ルマは世界に詳しくなった。
それもほんの少しであるが……
所構わず話しかけてくるアナと、毎日、いや毎時のように言葉を交わしていれば、
意図せずとも人々や習慣、事象や物品といった、
最初こそ、得も言われぬ感情を抱いていたルマだったが、
同年代の同性、ましては同じ悪魔であるアナと生活をしていくうちに、その感情は消え去っていた。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、ルマ。魔術を使ってみたいって思ったことない?」
しばしの喧噪が去り、夕闇が静かに降りてきた頃。
直前まで「下で血を配る人たち」がいることについて話していた。
そんな中の、あまりに突飛な発言であったから、ルマは思わず聞き返した。
「魔術……って……なんで?」
本当に唐突だった。
彼女が突拍子もないことを言うのは、今に始まったことではないが……
この時ばかりは、本当に意味がわからなかった。
「魔術が使えたら、こんな檻からも抜け出せるのになー……って」
アナは思い出したかのように付け足した。
「あ! もちろん、ルマも一緒にね」
抜け出せる、という言葉だけがルマの中に残ったが、
それはそれとして、ルマは疑問を呈した。
「『魔術』は、“水を補充する”くらいにしか使えないんじゃないの……?
あの、配給の人がやってるみたいに……」
「ふふーん……、違うんだな〜」
アナは付け足した。
ルマに知らないことを教えることが、楽しいのか、優越感に浸れるからなのか、
今日も嬉しそうに、話を続ける。
「下だと、魔術は危ない魔物……敵をやっつけるために、
風を吹かせたり、火をつけたり、水を出したり、石を塵にしたり……
いろんな風に使ってたんだ〜」
アナは目を瞑って、人差し指を振りながら答えた。
「……で、それは誰にでも使えるようなもの?」
「……。使ってる人は……一人しか居なかったよ……。」
口籠ったアナを横目に、ルマは配給口の水に視線をやった。
「で、でも! 使ってみたいじゃん!」
「やり方もわからない、できる人も少ない。
なら、考えても仕方がない」
「またそう言う……」
魔術の話はそこで終わった。
夢物語が、少なくともしばしの希望になることをルマは知らなかった。
「でも、私は本当に檻の外に出たい。
こんな所に、何ヶ月も捕えられて、いずれは贄になるなんてゴメンだね。」
アナは、ルマと目を合わせながら、はっきりとそう言った。
しばらくして、ルマが口を開いた。
「……贄って何?」
◇ ◇ ◇
「はぁ……」
深いため息が薄暗い牢に落ちて、すぐに消えた。
「……縛られて、外に出されて、死地の魔物に食べられるってこと。捧げモノ……だっけ。
──ともかく、私たちはいずれ死んじゃうの。
パクっ、てね」
アナは口を大きく開けて、食べて飲み込む一連の仕草をして見せた。
「へー……」
「“へー”って……、死んじゃうんだよ?」
「死ぬって言っても……別に……」
「はぁ…… ルマさ…………」
アナはそう一度は言ったものの、途中で言葉を忘れてしまったかのように、深く考えて動かなくなった。
「──分かった。ルマ、脱出しよう!」
「美味しいもの食べて、
毎日を遊んで過ごして、
自由に飛び回って……
それで、楽しく生きてみようよ」
「……。」
「きっと楽しいよ!
この檻の外は──」
ドサドサッ!
先ほどまで、大きな声で語り合っていた二人。
どちらも、大袈裟に体を撥ねさせて、音の鳴る方向を見た。
血肉だった。
話に夢中になって、気づいたら時間が経っていて……、配給が放られている…………。
最近はこの繰り返しばかり。
いつもなら、うるさいと怒鳴られるだけだが、
今日はそうはいかないかもしれない。
アナは心臓が締まる息苦しさと、全身が縮められるような感覚に押しつぶされた。
静かだった。
一瞬にして音が消えた。
しばらくして、
檻にはただただ遠のいていく羽音が響いた。
「はぁぁぁ………」
アナは、胸を撫で下ろした。
ルマと言えば……
やっぱり、表情ひとつ変えていない……。
今日は配給の人が違った。
いつものしつこく話しかけてくるオッサンとは違って、無愛想に投入口に肉を投げて去っていく。
話しかけても反応もしないし、
見張りの人に何度も呼びかけられてもしばらく反応してなかったから多分、難聴。
だから、多分聞こえてない。
「──で、どうするの? ルマ。」
「…………。」
ルマは黙ったままで、動かない。
いつも通りに座って、縮こまっている。
やっと口を開いた。
「……。できるだけの協力はするよ……」
◇ ◇ ◇
その日は、二人で血を吸った。
少しばかりの未来と、ルマが体験するかもしれない世界……。
そんな事について語り合いながら。
この時、ルマが初めて笑った。
笑っているところを見た。
なんだか、
ほんのちょっとだけ胸が空いたような気がした。