魔法少女リリカルなのは ~コード・イレイザー~ 作:長谷川広軌
放課後の高町家、喫茶店『翠屋』。
窓際の五人掛けのテーブル席では、アリサのおごりである特大のケーキを前に、少女たちの賑やかな声が弾んでいた。
「ん〜っ! やっぱり翠屋のケーキは最高ね!」
「本当。フェイトちゃん、紗雪ちゃん、お口に合うかしら?」
すずかが上品に紅茶を飲みながら微笑むと、フェイトはフォークをくわえたまま、パァッと花が咲いたように笑った。
「うんっ! すごく美味しいよ、すずか、アリサ!」
「でしょでしょ! なのはのお父さん、腕だけは超一流だからね!」
すっかり場に馴染み、同年代の女の子らしい無邪気な笑顔を見せるフェイト。なのはも「腕『だけ』は余計だよぉ」と笑いながら、嬉しそうにその様子を見つめている。
一方、テーブルの端に座る芹葉紗雪は、手元のショートケーキをじっと見つめながら、己の内で高度な自己分析を実行していた。
(……これまで、私が任務の合間に休息に入るには、専らゲームと音楽を用いるのが常だった。そして外食における最適な栄養摂取の解も、『丼のや』の『彩り丼 上』のような海鮮丼だと定義していたのだが……)
紗雪は、フォークで小さく切り分けたスポンジと生クリームを口に運ぶ。
途端に、脳の糖分中枢が激しく刺激され、白銀の指揮官の険しい表情がふにゃりと緩んだ。
(この、同年代の友人たちと摂取する甘味というのも……非常に、悪くない)
「ちょっと紗雪。あんた、さっきからケーキ食べるのにすごい眉間シワ寄ってたわよ。毒でも入ってるか分析してたわけ?」
アリサの鋭すぎるツッコミが飛んでくる。
紗雪はハッとして姿勢を正し、コホンと咳払いをした。
「い、いや。この洋菓子の糖度と幸福度の相関関係について、少し思考を巡らせていただけだ」
「だからその喋り方、絶対変だって言ってるでしょ! ほら、もっと肩の力抜きなさいよ」
アリサが紗雪の背中をバシバシと叩く。
かつて時空管理局の執務官すら翻弄した未来の軍人は、ただの小学生であるアリサの物理攻撃になす術もなくタジタジになっていた。その様子を見て、なのはとフェイトがたまらずクスクスと笑い合う。
戦場では決して見ることのできなかった、温かくて平和な時間。
しかし、海鳴市の別の場所では、彼女たちの誰も知らないページが、静かに開こうとしていた。
◇ ◇ ◇
海鳴大学付属病院、特別病棟。
夕暮れの陽射しが差し込む病室で、車椅子に乗った少女――八神はやては、膝の上に古い洋書を広げていた。
「はやてちゃん、そろそろ夕食の時間よ。気分はどう?」
病室の扉を開け、担当看護師のしょうこが優しく声をかける。
はやては本をパタンと閉じ、ふわりと人懐っこい笑顔を向けた。
「はーい、しょうこさん。今日はすっごく調子ええよ。ご飯も全部食べられそうや」
「ふふっ、それは良かったわ」
しょうこが笑顔で点滴のチェックをしている間、はやての傍らに置かれた『闇の書』の表紙が、持ち主にも気づかれないほど微かに、不吉な紫色の脈動を放っていた。
◇ ◇ ◇
同じ頃、夕暮れの帰り道。
『翠屋』での歓迎会を終え、なのはは一人で家路を歩いていた。フェイトと紗雪は、海鳴市に定住するための手続きで少し回り道をしている。
「ふふっ……フェイトちゃんも紗雪ちゃんも、アリサちゃんたちと仲良くなれそうでよかったなぁ」
なのはが胸のレイジングハートを撫でながら微笑んだ、その直後だった。
『Master, Danger!』
突如、レイジングハートが鋭い警告音声を発する。
周囲の景色が、まるで血のように赤黒く染まり上がった。夕暮れの住宅街だったはずの空間が、瞬時に結界の内部へと隔離されたのだ。
「なに……!? これ、時空管理局の結界じゃない……!」
なのはが咄嗟にバリアジャケットを展開した瞬間、上空から巨大な鋼鉄のハンマーが、隕石のような速度で振り下ろされた。
「シールドッ!!」
桜色の防壁が間一髪でハンマーを受け止めるが、その圧倒的な質量と破壊力に、なのはは防壁ごと数十メートルも後方へと吹き飛ばされた。
「きゃあぁぁぁッ!?」
「……ふん。防がれたか」
土煙が晴れた後、そこに立っていたのは、赤いウサギの帽子を被り、巨大な鉄槌『グラーフアイゼン』を肩に担いだ小柄な少女だった。
「あんたが、高町なのは?」
「あなた、は……?」
「アタシはヴィータ。鉄の伯爵騎士」
ヴィータは、ハンマーの先を真っ直ぐになのはへと突きつけた。
「あんたの『リンカーコア』、もらうよ」
有無を言わさぬ再度の強襲。
なのはが『ディバイン・シューター』で牽制を試みるが、ヴィータはその誘導弾をハンマーの一振りで紙屑のように粉砕し、一気に間合いを詰めてくる。
重すぎる一撃。特訓で培った回避行動すら、結界による空間制圧で封じられている。
(この子、強い……! 紗雪ちゃんとの模擬戦より、もっと……!)
なのはが体勢を崩し、ヴィータのハンマーがその無防備な胸元を捉えようとした、まさにその時。
『My Lord。空間の異常隔離を確認。対象の座標、高町なのはの現在位置と一致』
虚空から、冷徹な電子音声が響き渡った。
それは、かつて海鳴市の事象を掌握していた戦術情報支援システム、ファイル「MOIRA網」。その高度な演算リソースが、結界の脆弱性を瞬時に割り出していたのだ。
「なっ……何だこいつら!?」
ヴィータが驚愕の声を上げる。
赤い結界の空が、外側から物理的に「叩き割られる」ように砕け散った。
「よそ見をしている余裕があるのか。……鉄十字の騎士殿」
砕け散る結界の破片の中から、紺色に白い縁取りの燕尾服を翻す白銀の指揮官と、黄金の雷を纏った騎士が、流星のごとき速度で突入してくる。
「紗雪ちゃん! フェイトちゃん!」
なのはの安堵の声に、紗雪はノーブル・コレッジを構えたまま不敵に笑った。
「すまない、なのは。少々ケーキを食べ過ぎて到着が遅れた」
フェイトがバルディッシュを構え、ヴィータと対峙する。
「なのはには、指一本触れさせない!」
日常の甘さを打ち砕くように現れた、闇の書の騎士。
しかし、彼女たちが相手にするのは、もはや孤独な一人の魔法少女ではない。未来の戦術を知り尽くした指揮官に率いられた、最強の「三連星」だった。
激動の第二幕、その予測不能の戦端が今、切って落とされた。