それから三日目の事だった。
大聖堂での儀式の後、チャカに呼び止められる。
「ちょっと待て、話がある」
儀式で使われた香の煙も消えないうちにそう呼び付けるチャカは、何故か怒っている様だった。
怒りの原因に心当たりはない。
何事かと不審に思う俺に、チャカはこっちへ来いと目で合図する。
大聖堂を出て行く人々の、ゆっくりした足取りに焦れている様子を見て、気が付いた。
チャカは怒っているのではない。
どちらかと言えば焦っている……と言うより何かに困惑している様だ。
俺たち以外の誰も居なくなったのを見計らい、チャカは心持ち声を潜めて言った。
「ビビ様から今朝打ち明けられたんだが……お前の事が好きなんだと」
全身の血が引いて行くのが分かった。
それでいて、頭の方は熱が上がって行く。
「お前に気持ちを伝えたのに、はっきりとした返事がないと仰っていた。
答えて貰えないなら、俺の方から聞いて貰えないかとな」
チャカは正面から俺を見据える。
「どう言う事なんだ、これは。
……お前も、ビビ様に想いを寄せているのか?」
「それは……」
俺は答えられなかった。
肯定出来る覚悟はなく、かと言って否定する事も出来なかった。
否定した所で、この状況ではチャカに真偽をすぐ見破られるだろう。
チャカは俺の態度の意味に気付いた様だった。
「いつからだ、ビビ様を意識し始めたのは」
はっきりと意識し始めたのは、あの時。
「ビビ様に一度目に告白された時だ」
「一度目に告白? 今回で二度目なのか?」
チャカは目を剥いた。
「ちょっと待て、聞いていないぞ、そんな事は」
「当たり前だ、今初めて言ったからな」
「いや待て……それはいつの事だ」
チャカは混乱した様に頭に手をやる。
「ビビ様が失踪した前日の話だ」
「と言う事は四年間も隠し通していたのか。
お前、墓場にまで持って行くつもりだったな。呆れた奴だ」
ほとほと呆れた、と言うようにチャカは俺を見やる。
「隠すも何も……わざわざ話す事もないだろう。
ビビ様が後々別の誰かに心変わりする事だって有り得る。
その時俺との話が広まっていたら、ビビ様に迷惑が掛かるだろうが」
はあ、とチャカは溜め息を
「それはお前の読みが甘過ぎだ。
心変わりどころか、お前以外考えられないと真剣そのものだぞ」
それからチャカは少し考えて言った。
「……そう言う反応をするとなると、一度目の時はお前の方でビビ様を拒んだ、と言う訳だな」
理解の早い事で何よりだ。
「拒んだ、と言うより他にどうしようもなかっただろう。あの時ビビ様は14才だったんだぞ」
「だが今は事情が違うと言う訳だな」
チャカの一言に返す言葉がない。
「実を言うと二年前、お前が生きていると連絡を受けたあの日の事だ。覚えているか?
俺がビビ様より遅れて来た事を」
「……ああ」
「あの時、一緒に居るビビ様とお前が、まるで恋人同士の様に見えてな。割って入って良いものか、
思ってもみなかった事だった。そんな風に見えたのか?
「だからもしかして、と言う思いがあった。今回ビビ様に言われた時も、それ程は驚かなかったよ」
それで、とチャカは尋ねて来る。
「今回の事は? どう返事をするんだ」
「返答ならした。俺が気持ちに応えられる訳がないだろう」
知らず知らずのうちに語気が強まる。
「お前が気にしているのは立場の事だろう?
確かにこの件が露呈すれば、国内外で議論を呼ぶだろうな。
しかし国王は、恐らくお前を認めてくれるだろう。
他ならぬビビ様が選んだ相手なんだからな」
いいや、有り得ない、と俺はその意見を否定する。
「お前まで何を言う。
王族の婚姻と言うのは、家同士の結び付きが重視されるものだ。
王族、特に王女が臣下を選ぶと言う例は、殆ど聞いた試しがない」
するとチャカはそうかな、と挑む様に反応した。
「過去に例がないと言うなら、地下組織に乗り込んだ王女と言うのも同じ事だろうが。
前例がないと言う理由で、お前はビビ様を否定するのか?」
チャカに言われて言葉に詰まる。
「お前ひとりが一方的に惚れているなら問題だろうが、ビビ様もお前を好いている。
それなら問題にならんだろう。王族の結婚相手が王族でなければならないと言う規定はなかった筈だ。
国王もそれに固執する様なお方ではない。
その後の事はお前の覚悟次第だ。
だったら、何を迷う事がある?
それとも何か? ビビ様に何か不足でもあると言う事か?」
チャカは一気にまくしたてた。
特に「ビビ様に何か不足でも」の所で一段と圧をかけて来る。
チャカはチャカなりに、ビビ様を大切に思っているのだ。
「ビビ様に不足などある訳がないだろう。
バロックワークスに潜入していた二年間を何でもない事だと言い切れる様な方だぞ。
その一言に、どれだけの忍耐と努力があったかには触れもしないでだ。そんな相手に……不足などあるか」
アラバスタを離れていた二年間の話を聞いた時は、余りの無茶の連続に思わず頭を抱えたくなったものだ。
しかしビビ様はけろりとして言った。
『でも私、上手くやったわよ』
そしてにこりと微笑んだ。
その時の悪戯っぽい笑顔ほど心惹かれる表情を、俺は他に知らない。
「不足があるのは俺の方だ」
俺は本心を明かした。
「ビビ様と俺では余りに立場が違い過ぎる。
年だって離れているしな。
だがそれ以上に、俺は自分がビビ様に似つかわしくないと思っている」
チャカが黙って話を聞く姿勢で居るので、先を続ける。
「二年前、俺は敵に完敗した。全く歯が立たずにな。
俺は本当に無力だった。
あの時、俺一人ではどうにも出来なかった。
ビビ様を助ける事が出来たのは、麦わらの一味の助力があったからだ。
大事な時に力になれなかった、そんな男にビビ様と添い遂げる価値があると思うか?」
チャカは少し間を置いて言った。
「お前が気にしているのは、その事か」
「そうだ」
「それを決めるのはビビ様本人だ。
そしてそのビビ様はお前を選んでいる。だったらそれで良いんじゃないのか」
チャカの言葉にどうしても俺は頷けない。
「俺は、自分が許せないんだ」
そう言うと、チャカはやれやれと首を振った。
「前にも言ったが、一人で背負い込み過ぎなんだ。
あの時戦っていたのはお前一人じゃないし、お前一人に非がある訳でもない。
自分が無力だったと言うが、お前が居なかったら今のこの国の形は全く違ったものになっていただろうよ。
誰が何と言おうと、お前はこの国を守ったんだ。
自分を責め続けるのは止せ」
チャカは更に言葉を続けた。
「ビビ様はこの国を出て、地下組織の諜報員にまでなった。お前はお前で、砲弾を抱えて事態を収めようとした。
国を守ろうとして命を懸けたと言う意味では、お前もビビ様も全く同じだ。
俺には似た者同士に見えるがな」
ふと思いついた様に、チャカは問いかけた。
「今話を聞いていて思った事がある。あの時、お前があの行動を取ったのは、確かに国の為でもあっただろうが……本当は目の前に居るビビ様を守りたかったからじゃないのか?」
その言葉にぎくりとする。
「ビビ様から聞いた。
あの時お前は『あなた方ネフェルタリ家に仕えられた事を 心より誇らしく思う』と言ったそうだが。
あれはお前なりの……告白だった。違うか?」
問いかけと言うよりも、答えを確かめている言い方だった。
こいつに誤魔化しは通じないな、と思う。
大きく息を吐いてから、俺はチャカの問いかけに答えた。
「……そうだ。全部お前の言う通りだ。
誰より俺は、ビビ様を守りたかったんだ。
二年前のあの日、俺は死を覚悟した時に、ビビ様に本心を伝えるつもりだった。だが、言えなかった。
ビビ様は人の犠牲を何より恐れる人だ。
そんな人に、死の間際に『あなたが好きでした』などと伝えてどうなる?
ただでさえ心に傷を負うと分かっているのに……これ程酷な事もないだろう」
チャカは納得いかない様子だった。
「お前、ビビ様の事ばかり考えているだろうが。
そこまで想っているのに、気持ちを告げずにいるのか?」
「だから言えずにいるんだ。
お前は簡単に言うが、国政にも影響する事だ。そう単純な話ではない事くらい分かるだろう。
俺はビビ様が非難される事態を一番恐れている。ビビ様を守る立場で、ビビ様と王家を貶める様な真似は、絶対に出来ない」
そう答えるとチャカは眉根を寄せた。
「……全く、頭の固い事だ。
だがな、惚れた女一人幸せに出来ない様な男に国を守れるとは、俺には思えんが」
またもチャカに言葉が返せない。
今日のチャカは恐ろしく核心を突いて来る。
「今までの話を、全部ビビ様に聞かせてやりたいものだ」
チャカがそう言ったその時、突然背後の柱の影から人の気配がした。
まるで今しがた壁から抜け出た様に、本当に突然の事だった。
俺たち二人とも同時に振り向きーーそして、硬直した。
そこには、居る筈のないビビ様が立っていた。
「本当にごめんなさい」
視線を落としたまま、ビビ様は謝罪した。
「私、どうしてもペルの本心が聞きたかったから」
何故だ、と言う思いが頭の中を駆け巡った。
人の気配を探る事には長けている筈だった。
それはチャカだって同じだ。
だと言うのに二人とも気付かなかったとは。
その思いが
ビビ様は言った。
「私だってこれでもバロックワークスでエージェントを務めていたのよ?
気配を悟られたら命に関わる任務だってあったもの。
別に、気配を消す事だって不可能じゃないわ」
驚きで俺たちは二人とも声が出なかった。
と言うことは、今までの話は全て聞かれていたと言う事だ。
最初から最後まで、全て。
砂嵐にでも見舞われたかの様に、目の前が真っ暗になる。
「こんな事するのは、すごく悪い事だって分かってる。
でも……こうでもしないと、ペルは絶対に本心を聞かせてくれないでしょう?」
ビビ様はこちらを見て、決意に満ちた口調で言った。
「さっき私が非難されるのが怖いって言ってたけど、私はあなたと一緒なら誰に何と言われようと構わない。怖いものなんてないから」
チャカは真顔で俺を見た。
「ビビ様にここまで言わせたんだ。
お前もう、四の五の言わず責任取れ」
「せ、責任……?」
その言葉に、思わずたじろぐ。
「そうだ、お前にしか取れんだろうが。ビビ様はもう覚悟を決めてるんだからな」
俺は失礼させて貰うぞ、とチャカはさっさと出入り口の方へ歩いて行く。
「それから」
こちらも見ずに、チャカは言った。
「くれぐれもビビ様を泣かせるなよ」
そう言い置いて、チャカは大聖堂を後にした。
後にはビビ様と俺だけが残される。
全て聞かれた。と言う事は、退路は全て断たれたに等しい。
何と切り出したら良いものかと迷っていると、ビビ様が先に口を開いた。
「私、気のせいだと思ってた」
「……何がですか?」
「あなたが最後に残そうとした、あの言葉よ。
私はずっとその意味を考えていたの。
私にはあれが、私を想っていると言ってくれた様に聞こえていたから」
俺の真意が伝わる事はないと、そう思っていた。
だが、俺の想いはビビ様に伝わっていた。
その事に俺は愕然としていた。
「その後はペルがあんまり普通の態度でいるから、私の気のせいだって思っていたけど……あなたは王家に私への想いを託して、ああ言ったのね」
「……そうです」
ビビ様を真っ直ぐ見る事が出来ず、俺は視線を落として答えた。
それを聞くと、ビビ様はふっと笑った。
「確かにチャカの言う通り、私たちは似てるかも」
その意味を掴みかねていると、ビビ様は言った。
「私がルフィさんたちとお別れした時、言ったでしょ? 『私はやっぱりこの国を愛してるから』って。
あれはあなたに伝えたい言葉だった」
はっとして俺は顔を上げた。
「私も、あなたへの想いを国に託したの。
あなたが命を懸けて守ってくれたこの国を、あなただと思って愛していこうって。
だから、私はこの国を出ないと決めたのよ」
あの言葉は俺に向けられたものだった。
あの日感じた事は、ただの錯覚ではなかったのだ。
ビビ様の言葉に胸が強く締め付けられ、思わず目を閉じた。
ビビ様はこんなにも思ってくれている。
俺はその言葉に見合う男ではないのに。
どうしても尋ねずにはいられなかった。
目を開けると、俺は尋ねた。
「私はビビ様を守り切れなかった、無力な男です。
そんな男を選んでよろしいのですか?」
「そんな事ないわ」
ビビ様は勢いよく首を横に振り、歩み寄る。
「ペルは何度倒されても、必ず立ち上がって戦ったじゃない。
あなたは絶対に弱い人じゃない」
ビビ様は言葉を重ねた。
「どこにいても私を見つけてくれた。一番側にいて、話を聞いてくれた。
約束だって守っていてくれたのは……あなただった」
それからふと、ばつの悪そうな顔になる。
「子どもの頃、私の側にいてねって約束したのに……私の方が先に約束を破る様な事をして、ごめんね」
「……覚えていたんですか」
ビビ様はもう、忘れているものだと思っていた。
覚えているのは俺だけだと。
「覚えてるわよ。
ペルはずっと約束を守ってくれたし、私を守ってくれてた」
そう言って、ビビ様は俺の左手を取った。
鼓動が高鳴る。
「子どもの頃、それでペルが左手に怪我した事も覚えてる」
「よく覚えてますね」
そう聞くと、ビビ様は頷いた。
「ペルが刀を持つ方の手だったから……刀を持てなくなるんじゃないかって心配だったもの」
あれはビビ様のせいではない。
大した事でもなかったのに。
俺の脳裏に、かつての記憶が蘇った。
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