魔法少女リリカルなのは ~コード・イレイザー~ 作:長谷川広軌
夜の倉庫街の屋上。
クロノ・ハラオウンの放つ魔法弾(スティンガー・スナイプ)が、鋭く正確な軌道で紗雪に迫る。
「シールド!」
紗雪はノーブル・コレッジを展開し、局所的な魔力消去(イレイズ)ではなく、あえて通常の物理防壁でそれを受け止めた。
魔力消去は強力だが、クロノのような精密かつ連続的な射撃に対して乱発すれば、またたく間に9歳の未覚醒の脳神経が焼き切れてしまう。
(速い。そして寸分の狂いもない。……さすがは、未来の私の『直属の上司』だ)
紗雪は激しい火花を散らしながら、口元に微かな笑みを浮かべた。
未来の時空管理局で、提督となったクロノ・ハラオウンから直接叩き込まれた戦術と制圧技術。彼の魔法のタイミング、視線の動き、次の一手。その全てが、紗雪の脳内に展開されたファイル「MOIRA網」の予測データと完全に一致しているのだ。
「くっ……君は、何者だ!」
クロノは驚愕していた。
自分が放つ捕縛魔法も、牽制の射撃も、まるで最初から軌道を知っていたかのように最小限の動きで完璧に捌かれている。相手は明らかに9歳前後の少女。それなのに、その防御の練度は歴戦の執務官すら凌駕していた。
「君に名乗る名はない、時空管理局。……私はただ、生徒の『お話し』の時間を稼いでいるだけだ」
「生徒、だと……? 先ほどの少女たちのことか。彼女たちが持つジュエルシードの危険性を分かっているのか!」
「分かっているさ。だからこそ、力による制圧ではなく『対話』が必要なのだ。……君たち大人の管理論理(ルール)は、時に子供の心を永遠に壊す」
紗雪の言葉に、クロノが一瞬息を呑む。
その隙を見逃さず、紗雪は杖の石突でコンクリートを叩き割り、強烈な土煙と目眩ましの閃光(フラッシュ)を展開した。
◇ ◇ ◇
一方、海鳴市の外れにある静かな公園。
なのはに腕を引かれ、アルフと共に降り立ったフェイトは、肩で息をしながら混乱した瞳でなのはを見つめていた。
「どうして……。あのままなら、私とアルフは捕まって、ジュエルシードはあなたのものになったのに」
「そんなことのために、フェイトちゃんを助けたんじゃないよ」
なのははレイジングハートの武装を解除し、普通の小学三年生の姿に戻ると、フェイトに向かって真っ直ぐに手を差し出した。
「ジュエルシードは、危険なものなんだよ。だから集めなきゃいけないのは同じ。でも、フェイトちゃんはそれを集めて、お母さんにどうしてほしいの?」
「……っ。母さんは、ジュエルシードがあれば、昔みたいに……優しく、笑ってくれるって……」
フェイトの声は震え、その金色の瞳からはポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
魔法の撃ち合いでは決して見せなかった、年相応の、ただ母親の愛を求めるだけの脆くて小さな女の子の顔。
「フェイト……」
アルフが悲しそうに耳を伏せる。
なのはは、差し出していた両手で、フェイトの震える手を優しく包み込んだ。
先ほどまで激しく魔法をぶつけ合っていた敵同士。だが、なのはの手はとても温かく、フェイトの冷え切った心をゆっくりと溶かしていくようだった。
「……そっか。フェイトちゃんも、お母さんの笑顔が見たかったんだね」
「え……?」
「私もね、お父さんやお母さん、家族のみんなが笑っててほしいから、この力を使おうって決めたんだ。だから、フェイトちゃんの気持ち、少しだけ分かる気がするよ」
なのはの星のように澄んだ瞳が、フェイトを優しく見つめ返す。
紗雪が身を呈して作り出してくれた、誰にも邪魔されない時間。それは、二人の少女の心が初めて本当の意味で触れ合った、奇跡のような瞬間だった。
◇ ◇ ◇
『My Lord. 高町なのはの魔力波長、安定。フェイト・テスタロッサとの敵対反応は検出されません。……対話フェイズ、順調です』
ファイル「MOIRA網」からの報告に、紗雪は煙幕の中で小さく安堵の息を吐いた。
「時間切れだ、執務官。……今日はここまでにしておこう」
土煙が晴れた後、クロノの視線の先に紗雪の姿はなかった。上空へと離脱する白銀の軌跡だけが、夜空に微かに残っている。
「逃げられたか……!」
クロノはS2Uを握り締め、夜空を睨みつけた。
彼の脳裏に焼き付いているのは、自分の戦術を完全に読み切っていた、あの白銀の少女の底知れない戦闘技術。
「アースラ、こちらクロノ。目標を取り逃がした。……至急、あの未知の介入者の魔力波長をデータバンクと照合してくれ。ただの子供じゃない。あれは……完成された戦士(プロ)だ」
誰も傷つけないための対話は結実し、同時に時空管理局という巨大な歯車が、海鳴市の異常事態に向けて本格的に回り始めた。
孤独な空の先導者から、頼れる『教官』へと歩みを変えた紗雪。彼女の紡ぐ新しい歴史は、かつてない希望と試練を孕みながら、次なるステージへと進んでいく。