時の政府の中でも更に奥に、職員もほとんど立ち入れない領域がある。
そこを今、私は日本号に手を引かれ、二人で歩いている。
日本号は何故か和正装姿で。
私は一族の正装ーー白拍子姿に、薄布を被っている。
今日は話を聞きにきただけなのに、どうしてこうなったのか。少し気が遠くなる。
日本号は気遣いの視線を向けても、何も言わない。
この廊下の先にいるのは、私に加護を与えている神様が待つ部屋だという。
そもそも私は一人で、見合い担当職員に話を聞きに行くつもりだった。
「どこへ行く」
「……時の政府へ」
「少し待て。俺も行く」
「え、一人で……」
「行く」
そんなふうに押し切られて。
転移ゲート前に現れた日本号は今の姿だった。
今まで政府に行く時は戦装束だった。
それがなんでこんな和正装なんだ。
息が止まってしまいそうになる。
「な、んで」
「おかしいか?」
「いえ! 全然! か……」
「か?」
格好いいと言いかけて止まる。そういうのは全部終わらせてからだ。
「ぃぃぃ行きましょうっ」
動揺していると、日本号は転移ゲートで私の隣に立って。
「今日は隣におらんとな」
「……私なんかじゃ……」
これじゃ、いつもの巫女服姿の私は見劣りしてしまう。
「んなことねえよ。今日はいっとうあいらしか」
「に、日本号さん……っ」
口説かないでほしい。
今は本当に余裕がない。
全部、終わるまで言いたくないのに。
動揺を隠せないままゲートを抜けると、その先がもういつもと違っていた。
「お待ちしておりました」
「え?」
「先方はお待ちであられます。すぐに御支度を」
日本号を置いて、見合い担当職員に連れて行かれた控室で、一族の正装に着替えさせられて。
「な、なんで」
「只人の身では御力に当てられましょう」
「え」
「大丈夫です。あなたには日本号様がついておられます」
詳しいことは何も知らされず。
日本号が待つという部屋に行って。
日本号も呆気に取られてて。
「……こ、これ、うちの正装で……」
「に、似合わないんですけど」
白拍子姿でも、舞一つできない。
そんな不恰好な姿を、見て。
「……似合うさ……」
掠れた声で、呟いていた。
「……日本号さん?」
部屋に入った時から逸らされることのない目線に、じりじりと焼かれそうだ。
日本号の手が伸びてきて。
「では、参りましょうか」
触れられる前に、職員の苦笑の混じる声で、二人とも我に返った。
「……あまりお待たせできませんので」
少し申し訳なさそうな職員に問いながら、日本号の手が肩に置かれる。
「主の加護の神か」
小さく息を飲む。
職員は、頷いた。
そして、あっさりと明かした。
「月詠様であらせられます」
日本号と二人、ゆっくりと廊下を進みながら、小さく息を吐く。
「……日本号さんがいて、良かった……」
静かな空間だから、小さな声はよく響いてしまう。
月詠様。
あまりにもよく知られた神様。
まさか、加護がその方とは。
どうりで、月の夜は調子が良くなる。
霊力の通りもいい。
今更ながらに気づいた。
やがて、八畳ほどの部屋にたどり着く。
その入り口に、二人並んで膝をつき、頭を下げた。
奥に御簾がさがり、その向こうに髪の長い少女のような人影が映る。
「……あらまあ」
「まさかの組み合わせねえ」
コロコロと錫の鳴るような声。
聞き覚えがある。
月と宵闇の静けさを纏う声。
これが。
月詠様。
天照大神の妹姫。
月を統べる神。
「顔をおあげなさいな」
「それで、何を願うの?」
存在の大きさに震える。
「あ、の、ずっと、ご加護いただきまして、ありがとうございます」
礼の言葉にまた、軽やかな笑いをこぼす。
「いいのよ、あなたは、私の愛し児だもの」
「それで、その刀と契りをむすんでいるようだけど」
契り、といわれて慌てる。
まだそこまでの関係じゃない。
契りも、婚姻も結んでない。
「っ! え、い、いえっ」
「その、彼は、私の身体には大きすぎる霊力、のために、その、そうしてくださっているだけ、でしてっ」
神気は入っていても、この身は清いままだ。
「ええ? でも……つながっているわよ?」
「っ!?」
何のことかわからない。
私は隣の日本号を見た。
日本号が伏せたまま、声を出す。
「月詠命様とお見受けいたします」
「主は、御加護により、短命となっていることを存じておられますか」
悲鳴が出そうになる。
何を言い出すのか。
「主? ……ああ、そちらも絡むのね」
怒っておられない。よかった。
安堵したのも束の間。
「私は、この方の隣を、歩きとうございます」
「っ日本号さん!?」
「どうか、今一度、その加護を弱め、私に預けていただきたい」
「なっ」
何を言い出すのか。
本当に待ってほしい。
聞いてない。
好き、と言われたけど。
隣とか、それは私がいうことで。
加護を弱めるのはともかく、何故日本号が引き受けようとしているのか。
月詠様も呆れてーー。
「……私の愛し児は、闇に好かれやすい」
「加護はその魂を守るものである」
「あなたはそれを完全に守りきれる?」
穏やかだが強い声に圧倒される。
加護は護り。それは知っている。
(闇に、好かれる?)
これは知らない。
何の話なんだ。
本家にだけの話だろうか。
それとも、小さな友人たちの話だろうか。
夜にだけ現れていた。
「はい」
きっぱりとした日本号の応えに息を呑む。
「……愛しい児」
対して、月詠様の返しは私に向いた。
「あなたが望むなら、弱めてもいい」
「でも、無くすのはできない」
柔らかいが申し訳なさを潜ませて、月詠神がいう。
神様にそこまで言わせてしまった。
そのことに、申し訳なさと感謝の胸に、静かに頭を下げた。
「私は……もう少し、この方といたい……です」
加護が弱まれば、少しでも霊力の増加は収まるはずだ。
だって、加護の前は普通程度の増加だったのだから。
日本号が無理をせずとも、終わりの時間を伸ばせるのなら。
御簾の向こう、コロコロと愉しげな笑い声がした。
「ふふ、その顔で言われては敵わぬな。よいだろう」
「必ず護れよ、九十九の神、日本号」
改めて、日本号が応える。
「はい、必ず」
私も共に頭を下げた。
「ありがとうございます……っ」
涙ながらの声の後だ。
御簾があがる音がした。
衣擦れの音が近づいてくる。
そして。
「加護は弱くなっても、あなたはずっと私の愛し児よ」
私の前、幾重にも重ねた衣が広がる。
顔を上げられず、きゅっと目を閉じる。
「……どうか幸せになってちょうだい」
まるで、姉様のようだ。
生前、ずっと寄り添い、私を気にかけてくれた。
「はいっ」
薄布の上から、ふわりと柔らかに撫でられる。
さや、と衣擦れの音が遠ざかる。
それを私は頭を下げたまま、ずっと受け止め続けた。
加護を与えてくれていた神様は、姉様と同じ。
私を大切にしてくれる御方だった。
これからはもっと月を見よう。
そして、この神様を想う時間を作ろうと。
胸の内、私は静かに決意した。