おおむね人間にとって最適な範囲内の数値で保たれた気温と湿度。
光熱だけに留まらず、適度な紫外線までほぼ完全に再現された人工太陽。
三百メールの高さを持つ天井一面を覆うディスプレイには高解像度の空模様。時間帯に合わせて昼と夜が切り替わる上、日によっては雨も降るし風も吹く。
そんな、およそ地下深くに位置しているとは思えない空間。
総面積は地上の約半分。総人口は一〇〇万人前後。
西暦二〇二〇年のトーキョー封鎖後、二十年の歳月をかけて造られた、人類最後の楽園。
名を『新都』。通称地下。
かつて暮らしていたこともある、俺の一番嫌いな場所だ。
新都は商業区、工業区、居住区、生産区、自然区、管理区、そして二大企業専用区の七区画に分かれている。
その中で俺たちの立ち入りが許されるのは、エレベーター近郊の商業区だけ。
もしも他の区画に一歩でも足を踏み入れようものなら、治安維持局の警邏隊が完全装備で押し寄せてくる。
まあ、そもそも他区画に用など無い。
あえて治安維持局とコトを構えたいなら話は別だが、そんな真似をする理由も今日のところは思い浮かばない。
「まずは協会か」
「ええ。行きましょうか」
探索者支援協会。
元を遡ると西暦二〇〇五年に日本でその原型が設立された国営組織。
発足当初は名前通りに異界探索者の支援活動および異界の管理を御題目に挙げていたらしいが、後者に関わる部分はトーキョー封鎖前後で監視、それ以降は観察と順当にスケールダウンし、規模や勢力も歳月を追う毎に縮小する一方だったと聞き及んでいる。
が、そのことを嘲笑う者など、少なくとも俺は見たことがない。
仮に後ろ指をさすべき相手が居るとしたら、異界を人類の支配下に置けるなどと思い上がった旧時代の為政者たちだろう。
──人類諸君。我々の文明は異界に敗北した。
かつての『人類文明敗北宣言』を受けて政府全権が二大企業へと移譲されてからは両企業共有の下部組織という形で吸収。現代においては異界資源の回収を主な業務内容に稼働している。
細々と、だが。
「ここも相変わらずだな」
エレベーターから歩いて五分足らずの位置に門を構えた協会ビル。異形因子保持者をうろつかせたくない思惑が透けて見える。
中は閑散としており、両耳にイヤーカフ型の認識票をつけた同業者の姿も数人しか見当たらない。
当然と言えば当然。新都の完成により、それ以前の探索者支援協会が持つ役割の大半であった『シェルター防壁内部でのスタンピード発生に伴うトーキョー異界化の遅延』が意義を失って久しい。
スタンピードとは異界外へとクリーチャーが侵攻する現象を指す呼称であり、エーテル濃度が一定値を超えた異界門で引き起こされる。
そして外界で暴れ回るクリーチャーたちの振り撒くエーテルが周囲の空間を汚染し、やがては異界そのものが地上を侵食し始める。
ゆえにこそトーキョー封鎖直後は数多くの異形因子保持者が生み出され、二十三区の八ヶ所に在る異界門内のクリーチャーたちを討伐させ続けることでエーテル値を減衰、小康状態の維持に努めていた。
地上と海洋のみを対象とした異界化から逃れるべく、地下を掘り進めるための時間稼ぎとして。
そう。異界の脅威が及ばない、再生資源と培養施設による完全自給自足が可能な楽園を築き上げた二大企業とその恩恵にあずかる新都の住民たちにとって、もはや地上など大した旨みも残っていない絞りカスでしかない。
ゆえに極端な話、いつ放棄しても構わないのだ。かつて旧時代の政府がトーキョー以外の国土をそうしたように。
それでも協会を解体せずにいるのは、空間を汚染する毒素こそ除去済みとは言えエーテルを細胞へと染み込ませた異形因子保持者などという常人にとってみればクリーチャーと大差ないバケモノを作り続けているのは、他ならぬ二大企業が地上に対し、ただ捨てるにはもったいないという鶏肋程度の惜しみを残しているからに過ぎない。
たまには外の空気を吸いたい。本物の太陽の光を浴びたい。そんな小さな未練を土台に据えて、俺たちは日銭を稼ぐための手立てを得ている。
なんとも滑稽で、顔を覆いたくなるような笑い話だ。
ジルの許可証更新を済ませ、職員の小言を聞き流したのち、協会ビルを出る。
「何がノルマ未達だよ、うざってぇ」
異形因子保持者は異界探索者として協会に身柄を登録しなければならない。
そして異界探索者は毎月一定額分、異界資源を協会に納めることが義務付けられている。
未達成が何ヶ月か続くと矯正施設に放り込まれて強制労働に従事させられる場合もあるとか。
まあ名目こそ返納だが、その実態は買い取りゆえ、一応金銭と引き換えではある。
価格設定はかなり渋いが。
「てめぇらの出してくる雀の涙も同然な寸志で、どうやって食い盛りのガキ共を養えってんだ」
「ふふっ。子沢山のパパは大変ね」
他人事みたいに言いおってからに。
第一こちとら父親なんてガラかよ。ガキ共にとって恐怖の対象でしかないんだぞ。
ジルがママやら母さんやら呼ばれてるのは端から見てもすんなり飲み込める光景だが、俺の場合だと想像したところで違和感の塊でしかない。
ちなみに凶三はガキ共全員から呼び捨てで完全に統一されている。
そこはかとない舐められてる感。ジルより五つも年上なのにな。
ただ、見方によってはアイツが一番懐かれてる気もする。
ああも教育に悪影響な格好してるのに。
「いつも御苦労様」
考え込む最中、レースで編まれた手袋越しに頬を撫でてくる指先。
「子供たちも、きっとそのうち分かってくれると思うの。貴方が本当は、どんな人か」
若い女のヒトガタばかり食ってる異常偏食者とかか。
うーむ、事実陳列罪。訴訟も辞さない。
…………。
「興味ねぇな」
俺の拾った女どもが拾ってきたガキなら、最終的な責任の鉢は俺に回るってのが俺の道理。
だから好かれようが嫌われようが怖がられようが、どうでもいい。少なくとも自分で自分の面倒が見られる程度になるまでは、何があろうと寝食と安全を保証する。かつて凶三とジルにもそうしていたように。
それだけのシンプルな話だ。
いちいち小難しく考える必要など、一切ない。
「食料以外に何か要るもんあるのか?」
「んー、石鹸とシャンプーと……ああ、あと凶ちゃんがゲーム機を修理するための部品が欲しいって」
「となると、二番街の青看板だな」
地下には異形因子保持者を毛嫌いする奴も少なくないため、買い物はできるだけ行きつけの店で済ませた方がトラブルを起こさず済む。
そういう輩に限って、目ざとく耳の認識票を見つけてくるからな。
それでなくとも、地上の人間ってだけで地下じゃ騒動の種になる。
無法な上と違って統治が行き届いてるから大抵は可愛いイチャモンをつけられる程度だが、中には厄介なのも居るんだよな。
「──待て」
例えば今、俺の目の前に立ってる、治安維持局の制服を着た役人とか。