朝食後、歌仙と主が話している。
こうして、少しずつ男士たちと話すことも増えてきた。それはいい兆候だ。
たとえ、机の下で日本号の指をこっそり握っているのだとしても。
窓からヒラヒラと青い蝶々が飛んできて、主の頭に止まる。
しん、と大広間が静かになった。
主が首を傾げると、蝶々がヒラヒラと舞う。それは、主がそっと伸ばした指先に止まった。
主は目を丸くする。
その眼差しが、ゆるり、蕩ける。
口角が上がり、目が細められる。
まるで一枚の絵をみているようだ。
(今、手元に酒盃がありゃあな)
惜しい。
主が日本号を見る。
その手から蝶々が飛び立ち、空へ消えていった。
「見ました?」
蝶々を追いかけていた楽しそうな視線が、主自身の手元に移動する。
「止まりました」
そして、日本号を見る。
「……驚きました」
嬉しそうに報告してくる主の頭に、日本号は手を置いた。
「良かったな」
「はい!」
その笑顔は夢で見たのとよく似ていた。
嬉しいはずなのに、誰にも見せたくない。そんな気がしてくる。
だから、強く主の頭を下に押す。
「わ、なんですか?」
「なんでもねえよ」
ふと、周囲の視線に気づく。
主がこれに気づいたら、どんな反応をするか。
視線で視線を散らし、主から手を退ける。
「そろそろ行くか」
主は嬉しさをそのままに、大きく頷いていた。
日本号はなんだか胸の奥がむず痒くて、仕方なかった。
廊下に出てすぐ、主の足元に黒い何かが滑り込んできた。
「鵺ー!」
主は足を止めて、固まっている。
やってきたのは獅子王だ。いつも肩にいる黒い塊、鵺がいない。
「獅子王さん?」
「主、すまねえ。鵺の奴がいきなり飛んでっちまって」
獅子王が鵺に手を伸ばす。
「ほら、主が困ってんだろ、鵺」
する、と鵺が主の陰に隠れる。
「鵺さん?」
それでいて、主が手を伸ばすと、その手に目元を擦り付ける。
ふわふわが楽しいのか、主の口元がゆるゆるだ。
「んっ、獅子王さんがお困りですよ」
「お困り……いや、困るのは主だろ!」
主が顔をあげて、獅子王に首を傾げる。
「困りません」
「は」
「鵺さん、そこが心地よいのですか?」
鵺が主の霊体に触れているのが見えて、日本号は掴み上げた。咄嗟で何も考えていなかった。
「獅子王」
「あんがとな、日本号」
「おう」
主の霊体に触れられるなんて、自分以外にいると思わなかった。
「日本号さん?」
「……いや」
主の霊体を見る。
凝りが増えてはいない。
いないが。
「獅子王さん、鵺さんを叱らないであげてください」
「え、あ、ああ。でも、こいつ、そんなこと言ったら、調子に乗るぜ?」
「大丈夫です。猫みたいなものでしょう?」
主は楽しそうだ。
「猫って」
主が手を出すと、鵺が綿雲のような黒い体を伸ばして、主の手に触れた。
それを日本号は手を出して、遮っていた。
「日本号さん?」
「日本号?」
自分でも何をしているのかわからない。
「なんでもねえ」
日本号はそう返すしかなかった。
そうだ、と獅子王が日本号を見る。
「日本号、畑当番だったろ」
「あ? あー、そうだったか?」
「俺もだ」
獅子王が主を見て、笑って手を差し伸べた。
「な、主は畑行ったことないだろ?」
「は、はい」
「んじゃ、行こうぜ。今日は面白いもんも見られる」
「…………面白いもの?」
主が日本号を見上げる。
どうしようと迷っている。
「何かあったか?」
「収穫、今日は燭台切だからさ」
「なるほど」
「張り切ってたし」
「何があるんですか?」
獅子王は笑う。
「それは見てのお楽しみ、さ」
主は差し出された獅子王の手を見て、日本号を見て。すすっと、日本号のそばに寄る。
「じゃあ、行ってみます」
日本号を見上げ、主は控えめに微笑んだ。
なんだそれ、とは誰も言わない。
ただ、日本号は固まる。胸の奥が落ち着かない。
主を本丸内に連れ回すようになってから、自分がわからない。
でも。
「ああ、行くか」
日本号の手に手を重ねる主に、この手は離せないな、と思った。
日本号が畑仕事をしている最中、主は木陰にいた。
木に寄りかかって座っている。
何人かの男士が近づいては話しているが。
(緊張、してんなあ)
遠目にそれを見て、日本号が苦笑していると、主と目が合う。
「主、日本号が連れ回すようになって、雰囲気柔らかくなったな」
獅子王の言葉に、日本号はそうだろうと頷く。
「今は普通の女の子みたいだ」
日本号が獅子王を見ると、頬を染めて、主を見ている。
獅子王は日本号の視線に気づくと、誤魔化すように照れ笑いをした。
主が本丸に受け入れられるのは、良いことだ。
そのために、連れ回している。
そのために、交流させている。
全部、日本号自身が仕組んだことだ。
獅子王の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「わ、なんだよ!?」
「わかってるじゃねぇかっ」
ニヤニヤと笑いながら、獅子王と笑い合っていて。遠くから、主が二振を少し寂しそうに見ているなんて、思いもよらなかった。
燭台切の収穫を、主が日本号の隣で見ている。
「別に、特別なことは何もないよ?」
苦笑する燭台切に、獅子王が首を振る。
「他にやるやついねぇから」
「すればいいのに」
「しても、燭台切みたいにはならねぇんだよ」
二振の様子を主がきょろきょろと忙しそうに見ている。
「主、今夜の食材なんだけど、何か食べたいものはある?」
燭台切に聞かれて、日本号を見上げる。
「好きな食材を聞いてんだよ」
主は首を傾げ、口元に手を置いて思案する。
「……これ?」
指したのは、何かの葉っぱ。
「人参?」
こくりと頷く主が、日本号の陰に隠れる。
「……ゆでたの、美味しかったので」
「ああ、じゃあ、歌仙くんに伝えて……」
「バターの味が、少し?」
燭台切が少し固まり、吃驚するほど輝く笑顔を見せてきた。
「グラッセだね! うん、じゃあ、今夜は楽しみにしておいて」
それから、燭台切が畑の人参を一通りみて、一角で足を止める。
「この辺かな」
地面に手をついて、囁く。
「うん、今日の主のお腹に入りたい子は誰かな?」
「……うん、そうか。そうだね、じゃあ、君にお願いしようかな」
そういって、数本を抜いていく。
主は困惑した様子で見ている。日本号を見ても、なんといっていいやら。
「燭台切はさ、ああやって食材に語り掛けて収穫するんだ」
「んで、そういう食材はめっちゃ美味い」
獅子王が代わりに解説して、主に笑いかけた。
主は少し考えて、燭台切を見つめる。
「……美味しいのがわかるってこと?」
やはり、わからないらしい。
大体、誰もわからない。
うきうきとした足取りで燭台切が去った後。
「……グラッセは、おつまみにぴったり……」
こっそりと囁く主に、獅子王と日本号は吹き出した。
主は嬉しそうに一緒に笑っていた。