かくも日常的な物語 2 作:満足な愚者
私自身この作品を書いていて雪歩が春香を呼ぶ際に春香ちゃんと呼ぶイメージが湧きません。ですので、この作品では雪歩が春香を呼ぶ際は春香と呼ぶようにしたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。
『いやー、助かったよお兄さん! まさか、日本円がないなんてねー』
トレイを持った彼女は璆鏘のように綺麗な音を奏でながら笑う。トレイの上には白い湯気を立てるコーヒーとドーナツが二個並んでいた。
店に入る前に言っていったように 彼女は確かにお金は持っていた。持っていたのだが、財布の中にあった通貨は全て外国の通貨だった。分厚い皮の財布の中にはドルやユーロ、そしてルーブルまであった。そこまで各国の通貨があるにもかかわらず円は一円もない、一体彼女はどうやってここまで来たのだろうか。もちろん、ここは日本である。円以外の通貨はそうそう使えない。
そして、通貨がダメならカードをと、これまた財布から色々とカードを取り出したのだが、いくらチェーン店とはいえコーヒーショップでカード決済が出来る場所など早々ない。結果、レジの上に各国の通貨と色々な種類のカードを並べて色々と英語で交渉しようと頑張る少女に苦笑いを浮かべてオロオロとテンパっている店員さんとテンヤワンヤな状態となっていた。元より俺が支払うつもりだったのでドーナツ代は俺が支払いカードでコーヒー分は賄った。持ち主以外の会計でも使えるか心配だったが、その心配は杞憂に終わり、店員は裏にある春香ちゃんのサインを確認すると手際よく会計を進めて行った。その手際の良さを見ると、このカードを持っている人が何回かこの店に来ているかもなぁ、なんて思った。
とりあえず、この少女にはコーヒーを飲み終わったら銀行の場所を教えようと思う。確か、駅の反対側にあったはずだ。札束はあっても日本円がなければどうしようもない。
『そもそも、どうやってここまで来たの?』
少し前を歩く彼女の後ろに問いかける。髪は全て帽子にまとめてあるのか、白いうなじがセーターと帽子の間から見えた。
『いやー、何人かと一緒に来たんだけど……はぐれちゃって!』
まいったまいった、と彼女は笑う。知らない異国に来て、一緒に来た人たちとはぐれたにもかかわらず、ここまでノーテンキだと普段の俺が考えすぎなのだろうかと言う考えになる……。いや、そんなことはない。きっと、彼女が特殊なだけだ。
『これから大丈夫なの?』
『うん、大丈夫大丈夫! 姉さんに迎えお願いするから』
明るく笑うと手に持ったトレイを席に置き座る。一番奥の角一つだけ空いていた四人掛けのテーブル。どうやら、運が良かった様だ。
『へぇー、お姉さんいるんだ』
彼女の向かいに座る。彼女はミルクと砂糖を二つずつ入れるとクルクルとマドラーで掻き回す。黒が一瞬にして茶に変わる。どうやら甘いコーヒーがお好きなようだ。
『うん、三人姉妹なんだけどさ、一番上の姉が日本に住んでるんだ。姉さん、なかなかこっちに来てくれないから会うのも半年振り以上だなー』
彼女は混ぜ終わったマドラーの露きりをするとトレイの端に置く。そして、『えーと、日本では何か食べる時に何か言うんだったよね……。えーと、確か……そうそう、「イタダキマス!」 だったよね』と呟き、手を合わせる。
俺も彼女に習い手を合わせる。
「イタダキマス!」
「いただきます」
少しおかしな彼女のイントネーション。きっと、俺の英語も彼女からしたらこんな感じなんだろうなぁ。そう思うと思わず笑みがこぼれる。
『へぇー、それじゃあお姉さんだけ日本にいるの?』
『うーん、ウチの家結構特殊でさ、姉さんは日本で一人暮らし、私はアメリカで一人暮らし。妹と父さん、母さんはイギリスの実家と言うかメインで使っている家に住んでるかな。まぁ、父さんは色々飛び回っていないことが多いけどね。この前電話した時はシンガポールの家からオーストラリアへ向かってるって言ってたし』
一瞬、自分の和訳が間違っているんじゃないか、と思った。俺の和訳が正しければアニメや漫画でも中々お目にかかれない一家だろう。イギリス、日本、アメリカ。世界中でバラバラに暮らしていることになる。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。まさか、こんな家族がいるなんて思ってもいなかった。
ね、少し変わってるでしょ? そうマスク越しに笑う彼女に、俺はうん、そうだね、と苦笑いを返す他なかった。住んでいる世界が違うと言うのはこう言う時に使う言葉なのだろう。彼女の財布に各国の通貨が入っていた意味が何と無く理解できた。
『それじゃあ、お姉さんに会いに日本まで?』
コーヒーを一口。色は漆黒のまま、コーヒーはブラック以外飲まない。暖かい感覚が口内から喉を通り、食堂を抜ける。香りもいいし、チェーン店のコーヒーにしては当たりな方だ。
『うーん、姉さんに会いに来たっていうのもあるけど、パーティーに出席しに来たのがメインかな。本当はそういうのは妹が行くべきなだけど、妹はロシアのパーティーに行かないといけないみたいでさ。ロシアから日本ならジェット機ですぐなんだけどねー、向こうも向こうで大変みたいでさ。それで姉さんが私を呼んだってわけ、姉さん基本的にパーティーとか出るの嫌いだから。私も久々に連休とれてラッキーってわけだよ。こう見えても忙しいんだ、私』
そう言いながら彼女はマスクを下にずらしコーヒーを啜り、うーん、少し苦いかなぁ、と渋い顔を一つ浮かべた。白い肌と赤い唇が現れる。どうやら彼女は白人の系統のようだ。
『へぇー、それは大変だね。それと、マスクとサングラス取らないの?』
店内に入っても帽子とマスク、それにサングラスを掛けたままの彼女に問いかける。海外では普通かもしれないが、ここは日本だ。幸いにして席が奥のため好奇の視線を浴びることはないのだが、やっぱり違和感があるのは拭えない。
ちなみに、彼女が先ほど言っていたパーティーやらジェット機なんかは無視だ。俺には一生関係のない話だろうし。このパーティーというのも大学生とかがよくやるたこ焼きパーティーとか鍋パーティーとかじゃない本当のパーティーなんだろうな、きっと。そんな話に突っ込める勇気も度胸も俺にはない。触らぬ神に祟りなし、俺に関係のない話なら聞かなくもいい話もあるだろう。
『おかしいかな?』
『いや、おかしいってわけじゃないけど気になってね』
『うーん、お兄さんは見たい? 私の素顔』
そう言うと彼女はドーナツを一つかじり、満足そうに笑った。半分しか顔は見えないけど、それでも彼女の顔は整っていることが分かった。
『気にならないって言ったら嘘になるかな』
『そっか……。うーん、お兄さんならいいかな。本当なら余り見せたくないんだけどね、特別だよ』
彼女はまず、マスクを取り帽子を脱いだ。ぱさりと帽子に丸められていた髪が落ちる。
--------銀。
その一言が頭によぎった。首元付近までしかない短い髪は蛍光灯の光を受け白銀に反射する。プラチナブロンド、そう呼ばれる髪色はこの俗世を清くうららかな天上界へと変えるような聖なるものの様に感じられた。
『これ地毛なんだよ。凄いでしょ!』
そう無邪気という言葉がよく似合う笑みを見せ、彼女は最後にサングラスを取る。彼女と目が合う。
紅だった。今まで見たことない様な真紅の瞳が俺を射抜く。銀髪の髪に紅い瞳、そのコントラストが彼女を更に神聖にする。神聖な容姿と対するように彼女の笑みは人懐っこさを帯び、人当たりの良さを滲み出していた。
『えへへ、綺麗でしょ。この瞳』
まるで絵本の中に出てくる不思議の国に迷い込んだ少女の様な風貌でふにゃりと笑う。綺麗と言うよりかは可愛いと言った方がよく似合う少女だ。そして、理解した。俺もだてに今では日本で知らない人は少ない人気アイドル達とプロデューサー代理として、近くで触れ合って来ていない。その経験が告げる、彼女も間違いなく人の前に立って来た少女だと。今、この場で春香ちゃん達と並んでも何ら遜色ないくらい彼女は人を惹きつける容姿をもっていた。
その彼女の容姿に見とれていたせいか、『ウチの家系かどうか分からないけど時々紅がでるんだよね』という言葉は俺の耳に届くことは無かった。
『もうしかしてアルビノ?』
先天性白皮症とも呼ばれるその症状は赤目と白い肌、それに銀髪が特徴だ。御伽噺に出てくるような容姿から世界一美しい人種とも言われているその人たちに彼女の特徴は一致していた。
『いや、これは完全に違うらしいよ。詳しくは私も知らないけどアルビノにしては肌白くないでしょ?』
確かに彼女の肌は日本人にはない白さを持っているが“白すぎて”はいない。白人を生で観たことがないためなんとも言えないが写真などで見た時のことを思い出すと、一般的な白人と言っても差し支えのないレベルだと思う。
『はい! サービスタイムはここまで、これ以上晒しちゃうと色々と面倒だからねー。あっ、それと今から変装衣装直ししてくるからお兄さん待っててね!』
柔らかな耳に残る声で彼女はそう告げると帽子を被り直し、サングラスとマスクをセットすると足早にカバンを手に取り店の奥、トイレへと消えて行った。
彼女がいなくなった後、少し考える。彼女は一体何者だろうか。俺に外国人の友人はいないどころか海外に行ったことすらない。それにあんな美人なら人種関係なく覚えているはずだ。
銀髪で思い浮かぶのはナムコプロダクション所属の四条貴音という名前だ。美しくところどころでウェーブを描く銀髪に白い肌。経歴も不明なことが多い彼女なら、もしかすれば海外出身の可能性もある。しかし、俺自身彼女と話したことは数える程もないのだが、ある時の何気ない会話で兄弟はいないと言っていた。彼女がそんなことで嘘を付くような人間には思えないため、彼女に兄弟はいないのだろう。 じゃあ一体……。
それにあの駅前の様子を思い出す。すると、どうにも彼女は俺を狙って声をかけて来たように思える。あれだけの人の中から偶然俺に声をかけた、と考えるよりは狙って声をかけたと考えた方がしっくりくるだろう。
もしかしたら、全てはただの偶然だったのかもしれない。俺の考えすぎでたまたまあの場に俺がいて、たまたまあの場に彼女が居合わせただけ。結局俺には彼女の心理も分からなければ考えていることも分からない、いや分かるはずも無かった。
結局、彼女の存在は俺の中では謎のままで終わりそうだ。
『やっほー! お待たせー!』
俺の答えがここまで至った時、後ろから彼女の声がした。
『おかえり。……随分、変わったね』
振り返ってみれば先ほどと大きく違う彼女がいた。特徴的だった銀色の髪は見えず、代わりに金色の腰まで伸びるウィッグが見えた。綺麗な紅い瞳はカラーコンタクトが付けられ今では青くなっている。その様子がブロンドの髪と合間って彼女の西洋的なイメージを強めている。
『えへへ、似合うでしょー?』
『うん。似合ってるよ』
元のスタイルも顔も良かったからか今の格好でも十分美少女と言える。やっぱり、元が良ければ何をやっても似合うものだ。
「あれ、お兄さんですか?」
そんな時だった。反対側から声をかけられた。日本語で。
「千早ちゃん?」
後ろを振り向けば青みがかかったストレートの髪が目に入った。マスクとサングラスをしているが、声とその髪で俺にはすぐに分かった。
ーー如月 千早。
真と仲の良いナムコプロダクション高校生組の一人であり、よく家にも遊びに来てくれた子だ。青みがかった髪が特徴的で、ナムコプロダクションでは一番と言っていいほど歌が上手い。アイドルと言うよりはどちらかと言えば歌手に近い。特に代表曲の蒼い鳥はナムコプロダクションを代表する曲であり、売上的にも真の自転車、雪歩ちゃんのKosmos, Cosmosを抜いてナムコプロダクション初のミリオンセラーを達成した。それだけ聞いても彼女の歌の上手さと人気の度合いが分かるだろう。今では音楽番組のMCも務めることもある少女だ。
「はい、やっぱりお兄さんには分かっちゃいますか? 一応、変装のつもりなんですけど……」
「まぁね、ナムコプロダクションのアイドルなら声だけでも分かる自信があるよ」
記憶力がお世辞にもいいとは言えない俺でも、これだけ彼女達と触れ合って来ていたのなら声だけでも分かる。
「さすがお兄さんですね。それとそちらの方は誰ですか?」
トレイを持った彼女は俺の後ろに視線を向ける。トレイの上のカップからは湯気が伸びていた。
「あぁ、彼女は……」
駅前で声をかけてくれた少女で、と説明しようとした時だった。ガバりと腕を取られる感覚。
『誰って? もちろん、お兄さんの彼女だよ!』
見てみれば金髪に変身した彼女が腕に抱きついていた。海外はスキンシップが普通だとよく聞くがいきなりここまで来るものなのだろうか。千早ちゃんなんか目を見開いて「ガールフレンド……!?」 なんて言ってるし。千早ちゃんが英語ができると言う話はきいたことはないが、恐らく彼女の冗談の言葉は分かったらしい。
「千早ちゃん、冗談だから気にしないで! 彼女とはさっき駅前で会ったばかりだから……」
と、ここまで言って気づいた。ニヤリ笑いながら腕を組んでいる彼女の先ほどの言葉、あれは完全に千早ちゃんの言葉に対する返事だ。ということは……。
「まさか君って日本語出来る?」
「えへへ、ばれちゃった」
すると彼女はイタズラがばれた子供のように無邪気に笑い俺の腕を離す。先ほどのイタダキマスとは違い流暢な日本語。声色も変わらず璆鏘の音を奏でている。どうやら今までの話は演技だったようだ。
「まぁ、千早……だっけ? とりあえず座りなよ、席空いているし」
どうやら無邪気な笑顔の裏側には食えない一面が潜んでいたようだ。フレンドリーな彼女の微笑みを横目に、疲れたと一つため息を誰にもばれぬように小さく吐くと、千早ちゃんに良ければ座りなよ、と声をかける。金髪の彼女の言うように確かに席は空いているのだ。
5000字くらいかなぁーと思ったら一万字超えた。分割します。