かくも日常的な物語 2 作:満足な愚者
書き直す可能性があったりなかったりする話です。その場合はすみません。
「アイドル如月千早の隠された真実。お姉ちゃん――姉の千早の下に駆け寄ろうとした弟は、車に撥ねられ、この世を去った。当事、千早は8歳。その場に居た人々の証言によれば、千早は弟を助けようともせず、ただ傍観していたと言う。何故彼女は、弟を見殺しにしたのだろうか。写真は弟の墓前で言い争う千早と母親の姿だ。ちなみに、千早の両親は、数ヶ月前に離婚している。事故死、家庭崩壊、離婚、彼女の周囲には不幸が積み重なっていく。そんな呪われた素顔をひた隠し、如月千早は今日も歌う。何も知らないファンの前で……なにこれ、まるで千早ちゃんが悪いみたじゃない!」
午前中までだったミニライブが終わり、楽屋で昨日の記事を読んでいた春香は雑誌を握るつぶさんばかりに思いっきり握力を込める。しかし、女子高生である春香の握力では雑誌が握りつぶせるわけもなく、軽く皺をつくる程度に留まった。
酷いというものではない。これではまるで自分の親友が悪いみたいではないか! まるで不幸を呼ぶアイドルのような扱いで書かれている。
実際にネットを少し漁ってみればそんな書き込みやブログは昨日から山のようにあった。
こんな記事認められていい筈がない。
「うん、これは酷い。私もそう思うよ春香」
横を見れば春香と雑誌を共有して一緒に読んでいた雪歩が普段の穏やな表情ではなく、むっとした表情をしていた。
雪歩もこの出鱈目な記事は許せないようだ。
「千早、大丈夫かな……」
春香は少し皺の付いた雑誌を机の上におくと座っていたパイプ椅子の背もたれに全体重をかけ、体形を崩すと、そのまま天井を仰ぎ見た。天井ではどこか白い蛍光灯が三本、規則的に並んで収まっていた。
この記事を見た千早は相当のショックを受けたはずだ。昨日の段階では健気に何事もないかの様に振る舞っていたが、無理をしていたことは春香の目でもはっきりと分かった。
「大丈夫だと思いたいけど……」
雪歩はここまで言うと少し言い澱んだ。
そして少しの静寂の後に顔を上げるとハッとした表情を作り、
「ねぇ、春香。思いついたんだけど、千早ちゃんのレッスン会場に今から行かない? 確か、午後からだって昨日言ってたし、それにここにいる三人は今日これから仕事オフだったよね!」
いつもなら仕事終わりはプロデューサーである赤羽根か律子、そしてプロデューサー代理である真の兄、もしくは事務員である小鳥が迎えに来るのが通例だが、例のゴシップ記事の対応に追われて全てのアイドルの送り迎えが厳しくなったため、プロダクションから近い場所での仕事があった春香たちはその場で解散と言われていた。
「うん、それはいいアイデアだよ雪歩! よし、そうと決まれば直ぐに行こうよ! レッスン場もここから近いしね!」
雪歩の提案に春香はそれはいいアイデアだとすぐに賛成の意を示すと立ち上がり、そしてこの部屋にいるもう一人へと目線を配る。
「ねえ、真。真も行くよね!」
春香と雪歩から少し離れた椅子に座っていた同じナムコプロ所属のアイドルである菊地真に声をかける。かけると言っても春香にとっても雪歩にとっても真はすでに来るのが当たり前と思っていたため行くための準備を促すような形になっていた。
それだけこの三人は気がおける間柄というわけだった。
「…………」
「……真ちゃん?」
春香の言葉に何も返さずその場でただ座ったままの真に雪歩は近づくと声をかけた。
「うん、あ、ごめん……。ボーっとしてたよ。ごめんごめん」
どこか魂が抜けたような顔をしていた真は声をかけられるとはっとしたような表情になる。
そして照れくさそうに笑いながら後ろ髪を掻いた。
「もう、どうしたの真? 珍しいね真がボーっとするなんて」
「あっ、もしかして寝不足? お兄さんも最近夜遅いみたいだし……」
「いやいや、そんなんじゃないよ! 最近ボクは早く寝てるしね! 多分ライブが終わってほっとしてただけだよ」
雪歩と春香に真は心配しないようにと元気に応える。
「それならいいけど……。そうだ、今からレッスン場に言って千早ちゃんの様子を見に行こうって話鳴ってたんだけど真も行くよね? 千早ちゃん昨日の記事できっと傷ついていると思うんだ。酷いよね、ネット上では不幸を呼ぶアイドルとか書かれているんだよ!」
真は来ると確信していた春香と雪歩はイスから立ち上がり真の方を見る。真なら、よし行こう!と言うに違いない、三人の付き合いは短くなないのだ。これくらいのことは分かる。
しかし、真の口から出た言葉、二人の予想とは違ったものだった。
「ごめん」
「うん、じゃあ早速行こうか……って、え?」
頷くと思ってばかりいた真の予想外の言葉に雪歩は思わず聞き返した。
「ごめん、今日は用事があって……。だから、急ぐんだ。ごめんね、春香、雪歩」
真は小さな声でそう言うと、急いで部屋から出て行った。
「どうしたんだろ真ちゃん……」
雪歩の呟きが真に届くことはなかった。
(油断した……)
青年の脳裏にまずよぎったのはこの四文字だった。可能性として想像していなかったわけではない。常にありうると頭の中にあった事柄だった。ここ数年そういうこともなかったためどこか油断していたのかもしれない。
青年が思い出すのは一つのゴシップ記事。
あれだけ有名になっていたのだ、ゴシップ記事の一枚や二枚書かれて当然。むしろここまで書かれなかったのが奇跡に近い。
「お前にしては珍しいな。こんなことになるなんて、アイツと真のことになったらお前は今まで完璧に処理してきたというのに……」
一般の一軒家よりは少し広いリビングに女性の声が響く。この家の主である紅い髪が特徴の女性だ。
「そうだね、Sにしては珍しいよね」
そしてもう一人男が話す。声色からだけでも分かる優しさ。茶髪の彼はいつも通りの爽やかさに成りを潜めて話す。
今この家にいるのはこの三人。いつもならここにもう一人この三人の中心となる青年がいるはずなのだが、今日は来れていない。
「何も言い返す言葉がない。色々と昨日から調べてみたが、どうやら765プロのライバルプロダクションである961プロダクションの社長の仕業らしい」
予め765プロと961プロの因縁の様な関係性を調べておいたと言うのにこの様だ。甘い考えは捨ててあの時、確実に手を打っておくべきだった。
「961プロと言えば俺でも知っている大手じゃないか……なんでそんなことを」
「社長同士が旧知の仲だ。黒井社長の方が765プロの快進撃を許せなかったのだろう」
青年は迷惑だという風にメガネを中指で上げる。こんな私情でここまでのことをされればたまったものじゃない。
「なるほどね。業界最大手か……。ならお前の情報網を掻い潜って記事を書かせることくらい出来るかもな……そして、一度出回ってしまえばとりあえずはこの騒ぎが落ち着くまでは何も手出しできないか……」
「そうだな。それが問題だな」
一度表に出回ってしまえばその騒ぎが一段落するまで何も手出しはできない。騒ぎが小さければまだどうにでもなるのだが、今や765プロダクションの如月千早はアイドルでも指折りの存在。そんな彼女の記事が騒ぎを起こさないわけがなかった。
既に騒ぎを力づくで抑えれる範囲は十二分にオーバーしているのだ。
「千早のことは別に可愛そうだとは思うがどうでもいい。問題はあいつ等だな」
紅髪の彼女、橘ミズキは顎を手にやり考え始める。
「まぁそうだよね。確かに千早ちゃんも問題と言えば問題だけど、俺たちが考えるのは別だよね。で、これからどうする訳?」
そう、ここにこの三人が集まったのはこれからどうするかの話し合いだ。そして、そのこの三人は特段、千早のことを心配していなかった。
「どうするもこうするも、とりあえずは何も出来ないから現状を見守ることだろうな。文化祭もあと一週間と少しだしな。それまでにこの問題が片付けばいいが……。それと目下その間はアイツの情報をもらさないことだろうな」
リーダー不在のため半ばリーダー扱いのミズキは茶髪の青年、ヒロトの問いかけに答える。
「あぁとりあえずはそうなるだろうな。俺も文化祭までは情報をもらさないように厳重に対処する。それと出版関係の知り合いにも当たってみる。言っては悪いが如月千早のこの程度の不幸でここまで騒ぎになるんだ。アイツと姫の家庭事情がばれればそれどころではなくなるぞ」
確かに一般的に見れば千早の家庭も十分不幸な部類に入る。
しかし、彼と彼女の家庭事情はそれに輪かけて酷い。そんなネタを記者たちが黙っているわけはないだろう。一応表向きは青年のコネとコンピューター技術さえあればいくらでもねつ造は出来る。
……しかし、どこからか綻びがでないとは限らないのだ。これからは細心の注意を払わないとな……。
青年、SSKはそう心の中で決意を新たにしながら、親友のこれからを祈った。
「…………はい。―――その、あの記事のことですか? はい、それは今確認中でして――え、今度の千早のCMの採用を見送る!?―――それは、何とかできないでしょうか? ……えぇ、記事が記事ですが……縁起が悪いってそんな!? 考え直してはくれませんか? ……無理ですか」
「はい、こちら765プロです。――はい、今日の週刊誌の件でしょうか? ただいま確認中ですので今のところは何もコメントできないです……えぇ、すみません」
鳴りやまない電話。ナムコプロの事務室はコール音が鳴り響いていた。その対応にナムコプロダクション正規プロデューサーである律子さんと事務員である音無さんが目まぐるしく追われている。俺もそちらの対応を手伝いたいところだが、バイト扱いでもある俺に出る幕はなく、二人が手を付けられない代わりのデスクワークのフォローを慣れないパソコンで行うのが精一杯だった。
カタカタと慣れない指の動きでキーボードを叩くが、この調子でいけば終わるまでに後三日はかかりそうである。もちろん、このデスクワークというのは一日の仕事であるから、その仕事に三日もかかると負の永久機関完成である。そんな永久機関は勘弁してほしい限りだ。
これでは手伝っているのか邪魔をしているのか分からない。久しぶりに使うキーボードは打ち間違えが多かった。上手く動かない指に苛立ちを覚えて焦ってまたミスを繰り返す。先ほどからこれのループだ。
いや、苛立っている原因は打ち間違えもあるが、それよりももっと別にある。とてもじゃないが誰にも言えない、黒い黒い感情が昨日から沸々と湧いているのが自分でも分かっていた。
もう二十年以上俺は俺をやっているのだ。自分の感情は自分が一番よく分かっている。
気持ちを落ち着かせるためにペットボトルに入った水含み、再びキーボードへと向かう。
もう一人のプロデューサーである赤羽根さんは渦中の千早ちゃんと歌のレッスンのためここにはおらず、事務室の奥のテーブルではナムコプロダクションの社長である高木社長自らも電話対応をしている有様だった。
事務室にある三台の電話は終始鳴りっぱなしであり、途切れることはない。少なくとも、俺がナムコプロに駆け付けた時からずっとこの調子である。カエルや蝉の合唱のように電話はひっきりなしだ。
さきほどから聞こえる電話の内容からもあまりいい電話でないのは一目瞭然。仕事のキャンセルの電話もすでに数件入っているようだった。
ちらりと画面から目をそらし、俺の机の右隣、赤羽根さんの机の上に置いてある雑誌を盗み見る。
この大騒動の原因にもなった一冊の雑誌があった。
昨日、ミズキの家にいた俺たちの下へと駆けこんできたSSKの手に握られていた雑誌。
そのあるゴシップ記事が今回のこの騒動の原因であり、俺の苛立ちの原因でもある。
「すみません、真のお兄さん」
「はい、なんでしょう」
秋月さんに呼ばれ画面から顔を上へと上げる。秋月さんは通話の切れた受話器を右手に抱えていた。コールが鳴らないように配慮しているのだろう。
「大変申し訳ないのですが、今日ライブをやっていた竜宮小町の迎えを頼んでもいいでしょうか? タクシー使ってもらって構いませんので……」
秋月さんは申し訳なさそうに頭を下げながら言う。そのくらいなら大丈夫だ。むしろ、いつもやっていることだし、それにここまま下手なキーボード裁きだと終わるものも終わらない。
「いえいえ、それくらになら大丈夫ですよ」
「本当にすみません。わざわざ今日も休みなのに出てきていただいてますし……」
「いえいえ、気にしないでください。こんな大変な時にバイトとはいえ、ゆっくり休んでいるなんてこと出来ませんよ」
そう俺は笑顔を作り、立ち上がる。不謹慎だと思われるかもしれないが、逆境の時に大切なのは笑顔を見せることだ。逆境に飲まれてはいけない。暗いことばかり考えても起きてしまったことは、もうどうしようもないのだ。
だからこそ俺は自分の感情を隠し、笑顔の仮面を被る。もう既に慣れたものだ。
「ありがとうございます」
俺の内側を露ほども知らない秋月さんは俺に習い笑顔を作る。動揺がまだ表情に浮かんでいるが、まぁ及第点だろう。
受話器を手に取りながら頭を下げてくる音無さんに俺も会釈を返し、奥の机に座っている高木社長に頭を下げると、俺はスーツの上にコートを羽織った。
そして、
「この雑誌移動中にもう一度読み直したいので持って行ってもいいでしょうか?」
そう聞くと俺はナムコプロダクションの扉を開けた。プロダクションの外には多くの記者が待ち構えていた。
その記者達の目を掻い潜るようにコートを着て深く帽子を被った俺は裏口から出てタクシーに乗り込んだ。
その車内。例の記事を読みながら考える。
千早ちゃんは大丈夫だろうか……高校生の彼女にあの記事はショックだった筈だ。あそこまでプライベートに踏み込んだ記事を書かれれば大人だって辛い。
赤羽根さんいわく昨日の彼女はこの記事がすべて本当だと認めたそうだ。昨日の時点ではどうにか大丈夫そうに振る舞っていたそうだが、一日時間が空いた今日はどうなる……。考える時間があるというのは時にそれは残酷な結果を生むこともあるのだ。幸いにも今日は午後からの歌のレッスンしか入っていないようだし、それには赤羽根さんが付き合っている。何かあっても赤羽根さんがいればどうにかなるはずだ。
弟の死、家庭崩壊、両親の離婚……。確かにこれだけ続けば、普通の人なら十分に不幸を連想するだろう。
認めたくはないが、その点はこの記事はよく書いてある。大衆のイメージ操作が上手い。
事実ネット上では千早ちゃんは不幸を呼ぶアイドル呼ばわりだ。
俺も何か出来ることがあれば力になりたいが、今のところ出来るのはいつも通りのことだけだった。
それに、と俺は改めて頭を切り替える。
昨日、ミズキの家であの記事を見た瞬間から分かっていた。
――――本当にこの記事で危ないのは如月千早じゃない。
昨日の段階では上手くごまかせていたようだが、この記事と世間の様子を見て彼女の精神がどこまで持つか……。恐らく千早ちゃんに何かあれば間違いなく彼女は持たない。強い精神力を持つ彼女のウィークポイントはこの記事で間違い。
俺が真の意味でフォローすべきなのは彼女なのだ。如月千早ではない。そこをはき違えるな。
この記事で一番ショックを受けたのは
――――真、大丈夫か……?
俺の妹である菊地真だ。
当たって欲しくない予感ほどよく当たる。俺が改めてそのことを実感したのは、竜宮小町の面々とナムコプロダクションに帰ってきた時だった。
――――如月千早の声が出なくなった。
何でも精神的ストレスのせいだとか。付き添いで一緒に病院を訪れていた赤羽根さんからはそう説明された。そして、この話は高校生以上のアイドル全員に電話で伝えられたということも。
声が出なくなる。それだけのストレスが千早ちゃんを襲ったということだった。
俺は昔、ストレスで声が出なくなった少女を知っている。
脳裏を過るのは血溜まりで呆然と立ち尽くす少女。
あの時は一か月声が戻ることはなかった。その時のショックほどではないにしろ千早ちゃんの声がいつも戻るのか、それはまだ分からないそうだ。
ナムコプロを出た時には既に深夜と言ってもいい時間帯だった。あれから電話対応に追われバタバタとして結果この時間までかかってしまった。どうにか終電の一本前には間に合ったが、家の前に辿りついたときにはすでに深夜の一時を回っていた。
脳裏に浮かぶのは一人の少女。出来れば彼女にだけはこのことを知られたくはなかった。
しかし、遅かれ早かればれることだ。彼女には乗り越えて貰わないといけないことだ。
やはりと言うべきか部屋の鍵は開いていた。
明かりはどこもついてなく、周囲は闇に包まれていた。
リビングに入り、照明をつける。
「ただいま、真」
俺の言葉にリビングのソファーに座っていた真は顔を向ける。
まるで心ここにあらず。そんな表情だった。
そして彼女はこう言った。
「ねぇ、兄さん……。千早はきっと辛かったと思うんだ。目の前で弟が死んで、そして両親も離婚してさ……。そんな千早が不幸を呼ぶアイドルなら
――――――“ ”なボクは一体何になるんだろうね……? 死神かな……」