「──おはよう」
少し雲が多い日の早朝。
空桶を抱えたヒスイの背中に、抑揚の薄い男声が投げ掛けられる。
「おはようございます、シュウホウさん」
振り返った先には、ヒスイが胸の内に思い描いていた通りの人物。
彼女と視線を合わせたシュウホウは、二度三度、静かに頷いた。
「相変わらず折り目正しいな。ウルスラの奴に見習わせたいくらいだ。アイツなんか適当に手を振ってくれば、まだ良い方だぞ」
「あはは……あの人は、ちょっと個性的なので……」
眉間にシワを寄せ、軽く溜息をつくシュウホウ。
次いで、ヒスイの抱える空桶を見とめた。
「今朝も水汲みか。手伝おう」
「あっ」
ヒスイが返答を口にするよりも先、シュウホウは彼女の手から桶を取る。
そのまま足早と水場に歩いて行く彼の後を、慌てて追いかける。
お互い、もう何度目になるかも忘れてしまった、日常的な一幕であった。
「親父さんの具合はどうだ」
「だいぶ良くなりましたよ。来月くらいからは畑に出られそうだと言ってました」
「何よりだ」
ヒスイの父は、シュウホウが現れる少し前に起きた地滑りで足腰を痛めている。
ゆえに長らく療養の身だったが、近頃は快方に向かいつつあった。
「シュウホウさんが、狩りの獲物を色々と持ってきてくれるお陰です」
「どうやら俺には狩猟の才能があるらしい。ウルスラには、よく嫌味を言われるがな」
最初の頃こそヒスイも遠慮したものの「婆様と二人ではどうせ食べきれない」と言われてしまえば、なかなか断りづらかった。
何より、新鮮な肉や薬草などが父の回復に助かることも、動かぬ事実であった。
そのため、最終的には甘えてしまった。
「……本当に、お世話になりっぱなしで……」
「気にする必要は無い。俺がやりたくてやっているに過ぎない」
かぶりを振ったシュウホウが、ヒスイの目を覗き込む。
「俺の方こそ、君には世話になった。君が俺を見付けてくれなければ、今こうして平穏無事に過ごせていたかは分からない」
大袈裟ですよ、と返すことはできなかった。
実際問題、ヒスイがシュウホウと出会った時、彼は息をしていなかったのだから。
「だから困ったことがあれば、なんでも言って欲しい。力になる」
「……ありがとう、ございます」
胸の奥が疼くような、心臓を締め付けられるような感覚。
このところ、シュウホウと共に居ると感じるようになった
それを宥めようと、ヒスイは胸元に両の拳を押し当てた。
サリテ村と最寄りの川までは、徒歩三分ほどの距離。
遠くはないが、一日分の水を汲むために何度も往復するとなると地味に手間がかかる。
加えて、あまり整地されていないため道が悪く、荷車も使えない。
「村の中にある古井戸。あれが使えれば、多少は楽だろうに」
「私が生まれるずっと前から
せり出した岩を軽く蹴ってみるシュウホウ。
相当に深く埋まっているらしく、小揺るぎもしなかった。
「……いっそ新しく掘ってみるか。どのあたりが良いと思う?」
「え? ……えっと……古井戸のある北側は土が硬いので、やめた方がよろしいかと」
「なら南側を当たってみよう」
「あ、あはは……頑張って、下さい……?」
流石に冗談だろうと思いつつ、そう返すヒスイ。
なお後日、シュウホウが適当に穴を掘ってみたところ、本当に水が湧いた。