「ほほぉ...寺って言うからもっとこぢんまりしたものを想像してたが、結構デカんだな」
木々に囲まれた山道を抜けると、目の前には立派な山門と重厚な本堂が佇んでいた。都市の冷たく無機質なコンクリート造りの建物とは違い、木と瓦が織りなす温かみのある巨躯に、ネイフィレは思わず感心したように口笛を鳴らした。
門をくぐると、境内で掃除をしている女性を見かけた。端正な顔立ちに、トラを思わせる模様の入った服装、そして手に持った宝塔が目を引く。ちらりと見ると、女性も足を止め、こちらに気づいて振り返る。
「...おや?小傘、その方はどうしたんです?」
「この人、外の世界から来たみたいで。ひとまずここで匿って欲しいんですけど...」
「なるほど、わかりました。詳しい話は中で伺いましょう。立ち話もなんですから、どうぞこちらへ」
「ふぅ、話が早くて助かるな...」
***
広い仏間らしき部屋に通されたネイフィレは、用意された座布団に腰を下ろし、深く息を吐いた。小傘が薬湯の手配をしに部屋を出ていくと、星がネイフィレの向かいに座り、手をついた。
「不躾だが、まずは俺から名乗らせてもらうよ。俺はネイフィレ。貴方がここのリーダーか?」
「いえ、当寺の住職である聖はしばらく法事で寺を空けておりますので...代わりに私が話をお伺いしましょう。私は寅丸星と申します」
「星さんか、よろしく頼む。で...ここに至るまでの訳なんだが、何から話すべきか...俺は『都市』っていう別の世界から来た。そこでは俺は『親指』って組織に所属してたんだ。そんで、仕事中に『人差し指』という別組織に奇襲されて、部隊は壊滅。俺も死にかけた時に、白い歪み...って言えばいいのか。とにかくポータルのような何かに触れて、気づいたらあの森に倒れてた...って訳だ」
「ふむ...それで、私たちに匿ってもらいたいと」
星にとっては聞き馴染みのない単語ばかりだろうというに、動じる気配もない。相手方の話の呑み込みが早いとこうも話し合いというものは進みやすいのか、と星の情報処理能力に舌を巻くと、十分話しができそうだとネイフィレは姿勢を正して本題を切り出した。
「あぁ、そうだ。この未知の世界で野宿ってのもなかなかキツイんでな...頼む、しばらくここに居候させてくれないか。勿論タダとは言わない、掃除でも雑用でも、俺にできることなら何でも手伝うと誓うよ」
「...事情はよく分かりました、ネイフィレさん。命蓮寺は、頼ってくる者を拒みはしません。聖もそう言うでしょう...しばらくとは言わず、貴方が元いた世界へ帰る見込みが見つかるまで、どうぞここで体を休めてください」
「おぉ...ありがたい。怪しい余所者だって蹴り飛ばされても文句は言えないと思ってたんだがな」
ひとまず身の安全を確保できたようなので、ほっと一息つけそうだ。そう考えると、緊張も解け、思考が広がっていく。すると、一つの重大な問題に気付いた。
「...そうだ、階級だ。なァ...星さん、一つお願いというか相談があるんだが」
「はい?なんでしょう。何か焦っておられる様子ですが...」
急に目の色を変えたネイフィレに対し、星はやや警戒を強めたようだ。だが、ネイフィレにとって死活問題だ。これの取り決め次第で、彼のここでの生活が決まる。小傘の時は非常時ということもあり深く考えていなかったが、命蓮寺という一宗教組織の組織員に過ぎない彼女らが、カポIIIの自分に並び立てるのか?自分より格下というのならば...
焦りと脅迫に駆られ、無意識に傍に置いてあるライフルに手を伸ばす。並々ならぬ気配を感じ取った星が一層警戒を深めると共に、部屋の外にいくつかの気配が感じ取れた。
(チッ、3...いや4か?屋外で闘るならともかく、ここは室内でライフルが使いづらい。それに...勝敗とは別に、運よく安全が確保できそうものを早々に投げ捨てて良いのか?...落ち着け、焦るんじゃない、ネイフィレ。頭を使うんだ...)
そもそもここは都市ではない。この「幻想郷」という土地に親指の階級制度を持ち込んだ前例など存在しないのだ。
前例がないのなら。
規律を解釈し、ルールを定義するのは――今、この場にいる唯一の親指である「俺」なんじゃないか?
「....俺が決めていいんだよな、多分」
「一体どうなされたのです?突然目の色を変えて...?」
星は鉾を構えたまま眉をひそめ、未だ警戒を解かない眼差しでネイフィレを見つめていた。誤解を解くため、ゆっくりとライフルから手を離し、両手を軽く上げてみせた。
「あぁすまない、取り乱しちまったな...提案があるんだが、あんたら...命蓮寺の住人たちと、俺の階級を同じ、ということにしてくれないか」
「...はぁ、階級...?」
ネイフィレは自嘲気味に頭をかきながら、困惑する星に言葉を続ける。
「俺のいた親指には、結構厳格な身分制度があってな...さっき、ふと頭をよぎっちまったんだ。『この寺の人たちは、俺より階級が高いのか?』って。それをはっきりさせないまま庇護を受けることが、身体に染みついた恐怖として襲ってきたのさ」
「ふむ...しかし、それはあくまで貴方が元いた世界の話。体に染みついた癖というものは理解できますが、しかしここではそうまで縛られる道理もないでしょう。それに、ここは新参者だと言って決して無下には扱いませんし...」
星は怪訝そうに眉をひそめた。宗教組織における僧階や、妖怪の力関係などは理解できるが、そこまで狂信的に階級思想に縛られる彼は、彼女にとって耳疑うものだった。
「それも考えた。別にそうまで徹底する必要はないんじゃないかって。ただ、もしもの話だ。もし、俺と同じ親指の奴らがここに来たら?俺は運よく助けられ、落ち着いて話することもできたが、他の奴らが全員そうだとはいえないだろう。いざこざが起きた時、下手したら大惨事が起きかねない。そこで、今ここで基準を設けておけば、そう言ったトラブルは減るはずだ」
「...何だか奇妙なお話ですね。貴方と同じ組織の者がたまたま迷い込むなどあまり考えられませんが...ええ、構いませんよ。私たちとあなたの階級は『対等』ということにしておきましょう」
「助かるよ...そう言ってもらえると、胃の痛みが一つ減る」
ネイフィレがほっと肩の力を抜いた瞬間、障子の外に漂っていたピリついた気配が、潮が引くようにスッと消えていった。察しのいい妖怪たちが、危険は去ったと判断して離れていったのだろう。
(ふう...危ねえ危ねえ。面倒を起こさずに済んだ)
「さて、無駄な緊張感も解けたところで...長逗留になりそうだが、改めてよろしく頼むよ、星さん」
「ええ、こちらこそ。今はお疲れでしょう、部屋に案内させますので、そこで疲れを取られるとよろしい。...ナズーリンー!」
「はいよ、そいつを適当な部屋に案内すりゃいいんだね」
ナズーリンと呼ばれたダボついた灰色の服に身を包み、頭から丸いネズミの耳を生やした小柄な少女は、ネイフィレの全身を値踏みするように見上げると、呆れたように鼻を鳴らした。
「はぁ、えらく物騒そうなもん抱えてんね?頼むから使わないでくれよ」
「へぇへぇ、ご心配なさらずとも俺だって使いたくもないし、使うあてもないから大丈夫ですよ〜」
軽口を叩き合いながら廊下を進み、案内されたのは四畳半ほどの静かな和室だった。畳の青く香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。綺麗に整えられた布団やらが備え付けられており、悪くない環境と言えた。
ナズーリンが「じゃ、ゆっくり休みな」と障子を閉めた瞬間、ネイフィレは糸が切れたように布団へ崩れ落ちた。戦闘の疲労と環境の急激な変化が、思ったよりも彼の体力を奪っていた。
(...クソッ、施術代をケチるんじゃなかった..)
重く眩暈のする頭の中で、ネイフィレは自嘲気味に後悔した。
都市の化け物ども――それこそ特色フィクサーなどの怪物たちなら、丸三日ぶっ通しで激しい戦闘を行ったところで大した問題にもならないと聞く。彼らは大量の資金を投じて、高価な武器防具の類はもちろん、高品質な強化施術を積んでいるからだ。
当然、カポIIIのネイフィレも相応の施術を積んでいるはずなのだが...彼はそういった施術代をほぼ全てライフルの改造や高価な特殊弾薬の購入に充てていた。そのせいで、一応目に関する改造は相当していたり、護身用のナイフはスティグマ工房の上物を買っているものの、近接戦闘はからっきしだ。そのツケが今、猛烈な疲労と激痛となって全身に押し寄せている。
(徹甲弾を一発我慢してりゃこんな目には...)
思考が途切れ、ネイフィレはそのまま気絶するように深い闇へと落ちていった。
***
「――お〜い。起きなよ、朝だよ」
顔面に刺さるような日差しと、無造作に身体を揺さぶる衝撃で目が覚めた。薄目を開けると、腕組みをしたナズーリンが上から自分を見下ろしていた。
「...んあ...? もう朝か...?」
「もう朝か、じゃないよ。星が『寺の面々に新しい住人を紹介したいから、朝の勤行の前に本堂へ連れておいで』ってさ。ほら、さっさと支度しな」
「頼むから...もう少し寝かせてくれ...体が鉛みたいに重くてしょうがない...」
「甘えてんじゃないよ。うちの朝は早いの。第一、妖怪たちに怪しい余所者だって変な勘違いされたくないでしょ? 顔見せは大事だよ」
ナズーリンにシッシッと手を振られ、ネイフィレは重い身体を引きずるようにして起き上がった。
衣服のシワを伸ばしたり、髪を整えたりしながら、ネイフィレは今後の展望について考えていた。
(...俺は、都市に帰れるのか?)
仮に帰る手段が見つかったとして、その先に待っている現実を考えると、胃の奥がキリキリと痛んだ。
いくら情報にない人差し指の理不尽な奇襲を受けたとはいえ、結果だけ見れば惨敗だ。本来なら一ひねりで叩き潰せるはずの、たかが4級フィクサー事務所ごときの粛清に失敗したばかりか、預かっていた部隊まで全滅させてしまった。
そして、何食わぬ顔で親指に舞い戻り、「異世界に飛ばされて奇跡的に生き延びました」なんて報告をして、一体誰が信じるというのか。
(ただの敵前逃亡の苦しい言い訳にしか捉えられねえよな……)
部隊全滅と任務失敗の罪は重い。帰還した瞬間に待っているのは、温かい出迎えではなく、どんなに甘く考えても追放処分、妥当に考えるなら見せしめの処刑だろう。
つまり、帰るならばその莫大な失態を帳消しにできるほどの「巨大な戦利品」を引っ提げていくしかない。
(幸い、ここは未知の異世界だ……)
ネイフィレは小さく口元を歪め、辺りを見回す。この世界には、パッと見ただけでも都市の技術体系とは全く異なる技術や文明、そして妖怪などといった特異な存在が溢れている。これらを持ち帰るか、あるいは兵器として応用する道筋を立てられれば、それはきっと特異点すら凌駕する圧倒的な大功績になり得るだろう。
それに、自分という前例ができた以上、都市の物品や貴重品がこの世界に落ちてくる可能性だってゼロじゃない。奇跡的にどっかの翼の特異点技術の産物や、遺物なんかが拾えれば万々歳だ。
(ひとまず、ここで安定した暮らしを得ることからだな。そして、この世界の産物を骨の髄まで吟味してやることだ。せっかくの命だ、そう易々と捨ててたまるかよ)
覚悟を決め、腹を括ったネイフィレは、重い障子を勢いよく開け放った。
「よし、待たせたなナズーリン。その面々に挨拶に行こうじゃないか」