「救い難い愚か者は、どうやら私だったようだな。人族への、黄都への評価を誤った。度し難い……」
喧騒の声も遠い。出場枠を賭けた竜と粘獣の決闘は承認された。
恐らくは時間稼ぎと情報収集が目的だろう。勇者候補によってヘルミナを始末する算段を練る為に力量を見定めようとしている。
無尽無流のサイアノプが本当に勝つと思っている者は一握りだ。キャラバンでマリ荒野にまで駆け付けた見物人たちも、本物の竜が主な目的であろう。
その一握りの内の一柱が、空棺のヘルミナである。
無尽無流のサイアノプに勝てるとは思っていない。“最初の一行”の生き残り、彼岸のネフトすらも打ち倒した修羅を前に生き残れるとも。
「……僕は名誉を求めて黄都に来た訳ではないぞ、ヘルミナ。お膳立ても不要だ」
「知っている、サイアノプ。……例え竜殺しの名誉があったとしても、何の証明にもならない。“最初の一行”の誰もが可能だったろう」
「──その見立てで、正しい」
無尽無流のサイアノプは構えていない。
否、既に構えている。だが四肢のない流体の構えを尋常の尺度では捉えられぬだけで。
異彩の竜は静かに翼を広げた。サイアノプは動かない。全霊のヘルミナを真正面から打ち倒そうとしている。
「──魔法のツー。色彩のイジックが“本物の魔王”を倒す為に作り上げた魔族兵器だ。私は直接会ったことはないが、オゾネズマから話は聞いている」
「戦いの場に身を置くのなら、手加減するつもりはない」
「戦いだけが生の全てではないだろう。可愛らしい娘だ、少しばかり手合わせしてあげても良いだろうと思うが」
「……そうだな。それも、良いかもしれない」
異形の竜はマリ荒野から飛び立った。衝撃の余波で土埃が飛び散り、巨大な体躯が一気に中空まで舞い上がる。
多くの観客は息による攻撃を予想した。竜が誇る強大な詞術で地上の粘獣を薙ぎ払うつもりであると。
戦術を理解する者であるほど、飛行という竜の特性の恐ろしさを理解している。射程外から一方的に地上を攻撃する強さを。
地上を這う生命に、ましてや愚鈍な粘獣に為す術はない筈だと信じて疑わない。
楽観であった。現実は観客の想像を突き抜けた。
その瞬間、空棺のヘルミナが唱えていたのは息ではなかった。
「【ヘルミナの鼓動へ。重なる連響。亡骸境写。紫空を別つ。巡れ】」
生術だった。尋常ならざる、異形の生術であった。
竜の肉体が変貌する。膨れ上がった血肉が竜鱗を弾き飛ばして、次の瞬間には再び生え揃った竜鱗がまた弾き飛ばされる。
細胞寿命を浪費するような、自傷に等しい生術であったが。
一瞬で、マリ荒野の地上は地獄と化した。
究極の鉱物である星深瀝鋼を上回る硬度の竜鱗が豪雨となって降り注ぐのだ。
尋常の手段では間違いなく防御不可能、回避不可能の死の流星群である。悪夢的な密度、悪夢的な威力のそれは“彼方”の絨毯爆撃ですら足元にも及ばない脅威だ。
一秒が過ぎた。二秒が過ぎた。五秒が過ぎた。十秒が過ぎた。
生術は止まらない。再生し続けている。何もかも不自然だった。常識を超えていた。
逸脱の領域にある生術を、無尽蔵に扱えている。生と死を繰り返しながら細胞が死滅する様子もない。
かつて、色彩のイジックという魔王自称者がいた。
“本物の魔王”が現れる以前、最悪の魔王として恐れられた人物だ。
彼の生術は異常で、例えば───異なる生体の細胞を、拒絶反応なく継ぎ合わせることも可能であったという。竜と蛇竜の細胞ですら。
“最初の一行”であるイジックには竜すら殺せる力があった。
「───まだ、終わらないだろう。なぁ……」
屍魔。生術士。
空棺のヘルミナ。
魔族ゆえの無尽の細胞寿命を、蛇竜の亡骸より獲得した無尽の詞術の力で振るう者。
今は最悪の魔王自称者が作り上げた魔族兵器。無限に再生する、悪夢から這い出したかの如き怪物。
「サイアノプ──ッ!」
「当然だ。以前より変わらないその戦術では、僕は倒せない」
永続する竜鱗の嵐を跳び越えている。
猛烈な速度で墜落しようとする竜鱗から竜鱗へと跳び渡り、稲妻のような速度で本体に迫った。
だが、まだ竜爪が、竜鱗が立ち塞がっている。
無限再生する肉体は攻防一体の機能だ。竜鱗の爆撃だけではなく、生半可な──つまりは、竜を一撃で消し飛ばす程ではない攻撃を全て無意味化する盾でもある。
足場がない空中で、ヘルミナ自身の鱗を使って竜爪の一撃をやり過ごしている。初撃を凌いだ瞬間に牙が迫る。素体となった竜を上回る肉体性能。
奇襲の一撃を前にしてサイアノプは既に仮足を構えていた。
「“冷勁”」
「ガァッ────!」
それは肉体の破壊ではなかった。脳の神経繊維を衝撃によって捩り、脳震盪を引き起こしている。生術で元に戻すよりも切除した方が早い。
竜爪が自らの首を切り落としてから再び首が生えるまでは一瞬であったが、その一瞬という時間はサイアノプを前にしてあまりにも悠長であった。
「“底掌”」
「ハ、ハハハ──────!」
無限の再生が途絶えていた。肉体に接合された蛇竜の頭蓋骨に対して、ヘルミナの生術が与えた振動と逆に振動を当てて振動を止めた。
再び詠唱するまでの間に、至近距離まで踏み込んだサイアノプの猛攻を受け止められるのか。
空棺のヘルミナは笑った。
「脳を吐け。“嘯液重剄”……!」
「私の、負けだ───………………!」
牙を超えて、喉奥で最後の一撃を撃ち終えている。
激烈な打突音も、爆発的な運動加速度を与えることもなかった。全ての衝撃が余さず伝導している。
空棺のヘルミナは灰褐色の液体を吐き出した。
それは液化した中枢神経である。
「───僕の勝ちだ」
空を舞う漆黒の凶翼が、暗黒の奈落へと墜落する。
悪夢のような屍魔を、粘獣が一方的に殴り殺した。
微塵になったマリ荒野に無傷で立っている。竜殺しを成し遂げた修羅が。
誰もが栄光を知る“最初の一行”の、未だ敗北を知らぬ最後の一匹。
六合上覧予選。勝者は、無尽無流のサイアノプ。