ルフィ君は水を満たした樽を担ぐ。
時間がないので、彼を背に乗せて飛ぶ。
国王軍と反乱軍の戦いは既に始まっていた。
突然の砂嵐に視界を奪われるが、宮殿のどこかにビビ様が居る予感がした。
そしてその読みは当たった。
ビビ様はクロコダイルによって、城壁の上から落とされようとしていた。
ビビ様が落下していくのが見えた。
羽が千切れてもいい。間に合え。
落ちていくビビ様の身体の下に滑り込む。
地面ぎりぎりの所で、ルフィ君がビビ様を抱き止めた。
「ルフィさん……ペル……」
ビビ様は完全に打ちひしがれていた。
俺の背の上で子どもの様に泣きじゃくる。
「広場の爆破まで時間がないの。
もうみんな……やられちゃったし……
私の声はもう……誰にも届かない!!」
本当はすぐにでもビビ様を慰めてやりたかった。
しかし、今の俺にはそうする事は出来ない。
今、彼女が一番頼りにしているのは、俺ではないのだから。
「心配すんな」
ルフィ君の声がした。
「お前の声なら、俺たちに聞こえてる」
その言葉は心の中の思いそのものだったので、俺はただ、黙っていた。
城壁の下に降り立つと、ルフィ君の仲間たちが集まって来た。
「ああああああ〜っ! ルフィが生きてるぞ〜!!」
「な! な! だから言っただろっ! 俺にはわがっでだ!!」
獣人型の少年、包帯を全身に巻き付けた少年が、叫び声を上げる。
どうやらルフィ君の生存を諦めかけていたらしい。
「お〜ビビちゃん、何てこった。こんなに傷ついて」
金髪の青年がビビ様に声を掛ける。案じているのは分かるが、少し馴れ馴れし過ぎやしないか?
踊り子の格好の少女が、包帯姿の少年をいきなり殴り倒した。
「誰が宴会の小道具作ってって頼んだのよっ!」
事情は分からないが、かなり勝気な性格と見える。
「立ってんじゃねえか、てめえ!」
そんな少女を背負って来たのは、剣士の青年だった。彼の方が重傷そうなのに、よく人ひとり背負えたものだと思う。
話を聞かなくても、彼らの姿を見れば一目で分かった。
皆、ビビ様の為に戦ってくれたのだ。
全員が
無傷の者は誰一人としていない。
生傷と砂埃にまみれ、それは非道い有り様だったが、皆晴れがましい表情をしていた。
ルフィ君が口を開いた。
「悪いィ みんな
俺あいつにいっぺん負けちまったんだ」
一旦言葉を切ると、彼はきっぱりと言い放つ。
「だからもう負けねえ! あとよろしく」
その言葉に皆が応える。
ビビ様は涙を拭い、前を見据えた。
本当に良い仲間たちに恵まれたものだ。
これ以上ない、心強い者たちに。
ビビ様がこの国を出なければ、これ程の仲間たちに出会える事はなかっただろう。
あの日のビビ様の決断は、間違ってはいなかったのだ。
ルフィ君は突っ張った腕の反動を利用し、勢い良くクロコダイルの元へ向かう。
ルフィ君の拳が殴れない筈のクロコダイルの頬を捉えて、思い切り殴り飛ばしたのが見えた。
彼ならきっとやってくれる。
「ビビ、その人は?」
踊り子の格好の少女が、ビビ様に尋ねた。
「私の護衛をしてくれてる、ペルよ」
俺は黙礼した。
「ペルは悪魔の実の能力者なの。隼に変身出来るから、空から砲弾を探せるわ」
それからビビ様は宮前広場近くのどこかに砲弾が仕掛けられている事を、手短かに話した。
クロコダイルの言葉によると、爆発までは僅か10分しかないと言う。
それまでにそのありかを探し出し、砲撃を阻止しなくてはならない。
余りにも時間がないが、この事態では不平を訴える事も許されない。
もし間に合わなければ、直径5キロが吹き飛ばされる。
広場で戦っている国王軍、反乱軍もろとも、俺たち皆がだ。
話の途中で異変を感じ、俺は反射的に刀の柄に手を掛けた。
剥き出しの殺意に肌がひりつく。
その黒い悪意は、ビビ様一人に向けられていた。
次の瞬間、剣士の青年と金髪の青年が同時に動いた。
ビビ様に襲いかかって来た男を二人が倒していた。
この二人は戦闘において相当な手練れだ。
ビビ様を狙って、男たちが集まって来ていた。
クロコダイルの傘下の者たちだろう。
関わっていては、ただでさえ少ない時間が減る一方だ。
戦闘は剣士の青年と金髪の青年に任せ、俺たちは砲弾を探すべく散開した。
俺はすぐさま隼の姿になる。
ビビ様を狙う者たちを警戒し、すぐ側を飛んでいると声を掛けられる。
「私の事はいいから、砲弾を探して」
ビビ様は走りながら言葉を続けた。
「自分の身は自分で守れるから」
ほんの少しの間に、ビビ様は本当に強くなったと思う。
俺はその言葉に従い、更に上空へ昇って探索を始めた。
眼下には砂煙に覆われたアルバーナの町が見える。
赤茶色のもやの下、無数の人間たちが戦い、倒れていく。
ここは幼かったビビ様と子ども達が、笑いながら駆け抜けた場所だ。
かつてどこよりも平和だった町が、地獄に呑まれていく。
硝煙と血の匂い、怒号と爆発音が入り混じる。
砂漠の華と
視界の端で、国王軍の兵士と反乱軍の一人が相打ちになったのが見えた。
止めろ、と叫び出しそうになる。
この戦いは無意味だ。
アラバスタの人間が倒れれば倒れる程、クロコダイルを喜ばせるだけだ。
自らは直接手を下さず、同じ国の者同士に潰し合いをさせる。
挙げ句に爆破で双方を消し去り、国を乗っ取る。
その発想の
しかし声を上げても無駄だ。
怒りに我を忘れている彼らの耳に声が届く事はないし、目に付く至る所で同様の事態が起きている。
一人でも多く助ける為には、何よりもまず砲弾を見つけ出さなくてはならない。
だが上空からどこを見ても、それらしいものは見当たらなかった。
目ぼしい建物を片っ端から当たったが、どこも空振りに終わった。
焦りが募るばかりで、時間だけが刻々と過ぎて行く。
そんな時、時計台付近で照明弾が上がった。
すぐさまそちらへ向かうが、厚い砂塵に遮られてどこからなのか視認出来ない。
その時、発砲音と同時に身体に衝撃が走った。
熱した金属を押し当てられた様な、鋭い痛み。
腹部に被弾したーーそう気付いた時には遅かった。
なぜ気付かなかった。
弾道からして狙撃手は広場中央、時計台内部に居る。
空からは見えないが広場に近く、砲弾を置けるだけの空間がある場所。
そう考えれば辿り着けたものを。
焦りで目が曇っていたとしか言いようがない……不覚だった。
意識が遠のく中、時計台が傾いで見えた。
すぐそこに見えているのに身体が言う事を聞かない。
俺はそのまま数十メートル落下し、建物の屋上に叩きつけられた。
一瞬、息が止まりそうになる。
目の前が暗くなりかけた。
駄目だ。
時間がない。
今気を失う訳にはいかない。
歯を食いしばって痛みに耐える。
受けた傷は致命傷ではない。
こんなものはこの国が受けている傷に比べたら、ものの数にも入らない。
こんな所で這いつくばっている場合か。
ビビ様はまだ諦めてはいない。
俺が今動かずにいつ動くんだ。
戦闘力ではあの女に及ばず、
このままではアラバスタの戦士の名折れだろうが。
立て。
地面に張り付けられた様に身体が重い。
力尽くで身体をそこから引き剥がす。
状況を把握しろ。
冷静に事態を見極めろ。
爆発はまだ起きていない。
俺のすべき事は狙撃した者の排除、砲撃の阻止。
己のすべき事を遂行しろ。俺に出来る事を。
俺は隼に身を変え、もう一度飛び上がる。
今動かなければビビ様も、この国の民も、誰一人守る事は出来ない。
時計台の上に着いた時には、狙撃手の姿はどこにもなかった。
既に排除が完了したと言う事だ。
しかし、砲弾は?
ビビ様だけが、巨大な砲台の前で力無く座り込んでいた。
まだ終わっていないのだ、と俺は直感した。
それだと言うのに。
「懐かしい場所ですね。
砂砂団の秘密基地……」
切迫している状況には不釣り合いな言葉が、口をついて出た。
俺にとってここは、砲弾が設置された忌まわしい場所ではない。ビビ様の子ども時代の思い出の場所として記憶されているからだった。
「ペル、聞いて」
振り返ったビビ様が、必死の表情で言い募る。
「砲弾が時限式で、今にも爆発しちゃいそうなの」
服の裾から血が滴り落ちる。
ビビ様は俺が撃たれた事に気付いていない。
気付かない方がいい。
気付けば余計な心配を掛ける。
ビビ様に頼られている以上、俺はそれに応えなくては。
ビビ様の言葉を聞いているほんの僅かな間に、色々な事が俺の脳裏に浮かんだ。
ビビ様が弾薬庫で爆発騒ぎを起こしてしまい、心配の余り叩いてしまった事。
国王に仕えた日々。
チャカやイガラムさんとの出会い。
父や母、兄妹たちの姿。
目の前に居るビビ様のこの表情も。
見覚えがある。
あれはビビ様が砂砂団の副リーダーになって間もない頃だ。
ビビ様の姿が見当たらないと言うので、俺が捜索に当たったのだ。
するとすぐに本人は見つかったが、俺の姿を見るなりビビ様は困り果てた表情で訴えた。
「ペル、お願い。探してよ」
「探すとは、何をです?」
「子猫よ。まだ名前も付けてなかったのに」
子猫と言うのは、砂砂団で保護していた迷い猫の事だった。
まだ誰が飼うのかで話がつかず、よって名前も皆が好き勝手に呼ぶので決まっていなかったのだ。
「どうしよう、ずっと探してるけどまだ見つからないの。まだ子猫なのに。カラスとか大きな犬とかに襲われてたら、どうしよう」
聞けば半日以上も駆けずり回って探していると言う。
顔も服も埃にまみれ、膝は擦りむいて血が滲んでいた。
どれ程心配しているかはすぐ分かったので、俺はビビ様の求めに応じた。
「分かりました。私が探してみましょう」
結果的に子猫はあっさりと見つかった。
小さな身体の割に活発な子猫だったらしく、十メートル程の高さの木の枝から降りられなくなっていたのだ。
「ビビ様と同じく、お転婆ですね」
子猫を保護してそう伝えると、ビビ様は突然叫んだ。
「そうだ! じゃあ名前は『オテンバ』にする!」
それを聞いた時は思わず笑ってしまった。
程なくその子猫は本当に「オテンバ」と名付けられたのだった。
ビビ様の表情はあの時と似ている。
しかし今にも泣き出しそうなのを必死で堪える表情は、あの時とは比較にならない程辛く、苦しそうだった。
人の痛みを何より嫌う、ビビ様はそう言う人だ。
いつも自分の傷や痛みは後回しにしようとする。
だから俺が彼女を守らなければならないのに。
その端正な顔も、細い腕も、傷と痣だらけだった。
俺の力不足のせいだ。
こんな表情をビビ様にさせてはいけない。
これ以上、ビビ様を傷付けてはならない。
それならすべき事は一つ。
この砲弾を遠く離れた場所へ運び、爆破させる。
確かにこればかりは俺にしか出来ない事だと思う。
……恐らく、生きて帰れはしないだろうが。
この時になって分かった。
俺は、向こう見ずで優しく、誰より気高いビビ様が好きなのだ。
「ビビ様、私は……」
言いかけて俺は一瞬、言葉を止めた。
……いや、止そう。俺の気持ちを伝えるのは。
ビビ様にとって、ただ重荷になるだけだ。
俺が居なくとも、彼女は生きていくのだから。
「あなた方ネフェルタリ家に仕えられた事を 心より誇らしく思います」
言える事は、それが精一杯だった。
あなたに出会えて良かった。俺は心の底からそう思う。
ビビ様は何の事かと訝っている様だったが、その間に俺は隼の姿に転身した。
砲身から砲弾を足の鉤爪で掴み出し、一気に上空へ飛び上がる。
ビビ様が俺の名を呼んだのが聞こえたが、それに応える訳にはいかなかった。
遠くへ。
少しでも遠くへ、一秒でも早く。
その事ばかり考えていた頭の中に、不意に懐かしい情景が浮かんだ。
子猫を手渡した後、ビビ様は満面の笑みで言ってくれたのだ。
「ありがとう、ペル。大好き」
その情景を思い出して、俺は無意識のうちに笑っていた。
ーー我、アラバスタの守護神 ファルコン
王家の敵を 打ち滅ぼすものなりーー
王家の名の元に誓った言葉が、口をついて出た。
次の瞬間、俺は白い閃光に飲み込まれた。
その先の記憶は、一切残っていない。
全身を貫く痛みで、俺は目を覚ました。
目覚めたのは反乱から三日経った頃だった。
そこはアルバーナ郊外の診療所。
三日間、俺は死んだ様に眠っていたらしい。
爆発で数キロ先の砂漠地帯へ飛ばされた所を、偶然居合わせた避難民たちが助けてくれたのだと言う。
「ビビ様は……国王は……?」
身体中今まで感じた事のない激痛で、上手く言葉も出て来ないのがもどかしい。
黒い髭を蓄え、ギョロリとした目の医師が言った。
「安心しろ。戦いは全て終わった。国王様も王女様もご無事だ」
「それならクロコダイルは……」
「奴なら海軍に逮捕されたよ。全ての称号と権利を剥奪された上でな」
では彼が、ルフィ君がやってくれたと言う事か。
全身に張り詰めていた緊張が、徐々にほぐれていった。
無理に話さず寝ていろと言われたが、そう言う訳にはいかなかった。
聞きたい事は山ほどあった。
そもそも、何故俺は生きているのか。
俺が仕掛けられた砲弾を持って吹き飛ばされたと話すと、医師は目を見開いて声を失った。
たっぷり20秒は沈黙した後、医師は言葉を
「いや、それで生きていられる訳がなかろう」
俺がゾオン系の悪魔の実の能力者だと言うことは、確実に関係しているだろう。
医師も同意見だったが、それ以外に俺が生きている理由は分からなかった。
医師は言った。
「まあ、君には途轍もない強運と、神の強いご加護があったんだろうよ。
命があるだけ儲けもんだ。有り難い事だよ。
命より大事なものはないんだからな……分かったら、まずは寝ておく事だ」
医師はカーテンを少し開けて言った。
「今は休息しても誰も文句は言わんよ。アラバスタ全体が傷を癒している所だからな、ホレ」
ーー雨が降っていたのか。
それは久しぶりに聞く雨だれの音。待ちに待った希望の音。
いつまでも止まないその音を聞きながら、俺は再び眠りに落ちた。
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