魔法少女リリカルなのは ~コード・イレイザー~ 作:長谷川広軌
週末の翠屋の二階。
なのはの自室は、いつになくピンと張り詰めた空気に包まれていた。
部屋の中央には、芹葉紗雪が展開したファイル「MOIRA網」のインターフェースが浮かび上がり、青白い光を放って複雑な立体構造のデータを投影している。
それは、先日八神家でスキャンした僅かな魔力波長と、未来の史実データを掛け合わせてシミュレートした『闇の書』の深層プロトコルの概念図だった。
「……これが、闇の書を構成しているコアプログラムだ」
紗雪が指揮棒のようにノーブル・コレッジを振り、立体図の一部――毒々しい赤色に染まった核の部分を拡大する。
「闇の書が完成した瞬間、この防衛プログラム(暴走コード)が起動し、主であるはやての意識を完全に呑み込む。……私たちが救うべきははやてであり、倒すべきはこの『暴走コード』のみだ」
ベッドに腰掛けていたなのはとフェイトが、真剣な表情でその図を見つめる。
「でも、紗雪ちゃん。どうやってそれだけを倒すの?」
なのはの純粋な疑問に、紗雪は一つため息をついた。
「それが最大の問題だ。暴走状態の闇の書は、幾重にも重なる強固な防壁(バリア)と自動迎撃システムで守られている。なのはの砲撃で吹き飛ばそうとすれば、最悪の場合、核(コア)と直結しているはやて自身の命まで消し飛ぶ」
「そんな……っ!」
「だからといって、私の『魔力消去(イレイズ)』を広範囲に展開しても、外殻の防壁を削るだけで精一杯だ。……つまり、必要なのは圧倒的な破壊力ではない」
紗雪はノーブル・コレッジの先端を、赤く染まった暴走コードの中心――文字通り、針の穴ほどの極小の一点へと突きつけた。
「必要なのは、外殻の防壁をすり抜け、はやての魔力経路(リンカーコア)を一切傷つけることなく、この暴走コードだけをピンポイントで『消滅』させる……絶対的な精度だ」
フェイトが息を呑む。
「そんなこと、可能なの? 魔法をそこまで小さく、正確にコントロールするなんて……」
「今のままでは不可能だ。だから、新しい術式(システム)を組み上げる」
紗雪はファイル「MOIRA網」の表示を切り替え、自らが考案した新しい術式のシミュレーションモデルを展開した。
「第一段『位相分散』。発動した消滅の魔力をあえて極限まで薄く分散させ、闇の書の外部防壁が持つ許容経路(隙間)へ潜り込ませる」
「第二段『経路選別』。防壁の内部へ到達した魔力波を、目標座標へ向けて誘導する」
「そして第三段『終端再収束』。空間的に分散した波を、到達点(暴走コード)においてのみ位相を揃え、建設的干渉を起こすことで消滅効果を100%復元させる」
なのはとフェイトは、目を丸くしてぽかんとしていた。
「……えっと。つまり、どういうこと?」
「うーん……薄くしてすり抜けて、最後にドカン、ってこと?」
二人の9歳児らしい(そして魔法の天才ゆえに理論より感覚で生きてきた)反応に、紗雪はカクッと肩を落とした。
気を取り直し、紗雪はファイル「MOIRA網」上でシミュレーションを起動した。
『第一段、位相分散クリア。第三段、終端再収束プロセスへ移行……位相同期率、99.997%』
その電子音声が響いた瞬間、紗雪は鋭い声で「停止(ストップ)」と命じた。
「……駄目だ。足りない」
「えっ、紗雪ちゃん!? 99.997%って、ほとんど完璧じゃないの?」
驚くなのはに、紗雪は首を横に振った。
「はやてを撃つ可能性が、0.003%残っている。……そんな魔法、撃てるものか」
その徹底したこだわりに、二人は息を呑んだ。
紗雪は真っ直ぐに、二人の親友の瞳を見据える。
「この術式は、発動して同期率が100.000%に達するまでに、膨大な演算とチャージ時間を要する。それに、私が一点に集中している間、周辺の警戒は一切できない。完全に無防備になる」
かつて、「前衛(盾)は私が引き受ける」と言ってヴィータの鉄槌を正面から受け止めた白銀の指揮官。
その彼女が今、自分一人では届かない領域へ到達するために、二人の仲間に頭を下げた。
「なのは、フェイト。君たちに頼みがある。……いざという時、私の護衛(盾)を引き受けてくれないか」
その言葉に、なのはとフェイトは顔を見合わせ――そして、とびきりの笑顔で力強く頷いた。
「もっちろんだよ! 紗雪ちゃんが集中する時間は、私が絶対に守るから!」
「うん。紗雪の射線は、私が切り拓く。……はやてちゃんと、あの騎士たちを救うために!」
三人の想いが、また一つ重なり合う。
「……感謝する」
紗雪はふっと柔らかく微笑み、再びファイル「MOIRA網」の演算システムへと向き直った。
来るべきヴォルケンリッターとの激突、そしてその先にある『闇の書』との最終決戦へ向けて。
誰も死なせない未来を創り出すための、神業じみた精度を誇る「最強のメス」の鋳造が、静かに始まろうとしていた。