キル・マイ・セイバー   作:P-PEN

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slight fever

 

 

 

 和装の帯でケリーの身体を己の片肩へ強く縛り付け、メグは黒縄区画の薄暗い通路へと足を踏み出した。

 

 「……」

 

 思ったよりは動きやすい。とはいえ小柄なメグの体に、ケリーの体重のいくらか、そして片肩が完全に塞がれているという 物理的な制約は間違いなく不利な点として働く

 

 形代紙はゼロ。高濃度の呪詛ガスが容赦なく肺を焼き、呼吸をするたびに口内に鉄の味が広がる。重厚な防御を持たないメグは界異の攻撃が被弾すれば即死につながる極限状態。だが、地獄は躊躇なく二人に襲いかかった。

 

 ――ギシャァァァァッ!!!

 

 天井の配管の隙間から、錆びた鉄を削るような甲高い駆動音が響き渡る。

闇の奥から滑り出してきたのは、旧都市の配電網を巣窟とする機械系界異『線形蜘蛛(リニア・スパイダー)の群れだ。鉄と電線を食らって増殖した異形たちは、高圧電流を帯びた鋼線網(ワイヤー)を蜘蛛の巣のように張り巡らせ、メグたちの退路を塞ぐ。

 

 (逃げない……ッ!私が、この魔女を背負って……突破する……!!)

 

 メグの胸中で覚悟が弾けた。片手でケリーの身体を支え、空いた右手一本で黒不浄刀を構える。

足元の泥を蹴り、メグは自ら前に出た。

 

 ――ガギィンッ!!

 

 迫り来る高圧鋼線網に対し、メグは刀を滑らせるように振り抜き、最小限の接触で衝撃を逃がしながら切断する。片手という圧倒的ハンデを補うため、メグは全身のバネを使い、身体の奥から溢れる熱に逆らわず間合いを潰すように踏み込んだ。刃が閃き、線形蜘蛛の1匹のコアを綺麗に穿つ。激しい火花とともに界異が砕け散る。

 

 (いける……! このまま……ッ!)

 

 メグの瞳に一瞬、希望の光が宿る。だが――現実の死地は、気魄だけで乗り切れるほど甘くはない。2匹、3匹と倒し進むにつれ、じりじりと生じる歪みがメグの肉体を蝕んでいく。

 

 (くっ……、重心が……ッ!?)

 

 片手で刀を振るうたび、肩に縛り付けたケリーの重みが振幅となってメグの軸を大きく揺らす。1匹斬り伏せるたびに踏み込みの軸がわずかにブレ、その修正のために余計な体力が削られていく。ワイヤーから散る電磁の火花すら直接肌を灼き、激痛がメグの集中力を削いでいった。

 

 ガギィッ、ズバァッ!!

 

 4匹目を強引に叩き斬った瞬間、ついに無理が限界を迎えた。

 

 「ぐ、あ……ッ!?」

 

 過剰な遠心力に耐えきれず、右足の足首がグニャリと不吉な曲がり方を見せる。軸が完全に崩れた。死角である左側から、残った線形蜘蛛の鋭利な鋼脚が、メグの無防備な首元を目がけて滑り込んできた。

 

 かわせない。刃も届かない。血と汗で視界が染まり、メグは転倒しかけながら、迫り来る死の脚を睨みつけることしかできなかった。

 

 限界だった。己の技術と意地だけで死地を打開しようとした挑戦は、泥沼の死闘の末に呆気なく破綻したのだ。

 

 その絶望的な一瞬。メグの肩口に顔を預けていたケリーが、至近距離でその無様に足掻き、破綻していく姿を観察しながら、心底退屈そうに小さく溜め息をついた。

 

 「あーあ。頑張ったのは褒めてあげるけど、奥の手くらい持っていなさいよ」

 

 「……!?」

 

 「片手で刀振るなら、重心の軸をあと5センチ右にズラしなよ、おチビ。――ほら、こうやってさ」

 

 冷たい嘲笑とともに、ケリーの指先がメグの背口へ触れる。

 

 ――チィン。

 

 その瞬間、メグの全身の神経を駆け抜けたのは、冷水と雷光を同時に背骨へ流し込まれたかのような、異質な衝撃だった。

 

 「……ッ!?」

 

 呼吸が凍りつく。ケリーの指先から着物の背口を通して注ぎ込まれた微弱な電磁パルスが、メグの感覚神経と筋肉へ直接滑り込み、物理的・神経的にその可動を上書きしていく。軸がブレていた膝が、吸い付くようにコンクリートの床を捉えた。右肩にケリーという人間一人を重荷として背負っているはずなのに、重心の軸が恐ろしいほどの精度で身体の中心へスッと収まっていく。

 

 だが、メグを真に戦慄させたのは、その補正の感覚だった。

 

 痛みではない。ケリーの電流が神経を駆け巡るたび、脳の奥を直接撫で回されるような、ゾクゾクとする甘い痺れと熱が背骨を駆け上がる。疲労と激痛で悲鳴を上げていた筋肉の軋みが一瞬で消え去り、全身の感覚が研ぎ澄まされていく――身体が、神経が、魔女の電気を受け入れて歓喜しているという、悍ましいほどの快触。

 

 (なに……これ……っ。体の中に……入って、くる……ッ!?)

 

 屈辱的なはずだった。自分の身体を勝手に操り人形のようにジャックされているのだ。だというのに、ケリーの補正が入った瞬間、己の刃が世界を易々と断ち切れるという異様な全能感が、脳内麻薬となってメグの理性を甘やかに麻痺させていく。

 

 「あは、声が出ないからって驚きすぎ。私の力で、あんたのブレまくってる軸を力学的に補正してあげてんの……おチビの身体は正解を知って、すごく喜んでるみたいだけど?」

 

 耳元で囁かれる冷たい嘲笑と、首元にかかる冷ややかな吐息。その声すらも、今のメグには脳を直接揺さぶる快楽の合図のように響いてしまう。吐き気がするほどの拒絶感と、背筋を駆け上がる甘い痺れ。メグは声の出ない喉の奥から、熱く乱れた呼気を漏らすことしかできない。

 

 ケリーの目的は助け合いなどではないのは明白だった。メグというモルモットの肉体を神経ごとジャックし、操られる快感に侵食されていく様を観察する、より深く歪んだ加虐だ。

 

 そして――その「最適化」の威力は、圧倒的だった。

 

 ――ギシャァァァァッ!!!

 

 退路を塞ぐように、再び線形蜘蛛の群れが高圧電流の鋼線網を繰り出して迫る。先ほどまで片手では防ぐことすら困難だった死の網。

 

 しかし、ケリーが愉しげに指先を弾いた。

 

 「電導性の鋼線なんて、ただの『電導体』じゃん。バカね」

 

 手首から伸びたチェイン《グレイプニル》が空中へ打ち込まれ、逆相の電磁パルスがワイヤー群を撃ち抜く。パチバチバチッ!! と激しいスパークとともに、鋼線網はお互いに磁気で反発し合い、無力な鉄くずとなって散った。

 

 さらに、ケリーの放ったスパークが、闇の中で蠢く蜘蛛の胸元――装甲の継ぎ目にある核を、青白く鮮やかに照らし出す。

 

 「そこ。右へ三歩踏み込んで、斜め四十五度。――斬りなよ、おチビ」

 

 指示と同時に、背中へ甘やかな電磁の刺激が走る。思考すら挟む隙はなかった。メグの肉体はケリーの伝達した力学と快感の導くままに勝手に動き、コンクリートを穿つような鋭い踏み込みを見せた。

 

 一閃。

 

 ――ズバァッ!!

 

 片手で振るわれたはずの黒不浄刀が、完璧な角度と速度で露出したコアを一刀両断する。激しい爆発とともに、線形蜘蛛が砕け散った。

 

 (斬れた……!? わたしの体が……勝手に……ッ)

 

 快感と全能感に脳が痺れる。だが、驚愕するメグの視界の先から、さらに巨悪な影が立ちはだかる。旧都市の防衛用強化スーツと兵士の肉体が呪詛でドロドロに融合した大型界異鉄綴(てつしころ)だと分かってもどうしようもない。銃弾すら弾く超重装甲を纏い、無数の異形の手足を振り上げながら、二人を押し潰さんと突き進んでくる。

 

 普通に斬れば、黒不浄刀の刃が砕けるほどの穢装。

 

 「重装甲ね――おチビ、この前に私が見せてあげた勁力の使い方、覚えてる?あのチンピラたちが使ってたのでもいいわ」

 

 (え……?)

 

 「身体の力を抜いて。……私の電気で、あんたの筋肉の連動をオーバーライド(強制駆動)してあげる」

 

 「っ――――!?!?」

 

 メグの全身の毛根が逆立つ。ケリーから注ぎ込まれた電磁パルスが神経を爆発的に駆け巡り、脳の深部を痺れさせながら、以前ケリーがメグに見せつけた中国武術の最適化――それを、メグ自身の肉体を使って強制再現させる!

 

 メグの右腕が、しなる鞭のように脱力し、そしてコンクリートを削る踏み込みとともに、寸勁の要領で『鉄錣』の重装甲へ叩きつけられた。水面に潜る様に黒不浄の刃が突き刺さり柄で止まる、そこに柄頭を通して叩き込まれたのは、肉体の限界を超えた衝撃の波。

 

 ――ドゴォォォォンッ!!!

 

 装甲の表面は無傷。しかし、内産の勁力と黒不浄刀の穢れが装甲を突き抜け、肉塊の内臓とコアを直接爆砕した。内部から体液を撒き散らし、巨大な界異がドサリと崩れ落ちる。

 

 圧倒的な解体劇。

 

 これ程高度な体術と剣術を同時に駆使した奥義を放ったのは初めてだった。そして、技を放った直後、背骨を駆け抜けた強烈な全能感の余韻に、メグは膝を震わせ、荒い息を吐き出した。

 

 「あは!すごーい!一撃で倒せちゃったね。やるじゃんおチビ、才能がない人間なら自分の腕の方がはじけ飛んでてもおかしくないのにね」

 

 耳元で、ケリーが弾んだ声で笑う。メグの右腕の筋肉は、過剰な負荷でズキズキと激痛を訴えていた。呼吸は絶え絶えで、視界が明滅する。ケリーのやっていることは、共闘などではない。メグを限界まで追い詰め、操られる快感と侵食に苛まれる様を特等席で楽しむ最悪のゲームだった。

 

 (こんな……こんな奴に……身体を……っ!)

 

 芸術的なまでに最大効率で動く、その肉が覚える快触に反して、メグの胸中では早速ケリーを置いて逃げなかった事を後悔し始めていた。だが――その魔女の悪意に満ちた「最適化」によって、メグは片肩を塞がれ、形代紙を失った絶体絶命の状況でありながら、過去最高の切れ味と速度で界異の群れを次々と屠っている現実から目を逸らす事も出来ない。

 

 「ほら、此処で休んでる暇ないよ、おチビ……もう少し先にセーフエリアがあるから、そこまで頑張りなさい」

 

 吐き出される熱気と、冷たい嘲笑。メグは血の味のする唾を飲み込み、舌打ちしたいほど甘く痺れる腕で刀を握り直すと、魔女を担ぎ直した。

 

 

 

 

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