魔法少女リリカルなのは ~コード・イレイザー~ 作:長谷川広軌
ヴィータ、シグナムとの激突から数日後の週末。
なのは、フェイト、紗雪、アリサの四人は、すずかの案内で海鳴市内の閑静な住宅街を歩いていた。
「すずか、今日遊びに行くお友達って?」
「うん。八神はやてちゃんっていうの。足が悪くて車椅子なんだけど、とっても優しくて本が好きな子よ。今日はみんなでご飯を食べようって誘ってくれたの」
すずかの言葉に、なのはとフェイトが「楽しみだね!」と顔を見合わせる。
しかし、最後尾を歩く芹葉紗雪だけは、一人だけ全く違うベクトルの緊張感に包まれていた。
(八神はやて……! 『闇の書』の主であり、今回の未来改変作戦における第一種保護対象……! まさか、すずか経由でこんなにも早く接触できるとは!)
紗雪は密かにファイル「MOIRA網」を起動し、周囲の魔力動態を極秘裏にスキャンし始める。
数日前のヴィータたちの襲撃を思えば、彼女の家には間違いなく『闇の書の守護騎士(ヴォルケンリッター)』たちが潜伏しているはずだ。もし戦闘になれば、住宅街での乱戦は避けられない。
(警戒しろ、なのは、フェイト。扉の向こうには、あの理不尽なまでの強さを持つベルカの騎士たちが……!)
「着いたわ、ここよ」
すずかがインターホンを押すと、「はーい、今開けるなー」という柔らかい関西弁と共に、玄関の扉が開いた。
「いらっしゃい、すずかちゃん。そっちの子たちが、なのはちゃん、フェイトちゃん、アリサちゃん……それに、紗雪ちゃんやね?」
車椅子に乗った栗色の髪の少女――八神はやてが、初対面の四人に花が咲いたような笑顔を向ける。
その瞬間、紗雪の肩からスッと力が抜けた。彼女から発せられる魔力は、たしかに膨大だが、どこまでも温かく、穏やかだったからだ。
(……これが、本来の歴史で悲劇的な最期を遂げる少女。なんとしても、守らなければ)
紗雪が密かに決意を新たにした、まさにその時だった。
「はやてー、買ってきたぞ。醤油は特売のやつでよかったんだよな」
「アタシはお菓子買ってきたー!」
玄関の奥、リビングに続く扉が開いた。
買い物袋を提げて現れたのは、ネギと大根、そして特売の醤油を持った紫ポニーテールの長身の女性。そして、スナック菓子を抱えた赤い帽子の小柄な少女。
「あ」
なのはが、絶句した。
フェイトの黄金の瞳が、限界まで見開かれた。
ヴィータの持っていたスナック菓子が、ポロッと床に落ちた。
シグナムの目が、殺意と驚愕に細められ、買い物袋を握る手にギリッと力が入った。
数日前、夕暮れの空で血みどろの殺し合い(文字通り、なのはの命を奪いに来た)を演じた相手。
それが今、数メートルの距離で、しかも**「スーパーの買い物帰り」**という完全な日常の姿で鉢合わせしたのだ。
(……え?)
紗雪の脳内で、世界モデルが完全に崩壊した。
彼女の視界に展開されたファイル「MOIRA網」が、目の前の事象を処理しきれずに盛大なエラーメッセージを吐き出している。
『Error:対象【烈火の将・シグナム】の武装が【レヴァンティン】から【長ネギ】に書き換えられています。論理的矛盾を検知』
『Error:対象【鉄の伯爵・ヴィータ】から敵対反応が消失。おやつの時間を優先している模様』
(嘘だろ……。史実の記録では、冷酷無比な古代ベルカの騎士だったはず……それがなぜ、エプロン姿で特売の醤油を……!?)
未来の軍人である紗雪の高度な情報処理能力をもってしても、このギャップは処理不能だった。
「ん? どないしたん、シグナム、ヴィータ。……あ、もしかして、みんなもう知り合いなん?」
はやてが不思議そうに首を傾げる。
その純粋な問いかけが、極限まで張り詰めていた空気に一本の細い糸を通した。
(ここで戦闘を起こせば、この車椅子の少女を巻き込む……!)
(はやての前で、魔法の力は見せられない……!)
敵と味方。双方が全く同時に、同じ結論(妥協点)に達した。
「……ええ、はやて。数日前に、少しね」
「すっ、少しだけ! 公園で、一緒に遊んだの!」
シグナムが冷や汗を流しながら大根を抱え直し、なのはが引きつった笑顔で必死に同調する。
「へえ、そうやったんや! なあんだ、それなら話が早いわ。みんな、リビングに上がって上がって! シグナムたちの淹れるお茶、すっごく美味しいんよ」
かくして。
海鳴市の事象を掌握する未来の軍人・芹葉紗雪は、数日前に自分の防壁を二枚ぶち抜いた『鉄槌の騎士』と、恐るべき一撃でフェイトを弾き飛ばした『烈火の将』が、手際よくキッチンで急須にお湯を注ぐ姿を、リビングのソファで死んだ魚のような目で見つめることになった。
「……どうぞ」
シグナムが、紗雪の前に静かに湯呑みを置く。
その動作に一切の隙はなく、テーブルの下ではいつでも剣を抜けるような緊張感が漂っている。
「……感謝する」
紗雪もまた、震える手で湯呑みを受け取った。
(毒……いや、睡眠薬か? だが、はやての前でそんな真似をするとは考えにくい。……待て、茶柱が立っている。これはベルカ式の呪術的暗号か!?)
無駄に高度な分析を重ね、お茶を飲むことすら命懸けの任務と化している紗雪。
その隣では、フェイトが「いただきます」と怯えながらお茶をすすり、ヴィータはなのはを威嚇するように睨みつけながら、ものすごい勢いでクッキーをかじっていた。
「みんな、うちの家族と仲良くしてな。……シグナムもヴィータも、ちょっと不器用やけど、ホンマにええ子たちやから」
はやてが、嬉しそうに目を細めて笑う。
その笑顔を見た瞬間。なのは、フェイト、そして紗雪の胸に、重く、切ない事実が突き刺さった。
あの日、自分たちを殺そうとした恐るべき敵は。
この心優しい少女にとっては、かけがえのない『温かい家族』なのだ。
「……あ、ああ。とても……良いお茶だ」
紗雪は、湯呑みの温かさを両手で感じながら、未来の知識には書かれていなかった「真実」を噛み締めていた。
敵をただ倒せばいいわけじゃない。この戦いは、この温かい日常と家族の絆を、どうやって守り抜くかという、途方もなく難しい任務なのだと。
(やはり……日常というのは、戦場よりもずっと高度で、困難な任務だな)
最強の敵が淹れたお茶は、ほんの少しだけ苦く、そしてひどく温かかった。