「ペル、あのね」
そのうち、ビビ様が意を決した様に口を開いた。
「私ずっと言いたかった事があるの」
「はい」
答えながらどこか身構えている自分に気付く。
「前にあなたに告白した時の事だけど」
心臓がドクリと音を立てた。何故、今その話なのか。
全く予想外の所から話を切り出されて、度を失う。
ビビ様がそんな様子に気付かない筈はなかったが、話を続けた。
「あなたは『主として』私が好きだって言ったわよね。私はきっとそう言われると思ってた。
ペルは私を妹みたいに思ってるって、分かってたの」
やはり気付かれていたのかと思う。
しかし、それはとうの昔に終わった話ではないのか。
「でもあの時は言わずにはいられなかった。
ペルに何も伝えられないまま離れるのは、嫌だったから。
会えるのはこれが最後かもって思ってたから、あの返事はすごく落ち込んだわ。
ペルにただの子どもだって突き放されたみたいで。
確かに私は子どもだったけど、心のどこかで、私の事を好きだって言ってくれるんじゃないかと期待していたの」
その言葉ひとつひとつが、耳に響く。
あの日の返答は、やはりビビ様を深く傷付けていた事を知る。
しかし、長い間触れずにいたのに、何故今になって打ち明けるのか。
ビビ様は今から何を言おうとしているのか。
「ビビもお前と一緒にいられて、嬉しそうだもんな」
突然、ルフィ君の一言が頭に浮かぶ。
……そんな訳はない。すぐさま予感めいたものを打ち消す。
「ペルは何にも言わないし、これまでと変わらないから、きっと私は妹のままなんだろうって……今までずっと思ってた」
ビビ様の言葉にそれは違う、と俺は口に出さずに呟く。
もうとっくに、妹の様だとは思っていない。
「何度も言おうとしたけど、また同じ返事だったらと思うと怖くて、ずっと何も言えなかったの。
でも言わないで後悔するより、言って後悔する方が良いと思うから、言うわ」
ビビ様は一呼吸置いて、風の音に紛れない様に、はっきりと言った。
「ペル、私はあなたが好き。前よりも、もっと」
その言葉が、胸にじわりと染み込んで来る。
長い間乾いていた土に、恵みの雨が降り注ぐ様に。
無意識のうちにずっと待ち望んでいた言葉だったのだと、その時初めて気付いた。
しかし同時に頭の中で警鐘が鳴る。
これは非常に由々しい事態だ。
「ペルは私の事が好き? 主とか妹とかじゃなく」
ビビ様が問いかける。
甘い感傷に浸っている時ではない。
これ以上話は進められない。
「それは……私の立場では答えられません」
俺の背の上で、ビビ様が両手を握り締めたのが分かった。
「それじゃ駄目よ。
ペルの立場も私の立場も分かってる。
でも私が聞きたいのはそんな事じゃない。あなたの気持ちの方なの」
反射的に答える口調は強くなる。
「失礼ですがビビ様、ビビ様と私の立場がお分かりなら、その様な質問はなさらない筈です」
「ペル」
咎める様な声を制して、俺は言い切った。
「ネフェルタリ家は800年以上続く由緒ある家柄です。いかに王族の方々と我々臣下の距離が近くとも、超えてはならない一線がある。
それを見誤れば王家の名を汚す事になります。
私が言わずとも、ビビ様なら良くご存知の筈です」
普段余りにも近しい間柄なので意識されにくい事だが、本来の主従関係と言うものには明確な身分差がある。
それが普段余り意識されないのは、国王の人柄による所が大きい。
そんな国は他にない。
国外の会議の場に随行してみれば分かる事だが、そんなアラバスタの在り方こそが、他国からすると異質なのだ。
アラバスタはそれで良いと国王は仰るが、それでも……どれ程国王が寛大であっても、それとこれとは完全に話が別だ。
そこを踏み越えれば、ビビ様は
ビビ様を守る筈の俺が、その立場を危うくする事など許されない。
臣下に想いを寄せ、またそれに応えるなど、あってはならない話なのだ。
「私の事は何とも思っていないの?」
ビビ様の問いかけに、俺は一度息を深く吸ってから答えた。
「主と臣下、それ以上のものではありません」
言った瞬間、針で刺された様な痛みが胸の奥に走った。
これが決別の言葉だと分かっていた。
またあの日の繰り返しだ。
あの時以上にビビ様は傷付くだろう。しかしそれでも、ビビ様と王家の威信を守る為にはこうする他ないのだ。
ビビ様の為だと自らに言い聞かせ、込み上げる感情を押し殺す。
沈黙の後にビビ様は言った。
「嘘。それなら何故、ロビンさんに私との事を指摘されて動揺したの?」
言葉が出なかった。何故それをビビ様が知っている?
「ロビンさんから聞いたの。ペルに私が好きなのか聞こうとしたって」
ーー彼、途中で話を遮っちゃったわ。
だから答えて貰えなかった。でもね。
ーーでも?
ーーその時の彼、顔が赤かったのよね。
ニコ・ロビン、何を余計な事を……!
「本当に私の事を何とも思っていないなら、動揺する必要ないでしょう、違う?」
ビビ様は追及の手を緩めない。
「ねえ教えて、あなたの気持ちが聞きたいの」
その声が必死に訴えかけて来る。
「私だっていつまでも独り身でいられる訳じゃない。
それとも私が誰かと結婚した方が……その方が良いと思ってるの?」
とうに承知している事だ。だが、ビビ様の言葉に心が掻き乱される。
言うべき言葉を探すが、そんなものは見つからない。
しかし何かを言わなければ。
俺はその気持ちを受け入れられない。
いや、受け入れる事が出来ない。
やっとの事で声を絞り出す。
「私は……答えられる立場にないのです。私がどう思っていようが、この様な話自体あってはならない」
「そんなのずるいじゃない」
ビビ様の指摘の通りだ。
確かにずるいと思う。立場にかこつけて、問いに答えていない。
しかし答えてしまえば、ビビ様の立場を貶める事になるだろう。
他でもない、俺なんかの為に。
「何度聞かれても同じ事です。私はただビビ様にお仕えする、それだけですから」
「ペル……」
「もうすぐ宮殿に着きます。もうこの話は止めましょう。
誰かに聞かれたら大事になります」
目の前に宮殿が迫っていた。
到着を待ち侘びるイガラムさん、チャカ、テラコッタさんたちの姿が見えた。
宮殿に着くや否や、皆がビビ様を取り囲む。
イガラムさんが開口一番に急かした。
「遅いですぞ、ビビ様。式典が始まるまで10分もありません、お急ぎを」
ビビ様がこちらを見ている事に気付いていたが、俺は視線を逸らした。
一度は促されて歩き出したビビ様が、振り返って叫んだ。
「ペル、さっきの返事、聞かせて。後で良いから」
その声は聞こえていたが、何も言う事が出来なかった。
チャカが声を掛けて来る。
「ペル、ビビ様が何か仰っていたが、聞こえたか?」
「……ああ」
「……お前らしくないな。いつもビビ様に呼ばれれば、すぐ返事をするだろうが。何かあったか?」
「いいや、大した事じゃない」
その返事とは裏腹に、俺は大変な事になったと思っていた。
これ以上返事のしようもない事だ。
答えならとっくに出ている。
すぐ近くで轟音が鳴り響いた。
式典の開始を告げる花火が打ち上げられたのだ。
色とりどりの光の雨が弾ける度に、空気を伝った振動を肌に感じる。
しかしそれだけの近さに居ながら、俺の心には何も残らなかった。
ただその音も色彩も、遥か遠く別世界のものの様に思えた。
光が消えた後の、深みを増した闇ばかりが、いつまでも俺の目に焼き付いていた。
それからの数日間、ビビ様とは人前で挨拶程度に顔を合わせても、話をする機会は巡って来なかった。
問いかけて来る様なビビ様の視線が、痛かった。
いつまでも答えを宙に浮かせたままではいけない。
彼女の立場を思うなら、こちらからはっきりと決別を伝える他ない。
ビビ様には、俺以外に相応しい相手が居るだろう。
そう思ってはいたが、踏ん切りがつかなかった。
ビビ様が俺を想っていてくれたと言う事が、頭から離れなかったからだ。
この期に及んで未練がましい事だ。
そして結局何も言えないまま、じりじりと時だけが過ぎていった。
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