私は刀剣男士達に関わらないが、彼らがやりたいことを制限はしない。それは彼らの自由であるべきだから。
だから、私の、審神者の仕事を見るのは誰にでもできることになっている。
普通なら近侍の手を借りる必要のある刀装の作成も鍛刀も、有り余る霊力で行える。
最初のうちはこれでよかった。でも、今日はいくらやっても霊力が減っている気がしない。
「気休めじゃねぇか」
呆れたような日本号の声が背中にかかり、項垂れる。
「これが、一番消費が大きいので」
ぽつりと零れ落ちる音に落胆が混じってしまう。
昨日の今日だからか、今日の刀装作成を日本号が見ていた。緊張はしたけど、それで結果が変わるようなことはない。
並んだ特上の刀装兵たちを、そっと手のひらで撫でる。
せっかく来てくれたけど、しばらくは棚で眠ってもらうしかない。ひとつずつを棚に並べ終え、一息つく。
「少し休め」
振り返ると、日本号が手元の徳利から猪口一杯の酒を注いで、差し出していた。
「吞め」
何を言っているのか。
「仕事中です」
「休憩中だろ」
差し出された猪口を両手で持つ。
「……お高い匂いがする……」
これはきっと絶対に美味しい酒だ。少しだけ口元が緩む。
「まあな、万屋で高いやつ買った」
この一口だけなら。
これ以降は、きっとないだろうから。
口元に猪口を運び、傾ける。
舌の上を転がる澄んだ水で、穀物の良い香りが喉を通り抜けた。
「――それに、俺の神気を混ぜておいた」
直後、静かに告げられた言葉に、目を見開く。
なんて。
言った。
神気。
神様の力。
「……なんで……」
呆然と零れた言葉が拾い上げられる。
「あんたのその凝りを、俺が引き受けるためだ」
信じられない。
諦めてなかった。
ふらついた身体が日本号の太い腕に抱きとめられる。
「っと」
感じたことのない熱が、身体の中を渦巻いている。
どこかへ向かっている感じがする。
(引き受ける?)
何を言っているのだ。
これは私の問題で、日本号には関係ないのに。
「……余計なことを、しないで……っ」
「きこえねぇな」
抱き留められたまま、離れられない。
身体全体を大きな何かに包まれて。左腕からゆっくりと指先へ、丁寧に何かが流れてくる。
温かなクリームを塗られるみたいに、心地よくて。触れられるだけで、体温が上がる。
その指が、薬指で止まった。
「ここか」
「何を……っ」
「黙ってろ」
すぐそばに日本号の顔があって、息が耳にかかる。
私の中の何かを動かそうとしている。
「だめ!」
咄嗟に声で邪魔をする。
「おい」
「やめて。なにもしないで」
こんなはずじゃなかった。
こんなことをさせるつもりは。
「聞けねぇって言っただろ」
「わたしは! もう、いい!」
「よくねぇ」
こんなに頭に血がのぼるのは、酒のせいだ。
こんなことをしても意味がないのに。
「次が」
きっともう次の子は決まっていて。
この本丸も、継がせられる準備も出来ていて。
「次なんてねぇ」
なのに、日本号は否定する。
駄々をこねるように首を振る私の頭を押さえ、固い胸板に押し付ける。
近い。濃い匂いに頭がくらくらする。
動悸が激しくなる。
「あんたはまだ」
「生きてないだろうが」
身体に直接声が響いてくる。
(生きて、ない?)
何を言っているんだ。
私は生きてる。生きてるから、ここにいるのに。
私は、ここにいるのに。
日本号の身体に両手をついて、強く押し返す。
視界がわずかに滲んでしまった。
驚いた日本号を睨みつける。
(私は、ここにいるのに!)
声にならない想いが溢れそうになり、唇をかんだ。
日本号に背を向け、部屋を出る。
いえない。
いえるわけない。
「……生きてる、から……」
こんなに苦しいのに。
何もわからないくせに。
何も知らないのに。
どうして、気にかけてくれるの。
部屋に逃げ込み、戸を閉めて、そのまま寄りかかる。
頭の中がぐちゃぐちゃで。
言葉にならない想いが、一滴の涙になって零れ落ちた。
夢の中は誰でも自由だ。
私はそれを知っている。
だって、私の夢の中はこんなにも自由だ。
青い空。
白い雲。
皆が笑っている本丸。
「主君!」
駆け寄ってくる短刀の男士を両手を広げて迎え入れる。
「どうしたの?」
彼は手元に捕まえた虫を誇らしげに掲げる。
「蝉です!」
夏の虫だ。本丸内で鳴き続けている一匹だろう。
「どこにいた?」
「屋敷の裏の森です!」
彼の頭を遠慮なく撫でまわし、二人で笑い合う。
「カブトもいたぜ」
別の方からかけられた声に顔を上げると、青年姿の打刀が、自慢げに角を掴んだ甲虫を見せてくれる。
「ほら」
立派な角を持つ甲虫に、私は目を輝かせる。
「いーなー、私も行ってくるっ」
走り出そうとすると、廊下から声がかけられた。
「主、今日は早めに夕餉だから、ほどほどにしなさい」
「はーい」
大きな声で返事をして、男士たちと一緒に走り出す。
ああ、楽しい。
子供のころと同じ。
あの夏と同じ。
ずっとずっとこうしていたい。
ここは夢の中。
私の思い通りになる世界。
誰にも何の気兼ねもいらない世界。
大広間で皆で食べる夕餉。
大皿に並ぶ料理。
皆が笑っている。
その中に、私もいる。
もちろん、日本号も。
長谷部や博多たちといたり、次郎太刀や蜻蛉切たちといたりする。
楽しそうに酒を飲んでいる。
それが今日は珍しく一人で飲んでいる。
そんなこともあるのだろう。
「号さん、どうしたの?」
私が声をかけると、目を丸くする。
何を驚いているんだろう。
「どうもしねえよ」
「えー? いつもとちがうよー?」
いつものように胡坐をかいた膝に乗り、視線を合わせる。
「そうか?」
なんだろう。夢の中なのに、元気が無い気がする。
こういう時は妹たちと一緒。
両腕を太い首に回して抱き着く。
「ね、ぎゅーってして?」
ハグには癒し効果があるって、姉様たちが教えてくれたから。
日本号もいつものように抱きしめ返してくれる。
「んーっ」
気持ちいい。
心地よい。
楽しい。
ずっとずっとこうなら――。
「……現(うつつ)も、そうすりゃいいのに」
耳元で聞こえた声。
意味はすぐにわかった。
わかったからこそ、保てなくなった。
「……できるわけない」
ぴしり、と。
世界にひびが入った。
「私とあなたたちは違う」
笑っていた刀剣男士たちが薄れて消える。
「情を移せば、互いに辛くなる」
「だったら、触れない方がいい」
建物が、景色が、硝子の欠片が散らばるように、崩れてゆく。
「…………どうしてここにいるの?」
ガラガラと世界が壊れた後は、ただ昏い闇が残る。
「ここは、夢の中なのに」
闇の中、日本号の膝に乗ったまま問いかける。
残っているということは、この日本号は、夢じゃない。
日本号が、見つめ返してくる。
「まだ繋がっていたからな」
「……神様ってずるい」
まだ、諦めてなかった。
まだ、こんな風に、気にしてた。
(お人好しすぎる)
ここまでされると、笑いたくなってくる。
だって、私は。
「号さん、どうして、あなたが気にするの。私は仮の主よ」
「あなたたちにとって、命短いヒトの子よ」
「私がどうでも、関係ないでしょう」
視線は逸らされず、太い指が私の髪を梳く。
「気にしちゃだめか?」
「うん」
「気にしないわけねえだろ。仮だろうが何だろうが、主だ」
「……うん」
「あんたが呼んだから、ここにいるんだ」
私が、呼んだ。
そうなのだろうか。
そう思ってくれているのだろうか。
「今はあんたが主だろうが」
「短くとも、できるだけ長くあんたと戦いたい」
「そう思っちゃだめか?」
低い声が、囁く。
「長く……」
「そのためにも、溜め込んだ霊力をどうにかしないとな」
どうにかできるなら、してる。
できないから、こうなってる。
「っそ、れは……」
今まで誰もどうにもできなかった。
いくら神様でも、そんなこと簡単にできるわけない。
「なあ、俺にまかせちゃくれないか。悪いようにはしない」
「今日、相当使ったけど、全然だめだったろ」
「もう、あんただけじゃ無理なんだろ」
でも、日本号は揺らいでいない。
「どうにか、できるの?」
「方法はなくはねえ」
「そう……」
確定した方法ではないのかもしれない。
心当たりがあるのかもしれない。
でも。
「それは、号さんを壊さない?」
「……は?」
「それなら……別にいい」
日本号を壊してしまうような方法なら。
そんな望みは持ちたくない。
「この程度で壊れるほど、俺は柔じゃねぇっ」
焦った様子で、日本号が言う。
私の好きな人は、本当に、お人好しすぎて、困る。
「……もしも壊れそうなら、やめるから」
「ああ」
頷く日本号の手を取り、真剣な顔で願う。
「約束して。無理はしないで。折れないで」
もしそうなら、私はこのままでいい。
日本号がじっと私を見て、ふっと笑った。
「……俺ァ槍だぞ」
「んなに柔じゃねぇ」
自信に満ちた日本号の顔を見て、私は安堵した。
知ってる。
あなたは、折れない槍。
だって、初めて好きになった人だもの。