魔法少女リリカルなのは ~コード・イレイザー~ 作:長谷川広軌
激戦の翌日。
海鳴市は嘘のように穏やかな休日を迎えていた。高町家の喫茶店『翠屋』の二階、なのはの自室には、甘い焼き菓子の香りが漂っている。
「はい、フェイトちゃん! うちのお店の新作ケーキだよ。アルフちゃんには特製のハンバーグ!」
「あ、ありがとう……なのは」
私服姿のなのはからケーキの皿を受け取り、フェイトは黄金の瞳を瞬かせた。
フォークで一口すくって口に入れると、これまでの過酷な人生で味わったことのない、優しくてとろけるような甘さが広がる。その隣では、子犬の姿に擬態したアルフが「美味い! なんだこれ!」と尻尾を千切れんばかりに振ってハンバーグにがっついていた。
部屋の隅では、紗雪が一人、空中にホログラムの戦術マップを展開していた。
彼女の視界と意識の裏側では、時空管理局の探査網を欺瞞し続ける高度な戦術情報支援ネットワークである MOIRA網 が、音もなく完璧な並列処理を実行している。
「……アースラからの干渉波長、異常なし。クロノの奴ら、完全にこちらの痕跡を見失っているな」
紗雪がバリアジャケットを解除した私服姿のまま安堵の息を吐くと、なのはが紗雪の分のアイスティーとクッキーを運んできた。
「紗雪ちゃんもお疲れ様! はい、休憩!」
「あ、ああ。すまない」
クッキーを受け取った紗雪を、フェイトが不思議そうな目で見つめていた。
「紗雪は……どうしてそこまでしてくれるの?」
「ん?」
「管理局の目を誤魔化して、私と一緒にシードを集めるなんて……見つかったら、紗雪まで重罪になっちゃうのに。それに、紗雪は私やなのはよりもずっといろんなことを知っていて、戦い方だって……」
フェイトの問いはもっともだった。
未来の時空管理局の知識と、過酷な訓練の記憶。本来なら9歳の少女が持ち得るはずのないそれを抱える紗雪は、アイスティーのグラスを見つめながら、静かに口を開いた。
「つい先程まで、全環境アーコロジー化の論文を読んでいたことがあってな」
「……え?」
フェイトとなのはが、聞き慣れない難解な単語にきょとんとする。
「完全に破壊され、汚染された世界であっても、外部からの管理や強制に頼ることなく、その内部だけで完璧に調和し、人々が自立して生きていける環境を再構築する……そういう理論だ」
紗雪はクッキーを一口かじり、ふっと自嘲気味に笑った。
「時空管理局のやり方は、確かに正しい。危険なものを管理し、法を犯した者を裁く。だが、彼らのやり方では『傷ついた心』までは救済できない。一度壊れてしまった環境(せかい)を、本当の意味で再構築することはできないんだ」
「紗雪ちゃん……」
「だから、私はこの海鳴市を、そして君たちを、誰のルールにも縛られない自立した場所にしたい。プレシア・テスタロッサの狂気からも、時空管理局の冷徹な法からも完全に独立した……誰もが笑って生きられる、温かい世界にね」
それが、未来の絶望を知る一等空尉が、この時代で見つけた本当の『最適解』だった。
敵を倒すことでも、一人で泥を被ることでもない。全環境アーコロジーのように、誰もが寄り添い、自立して生きていける完璧な「居場所」を創り出すこと。
フェイトは、手元のケーキを見つめた。
甘くて、温かくて、今まで知らなかった世界。母の愛だけを求めて傷ついてきた自分に、目の前の二人はこんなにも優しく、新しい未来の設計図を見せてくれている。
「アーコロジー……とかはよく分からないけど」
なのはが、えへへと笑いながらフェイトと紗雪の肩に腕を回した。
「要するに、フェイトちゃんも紗雪ちゃんも、ずっと一緒に美味しいケーキを食べられるようにする! ってことだよね!」
「なっ……君というやつは、私の高度な理論をいつもそうやって……っ!」
「あはは、いいじゃない! ね、フェイトちゃん!」
なのはの屈託のない笑顔に、フェイトもつられて、初めて心の底からふわりと微笑んだ。
「……うん。美味しいね、なのは、紗雪」
窓の外に広がる青空。
やがて訪れる最大の試練『時の庭園』での決戦を前に、三人の魔法少女は、ただの9歳の女の子として、かけがえのない温かな時間を分かち合っていた。