二人で庭を歩く。
今朝は凝りをとって、朝食前に少し散歩をしている。
主はまだやりたいことを口にしない。
「もう、よくわからなくて」
そう困った様子で。
このままだと埒も明かないから、庭に連れ出した。
庭に出たこともないそうだから。
日本号は主の後をついて歩く。
足取りは無意識なのか、廊下を歩くよりも軽く跳ねていて、楽しそうにはみえる。まだまだ無表情だが。
「主、おはようございます!」
蜻蛉切の声に主が顔を上げる。
目の前にいる蜻蛉切を認め、少し困ったように眉を下げる。
軽く日本号を振り返る。
「今朝は散歩ですか?」
「は、はい」
「良い天気ですから、心地よいでしょう」
「……はい」
主が、一拍置いて、ふと口角を上げた。
「はい、本当に」
明らかに笑ったとわかる顔に、周囲が静まり返る。
だが、主は気づかずに続ける。
「鍛錬ですか?」
「はっ」
「では、きっと朝ごはんも美味しくいただけますね」
「は、はい」
「……」
「……あの、何か?」
蜻蛉切が日本号を見る。日本号は目線で待つように伝える。
「……お、おはよう、ございます」
頬を染め、少し俯いて主が言った。勇気を振り絞った、という様子で。
「……蜻蛉切さん」
それから、また口元を緩める。
蜻蛉切も一度見惚れ、すぐに返す。
「おはようございます、主」
二人が笑う。
どちらもなんの含みもなく。ただ挨拶をしただけだ。
だが、主には大きな一歩。
蜻蛉切が去った後、日本号は主の頭に軽く手を置く。主は、日本号を見て、また嬉しそうに頬を染めて笑っていた。
それから、何人かの男士が偶然を装って主に挨拶しにくるので、日本号は笑いを堪えるのに苦労した。
気づいたとしてもそれはそれで、主ははにかんだ温かい笑顔を日本号に向けるだろうが。
朝食を食べる主を見る。緊張も少しほどけて、口元も緩くなった。
厨で見ている者たちが気づくのは、主は和食が好き。野菜が好き。魚が好き。肉はあまり進まないが、食べたくはあるらしい。
それと、デザートはあまり甘すぎない方がいい。ところてんは嬉しそうに食べていた。懐かしい、らしい。
じっと見ていると、日本号は違和感に気づく。
ここ数日、共に食事を共にしているが、いつもと違う。
「……主」
「んん……はい?」
「……いや、なんでもねぇ」
霊体の凝りがいつの間にか増えている。朝に吸ってから、こんなに早く増えたことはなかった。
(なんだ? 何があった?)
今すぐにというほどではないが、今日は昼間も必要がありそうだ。
食べ終わった主が、書庫へ向かう。この本丸に書庫があるとは、日本号は知らなかった。
「主、どうした?」
書庫に入ってすぐ、声をかけてきたのは三日月宗近。それ以外に、書庫には小烏丸、獅子王、同田貫正国。なかなか珍しい顔ぶれだ。
主が軽く頭を下げて、書棚へ向かう。
三日月は主についている日本号を見て、軽く微笑んだ。だが、何かを言うわけでもない。他もそうだ。
主が二、三冊のファイルを手にして、出ていく。慣れたものだ。
部屋を出た後、日本号は主からファイルを取り上げた。
「日本号さん?」
「持つぐらいはできるさ」
主は少し困って、それから笑う。
「……ありがとうございます」
そこへ長谷部。
「主!!」
二人とも振り向く。
「それは、仕事、でしょうか?」
「はい……?」
「俺にお任せくださいませんか!」
長谷部を前に、主は少し固まる。どうするか迷っている。
「……その、これまでの戦績のまとめをしているのですけど……」
主が言うのは、引継ぎのひとつなのだろう。
気づいた長谷部は一瞬眉を動かしたが、追及はしなかった。ただ主を真っすぐに見ている。
主が困ったように日本号を見る。日本号は息を吐いて、長谷部にファイルを渡した。
「ほらよ」
「日本号さん……」
「いいんじゃねぇか?」
「ですが……」
「俺に時間をくれるんだろ?」
考えた末、主は長谷部に両手をそろえて頭を下げた。
「その、お願いしてもいいでしょうか?」
その状態で、少しだけ頭を上げて、首をかしげる。
長谷部は主の上目遣いに、固まっていた。
(だよなぁ)
日本号はにやにやとそれを眺める。
この娘は全部無意識でやっている。
「お任せください!」
やる気になった長谷部が握り拳を作って、叫んだ。
「すぐ終わらせます!!」
そのまま猛スピードで走っていった。
身体を戻した主は、困った顔で日本号を見上げる。
「本当に、よかったのでしょうか?」
「いいんだよ。それより、ちっと俺の部屋にこい」
主を連れて、日本号は三名槍に割り振られた部屋に入った。ここが近かったからだ。
「お、日本号……と、主!?」
寝転がって漫画を読んでいた御手杵が飛び起きた。
「なんでだ!?」
「うるせぇ」
「……すいません」
主が頭を下げる。
「あの、日本号さ…ん!?」
日本号はその体を抱えて、すぐに胡坐をかいた膝に乗せた。
背中は廊下側、目の前は壁。御手杵からは見えない。
「御手杵、ちと出ててくれ」
「お、おう?」
「野暮用だ」
「……はぁ?」
「に、日本号さん」
「見られたくねぇだろ」
腕の中、主が身体を硬直させつつ、頬を染める。
「……えっと、よくわかんねぇけど、部屋に誰もいないほうがいいんだな。わかった」
御手杵が部屋を出て直ぐ、主の左手を取る。
「日本号さん、なんで……っ」
「増えてる」
「え」
「こんなに早く増えることなんてなかったろ」
主の顔が、さっと青くなった。
これは、何かを知っている。
でも今は。
「まずは、吸うぞ」
「は、い」
薬指の付け根に口を寄せる。ひとつ、ふたつ。
ぶつり、とすぐに途切れる。
「主……」
「……やっぱり、私は……」
主の目が昏く濁り始める。霊力が渦を巻く。
――ぽん。
そしてまた、凝りが、増えた。
「なんでだよ……」
日本号から、低く唸る呟きがもれる。
主はしばらく目を閉じていた。
外から鳥の声が、風に揺らされる木の葉の音がさらさらと聞こえる。
ゆっくりと娘が瞳を開く。その目は日本号を通り越して、遠くを見ている。
「やっぱり、止められない……」
「……勝手に、増えちゃう……」
娘の顔を自分の胸に押し付けるようにして、日本号は腕に力を入れた。
「大丈夫だ」
「俺が何とかするっていったろ」
「俺のことはまだ信用できねぇか」
ふるふると首を振る娘を抱く腕にいっそう力を籠める。
「もう一度だ」
腕を緩め、今までとは違い、掌側から薬指の付け根に口を寄せる。
(頼む)
意識を霊体に集中し、凝りを捕まえ、引き出す。
ひとつが震える。なかなか離れない。
(頼む)
やがて、凝りがまた離れ、日本号に流れ出す。
(よし)
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……とお。
続けられそうだが、と日本号は主を見た。
身体中を林檎色に染めて、震えている。
宥めるように、空いた手で、耳元の髪を撫でる。
びくりと、更に震える。
「……っ」
娘の目から雫が落ちた。
驚いて口を離す。
「主?」
慌てた娘が、目元を自分でぬぐう。それ以上涙は出ていなかった。
「ち、ちがうんです、これは」
娘は日本号から顔をそむける。
「なにか、今、外れた気が、して」
「うれしくて」
真っ赤になって震えている。何が起きているのかわからないが。
「……まあ、うまくいったみたいだし、いいか」
主の頭を軽く叩く。数回。
「うん、こっちのがいいってことか」
「えっ!?」
「今度から、こっちだな」
「こ、こっちって」
「内側の方が、あんたに届く」
「ぇえっ」
日本号の手を娘が掴んで止める。
「ま、まって。それは……っ」
「大丈夫だ。俺は壊れねぇよ」
「そ、そうじゃなくて……っ」
「このままもう少し休んでろ」
「そういうことでもなくて……っ」
手をよけて、娘の顔を覗き込む。
「ははっ、桃の実みたいに真っ赤だぜ」
見下ろす自分の顔も赤くなっていることに、日本号自身も気づいていなかった。