朝食に向かう廊下も大広間も、かなりの男士が主に声をかけるようになった。
主も大分、挨拶を返せるようになった。手はしっかりと、日本号を掴んでいるが。
並んで食べている時も、緊張が薄れてきた。
「主、今日の献立はどうだったかな?」
日課のように、歌仙も食後に来るようになった。
「歌仙さん、いつもありがとうございます」
主はまず礼を言う。
「今日の卵焼き、美味しかったです」
「うん、やっぱり甘いのより出汁のきいたものが好きなんだね」
「……わかりますか」
「まあ、うん」
歌仙が視線を厨に向ける。おそらく、男士たちでそういう話題があったのだろう。
「ときに、今夜は大きな宴会をしようという話になっていてね」
「主も参加してはどうだろうか」
「日本号と共に」
主が日本号を見る。
「……そう、ですね」
その目が歌仙に戻る。
「お邪魔でなければ」
「ふふ、とんでもない」
歌仙が日本号をみて、微笑まし気に笑う。
「僕も主と飲むのが楽しみだよ」
人見知りの歌仙にしては珍しい。
主も小さく笑う。
「私も」
数人が一瞬固まっていたが、すぐに動き出した。最近、皆わかりやすい。
日本号が笑っていると、主が首を傾げた。
「なんでもねぇよ」
主の頭に軽く手を置く。そのまま、ぽんぽんと撫でると、手を掴まれた。
手の下で、主が頬を染めて、口元を緩めて、嬉しそうだ。
そんなに宴会が楽しみなのだろうか。
「酒なら、毎日飲んでるだろうに」
「あれは薬でしょう?」
主がきょとんと眼を瞬かせる。
凝りを吸い出すために与えている、日本号の酒。
高い酒に神気を混ぜたもの。
繋がりを強めるための酒。
「……まあ、そうだな」
薬と言えば、薬だが。
「日本号さん?」
不思議そうな主を、日本号はなんともいえない感情のままに見返す。
最初は、繋がりを作るために与えた。そうしなければ、主は死にそうだった。
今は毎日飲ませているから、それなりの太い繋がりを持っている。数日与えなくても、繋がりは切れないだろう。
それでも、与えているのは。
(もしも、主の霊力が溢れたら、主を失う)
(それが嫌なだけだ。そうだ)
「なんでもねぇよ」
そっと囁くと、主はまた嬉しそうに微笑んだ。
夕餉の前に主の自室で、日本号は娘に盃を渡す。
娘は躊躇いなく飲む。
「ちっとだけ、やるか」
「はい」
娘はちょこんと、日本号の胡坐をかいた膝に座る。耳も首も既に淡く紅色に染まっている。
「そっち向きじゃやりにくいって言っただろうが」
日本号を振り返った娘が、横向きに座りなおす。
「別に、顔を見なくても出来るのでは?」
「見なきゃ、わかんねぇ」
震える娘の喉元をそっと撫でる。特に意味はない。
「っ」
「赤いな」
「は、始めてください」
娘の左手を掴み、手の内側から薬指の根元に口を付ける。
「……っ」
今日もまた、凝りが増えた。だが、この方法だと、少しだけ多めに吸い出せる。日本号は、凝りを神域に流してゆく。
「……ん……っ」
今日は十二。そこでまた、ぶつりと途切れる。
「今日は鍛錬を見学して、どうだった」
日本号は口を離し、そのまま娘に語り掛けた。
もう膝から下ろさずに雑談することには、諦めてくれたようだ。
「……とても、綺麗だなって」
「は?」
「皆さん、真剣なので、こんなことを言うのは良くないと思うんですけど」
「……」
「なんだか、ひとつの舞台を見ているみたいで、とても、綺麗でした」
娘の目が日本号を見上げ、微笑む。
「流石、私の神様です」
ぶわっと、胸の内に何かが温かく溢れる。
日本号は咄嗟に、娘の顔を片手で抑えていた。
「わ、なんですか?」
「……なんでもねぇ……っ」
「えぇ?」
困惑した娘には悪いが。今のは娘が悪い。
顔に熱が集まる。いくら日本号でもこれは娘に見せられない。
酒でもなく赤くなるなんて、絶対に。
宴席の端、主は日本号の隣で盃を傾ける。ちびちびと。
「ふふっ、主が来るとはねぇ」
早速、次郎太刀が絡んできた。
「何飲んでるんだい?」
「……水?」
「あっはっはっはっ」
主の盃に入っているのは、本丸で用意した酒に、日本号が神気を混ぜた酒。本人には言っていない。
「冗談です。皆さんと同じですよ」
主が笑うのを、次郎太刀は微笑まし気に見つめ、頭を撫でた。
「うんうん、水だ水。これは、水!」
「水じゃない」
歌仙がやってきて抗議する。
「これは……」
「之定ー」
少し離れた場所で、和泉守兼定が呼ぶのに舌打ちして、歌仙は離れていく。同派には甘い男士だからな。
「主は楽しんでおられますか」
「太郎さん」
太郎太刀を見上げた主が、こくりと頷く。
「はい。こういうの、久しぶりです」
「久しぶり?」
「生家ではよくありましたから」
時々零れ落ちる主の話。それはどう聞いても普通の家庭の話ばかりだ。
それが審神者になってから、どうしてこんなにも極端になっているのか。
「主は、よい家庭でお育ちなのですね」
「はい」
太郎太刀に主が頷く。
皆から視線を感じるな、と日本号は盃を傾けた。
そりゃ、主に聞いてみたいのは分かる。
これまで極端に刀剣男士を避けていた理由。
(俺だって、知りたい)
(もっと早くわかっていりゃ、あんな……)
主が血を吐く姿が脳裏を過ぎる。
日本号が見たのは一度だけだが、主は明らかに慣れていた。何度も一人で耐えてきていた。
隣を見ずに、頭に手を乗せる。
「……日本号さん?」
「ん」
そのまま髪の上を滑らせるように撫でる。何度か。
「……っ」
「日本号ー?」
呆れたような次郎太刀の声が聞こえたが、日本号は見なかった。
たぶん主は、あのほわほわした温かくも恥ずかしくなるような笑みを浮かべているのだろう。
日本号自身も顔が熱い。
「日本号、熱でもあると?」
「うるせぇ」
博多のからかいに乱暴に言い返した。
主は楽しそうに、くすくすと笑い声までこぼしている。
頭に乗せた手を、主が掴むのを感じて、目線を向ける。
「熱? 大丈夫ですか?」
少しだけ心配そうな顔。視線が、甘い気がする。
「大丈夫じゃねぇかもな」
「え」
「あんたがここにこねぇから」
自分の胡坐の上を叩く。
主が全身を震わせ、頬を染める。
「そっ、それっ、でもっ」
ふいと顔を主から外す。長谷部も博多も、他の奴らも笑っている。
まあ、主も冗談とわかってるだろうし、来ないだろうなと思っていたのだが。
膝上に重さがかかる。
(は?)
目の前に、首から上が赤くなった娘がいる。
ちらりと振り返る娘は口元に盃をつけて、隠していた。
「大丈夫、ですか?」
べちりと娘の顔に手を乗せる。
「んっ」
「こっち見んな」
「ええっ」
「日本号、それはないんじゃないー?」
「うるせぇ」
騒がしい揶揄い声と、腕の中の娘の温度。
「……号さんが言ったのに……」
小さく小さく、日本号にしか聞こえない声で呟いている。
それは。
夢の中でしか呼ばなかった呼び名。
(あーーーーーーー)
なんで、ここで、それだ。
「日本号ー?」
「酔ったんだろ、放っておけ」
博多と長谷部の声に顔を上げられない。
娘の肩に、日本号は顔を埋めた。
「……後で……」
絶対、もう一回言わせる。絶対だ。
娘からは、ぷるぷるとした振動だけが伝わってきていた。
今夜はもう酒も飲めそうにないなと、日本号は心で呟いた。娘のもつ酒の香りだけで酔いが回った気がした。