熱き砂 冷涼なる泉(完結)   作:雪月 華

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第8話

「ペル、あのね」

そのうち、ビビ様が意を決した様に口を開いた。

「私ずっと言いたかった事があるの」

「はい」

答えながらどこか身構えている自分に気付く。

「前にあなたに告白した時の事だけど」

 

 心臓がドクリと音を立てた。何故、今その話なのか。

全く予想外の所から話を切り出されて、度を失う。

 ビビ様がそんな様子に気付かない筈はなかったが、話を続けた。

「あなたは『主として』私が好きだって言ったわよね。私はきっとそう言われると思ってた。

ペルは私を妹みたいに思ってるって、分かってたの」

 

 やはり気付かれていたのかと思う。

しかし、それはとうの昔に終わった話ではないのか。

 

「でもあの時は言わずにはいられなかった。

ペルに何も伝えられないまま離れるのは、嫌だったから。

会えるのはこれが最後かもって思ってたから、あの返事はすごく落ち込んだわ。

ペルにただの子どもだって突き放されたみたいで。

確かに私は子どもだったけど、心のどこかで、私の事を好きだって言ってくれるんじゃないかと期待していたの」

 

 その言葉ひとつひとつが、耳に響く。

あの日の返答は、やはりビビ様を深く傷付けていた事を知る。

 しかし、長い間触れずにいたのに、何故今になって打ち明けるのか。

ビビ様は今から何を言おうとしているのか。

 

「ビビもお前と一緒にいられて、嬉しそうだもんな」

突然、ルフィ君の一言が頭に浮かぶ。

……そんな訳はない。すぐさま予感めいたものを打ち消す。

 

「ペルは何にも言わないし、これまでと変わらないから、きっと私は妹のままなんだろうって……今までずっと思ってた」

 ビビ様の言葉にそれは違う、と俺は口に出さずに呟く。

もうとっくに、妹の様だとは思っていない。

 

「何度も言おうとしたけど、また同じ返事だったらと思うと怖くて、ずっと何も言えなかったの。

でも言わないで後悔するより、言って後悔する方が良いと思うから、言うわ」

 ビビ様は一呼吸置いて、風の音に紛れない様に、はっきりと言った。

「ペル、私はあなたが好き。前よりも、もっと」

 

 その言葉が、胸にじわりと染み込んで来る。

長い間乾いていた土に、恵みの雨が降り注ぐ様に。

 無意識のうちにずっと待ち望んでいた言葉だったのだと、その時初めて気付いた。

 

 しかし同時に頭の中で警鐘が鳴る。

これは非常に由々しい事態だ。

「ペルは私の事が好き? 主とか妹とかじゃなく」

 ビビ様が問いかける。

 

 甘い感傷に浸っている時ではない。

これ以上話は進められない。

「それは……私の立場では答えられません」

 俺の背の上で、ビビ様が両手を握り締めたのが分かった。

 

「それじゃ駄目よ。

ペルの立場も私の立場も分かってる。

でも私が聞きたいのはそんな事じゃない。あなたの気持ちの方なの」

 反射的に答える口調は強くなる。

「失礼ですがビビ様、ビビ様と私の立場がお分かりなら、その様な質問はなさらない筈です」

「ペル」

咎める様な声を制して、俺は言い切った。

「ネフェルタリ家は800年以上続く由緒ある家柄です。いかに王族の方々と我々臣下の距離が近くとも、超えてはならない一線がある。

それを見誤れば王家の名を汚す事になります。

私が言わずとも、ビビ様なら良くご存知の筈です」

 

 普段余りにも近しい間柄なので意識されにくい事だが、本来の主従関係と言うものには明確な身分差がある。

それが普段余り意識されないのは、国王の人柄による所が大きい。

諫言(かんげん)にも耳を傾け、臣下を家族の様に接する。

 そんな国は他にない。

国外の会議の場に随行してみれば分かる事だが、そんなアラバスタの在り方こそが、他国からすると異質なのだ。

 アラバスタはそれで良いと国王は仰るが、それでも……どれ程国王が寛大であっても、それとこれとは完全に話が別だ。

そこを踏み越えれば、ビビ様は(そし)りを受ける事になるだろう。

 ビビ様を守る筈の俺が、その立場を危うくする事など許されない。

臣下に想いを寄せ、またそれに応えるなど、あってはならない話なのだ。

 

「私の事は何とも思っていないの?」

 ビビ様の問いかけに、俺は一度息を深く吸ってから答えた。

「主と臣下、それ以上のものではありません」

 言った瞬間、針で刺された様な痛みが胸の奥に走った。

これが決別の言葉だと分かっていた。

 

 またあの日の繰り返しだ。

 あの時以上にビビ様は傷付くだろう。しかしそれでも、ビビ様と王家の威信を守る為にはこうする他ないのだ。

 ビビ様の為だと自らに言い聞かせ、込み上げる感情を押し殺す。

 沈黙の後にビビ様は言った。

 

「嘘。それなら何故、ロビンさんに私との事を指摘されて動揺したの?」

 言葉が出なかった。何故それをビビ様が知っている?

 

「ロビンさんから聞いたの。ペルに私が好きなのか聞こうとしたって」

 

ーー彼、途中で話を遮っちゃったわ。

だから答えて貰えなかった。でもね。

ーーでも?

ーーその時の彼、顔が赤かったのよね。

 

 ニコ・ロビン、何を余計な事を……!

 

「本当に私の事を何とも思っていないなら、動揺する必要ないでしょう、違う?」

 ビビ様は追及の手を緩めない。

「ねえ教えて、あなたの気持ちが聞きたいの」

 その声が必死に訴えかけて来る。

「私だっていつまでも独り身でいられる訳じゃない。

それとも私が誰かと結婚した方が……その方が良いと思ってるの?」

 

 とうに承知している事だ。だが、ビビ様の言葉に心が掻き乱される。

言うべき言葉を探すが、そんなものは見つからない。

 しかし何かを言わなければ。

 俺はその気持ちを受け入れられない。

いや、受け入れる事が出来ない。

 

 やっとの事で声を絞り出す。

「私は……答えられる立場にないのです。私がどう思っていようが、この様な話自体あってはならない」

「そんなのずるいじゃない」

 ビビ様の指摘の通りだ。

 確かにずるいと思う。立場にかこつけて、問いに答えていない。

しかし答えてしまえば、ビビ様の立場を貶める事になるだろう。

 他でもない、俺なんかの為に。

 

「何度聞かれても同じ事です。私はただビビ様にお仕えする、それだけですから」

「ペル……」

「もうすぐ宮殿に着きます。もうこの話は止めましょう。

誰かに聞かれたら大事になります」

 目の前に宮殿が迫っていた。

 到着を待ち侘びるイガラムさん、チャカ、テラコッタさんたちの姿が見えた。

 

 宮殿に着くや否や、皆がビビ様を取り囲む。

 イガラムさんが開口一番に急かした。

「遅いですぞ、ビビ様。式典が始まるまで10分もありません、お急ぎを」

 

 ビビ様がこちらを見ている事に気付いていたが、俺は視線を逸らした。

 一度は促されて歩き出したビビ様が、振り返って叫んだ。

「ペル、さっきの返事、聞かせて。後で良いから」

 その声は聞こえていたが、何も言う事が出来なかった。

 

 チャカが声を掛けて来る。

「ペル、ビビ様が何か仰っていたが、聞こえたか?」

「……ああ」

「……お前らしくないな。いつもビビ様に呼ばれれば、すぐ返事をするだろうが。何かあったか?」

「いいや、大した事じゃない」

 

 その返事とは裏腹に、俺は大変な事になったと思っていた。

これ以上返事のしようもない事だ。

 答えならとっくに出ている。

 

 すぐ近くで轟音が鳴り響いた。

式典の開始を告げる花火が打ち上げられたのだ。

 色とりどりの光の雨が弾ける度に、空気を伝った振動を肌に感じる。

 しかしそれだけの近さに居ながら、俺の心には何も残らなかった。

ただその音も色彩も、遥か遠く別世界のものの様に思えた。

 光が消えた後の、深みを増した闇ばかりが、いつまでも俺の目に焼き付いていた。

 

 それからの数日間、ビビ様とは人前で挨拶程度に顔を合わせても、話をする機会は巡って来なかった。

 問いかけて来る様なビビ様の視線が、痛かった。

 

 いつまでも答えを宙に浮かせたままではいけない。

 彼女の立場を思うなら、こちらからはっきりと決別を伝える他ない。

 ビビ様には、俺以外に相応しい相手が居るだろう。

そう思ってはいたが、踏ん切りがつかなかった。

 ビビ様が俺を想っていてくれたと言う事が、頭から離れなかったからだ。

 この期に及んで未練がましい事だ。

 そして結局何も言えないまま、じりじりと時だけが過ぎていった。

 

 




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