駆け出し弓兵、炎の大剣を振るう少女とパーティーを組む 作:名もなきWater
夜。
普段なら冒険者たちで賑わっているギルドの食堂も、今夜ばかりは人の気配がない。
どうやら貸し切りらしい。試験官だった魔法使いが、わざわざ他の冒険者たちを人払いしたようだ。
広い食堂の一角に置かれた机を囲み、俺とディナ、それから試験官の魔法使いが席についている。
机の上には、三人で食べるには明らかに多すぎるほどの料理が並んでいた。
焼いた肉に魚、色とりどりの野菜、香草の効いた煮込み料理。パンや酒の肴まで所狭しと並べられ、食欲を刺激する香ばしい匂いが漂っている。
もっとも、俺は料理よりも、この状況そのものに戸惑っていた。
「何はともあれ、入団クエストご苦労さん! おら、ジョッキ持てジョッキ!」
「は、はあ……」
有無を言わせぬ勢いに押され、差し出された樽ジョッキを受け取る。
ずっしりと重い。
これから注がれる酒の量を考えると、少々不安になる。
「どうぞ」
「あっ、どうも」
不意に声を掛けられた。
いつからそこにいたのだろう。
気づけば、すぐ傍にメイド服姿の女性が控えていた。
物音ひとつ立てず、こちらの様子を窺っていたらしい。
彼女は何事もなかったかのように酒瓶を傾け、俺のジョッキへ酒を注いでいく。
琥珀色の液体が注がれ、白い泡が静かに盛り上がっていく。
俺が礼を言う間にも、彼女はディナと魔法使いのジョッキへと手際よく酒を注いでいった。
……それにしても、妙な人だ。
さっきまで、そこにいることにすら気づかなかった。
「よーし、酒は持ったな?」
魔法使いが満足げにジョッキを掲げる。
その顔には、これから宴でも始めるかのような満面の笑みが浮かんでいた。
「つーわけで!
我らがギルド『ドラゴンテイル』の新たな冒険者の門出を祝って――」
「「乾杯!」」
三つのジョッキが勢いよくぶつかり合う。
ガチン、と小気味のいい音が食堂に響いた。
魔法使いは早速、豪快に酒を喉へ流し込んでいく。
隣のディナも負けじとジョッキを傾け、ぐびぐびと飲み進めていた。
……二人とも、飲むのが早い。
俺は二人に倣って一口だけ酒を口に含む。
喉を通る熱さに少し顔をしかめながら、 ほどほどのところでジョッキを机へ戻した。
「もう分かってるとは思うが――我らがギルド『ドラゴンテイル』の誇る美人メイド、セレーネさんこそがお前らの戦ったドラゴンだ。
セレーネさん直々に試験官となって実力を測る。それがウチの入団クエストだったわけよ」
俺は、先ほどまで酒を注いでいたメイドへと視線を向ける。
セレーネ。
そう呼ばれた彼女は、穏やかな笑みを浮かべていた。
その姿は、どこからどう見ても物腰の柔らかなメイドだった。
「あーちなみに、これを知ってるのは一部の上級冒険者と、実際にクリアした連中だけだからな。くれぐれも秘密にするよーに」
「秘密って、どうしてですか? こういうことって、隠してたらまずいんじゃ……?」
思わず問い返す。
ドラゴンは高い知能を持つとはいえ、魔物の一種であることに変わりはない。
そんな存在が、人間の集まるギルドに溶け込んでいる。
もしそれを知った冒険者たちが、彼女を敵だと認識したら――。
考えるまでもない。
パニックは免れないだろう。
「おう、まずいぞ。だからちゃんと隠せよな、お前等」
魔法使いは、あっさりと頷いた。
「なんせここはドラゴンのテリトリー。万が一のことがあれば、セレーネさんが冒険者を食っちまうかもな」
「っ……!」
背筋に、ぞくりと寒気が走った。
冗談めかした口調だった。
けれど――絶対にない、と言い切れないのが恐ろしい。
俺達は実際に戦った。
あの巨体。
あの力。
あの圧倒的な存在感。
もし彼女が本気で牙を剥いたなら、このギルドにいる冒険者たちがどうなるのかなんて、考えたくもない。
「……なんてな!」
「…………」
張り詰めていた空気を、魔法使いの声が一気に吹き飛ばした。
「ま、セレーネさんみたいな美人……いや、美ドラゴンに食われるなら本望だろ、ハハハ!」
「アルヴィス様? 新人いびりはそれくらいにしてはいかがでしょう」
呆れたような溜息が聞こえた。
振り向くと、先ほどまで俺達の傍に控えていたセレーネが、いつの間にか魔法使い――アルヴィスのすぐ後ろに立っていた。
その手には、小さなナイフ。
鞘に収められたそれは、狩猟や解体に使うものとよく似た大きさだった。
「おっと、これはこれはメイド長。相変わらず気配を消すのがお上手で」
アルヴィスが肩を竦める。
「ところで、その手に持ったナイフはなんですかねえ……?」
「アルヴィス様には関係ございませんよ」
セレーネがにこやかに答える。
「これは、そちらのレイン様に」
「俺?」
思わず声が出た。
セレーネは俺の方へ向き直ると、そのまま静かに歩いてくる。
そして、俺の隣で足を止めた。
「レイン様、どうかお受け取り下さい。ささやかではありますが、私からの贈答品でございます」
「これを……俺に?」
差し出されたナイフを受け取り、改めて眺める。
鞘から抜いてみる。
刃はよく磨かれており、光を受けて鋭く輝いていた。
小ぶりながらも造りは精巧で、握った瞬間に分かる。
――いいナイフだ。
冒険者が使う道具として、申し分ない。
いや。
それだけじゃない。
刃の根元から柄にかけて、どこか見覚えのある黒い色合いが混じっている。
表面に刻まれた独特の模様。
「先日手合わせした時、レイン様のナイフを破損させてしまったでしょう? もしかしたらお困りではないかと思いまして、この街の鍛冶屋さんに作ってもらったんです」
そこで、セレーネはほんの少しだけ言葉を濁した。
「あの時納品していただいた私の……ではなく、竜の鱗を素材にしました」
「……!」
竜の鱗。
あの時の……か。
不自然なくらい傷一つ無かった、黒い竜の鱗。
今なら分かる。
あれは戦いの最中に落ちたものじゃない。
戦いが終わった後で――彼女が、俺に渡してくれたものだったのだ。
手の中のナイフを見る。
これが、その鱗を使って作られたものだというのなら。
……受け取れない。
俺は、こんなものを自分の力で勝ち取ったわけじゃない。
ましてや、あの戦いで手に入れた戦利品でもない。
「ありがとうございます。でも……せっかくですけど、俺には――」
「レイン様」
言葉を遮られた。
顔を上げる。
セレーネが、まっすぐに俺を見つめていた。
その瞳に浮かぶのは、穏やかな光。
「レイン様は覚えておられますか? 私の、この目を」
「――――ぁ」
言葉が詰まった。
もちろん、覚えている。
忘れられるはずもない。
吸い込まれそうな、二つの翡翠。
俺が潰した目。
俺を殺そうとした目。
そして――俺達の勝利を認めた目だった。
「どうかお受け取り下さい……どうか」
セレーネは深々と頭を下げた。
そして改めて、俺に竜のナイフを差し出す。
……そうか。とんだ勘違いだ。
これは、俺が勝ち取ったものじゃない。
ギルドが。
ドラゴンが。
人と共に暮らす竜が。
俺を認めてくれたという――その証なんだ。
「っ――」
胸の奥が、暖かなもので満たされていく。
気を緩めれば、手が震えそうだった。
目の奥が熱い。視界が滲みそうだ。
俺は、なけなしのプライドを総動員して込み上げるものを堰き止めた。
そして。
「――ありがとう」
ありったけの感謝を込めて、それを受け取った。
「……で? 私には何かないわけ?」
「はい?」
……感動の余韻もどこへやら。
ディナが、食事の手を止めることなくセレーネへ問いかけた。
不満げに頬を膨らませている。
対するセレーネは、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。
……とはいえ、ディナの気持ちは分かる。
セレーネと戦えたのは、ディナのお陰でもある。
むしろ、あの戦いにおける最大の功労者と言ってもいい。
俺と同じように、彼女にも何かしらの褒美を与えるべきなのだろう。
……なのだが。
「なに、その顔。もしかして忘れてた?」
「ああいえ、そのようなことは決して。ただ、なんといいますか――」
セレーネが言葉を濁す。
「だから、なに。言いたいことがあるならはっきり言いなよ」
「……仕方ありませんね。では、正直に言わせていただきます」
セレーネは、すう、と深く息を吸った。
そして――
「頭を思いっきり殴られて腹が立ってました」
これ以上ないほど爽やかに微笑みながら、そう言った。
「…………」
空気が固まった。
何かしら重大な理由があると思ったら。
――腹が立ったから嫌だった。
ただそれだけ。
……うん。
まあ……素直なのは、いいことだ。
「はあ!? いや、それ、どういうこと!?」
当然、ディナは烈火のごとく怒った。
食事の手も止まり、今にも立ち上がりそうな勢いでセレーネへ詰め寄る。
本人としては、たまったものではないだろう。
「言葉通りですが。いえ、本当は目を狙撃された時点で、いい感じに撤退しようと思ってたんですよ?」
セレーネは悪びれる様子もなく、淡々と続ける。
「それが想定外の爆撃を何度も受け、最後には頭を叩かれ墜落。油断していたとはいえ不覚でした。
ですので……ちょっとだけイジワルをしました。申し訳ありません、お二人共」
そう言ってセレーネは片目を閉じた。
まるで悪戯がばれてしまった子供のような仕草だった。
「…………」
開いた口が塞がらない。
こっちは死を覚悟したっていうのに。
それが――イジワル。
……流石、ドラゴン様はスケールが違う。
「とはいえ、ディルンウィン様に何もないというのも不公平ではありますね……」
セレーネは改めてディナを見る。
そしてしばし考え込むように顎へ手を添えた。
「うーん……」
何かを思いついたらしい。
ぱん、と両手を打ち合わせる。
「では、こうしましょう。私が貴方に剣を教えます」
「……は?」
ディナの眉が跳ね上がる。
「剣? なんで?」
「先日、剣を交えた時に思ったのです。ディルンウィン様は身のこなしこそそれなりですが、動きに無駄が多すぎます」
セレーネは悪意など微塵もない様子で、さらりと言い切った。
「剣術は勿論、魔装具そのものの扱いに慣れていないのでしょうね。
ですので――私自らがご教授いたしましょう」
……流石、ドラゴン様はスケールが違う。
魔装具の扱いに慣れてない。
セレーネはそう言ったが、そんなことは絶対にない。
そもそも、ドラゴンを相手に戦える時点で、冒険者としては十分に上澄みだ。
それを、このドラゴンは『慣れていない』と評した。
長命種ゆえの価値観なのかもしれない。
きっと彼女の知る世界には、ディナよりも遥かに優れた剣士が、それこそ大勢いるのだろう。
……いや。
それにしたって、随分と基準が高すぎる気がする。
「確か、人の世では『師弟』というのですよね? 実は少し憧れてたんです」
セレーネの声が、ほんの少し弾んだ。
どうやら、本気で楽しみにしているらしい。
「やだ」
「……えっ」
セレーネの動きが止まった。
さっきまで浮かれていた空気が、一瞬にして消え失せる。
見るからに肩を落としていた。
「あのう……ディルンウィン様? り……理由を、お伺いしても?」
「私は冒険者として名前を挙げたいだけ。剣士になりたいわけじゃない。毎日真面目に鍛錬とか、面倒だし」
実にディナらしい理由だった。
「で……でしたら、気の向いた時にでもいいので」
「そう? それならまあ、いいかな」
「!」
セレーネの顔が、ぱっと明るくなる。
……分かりやすい。
ディナはそんな彼女を横目に見ながら、何事もなかったかのように食事を再開した。
セレーネも嬉しそうではあるものの、先ほどの落胆がまだ少し残っているようだった。
そんな二人を眺めながら食事を続けていると、ふとディナが口を開いた。
「とはいってもさあ。結局のところはドラゴンなわけでしょ?」
料理を口に運びながら、何気ない調子で言う。
「大丈夫なの? ここのギルド。明日になったら壊滅してました、なんてシャレにならないんだけど」
「駄目……でしょうか」
セレーネが僅かに眉を下げた。
「古来よりメイドとは、人に仕えるものだと聞いたのですが」
「あー、それでメイド服なわけ」
ディナの言葉に、俺は改めてセレーネを見た。
これまで何度も目にしていたはずなのに、こうして意識して見ると、随分ときちんとした服装だ。
白い布地の襟元は整えられ、胸元には小さな飾りが添えられている。その上から身に着けた濃い色の衣装は身体の線に沿って仕立てられ、腰の辺りから広がるスカートは動くたびに柔らかく揺れる。
袖口や裾には細かな意匠が施されていて、派手すぎないのに妙に目を引いた。
エプロンも真っ白で、皺ひとつない。
長い髪をまとめる飾りも含めて、隙がない。
……似合ってる。
ドラゴンがメイド服を着ている。それだけなら、どう考えても奇妙なはずなのに。
不思議なほど馴染んでいる。
というか、似合いすぎている。
「レイン、鼻の下伸びてる」
「言ってやるな、男のサガだ」
「ちょっ――」
思わず顔を逸らす。
ディナは不満げに食事を続け、アルヴィスはというと、面白いものでも見つけたようにニヤニヤしていた。
セレーネはというと、何も言わずに視線を僅かに逸らす。
そして、胸元のエプロンの端を指先でそっと整えた。
……なんだろう。
さっきより、少しだけ動きがぎこちない気がする。
「ま、心配いらねーよ」
そんな俺達を見ていたアルヴィスが、ようやく口を挟んだ。
「セレーネさんがその気なら、とっくにギルドどころか街が壊滅してる。戦ったお前らもよく分かるだろ?」
「それは……そうかもだけど」
ディナも反論しきれず、渋々といった様子で頷く。
確かに、その通りだ。
俺達は実際に戦った。
あれほどの力を持つ存在が、本気で人間を滅ぼそうと思えば――こんな場所でメイドとして働いている理由なんてない。
ならば。
なぜ、セレーネはここにいるのか。
そんな疑問に答えるように、彼女が静かに口を開いた。
「私は……人の営みに寄り添いたいのです」
先程までの穏やかな笑みとは違う。
どこか遠くを見るような、静かな眼差しだった。
「人間はとても弱い。それゆえに群れを作り、知恵を振り絞り、日々を懸命に生きている。そして時には、思いも寄らない奇跡を起こす。
先日のあなた方のように」
セレーネの視線が、俺達二人に向けられる。
「己の力を信じ、勇気を振り絞り、強大な壁を乗り越える。私はその瞬間を、なるべく近くで見たいのです」
静かな声だった。
けれど、その言葉には確かな想いが込められていた。
人間より遥かに長い時を生きるドラゴン。
そんな彼女が、人間という弱い生き物を見下すのではなく、その生き方を見届けたいと思っている。
それが、このギルドに彼女がいる理由なのだ。
「改めまして――ギルド『ドラゴンテイル』へようこそ」
セレーネは静かに微笑み、俺達に向かって丁寧に頭を下げる。
顔を上げた彼女の翡翠の瞳が、まっすぐに俺達へ向けられた。
「これからよろしくお願いいたします、勇敢なる冒険者様」