其れは、人を識る。   作:暇人なのジャ

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第二話 其れは、社会を知る。

山を下りるにつれ、風の匂いが変わっていった。

湿った土と苔の香りは薄れ、代わりに炭を燃やした煙と、鉄を打つ匂いが混じり始める。

其れは足を止め、街道の先を見つめた。

視界の彼方には、石造りの巨大な城壁がそびえている。

 

「……人間は面白いな」

 

誰に聞かせるでもなく呟く。

山より低い壁を築き、その中に街を閉じ込めて暮らしている。

竜なら空を飛べば済む。

それでも人間は壁を築き、門を作り、列を作って順番を待つ。

 

その一つ一つが、其れには興味深かった。

 

街道には様々な種族が行き交っている。

荷車を引く角人。

耳の長いエルフの旅人。

獣耳を揺らしながら果物を運ぶ少女。

 

人間だけではない。

 

太古、竜たちが見下ろしていた世界よりも、ずっと賑やかな世界だった。

 

「なるほど」

 

其れは頷く。

 

「人間だけの国ではないのか」

 

知識としては知っていた。

 

角人は背が低く、頑丈そうな体格をしている。

 

獣人は尻尾を揺らして笑っている。

 

エルフは驚くほど長命らしい。

 

――長命。

 

その言葉に少しだけ興味が湧いた。

人間より長く生きる者は、人間をどう見ているのだろう。

 

やがて城門へたどり着く。

 

門の前には長い列ができていた。

荷を調べられ、何かを確認されている。

其れも最後尾へ並ぶ。

 

待つという行為は嫌いではない。

竜にとって時間は流れるものではなく、積もるものだからだ。

前に並ぶ商人たちが何か話している。

 

笑い声。ため息。怒鳴り声。

 

言葉はまだ理解できない。

 

老人と交わした古代竜語は人間語ではない。

ただ、感情だけはぼんやりと伝わってくる。

 

退屈。焦り。安堵。

 

そうした揺らぎが魔力を通して感じられた。

 

「次!」

 

門番が声を上げる。

其れは前へ進んだ。

門番は其れを見るなり、一瞬言葉を失った。

 

白を基調としたローブ。

銀糸で縫われた星の装飾。

そして、白い髪の内側に覗く青と紫のグラデーション。

 

門番が何か尋ねる。其れは笑顔で答えた。

 

「分からない」

 

当然、人間語ではない。

門番は首を傾げる。其れも首を傾げる。

しばらく見つめ合った。

 

門番はもう一度何か言う。

其れはにこやかに答える。

 

「美しい門だな」

 

全く会話になっていない。後ろに並ぶ人々がざわつき始める。

門番は困ったように周囲を見る。

 

この男は何者なのか。身なりだけ見れば高位貴族か、どこかの魔術師。しかし言葉が通じない。

 

頭がおかしいのか。

異国人なのか。

判断がつかなかった。

結局、門番は道を開けた。面倒事に関わりたくなかったのだろう。

其れは嬉しそうに門をくぐる。

 

「入れた」

 

それだけで少し楽しかった。

街の中は眩しかった。

 

石畳が夕陽を反射し、露店が並び、人々の声が空気を満たしている。

焼き立てのパン。香辛料。花。果物。酒。

匂いだけで世界ができているようだった。

 

其れは店先に並ぶパンを見つめる。

 

「これは何だ?」

 

店主に尋ねる。もちろん通じない。店主は笑顔でパンを差し出した。

其れは受け取り、じっと観察する。

 

「……石ではないな」

 

指で押す、柔らかい。さらに顔を近づける。匂いを嗅ぐ。

 

店主は何か説明している。其れは真剣な顔で頷く。

 

全く理解していない。

そのままパンを懐へ入れようとした。

 

店主の笑顔が固まる。腕を掴まれた。

其れは不思議そうに振り返る。

 

「くれるのではないのか?」

 

店主は必死に何かを訴えている。周囲の人々が笑い始めた。

其れはようやく、自分が何か間違えたらしいと理解する。

 

老人は何でもくれた。だから、人間は欲しいと言えばくれるものだと思っていた。

どうやら違うらしい。

 

「すまない」

 

謝る。もちろん通じない。結局、パンを返すと店主は苦笑しながら手を振った。

 

しばらく歩いていると、小さな広場へ出た。そこでは吟遊詩人が歌を奏でていた。

子供たちが笑い、大人たちが足を止めている。其れも立ち止まった。

歌詞は分からない。それでも音は美しかった。

竜には歌がない。咆哮はある。風を裂く翼の音もある。

だが、誰かを楽しませる音楽はない。

 

「無駄なことをする」

 

そう思った。そして、その無駄が少し羨ましかった。

夕暮れが街を染める頃。其れはふと気配を感じた。

 

背後に三つ。一定の距離を保って歩いている。

 

尾行。その概念は知らない。

だが、追われていることは分かった。敵意は薄い。

欲望。

期待。

打算。

 

そうした感情だけが流れてくる。

其れは少し考え、笑った。

 

「面白い」

 

人間は何故、人の後をつけるのだろう。

知りたい。その理由を。

 

彼は何も知らない旅人らしく、人気のない路地へと足を向けた。

背後の気配が近づく。男たちの鼓動が速くなる。

 

その時、黒い布が視界を覆った。誰かが腕を掴む。

押さえつけられる。抵抗しようと思えばできた。

魔術で、この街ごと消し飛ばすこともできる。

だが、其れは動かなかった。

 

「なるほど」

 

布の向こうで小さく笑う。

「これが人間のやり方か」

 

彼は静かに、その不可解な行為へ身を委ねた。

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