そして、その日は突然訪れた。
ビビ様が仲間と共に帰国したと、手紙が届いたのだ。その手紙で全ての黒幕が王下七武海のクロコダイルだと言う事と、イガラムさんの死を知った。
味方であると信じていたクロコダイルの裏切りとイガラムさんの死に、俺は衝撃を受けた。
あの人なら、必ず生きて戻ると信じていた。
あれ程の実力者でも命を落とす事態。
この国を脅かす“影”の正体は、余りに強大で危険なものだった。
クロコダイルを討て。
隼の姿に転身出来る俺は、先行視察を命じられる。
王命を受けてその翌朝、敵の拠点があるレインベースへ向かった。
鳥形を取って空を飛んでいる間、何故だか予感がした。
ビビ様がそこに居る。
確証もないのにそう感じた。
クロコダイルの拠点の近くで、男たちの一団を見つける。
そしてそこに、ビビ様の姿があった。
二年間会わずにいたのに一目で分かった。
空から見ても良く目立つ、水色の髪。
黒いローブ姿のビビ様を男たちが取り囲んでいた。
ビビ様の様子からして、周囲は敵と見て間違いない。
俺はガトリング銃を発射し、敵を排除する。
ビビ様は即座に俺に気付いた。
次の瞬間、両手を高く宙へ差し出すのが見えた。
その時脳裏に浮かんだ、遠い日の記憶。
「ねえ、あれやって!」
「何度もは駄目なんです。国王に叱られます」
「いや! 一回だけだから、良いでしょ?」
「……一回だけですからね」
結局根負けして、俺は空から滑空する。
子どもの頃のビビ様が、手を宙に差し出す。
一直線にビビ様の元に向かうと、彼女は両腕で俺の首にしがみ付き、そのまま空へ飛び上がる。
これは言わば緊急時用のもので、少々危険もある。
だからこそ止められていたのだが、ビビ様はこれが大層お気に入りだった。
俺は迷いなく低空飛行に切り替える。
ビビ様がしがみ付いて来た感覚が、一瞬その頃を思い出させた。
ビビ様が帰ってきたのだと、束の間安堵する。ゆっくり話す間もなかったが、二年ぶりに会うビビ様は驚く程、美しくなっていた。
周囲を取り囲んでいた男たちは、数分程度で制圧出来た。
アラバスタと王家を脅かす者たちに容赦はしない。一掃するのみだ。
しかし、得体の知れない異様な空気を
暗く沈んだ目をした、黒髪の女。
「よくもイガラムを……!」
ビビ様の怒りに満ちた声が女に向けられた。
つまりこの女が、イガラムさんを手に掛けた張本人と言う事か。
瞬時に俺は殺気だった。
それの何が悪いのか、といった様子で女はビビ様の腕を捕え、身体をぐいと引き寄せる。
次の瞬間、ビビ様の身体を、女の手が刺し貫いた。
「ビビ様!」
イガラムさんばかりかビビ様までも!
この時程、誰かに激しい怒りを感じた事はない。
全身の血がバキバキと音を立てて燃え上がる様な、今まで感じた事のないものだった。
「貴様!!」
俺は瞬間的に隼に姿になり、我を忘れて突っ込んでいった。
「アラバスタの砂になれ!」
しかし空中で突然羽を押さえつけられ、俺は建物の屋上に激突した。
何故か分からなかったが、この女の前では俺の飛行能力は無効化される。
「ペル」
ビビ様が俺の名を呼び、身を起こした。身体を刺し貫かれた様に見えたが、全くの無傷だ。
何故かと
「私がこの娘を殺した様に見えた?」
完全に遊ばれている。
猫が獲物を狩る前に弄ぶ様に。
女は自らを悪魔の実の能力者だと明かした。
体の各部を花の様に咲かせる事が出来る、ハナハナの実の能力だと。
この女にはそれだけの余裕があるのだ。
羽が封じられるなら、直接攻撃するしかない。
刀を手に、女目がけて走る。
しかし途端に足を止められる。
地面から現れた腕に両足を捕えられたのだ。
同時に俺の背中からも「咲いた」腕に、両腕、首も拘束される。
振り解こうにも六本の腕は、石の様に固く身体を捕らえて離さない。
後ろ手のまま、上体を反らされる。
関節技だ。
このまま地面に沈めようと言う事か。
渾身の力で抗うが、圧力はどんどん増して行く。
身体中がミシミシと不吉な音を立てた。
そんな俺を嘲る様に、女は俺の顎に軽く手を置いて言った。
「パワー、スピード……私にとってそれは意味のないものよ」
女は力一杯、手を振り切った。
「クラッチ!」その声が聞こえた直後、骨が砕ける音がした。
俺の意識はそこで途絶えた。
再び目覚めた時、痛みと息苦しさに思わず呻き声が漏れた。
目の前に照りつける太陽が見えた。
一瞬のうちに、己の敗北を悟る。
周囲にはビビ様も、あの女の姿もなかった。
どのくらいの時間、俺は
太陽の昇り具合からして、少なくとも二時間以上か。
何と言う失態だ。
……まただ。
やっと取り戻せたと思ったのに、またビビ様を一人にさせた。
一体俺は何をしている?
王国一の戦士と呼ばれ、その自負もあった。
しかし、そんなものは何の意味もない。
今この時に敗北すれば、ビビ様を守れないと言うのに。
今更嘆いても何にもならない。とにかくビビ様を見つけるのが先決だ。
動こうとすると呼吸が更に苦しくなる。口と鼻から出血していた。
恐らく骨が折れた時に肺を損傷したのだろう。
しかし俺の持つ悪魔の実の能力は、身体の強靭さを誇るゾオン系。
そうであるなら、これくらいで動けなくなる筈はない。
息をする度全身が
周辺を探し回り、砂丘にそれらしい人影を見つける。あの女だ。
ビビ様の姿は、ない。
「見つけたぞ、ビビ様をどうした!」
あの女が振り向く。
「貴様の能力を把握したからには、さっきの様にはいかんぞ」
そうは言ったが、心の中では明らかに不利だと思った。
この女の能力と俺の能力では相性が悪い。
加えて立っているのもやっとの状態で、十分に戦えるのか?
そんな考えが頭をよぎった。
しかし何としてでもこの女の企みを阻止せねばならない。
ただで負ける気はなかった。
刺し違えてでも、止める。
だがそんな俺に向かって、女は見越した様に言った。
「無理しないで、重傷の筈よ?
丁度よかった。その子を助けてあげたら?」
その言葉に初めて気付いた。地面に横たわる、その少年に。
まだ子どもっぽさを留めた、17才くらいの少年だった。
身体の上には麦わら帽子が載っていた。
着ている赤いジャケットは、血でぐっしょりと濡れている。
全身傷まみれで、ごく浅い呼吸を繰り返している。
瀕死の状態だ。
「あなたたちの大切なお姫様を、この国まで送り届けた勇敢な
この少年が、ビビ様の仲間?
どこからどう見ても、ごく普通の少年だ。
ビビ様が頼りとする様な、そんな相手とは到底思えなかった。
「それに王女は無事よ。
今、アルバーナへ向かっているわ」
女は歩みも止めず、移動用のワニに乗り込む。
「これからどうなるか分からないけど、事態が事態だものね……」
そう言い残すと女は去って行った。
俺は敗北感と痛みで膝から崩れ落ちた。
あの女はこちらを
俺は脅威ですらない、と言う事だ。
気付けば俺は血が零れ落ちる程、きつく拳を握っていた。
己の力の無さを呪った。
俺があの女に太刀打ち出来ないと言う事は、この国にビビ様を助けられる者がいない、と言う事と同じだ。
この国の誰も、ビビ様を守る事が出来ない。
一瞬、蒼白な顔で地面に倒れ伏すビビ様の姿が頭に浮かんだ。心臓を
それは考え得る中で、最悪な結論だった。
突然袖を強く引かれて我に返った。
倒れていた少年が袖にしがみ付いて叫んだ。
「にぐ!」
「何を言ってる?」
ビビ様の仲間であるなら、礼を尽くさなくては。
とにかく救助が先だ。
その時少年が絞り出すように声を上げた。
「俺は……ビビと約束したんだ。
必ず、この手でクロコダイルをぶっ倒すって」
それを聞いて俺は耳を疑った。
「まさか、君がクロコダイルと戦ったのか?」
さっきの女を従えている、王下七武海のクロコダイル。
スナスナの実の能力者で、身体を砂に変え自在に操ると言う。
当然あの女より格段に強力な能力者である筈だ。
そのクロコダイルとこんな少年が戦った、などと信じ難い話だった。
「さっきは砂に埋められちまったけど……あいつの弱点は分かったんだ。
水さえぶっかけりゃ、あいつはぶん殴れる。
……だからそれには……肉!」
その眼差しを見て、はっとした。
一度敗北したと言うのに、その目には諦めの一片もない。
それがどうした、と言わんばかりの闘志が宿っている。
もしこの場にビビ様が居たら、恐らく彼と同じ様に諦めないだろう。
そして最後の一瞬まで足掻く筈だ。
この少年と同じ様に。
ひとまずビビ様の護衛だと名乗って、少年を背に宮殿へ向かう。
彼もまた悪魔の実ーーゴムゴムの実の能力者だった。
ルフィと名乗る彼は、俺の背中でずっと「肉」と叫んでいた。
重傷であるのは疑いようがないが、それだけ叫んでいられるのは生命力が強い証拠だ。
「肉さえ食えりゃ怪我なんて治る!」
ルフィ君はそう言い張った。
いくら何でもそれはないだろうと思っていたが、本当にそれで体力が目に見えて回復していったのには唖然とした。
食べる量も勢いも、およそその体格からは想像も出来ない凄まじさだった。
治療に当たった医師によれば、彼の傷は常人ならとっくに死んでいてもおかしくない程深刻だと言う。
医師の、驚きを通り越して恐怖に引き
……一体、ルフィ君はどんな悪魔の実を食べたんだろうか。
食糧庫をほぼ空にして、ようやく彼は一段落ついた様だった。
「あいつ、俺を助けてくれたんだ」
「あいつ、とはさっきのあの女が?」
「おう。砂に埋まってる所を掘り出してくれてよ。
はぶんふぁいつ、ふぁるいはつはねーふぉ」
残りの肉を
後半部は察するに「多分あいつ、悪い奴じゃねーぞ」と言ったのだろう。
そうは言われても攻撃された上にビビ様を連れ去られている以上、とてもその意見に同意出来なかった。
「しかしビビ様を
「分かんねえ。でもあいつ、前にも俺の事助けてくれようとしたしよ」
そのままにしておけばルフィ君は確実に死んでいた。
しかしあの女は、わざわざ戻って来て彼を助け出した。
自分達に逆らった、邪魔者だと言うのに。
あの女のしている事はどう考えても矛盾している。
俺の事にしてもそうだ。
あの場で俺の命を奪う事も容易だった筈だ。しかし、そうしなかった。
目的はビビ様を連れ出す事で、あくまでも戦力を削っただけだと言うのか。
考えていても、明確な答えは出ない。
答えはあの女にしか分からないのだ。
「どっちにしても俺はもう動けるぞ」
「怪我は?」
「平気だ。それより急がねえとビビが危ねえ」
「分かっている。しかし……その身体で勝算はあるのか?」
「あるに決まってんだろ。あいつはこの戦いに命賭けてんだ。俺も一緒に命賭けるって約束したからな。
約束したからには何が何でも勝つ」
理屈になっていない様な理屈だが、どちらにしろ今は戦う他に道はない。
この状況で味方になってくれるなら、これ程有り難い言葉はなかった。
どこかこの少年はビビ様に似ている気がする。
こうと決めたら全身全霊、全てを賭けて一直線に突き進む。そこに迷いは微塵もない。
だから仲間として認め合えたのだろうと思う。
ビビ様はこの少年に全てを賭けた。
俺も彼を信じるべきだろうか。
あの女に敗北した俺と、クロコダイルに挑んだ彼と。
勝算があるとしたら悔しい事ではあるが、ルフィ君の方だろう。
この常識外れなまでの生命力と意志の強さなら、或いは……強大な力を持ったクロコダイルにも勝てるかもしれない。
俺は護衛兵なのだ。
己が戦って勝つ事が目的ではない。
ビビ様とこの国を守るのが役目だ。
「改めて俺からも頼みたいのだが」
「んん?」
「会ったばかりの君に、こんな事を頼むのは無茶な事だと分かっている。しかし、俺だけではクロコダイルはおろか、あの女にさえ力が及ばない。
ビビ様を守る為には何だってしたいが、俺一人では守る事が出来ない。
こちらも出来る限り力を貸そう。
だからビビ様の為に、君の力を貸して欲しい。どうか頼む」
俺はルフィ君に頭を下げた。
すると彼は即座に答えた。
「当たり前だろ、そんなの。頼まれなくったってそのつもりだ。
俺はあいつを倒す他には何も出来ねえ。俺は俺に出来る事をするだけだ」
俺に出来る事をするだけ、か。
まるで今の自分に向けられた様な言葉だと思う。
俺は元々戦う事が好きな訳ではない。
子どもの頃から涙脆い方だったし、戦士になるには気が優しすぎて向かない、とも言われた。
戦うのは嫌いだ。
そう言った俺に答えたのは父だった。
大切なのは戦う事ではない。
戦う事より、守る事なのだ、と。
その言葉は心に強く残り、俺の取るべき道を示す指針となった。
力が無くては、誰かを守る事は出来ない。
ではその力を持たなかった俺は、ただ諦めて見ているしかないのか。
……いいや、諦められるか。
それでも足掻け。自分の全てを懸けても抗え。
そうでなくては、俺がここに居る意味は無い。
ししし……と笑いながらルフィ君は言った。
「しかしお前、ビビが大事なんだな」
「……ああ」
ーーそう、守るに値する大事な人だ。
「じゃあ行こう。俺たちみんなでビビを助けるぞ」
俺は固く頷いた。
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