魔法少女リリカルなのは ~コード・イレイザー~ 作:長谷川広軌
第29話:はじまりの朝、交差する日常
季節は巡り、海鳴市に穏やかな初冬が訪れていた。
私立聖祥大附属小学校、三年生の教室。
朝のホームルームで、担任の先生が黒板の前に立ち、パンパンと手を叩いた。
「えー、みんな席について。今日はね、うちのクラスに転校生が二人も来てくれました」
その言葉に、教室中がわっと湧き上がる。
なのはは自分の席で、両手をギュッと握りしめながら、祈るような顔で扉の方を見つめていた。
(お願い……二人とも、普通に、普通にね……!)
「入ってきていいわよー」
ガラッと扉が開き、二人の少女が教壇の前に並んだ。
一人は、どこか儚げな雰囲気を持つ金髪の少女。もう一人は、背筋をピンと伸ばし、隙のない足取りで歩く黒髪の少女。
「フェイト・テスタロッサです。えっと……よろしくお願いします」
少しはにかみながらお辞儀をするフェイトに、クラスの男子たちから「おぉー!」という歓声が上がる。なのはもホッと胸を撫で下ろした。完璧だ。普通の、ちょっと人見知りな可愛い転校生である。
続いて、黒髪の少女――芹葉紗雪が一歩前に出た。
彼女は教壇の前に立つと、クラス全体を鋭い眼光で一瞥し(未来の癖で無意識に脅威度判定を行っている)、それから軍の報告のような張り詰めた声で口を開いた。
「芹葉紗雪だ。趣味は読書と――サイクリングだ」
(よかったぁ……!)
「主として、市街地における高機動戦を想定した」
「紗雪ちゃん!!」
なのはがたまらず席から立ち上がり、ツッコミを入れる。
教室が「え? 高機動戦?」とざわつく中、紗雪は「むっ、情報開示のレベルを誤ったか」と小さく呟き、コホンと咳払いをした。
「……坂道に強い自転車に乗っているということだ。よろしく頼む」
なんとか自己紹介を終え、二人は空いていた席へと案内される。
なのはは机に突っ伏し、これからの前途多難な学校生活を思って深くため息をついた。
◇ ◇ ◇
そして、運命の休み時間。
フェイトと紗雪の席には、早速クラスメイトたちが群がっていた。その中心に陣取ったのは、なのはの親友である月村すずかと、アリサ・バニングスだった。
たくさんの視線に、フェイトが少し戸惑ったように視線を泳がせる。するとアリサは何も深くは聞かず、ポンと自分の隣の椅子を引いた。
「こっち座りなよ。私はアリサ、こっちはすずか。よろしくね!」
「うん……よろしく」
優しく微笑むすずかと、明るく迎え入れるアリサに、フェイトは嬉しそうに頷いた。
そして、アリサの視線はもう一人の転校生へと向く。
「……ねえ、なのは。フェイトは分かるわよ。でも、あっちは何者よ」
「えっ!?」
「背筋が伸びすぎだし、さっきの先生への受け答えもなんか官僚的だったし……それに、なのはとフェイトが、あの子の言うことには妙に素直に従ってるじゃない」
アリサの直感が、警報を鳴らしていた。この芹葉紗雪という少女は、ただの小学生ではない、と。
「あっ、あはは……気のせいだよ! 紗雪ちゃんは、えっと……」
なのはがしどろもどろになっていると、紗雪本人がゆっくりと立ち上がり、アリサの前に立った。
かつて時空管理局の執務官の尋問すら軽々とかわした完璧なポーカーフェイスで、紗雪は告げる。
「怪しむ必要はない。私はただの、本をよく読む小学生だ」
「絶対嘘」
食い気味に放たれたアリサの全否定に、紗雪の鉄面皮がピシッとひび割れる。
(なっ……クロノには通用した言い訳が、一秒で看破されただと!?)
「ほ、本当だ。最近は、ストレートとクロスのネットワークケーブルに関する新しい群論的記号を提案するショートレターを通信学会に提出しようと計画していてな……」
「どんな小学生よそれ!!」
アリサの容赦ないツッコミが炸裂する。
「やっぱり怪しい! なのは、あんた何か変な事件に巻き込まれてないわよね!?」と詰め寄るアリサに、なのはが「違うのー!」と半泣きで弁解する。
「ふふっ、あははっ」
そのやり取りを見て、すずかが上品に、そしてフェイトが心の底から楽しそうに笑い声を上げた。
その笑顔を見て、アリサも毒気を抜かれたように「もう、しょうがないわね」と笑い、紗雪もまた、目を瞬かせていた。
◇ ◇ ◇
放課後。
アリサの提案で、五人はなのはの実家である喫茶店『翠屋』へと向かうことになった。
「じゃあ、フェイトと紗雪の歓迎会ってことで、ケーキは私のおごりね!」
「わぁっ、アリサちゃん太っ腹!」
楽しそうに前を歩くなのは、フェイト、アリサ、すずかの四人。
その後ろを少し離れて歩きながら、紗雪は一人、ひどく困惑していた。
(未来改変作戦を遂行し、時空管理局の監視を逃れるために海鳴市へ定住したはずなのに……なぜ私は今、放課後にみんなで翠屋へ行く予定を調整している……?)
紗雪の視界には、ファイル「MOIRA網」が展開されている。かつては局地的な隠蔽と膨大な戦術データの並列処理を担っていたその極めて高度な演算リソースは、今や「翠屋までの最短ルートの算出」と「五人掛けのテーブル席の確保確率の計算」という、信じられないほど平和な処理に割かれていた。
『My Lord。それを一般には「友達付き合い」と呼称します』
白銀のデバイス『ノーブル・コレッジ』からの冷静な電子音声に、紗雪は小さくため息をつき、空を見上げた。
「……高度な任務だな」
無印編で、フェイトを「戦場から日常へ」と連れ帰った紗雪。
しかし彼女はまだ気づいていない。この第二期(A's)の物語が、未来から来た孤独な軍人である彼女自身を、「温かい日常の中へ」と容赦なく引きずり込み、居場所を作ってしまうための物語であるということに。
「紗雪ちゃーん! 早く早くー!」
前を歩くなのはが、笑顔で大きく手を振る。
「……今行く」
紗雪は、無意識のうちに少しだけ早足になり、春の陽だまりの中を歩く四人の背中を追いかけた。
その頃、海鳴市の別の場所では、まだ彼女たちの誰も知らないページが、静かに開こうとしていた。