昨日から、少し日本号の元気が無い。
現実ではどうしたらいいのかわからない。
原因はきっと私だから。
朝食後、廊下で後ろをついてくる日本号を振り返る。
「大丈夫ですよ」
日本号のおかげで、終わりの時間は少し伸びている。
終わることは変えられなくても。
ほんの少しだけ。
そういうつもりで言ったのだけど。
日本号は難しい顔をしたまま、私を見ている。
どうにもならないことを考えているのだろう。
「日本号さん」
手招きすると、少し屈んでくれる。
片手を日本号の肩に置き、少し背伸びする。
そして、いつもは届かない頭を軽く、柔らかく叩いた。
(ありがとうございます)
そんな気持ちを込めて。
直ぐに離れて歩き出す。
日本号のついてくる音がなくて。
(あれ?)
振り返ると、日本号はまだその場で目を丸くしていた。
小さく笑う。
私にも覚えがある。
悩んでいる時に、姉様に同じことをされて、ひどく驚いた。
きっと驚いて悩みも飛んでしまっているだろう。
「主ー、なにしよっと?」
博多が通りがかり、問いかけてきた。
「あ、えっと」
「主!」
別方向から長谷部が、ファイルを抱えてきた。
先日頼んでしまった仕事だ。
「終わりました!」
「え、もう?」
「はい! 他にもなんなりと命じてください!」
誇らしげな長谷部を褒めるべきか。
博多の問いに先に答えるべきか。
迷いつつ日本号を見ると、呆れたように息を吐いて、数歩で追いついてくれた。
「長谷部、もう終わったのか」
「当然だ」
「ありがとうございます、長谷部さん」
長谷部からファイルを受け取ると、博多に問われる。
「それ、なんじゃと?」
「これは、戦績のまとめ、です」
博多の問いに、ちら、と日本号を見て、続ける。
「いつ、引き継ぎとなっても困らないように」
言ったとたん、二振が真顔になった。日本号は眉を寄せている。
「……それは、どういう意味ですか?」
長谷部の問いに、なんと答えたものか迷う。
迷った末に、笑って誤魔化すしかなかった。
「主?」
博多が幼子のように見上げてくる。
これは、言わなければならないだろうか。
「私にはあまり時間が――」
「主」
日本号の静かな声に、言葉を止めた。
「まだだ」
「日本号さん……」
「俺は、諦めてねえからな」
「…………はい」
誰の視線も受け止められず、私は俯いた。
ここ数日、正直楽しかった。
久しぶりの他人との交流は、心が揺れた。
それでも、現実は変わらないまま。
日本号が諦めないから、任せているけれど。
(あと少しだけ)
それは後どのぐらいだろう。
見えない時間が、怖かった。
日本号が壊れる前に、終わりにしたいのに終わりにできない。
自分の意気地のなさが、嫌だった。
寝る前、今夜も部屋の前で日本号は私を待っていた。
中で待たせることができないのは申し訳ない。
次は、大広間で待っていてもらった方がいいだろう。
駆け寄ると、昼間よりも機嫌がよさそうだ。
正確には、私が昼寝から起きた時から。
何かいいことがあったのだろう。
「お待たせしました」
部屋に招き入れると、一瞬躊躇してから入る。
散らかるほど物は置いてないのだけど。
胡坐をかいた日本号の膝に、いつも通りに横向きに座る。
なのに、何故か額を軽く叩かれた。
「っ!?」
驚いて、日本号を見上げると、苦笑いをしている。
意味が分からない。
左手をとられ、目を閉じる。
いつもなら、すぐに始めるのだけど。
「……日本号さん?」
問いかけると、目元を抑えられた。
「わ」
「目、閉じてろ」
「はい」
いつもより丁寧に触れてくる。
ゆらゆらと湯の中で揺れるように。
距離の近さに目を瞑れば、心地よさに包まれる。
それでも、わずかしか変わらない。
結局、変わらないのだろう。
残された時間、私はどれだけ日本号にあげられるだろうか。
それ以上にもらってしまっている気がするけれど。
「……主、ちっと試していいか?」
思案する声に、なんだろうかと思いつつ、はいと頷く。
直後だった。
日本号が口をつけた場所から、熱い何かが流し込まれた。
「……っ!?」
左手を引き、目を見開いて、日本号を凝視する。
「な、なな、何を!?」
中に入ってきた熱が身体の中で動き続けている。
内側から、撫で回されてるみたいで。
身体が熱くなる。
「あー……」
「あんたの霊体に、直接神気を入れてみた」
「凝りが増えるのを抑えられるんじゃないか、と」
何を言っているのか。
酒ではなく、直接なんて。
意味が。
わからない。
あと、熱い。
すごく、熱い。
涙目になる。
「そ、それは、」
「痛みはあるか?」
「な、ないです、けど!」
「まあ、元々酒で入れてる分もあるし、反発はねぇな」
優しい眼差しで、頭を撫でて。頬に、手を添えてくる。
「このまましばらく待つぞ」
「な!?」
「なんかあったら、大事だろうが」
(今、まさに、大事ですが!?)
酒を介して、馴染みがいいのはわかっていたけれど。
直接はとても、良くない。
これは、良くない。
熱さが不快じゃない。
むしろ、気持ちが良すぎて落ち着かない。
お腹の奥が疼いてくる。
よくない。
絶対、良くない。
私の混乱をよそに、日本号は問いかけてくる。、
「……なあ、見合い、なんでするんだ?」
「それは、子供が……跡継ぎが必要だから」
「それだけか?」
「それだけです」
他の理由なんてない。
血を繋ぐ。それが一族の目的で。
でも、無理強いはしないというのも方針で。
だから、見合いがあって。
もしもの時は特別な方法も使う。
身体が熱い。
「も、もういいんじゃないでしょうか?」
「まだだ」
逃げ出したいのを堪えていると、頬を撫でられた。
その、感触が、内側を撫でてくる熱と同じで。
動けなくなる。
「に、日本号さん……っ」
「なんだ?」
「今日、変じゃないですかっ?」
「そうかもな」
「ぇ!?」
「ははっ、真っ赤だ」
「ぅ……っ」
揶揄う声が、瞳が、とろりと甘さを含んでいる気がする。
どういうことなのか。
「……あんた、あいらしかね……」
囁く低音も甘い。
内側の熱も甘い気がしてきた。
なにが。
何が起きたの。
「に、日本号、さん……!?」
「ああ」
「お、下ろして……」
「……まだ、な」
せめてもの抵抗に両手で顔を隠すと、優しく頭を撫でられた。
これ。
今夜は眠れないかもしれない。