かくも日常的な物語 2   作:満足な愚者

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更新遅れました。なんとか生きています。


とある曇りの日の話 後編

「へぇー、千早は歌手なんだ! とりあえず、握手して!」

 

彼女に千早ちゃんのことを紹介すると彼女は驚いたような声を出し、手を差し出す。

 

「えぇ、ありがとう。えーと……あなたの名前は……?」

 

少し戸惑った顔を浮かべながら千早ちゃんはその手を受け取った。

 

「私……? うーん……モカ。うん、モカでいいよ」

 

カップのコーヒーを啜りながら金髪の彼女、モカは話す。モカと言う名は明らかに偽名だろう。大方今飲んでいるコーヒー豆から取ったに違いない。

 

「そう、よろしくねモカさん」

 

「こちらこそ! よろしくね千早っ!」

 

まぁ、千早ちゃんも特段気にしている様子じゃないし俺も特別気にしない。それが本名であろうとも偽名であろうともそれは人の本質には全く関係ない。確かにあの無邪気な笑みの裏には食えない本性が隠されているは間違いない。しかし、彼女は悪い人ではないようだし、それならそれで構わない。名前や見た目で人の本質は測れないのだ。

 

歳が近いせいか直ぐに打ち解けた二人を左の端に収めながらコーヒーを一口。少しぬるくなったコーヒーは香りもそこそこに喉を軽く通った。

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば千早は何してたの?」

 

ドーナツをかじりながらモカは千早に問いかけた。茶色のコーヒーはカップの半分ほどまで減っていた。

 

「えーと、駅前のCDショップに行ってて……。今日は好きなアーティストのCD発売だったから」

 

千早はその問いに答えながら手に持っていたトートバックから青いビニール袋を取り出す。駅前にあるチェーン店のCDショップのものだった。

 

千早の横に座っている青年はその様子を眺め、時々相槌を打っていた。しかし、相槌を打つだけであり会話には基本入ろうとしない。会話をするのが苦手なんだろうか? とモカは思ったが、先ほどまでの自分と青年の会話を思い出し、それはないか、と思い直す。

 

「へぇー、千早みたいな歌手でも好きなアーティストがいるんだ」

 

「ええ、私の目標であり、憧れのアーティストなの。モカも知っていると思うけどこの人は私の目標よ」

 

そう言うと千早はビニール袋から一枚のCDを取り出す。赤いジャケットに黒い英語の文章。今、世界中で一番有名なアーティストと言われ、歌姫の称号を持つ少女のCDだ。本拠地のアメリカでアルバムの売り上げが歴代記録を更新したというニュースは記憶に新しい。

 

「へぇー千早ちゃん、洋楽も聞くんだ」

 

基本的にナムコプロダクション以外の芸能関係に疎い青年ですらそのアーティストは知っているらしく会話に入る。千早が持っていたCDに入っている曲は奇しくも青年が今年の夏、雪歩の撮影の付き添いで行った向日葵畑の前にある喫茶店「ひまわり」で流れていた曲だった。

 

「はい、私の好きな憧れのアーティストです。声も澄んでいて綺麗ですし、何か心に残るものがあるんです!」

 

千早は少し興奮気味に答える。普段の落ち着いた千早からは想像しづらい語尾の強さだった。

 

モカはそのCDを見ると誰にも気づかれぬ様に一瞬目を細める。その瞳は先ほどの無邪気さを感じさせるものではなく、心が心底冷え切る様な冷たい冷たい瞳だった。

 

「蒼い鳥も彼女のある曲を聞いて思い浮かんだ曲なんです! 私は彼女の様に才能はないけど、いつか彼女の様になりたいな、と思ってます」

 

千早の言葉を聞いたモカの瞳がまた一度、温度を下げる。そして、一瞬嘲笑に似た笑みを浮かべるとモカは瞬きを一つする。再び開いた瞳には先ほどの冷たさは微塵もなく人懐っこいものに戻っていた。

 

「ねぇーねぇー、千早知ってる? これはアメリカに住んでいる時に友達から聞いた噂話なんだけどね」

 

モカは先ほどと何も変わらない元気な声色で話す。

 

「千早が好きなその歌姫って、そこまで才能があるわけじゃないかもよー」

 

「え……? それって、どういうこと?」

 

「いや、私も噂でしか聞いたことないんだけどね。その歌姫は才能じゃなくて血も吐く様な努力でそこまで上り詰めたって話。深い絶望を味わって、心が折れて、それでもなおマイクを離すことをしなかった……いや、出来なかったと言った方が正しいね。そこまでして、今の地位を手に入れたのに彼女はいつも心の何処かで怯えているの……。彼女の姉に対してね。完璧な姉が音楽の道に来るのを恐れてるの……笑えるでしょ?」

 

そう言ってモカは薄く笑う。千早と青年はモカが唐突に始めた話に口を閉ざす。千早は驚いた様に、青年は目を閉じて何かを探る様に……。

 

モカはごめんごめん、暗い話になっちゃって、でもこれはあくまで噂だからね! と明るく笑う。

 

「あと、千早。これは私の受け売りだけど出来れば覚えておいて欲しいんだ。千早は歌でお金をもらっているプロだよね。プロなら人に憧れをもっちゃいけない。プロが他の人を目指すなんてしちゃダメだよ。他人を目指しているといつか分らなくなるよ。自分が何のために歌っているのか……。千早はその人になりたくて歌を歌い始めたわけじゃないよね? もっと、根本的な理由があるはずだ。それを忘れちゃダメだよ」

 

モカはそう言うとドーナツを齧る。甘みが口の中に広がる。

 

(ここま言うつもりはなかったけど、失敗しちゃったかなー)

 

目の前に座る青年と千早を見ながら思う。空気は悪いとは言えないが、どこかぎこちないものになっていた。モカとしてもこんな雰囲気にはしたくはなかったのだが、千早を見ているとどこか放っておけなかったのだ。

 

(まぁ、でもこのまま行ったら彼女は何処かで挫折する……)

 

これは予想ではなく確信だった。

 

(私が出来るのはここまで……。後はこの千早の問題だね。後は空気を戻すかな……)

 

「ごめんごめん、変な雰囲気になっちゃったね。別の話しようか! 千早、お兄さん、この辺りでオススメの料理屋とかあるー? せっかく日本に来たんだし、何だか日本っぽいもの食べたくて!」

 

モカにとってこの程度の雰囲気を元に戻すことはわけがない。伊達に場数は踏んできていない。雰囲気を作り出すのはモカの得意なことだった。空気を作るのに必要なのは話術と顔芸の二つでいい。

 

モカのこの一言をきっかけにまた和気あいあいとした雰囲気に戻っていった。青年はまだ何処か一歩引いてその談笑を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー食えない人だ。

それがモカが青年と話していて思ったことだった。モカ自身もよく姉なんかからは食えない妹だ、という評価をもらっていたがこの青年はそれ以上に食えない。普通に話していている内は一般的な青年に見える。

 

モカは仕事柄、家柄から多くの人を見てきた。その中には裏のある人間も多数いる。そんな環境で育ってきたモカだからこそ、人を見る目は鍛えられ、見るだけである程度、人の裏は読める。これはモカが姉以上に優れている数少ない点の一つだった。

 

モカだからこそ分かる。この青年は一見普通に見えるのだが、間違いなく裏がある。優しそうな顔の裏に腹の底ではドス黒く、濁ったものがあるのは間違いない。そうモカの経験が告げる。そう間違いなくモカ自身の様に……。

 

まるで実態を掴めない青年にモカはイラつく。ここまで読めない人は初めてだ。裏があるのは間違いない。だが、その深さが読めないのだ。まるで実態がないかの様に掴み所が見当たらない。今もただ黙って話を聞いているだけの様に見えるが、その奥には何を隠しているのかモカには想像出来なかった。

 

少しの沈黙が席を包んだ時だった。千早の携帯が音を立ててなる。

 

「はい、千早です。ええ、プロデューサー、はい。今、駅前のコーヒー店でコーヒーを……ええ、お兄さんも一緒です」

 

どうやら電話の相手は彼女のプロデューサーのようだ。

 

「ええ、はい。……大丈夫です。駅前ですので。はい、分かりました。すぐに向かいます」

 

所々で頷きながら千早は電話を切ると青年とモカに向かい直す。

 

「ごめんなさい、仕事が入ったから行かせてもらうわ」

 

「俺も付き添った方がいい?」

 

「いえいえ、お兄さんはゆっくり休んでください。プロデューサーもお兄さんには言わない様にと言われましたんで」

 

千早はゆっくりと青年の申し出を断るとコーヒーを飲み干し、席を立つ。如月 千早はトップアイドルだ。プライベート中に電話がかかって来ることはもうなれたものだ。

 

「モカさん、今日は楽しかったわ。また、会いましょう。お兄さんもまた今度家に遊びに行きますね」

 

そう言うとゆっくりとトレイを持ち立ち上がった。短い間だったが、歳も近いこともあり、千早とモカは随分と打ち解けることができた。

 

「うん、千早。また会おうね!」

 

「うん、真も喜ぶし、時間が空いたらぜひおいでよ。それと仕事頑張ってね」

 

「ええ、モカまた会いましょう。お兄さんも無理はしないでくださいね」

 

青年とモカの言葉を受け千早は店を出た。空の雲はまだ消えず、重い雲が頭上を覆っているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

外に出ると頭上の雲はそのままで、青空の欠片も見えなかった。モカも満足したのか横で笑顔で伸びをしている。サングラスに帽子それにマスクという彼女だが、それでも帽子から出ている金髪にスタイルの良さは日本では目を引くものがあるか、駅に向かう人々はチラリとこちらに視線を送っていた。

 

「お兄さんありがとうっ! 千早とも会えたし、今日は良い日だったよ!」

 

猫の様に無邪気に笑う彼女。特に何をやったわけではないが、彼女の笑みを見るとこちらまで元気になれる。今日もまた頑張れそうだ。

 

「あっ、お兄さん携帯持ってる?」

 

「うん、もってるけど」

 

「よし、貸して! えーっと、これをこうしてOK!」

 

彼女は俺の手から携帯を奪い取る様に取ると、自身のスマホと俺の携帯を操作する。

 

「はいっ! これでOK! 私の個人携帯の番号入れといたから! 言っとくけど、その番号知ってるの本当に数少ないから光栄だと思ってよー」

 

帰ってきた携帯には確かに一人分のアドレス帳が増えていた。彼女が何者なのかは結局分らなかった。分らなかったのだが、きっとそれなりに凄い人なんだろう。SSK辺りなら何か知っているかもしれない。覚えていれば是非聞いてみたいところだ。

 

「そんな貴重な番号を俺に教えていいの?」

 

「いいよ。お兄さんだし……」

 

経った数分しか話していないのに随分と信用されているみたいだ。やはり、もしかすれば前から俺のことを知っていたのかもしれない。

 

「もしかしてだけどさ、俺のことを……」

 

そのことを聞こうとした時だった。唐突に彼女が持っていた携帯が震えた。彼女は番号を確認するとごめんごめんと俺に頭を軽く下げ電話を取る。

 

「Алло(もしもし)」

 

いきなり何処かの言葉を話す彼女。英語と日本を話せてさらにもう一つ言語を話せるなんて流石としか言いようがない。

 

『やぁ、姉さん久しぶり! なんでロシア語かって? まぁ、それはどうでもいいじゃん。うーん、今? 今はねぇー』

 

俺には理解出来ない言語で喋りながら一瞬俺に視界を向ける。

 

『お兄さんとお茶してたとこ。お兄さんって誰だって? そりゃ、お兄さんだよ。……うん。あぁ、マークがうるさいって? まぁ、さっきから何百って着信入ってたから……。うん、もう帰るよ、迎えよろしくね』

 

しばらく何かを話した後、彼女は電話を切る。もちろん、俺には話している内容はてんで想像もつかない。

 

「ごめん、お兄さん。もう、私帰らなきゃ!」

 

「迎えに来るの?」

 

「うん、もう来ているみたいだから行くね!」

 

彼女の日本語を聞いていると、日本人となんら遜色ない。そんな彼女なら、もう何も心配はないだろう。

 

それじゃあ、またと彼女に手を振ると彼女もそれに合わせて手を振り返す。彼女はそのまま駅から背を向ける。どうやら、俺とは道が違うようだ。

 

さて、俺も行くか、と駅に足を向けた時だった。背後から声がした。凛とした彼女の声。

 

「お兄さん……。私はお兄さんが考えている内容全てを分かるとは言わないけど、ヒロインを泣かせるヒーロー(主人公)にだけはなっちゃいけないよ」

 

雑踏の中にもかかわらず、その声は俺によく届いた。その声に軽く微笑みを浮かべるとゆっくり後ろを振り向く。そこにはやはり彼女の姿はない。あぁ、やっぱり彼女は食えないみたいだ。

 

でも、彼女は一つだけ勘違いをしているようだった。

 

「悪いけど俺はヒーローでも主人公でもないよ。だから、泣かせるヒロインなんていないんだ……」

 

その呟きは誰にも聞かれることはなく雑踏に消えてなくなる。いつの時代も脇役に幸せなハッピーエンドが訪れるなんて奇跡でもなければ無理な話さ。

 


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