月詠様の前を辞して、廊下をまた日本号に手を引かれながら歩く。
ちら、とその横顔を見て、見惚れる。
普段の姿も悪くないけど、今日は格別だ。
もう、隠す必要もない。
日本号はここに来てから口数も少なく、微笑むばかりで。
それもまた見目麗しさにときめきが止まらない。
こんな人が私の隣を望んでくれる。
私がもっと生きること、笑うことを望んでくれている。
それはどれほどに幸福な奇跡だろう。
最初に時の政府職員と別れた扉の前で立ち止まる。
もう一度日本号を見ると、顔を片手で押さえて、深く息を吐いていた。
どんな格好も様になるって、どういうことなの。
「日本号さん?」
「……少し、いいか」
「はい?」
軽く引き寄せられ、薄布越しとはいえ、肩に頭を乗せられる。
「え」
「……無事で……」
「え?」
そういえば、会う前はどんなに怖い神様かと思っていたのだけれど。
「お優しい神様でよかったです」
安堵を含ませて言うと、小さく笑われた。
何か可笑しかっただろうか。
「主」
「はい?」
「さっきの、本気ってことでいいんだな?」
「え」
「俺と居たい、ってやつだ」
日本号がそっと私の薄布を外し、顔を覗き込んでくる。
確かに言った。
もう、言ってもいいだろう。
うん。
でも、日本号を直視するのはまだ恥ずかしくて、視線を外す。
「もうちょっとだけ」
「人間の寿命の範囲だけ」
「……いっしょに、いきたい、です……」
本刃に直接言うのは、やっぱり恥ずかしい。
どんな顔で見られているのか。
確認したいけど、見られない。
恥ずかしくて、見られない。
そうしていると、急に高く抱き上げられた。
「やっと言ったな!」
初めて見下ろす日本号はすごく嬉しそうで。
「それで十分たい」
「撤回は聞かねえぞ」
即座に返す。
「し、しませんっ」
日本号は目を細め、そのまま、腕に抱きしめてくれる。
「あとな」
「そげん格好、ほんに綺麗か」
「似合いすぎて、驚いた……」
私も日本号の首に腕を回して、自分から抱きつく。夢の中よりももっとしっかりと強く。
「号さんも、すっごく、格好いいですっ」
「惚れなおしました!」
夢の中だけだった呼び方で、やっと言えた。
現実で言われるのは、もっともっと嬉しい。
もう夢はいらない。
ここに私の世界が生まれたから。
「お、おい?」
「なんですか」
「……いきなりだな」
戸惑う日本号が腕を緩めても、私は力を緩めなかった。
「全部終わるまでは、って我慢してたんです」
「だから、今は……許してください」
初めから、好きだった。
好きな気持ちで顕現してしまったから、影響してたのだと思っていた。
でも、日本号は私の想いに振り回される小さな神様じゃなかった。
私を包み込んでくれる大きな神様で。
私の笑顔を望んでくれる男士だった。
「ずっと大好きです、号さん」
しがみつく私に、日本号はただ抱きしめ返してくれた。
強く、強く。
本丸行の転移ゲートで、移動の光が収まる。
待っているのは、いつも通りに長谷部と。
「蜂須賀さんに、三日月さん?」
「おかえり、主」
初期刀、蜂須賀虎徹が心配そうに、目を細めている。
「確認をしておきたいと思って」
「主は最初、長くこの本丸を続けられないと言っていただろう」
「その考えは、今も変わらないのだろうか」
不安そうな蜂須賀に、日本号をちらりと見上げてから、私は一歩前に出た。
蜂須賀の手を掴む。
「長くご心配をおかけしました」
「もう少し、続けられることになりました」
日本号のおかげで。
晴れやかに笑う私に、蜂須賀が目を見開く。
「もう少し?」
「はい」
もう一度しっかりと頷く。
蜂須賀の目が日本号を見て、また私に戻る。
多分、日本号のことは伝わっているのだろう。
なんで私の中の日本号の神気がわかるのかは、わからないけど。
その顔が喜色に染まる。
日本号が私の肩に手を置く。
「ま、そういうことだ」
「そうか! ……良かった。本当に……!」
「代わりに、皆さんには少しご迷惑をおかけしますが」
あの職員に加護を弱める話をしたら、気をつけるように言われた。
一族の霊力の高い者は、冥界に攫われやすいのだと。
「月詠様の舞姫は、冥界でも人気なんです」
そういえば、子供の頃は一人で出かけることを止められた。
冥府に攫われるからと。
いつも姉様や妹たちと一緒だから気にしてなかった。
「迷惑じゃねえって」
「なんの話だ?」
何かを切り捨てる音に、振り返る。
「主よ」
三日月が鞘に太刀を仕舞う所だった。
ちん、と小さく音が鳴る。
「それはこの珍客のことだな?」
三日月の足元で、黒い影がサラサラと砂粒になり、空気に溶けた。
「三日月さん」
「うむ、冥府からか。なるほど」
三日月が私の前、膝をつく。
「……まずは主よ、その舞扇を見せていただきたい」
三日月のいう舞扇は、帰り際に職員から渡された祝い品だ。
手渡すと、三日月は震える手で受け取り、それを見つめる。
「……やはり」
そういえば、名に月をもつ刀剣男士だ。
もしかして、月詠様と繋がりがあるのかもしれない。
「何か知ってんのか」
「……さてな」
三日月から私に、舞扇が戻る。
「主よ、これからはこのような誘いが増えるということで、相違ないか?」
「は、はい」
「あい、わかった」
「……三日月さん?」
「なれば、護るまでのこと。のう、日本号?」
細められた三日月の目の前で、日本号は大きく頷く。
「おうよ」
「はっはっはっ、楽しくなるな」
笑いながら三日月が去る。
「え、楽しい?」
首を傾げていると、頭に手を置かれた。
「ま、そういうこった」
「ええ?」
「わかった。では、皆に知らせておくとしよう」
蜂須賀がそう言って、いなくなり。
私は長谷部に向き直る。
「長谷部さん、あの」
「はい」
「……新しい出陣先の部隊編成案を、お願いできますか?」
今までは任せて関わりを持つのが怖かった。
でも、もう日本号といるのなら、いいだろう。
だって、日本号の周りにはいつも人が溢れている。
その隣にいるのなら、どんどん関わっていいはずだ。
「っ、お任せください!」
嬉しそうな長谷部を見て、私は日本号に笑いかけた。
日本号もまた、笑い返してくれる。
「さて、飯を食いに行くか」
「まだ残ってるでしょうか?」
時間は昼食提供開始の半刻前。
「朝飯に行かなかったから、きっと心配してる」
「あ……」
「だから、今日もここにいるって、教えてやらねえとな」
これからも毎日はここで始まる。
夢ではなく、現実の日本号の隣で。
「はい!」
それはとても楽しい日々の始まり。
空は高く、雲は流れる。
歩き出す私たちの後ろを、暖かくも柔らかな風が流れていく。
木の上では、鳥の声が楽しげに囀っていた。