翌日、私はいつも以上に仕事に奔走した。
全てを霊力を使えるだけ使って、これ以上日本号に関わりたくなかった。
(だって、無理だ)
膝に乗せられ。
顔を合わせて。
左手の甲の薬指の下に口づけられて。
ただでさえ、男の色気があるのに。
好きな人にあんなことを続けさせたくもない。
自分のことだ。わかっている。
霊力の圧縮なんて、一族以外の人間はやらない。
しかも私は、子供のころからずっと繰り返してきた。
そんな濁った霊力に触れさせたくない。
先ほど吐き出したばかりの血がついたタオルを見つめる。
赤黒く、汚れた色だ。
「主」
廊下から日本号の呼ぶ声がする。
ひどく、焦った様子で。
戸を開けると、日本号は一瞬だけ安堵の表情を浮かべた。
身体の後ろで星空が静かに瞬いている。
……話だけなら、いいのだけど。
「聞きたいことがある」
真剣な声に、私は一歩だけ部屋を出る。
すぐに部屋に逃げ込めるように。
「……なんでしょうか」
顔は上げられなかった。
「今日、何をした?」
今日の仕事を尋ねられ、霊力を使う仕事を並べる。
日本号はそれに舌打ちを返してきた。
「逆効果だ」
どうしてか、日本号には私の霊体の状態が見えている。
他の、石切丸や太郎太刀、次郎太刀はそんなこと言わないのに。
「……みたいです」
先ほど吐いたばかりの血が過る。口の中もまだ苦い。
私の反応に、日本号が深い息を吐きだす。
「嫌なら言え」
「……」
「他の方法、いや、他の奴がいいなら」
咄嗟に、日本号の服を掴んでいた。
嫌だなんて、そんなことはない。
でも、良くもない。
だって、あんな濁ったもの、日本号を壊すに決まってる。
「嫌ではないですっ」
「嫌ではないから、困ってて」
助けてくれることは、本当は嬉しい。
どうにもできないと諦めていた。
どうにかなるかもと思った。
でも、現実は霊力は増えるし、身体はもう限界だ。
「困る?」
「なにがだ」
日本号の問いに、そのまま答えられずに口を引き結ぶ。
「言え」
「言わなきゃわからん」
結局私は怖い。
怖いのだ。
この日本号が傷つくのが。
全部無理だと知ってしまうことが。
この絶望を知ってほしくない。
力が抜け、日本号を掴む手を離す。
見上げられない視線が床に落ちる。
「……日本号さんを、壊したくない……」
一瞬日本号が息を止め、また静かに吐いた。
「だから、心配ねぇって」
呆れた声に、顔を上げずに言い返す。
「そんなはずないです」
「他人の霊力を受け入れるなんて、できるわけない」
「……聞いたことないもの……」
「私は、あなたを壊したくないんです」
また舌打ちが聞こえ、次には頤を掴まれていた。
無理矢理に上を向けられる。日本号の視線が突き刺さる。
「俺が、壊れているように見えるか」
強い強い瞳に射抜かれる。
「……見えない……」
「俺は槍で、付喪神だぞ。人間と同じに思うな」
「……かみ、さま……」
刀剣男士は、付喪神。
そんなこと知っている。
だから、私は。
「……なおさら、できません……」
「……私だけのために、使っていい力じゃない……」
日本号の手を振り払い、背を向けて、部屋に入る。
「おい」
「もう、諦めて」
そのまま後ろ手に閉じた。
ここには刀剣男士は無断で入れない。
だから、開けられることはない。
それが今、有り難く。
そして、苦しかった。
何があっても夢の中は平和で明るい。
私はここでだけ、息ができる。
「主ー、どうしたー?」
大広間で寝転がっていると、上から数人が覗きこんでくる。
私が作った、私を好きな刀剣男士の幻影。
わかってる。
こんなものオママゴトでしかない。
「なんでもなーい」
それでも、私はここでは笑う。
現実ではできない分だけ。
そばにいた日本号が私の頭を撫でてくる。
私はそれを目を閉じて迎える。
現実の手はもっと大きくて厚くて、重かった。
現実の日本号は入れないようにしたから、ここにいるのは私が作り出した日本号。
「号さん」
「うん?」
「好きだよ」
「ああ、俺もだ」
「……そうだね」
だめだ、泣きそうだ。
現実で言うわけない。
わかってる。
全部夢だ。
「……もう、いい……」
両腕で目を隠し、世界を全部壊す。
夢も、もう、いらない。
こんな夢はもう意味がない。
本当の日本号は、こんな小娘相手にしない。
私が好きな気持ちで呼んでしまった。
だから、あの日本号まで。
「……影響、してる……?」
ふと、気づいた。
私はあの槍を顕現するより前から知っていた。
あの素晴らしい刃。
日の本一と称えられる槍。
力強くて、美しくて。
あの槍なら、どんな勝負であっても勝って手にしたい。
その気持ちがわかった。
その気持ちで顕現した槍の刀剣男士は、想像以上だった。
想像以上に力強く、頼れる刀剣男士だった。
暗闇の中、寝返りを打つ。
「私のせいで、気にしてる?」
それは的を射ている気がした。
でなければ、こんなに気にかけてくる理由がない。
だって、関わらないようにしていたのだ。
見合いの付き添いだって、いつも話なんて碌にしてない。
それでも付き合ってくれた。
お人好しだからだと思っていた。
刀剣男士は顕現する主によって、個体差があるって。
誰かが言っていた。
じゃあ、あの日本号が「らしく」ないのは。
「……私のせい、か」
それなら、私は。
「責任、とらないと」
起き上がり、目を閉じて深呼吸する。
「責任取って、最後ぐらい、いうこと聞いてあげなきゃ、ね」
それは、呼び出して、影響させてしまった「主」の責任だから。
目を覚ましたら。
ひとつだけ、きいてみよう。
それで、どうするか決めよう。