとつ解けそうだが、そのままだった。
一番が終わり、娘がやり切った顔で笑う。
(まあ、いいか)
今は日本号がいる。
もしかすると、そこに凝りを解く鍵があるのかもしれないが。
やりたくないことを無理にさせることはないだろう。
「初めてにしてはよくできたな」
「号さんが教えてくれたから」
膝に戻った娘の頭に手を置く。
「あんたなら、いつだって歌ってやる」
他の奴に見せるには、惜しい。
この舞だけは、俺だけが知っていればいい。
「だから、舞は俺だけ、な」
嬉しそうにうなずく娘の頬を引き寄せ、自分のと重ねた。
明日も明後日も、今日のような日は続いていく。
これぐらいの褒美はあってもいいだろう。
「……号さんだけ、ね」
くすくすと笑う愛しい娘を、日本号はいっそう強く抱き寄せた。
静かに夜は更けてゆく。
娘の手の中、閉じられた舞扇も、月明かりを受けて。
今日も明日も明後日も。
ずっと。
(おしまい)