魔法少女リリカルなのは ~コード・イレイザー~   作:長谷川広軌

2 / 44
第1話:孤独な空の先導者

海鳴市の空は、今日もどこまでも青く澄み渡っていた。

「紗雪ちゃん、おはよう! 今日もいいお天気ね!」

「うんっ! おはようございます、おばさん!」

通学路。すれ違う近所の人々に、芹葉紗雪はとびきり愛らしい、9歳の少女としての完璧な笑顔を振りまいていた。背中には真新しいランドセル。小走りで学校へと向かうその姿は、どこからどう見ても無邪気で平和な小学生そのものである。

しかし、その内面で展開されている思考は、平和な日常とは対極に位置するものだった。

(現在時刻0800。海鳴市全域の魔力波長スキャン、異常なし。ファイル「MOIRA網」への常時接続、安定している。今のところ、イレギュラーな次元震の兆候は見られない……)

紗雪の視界の隅には、常人には見えない不可視のインターフェースが展開されている。単独での作戦行動を完璧にサポートするために構築した情報支援システム、ファイル「MOIRA網」。そこから絶え間なく流れ込む膨大なデータを、彼女は歩きながら無意識の領域で並行処理していた。

未来の時空管理局で積み上げた3万時間にも及ぶ地獄のような実戦と訓練の記憶。それは、彼女の頭脳を極限まで冷徹な演算装置へと鍛え上げていた。9歳という未覚醒のはずの肉体には、すでに規格外の魔力を内包した完全覚醒状態のリンカーコアが脈打っている。

(ロストロギアの散布——『ジュエルシード』の覚醒時期が近づいている。放っておけば、海鳴市は次元犯罪の渦に巻き込まれる)

本来の歴史であれば、もうすぐこの街で一人の平凡な少女が魔法と出会い、過酷な戦いへと身を投じることになる。そして、遠い異世界から訪れるもう一人の孤独な少女と、悲しくも激しい衝突を繰り返すのだ。

(高町なのは。フェイト・テスタロッサ。……彼女たちに、あの痛みを背負わせる必要はない)

紗雪は、強く拳を握りしめた。

朝のキッチンで感じた、母の温もり。未来では理不尽な悪意によって永遠に失われてしまった、あの優しさ。

悲劇は連鎖する。誰かが傷つけば、また別の誰かが涙を流す。そんな不毛な歴史を、紗雪は二度と繰り返すつもりはなかった。

だからこその、単独介入。

未来の知識と圧倒的な魔力を持つ自分が、全ての元凶を先回りして完全に排除する。誰の手も借りず、誰にも事実を知らせず、たった一人で世界を救済する。それこそが、被害をゼロに抑えるための『最適解』なのだと、彼女は信じて疑わなかった。

その時だった。

『――My Lord。第3セクター、臨海公園付近にて局地的な次元の歪みを検知。魔力波長、ジュエルシードの初期起動状態と一致します』

脳内に、相棒であるデバイス『ノーブル・コレッジ』の冷静な電子音声が響き渡る。

同時に、ファイル「MOIRA網」から送られてきた座標データが、紗雪の網膜にアラートとして赤く点滅した。

(来たか……! 第一のシード。予定より少し早いけれど、問題ない)

「ごめんね、おばさん! 私、ちょっと忘れ物しちゃったから走るね!」

紗雪は振り返り、近所の主婦に朗らかに手を振ると、路地裏へと駆け込んだ。

人目につかない袋小路に飛び込むと同時に、その瞳から9歳の少女の無邪気さが完全に消え失せ、歴戦の一等空尉としての氷のような鋭さが宿る。

「ノーブル・コレッジ。セットアップ」

『Yes, My Lord.』

胸元で白銀のペンダントが眩い光を放つ。

膨大な魔力が一瞬にして解放され、空間そのものを震わせた。光の粒子が紗雪の幼い体を包み込み、軍服を思わせる意匠と魔法少女の可憐さを併せ持つ、白と紺碧のバリアジャケットを形成していく。

手には、白銀に輝く長杖型のインテリジェントデバイス。

「飛ぶぞ」

命令と共に、紗雪の足元に魔方陣が展開される。重力からの完全な解放。彼女は文字通り一筋の光の矢となって、朝の海鳴市の空へと垂直に跳躍した。

◇ ◇ ◇

臨海公園の奥まった雑木林。

そこでは、ジュエルシードを取り込み異形に暴走した巨大な野犬の化け物が、周囲の木々を薙ぎ倒しながら咆哮を上げていた。

上空に到達した紗雪は、眼下の惨状を冷ややかに見下ろす。

(魔力値測定。脅威度はCクラス。単なる野生動物の暴走状態……他愛もない)

ファイル「MOIRA網」による瞬時の演算が、ターゲットの弱点と捕獲のための完璧な手順を弾き出す。

対象の魔力器官を拘束魔法でピンポイントに封じ、最小限の魔力出力でシードだけを摘出する。周囲の環境への被害を最小限に抑える、最も合理的で美しい戦術。

「最適解でいく。ノーブル・コレッジ、スナイプモード」

『Mode Shift : Snipe.』

杖の先端が変形し、精密射撃用の照準が展開される。紗雪は空中に静止したまま、化け物の四肢へ向けて魔力弾を放とうと引き金を引いた。

だが。

「グォオオオオオオッ!!」

化け物は紗雪の殺気を野生の勘で察知したのか、突如として彼女の予測演算を覆すようなデタラメな軌道で跳躍し、口から無差別な魔力の塊を上空へ向けて乱射し始めた。

「チッ……! 野生ゆえの不規則機動(イレギュラー)か!」

紗雪は空中で身を翻し、飛来する魔力弾を紙一重で回避する。

しかし、流れ弾が後方の公園の時計塔に着弾し、派手な爆発音と共にレンガが粉々に砕け散った。

その瞬間、紗雪の脳内で何かがプツンと切れた。

(あそこは……お母さんとお父さんが、私をよく連れてきてくれた時計塔……!!)

冷徹な軍人としての完璧な計算。最小限の被害で済ませるという最適解。

それらが、怒りの前に一瞬で吹き飛んだ。

「……予定変更。あの程度の不規則機動ごと、面制圧で消し飛ばす」

彼女は舌打ちを一つすると、腰のポーチから漆黒の物理データ端末(アクセスキー)を乱暴に引き抜いた。

『My Lord!? 現在の状況での広域殲滅魔法は、周囲の環境に甚大な——』

「構うものか。後で私が全部元通りに直す。それより、私の大事な景色を壊したあいつが許せない」

理論も戦術もへったくれもない。

圧倒的な魔力と暴力で、理不尽の根源を文字通り粉砕する。それこそが今の紗雪に導き出せる、もう一つの「最適解」だった。

「バスターモードへ移行せよ! ファイル「MOIRA網」、ローカル同期(フルシンクロ)!」

紗雪はアクセスキーをノーブル・コレッジの機関部へ勢いよく叩き込んだ。

ガシャンッ!!

重厚な金属音が響き、デバイスの安全装置(リミッター)が物理的に強制解除される。

『……Local Sync. Limit unlocked.』

デバイスが諦めたような電子音を鳴らし、巨大な砲身へと変形を遂げる。

紗雪の周囲に、次元すら歪ませるほどの莫大な魔力が集束していく。9歳の少女が扱うにはあまりにも異常な、未来の時空管理局を震え上がらせた「一等空尉」の全力全開。

「あの悲しい未来は、私が全て叩き壊す!!」

天空から放たれた白銀の極太の魔力砲線が、悲鳴を上げる間もなく化け物を呑み込み、周囲の地面ごと完全に蒸発させた。

凄まじい爆風と閃光が臨海公園を包み込む。

数秒後。

土煙が晴れた後には、綺麗に丸く抉り取られた巨大なクレーターと、その中央で無傷のままポツンと落ちているジュエルシードだけが残されていた。

「……フン。最初からこうしていれば早かった」

上空からゆっくりと舞い降りた紗雪は、焦げた匂いのする風を払いながら、ジュエルシードを拾い上げる。

「任務完了(ミッション・コンプリート)。被害状況は……まあ、後で修復魔法をかけておけばゼロだ。やはり、私の単独介入こそが最も確実で速い」

やり遂げたという自信に満ちた笑みを浮かべる紗雪。

彼女はまだ気づいていなかった。この「自分一人ですべてを解決できる」という傲慢なまでの自負と、強引すぎるやり方こそが、やがて彼女自身を孤独の淵へと追い詰め、そして心優しき魔法少女たちとの激しい衝突を招く原因になるということに。

誰も悲しませないための、独断専行。

全てを救うための、破壊的な一撃。

不器用で、強力で、少しだけ道を間違えている孤独な空の先導者の戦いが、今、幕を開けた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。