魔法少女リリカルなのは ~コード・イレイザー~ 作:長谷川広軌
八神家のダイニングには、温かな湯気と賑やかな声が満ちていた。
「コラ、ヴィータ! ニンジンを残すんじゃない!」
「うるっさいなシグナム! アタシはニンジンなんか食わなくても強いんだよ!」
「ふふっ、ヴィータちゃん、私のも食べる?」
「なのはのお節介! ……でも食う!」
冷めてしまっていた特売のシチューは、シャマルが魔法で温め直したことで、最高の朝食へと生まれ変わっていた。
車椅子から降り、自分の足でしっかりと歩けるようになったはやてが、嬉しそうにみんなのお皿におかわりを注いで回る。
その傍らでは、手のひらサイズに縮んだ『夜天の書』の管制人格――リインフォースが、ザフィーラの頭の上で小さなスプーンを握り、幸せそうにシチューを頬張っていた。
はやての魔力負担を減らし、平穏な日常に馴染むために彼女が独自に編み出した「日常生活用の省魔力アバター」。その愛らしい姿は、この世界線ならではの新しい家族の形だった。
「……信じられない光景だ」
部屋の隅で、マグカップのコーヒーを啜りながら、芹葉紗雪はふっと息をついた。
本来の歴史では、この食卓は永遠に失われ、幾つもの命と引き換えに悲しい勝利を得るはずだった。しかし今、彼女の目の前には、くだらないニンジンの好き嫌いで笑い合う「誰も欠けなかった日常」が存在している。
紗雪は密かに視界の隅で、ファイル「MOIRA網」を起動した。
展開された歴史分岐のシミュレーションツリー。赤く染まっていた『闇の書事件』の悲劇ルートは完全に消滅し、新たな青いルートが未来へと真っ直ぐに伸びている。
(……第一種保護対象、八神はやて。および夜天の管制人格の生存を確認。歴史の改変は、完璧に成功した)
だが、紗雪の瞳がその先の予測データに及んだ時、ファイル「MOIRA網」のシステムが微かなノイズを立てた。
『既知の歴史との乖離を確認。……予測信頼度、低下』
史実データにあったはずの事件や世界情勢の予測が、次々と不確定なパラメーターへと塗り替えられていく。
A'sという歴史の巨大な特異点において、あまりにも多くの悲劇を「無かったこと」にした結果。未来はもはや、紗雪が知識として持っていた「あの歴史」とは全く別のものへ分岐してしまったのだ。
「紗雪ちゃん、何難しい顔してるの?」
ひょっこりと、なのはとフェイトが両隣に座り込んできた。
「ねえ、紗雪ちゃん、フェイトちゃん。……私ね、決めたんだ」
「決めた?」
「うん。私、もっと魔法の勉強をして、時空管理局の『教導官(先生)』になりたい」
なのはの瞳には、かつてヴィータたちと全力でぶつかり合い、対話の末に分かり合えた経験が、確かな光として宿っていた。
「魔法は、誰かを傷つけるためのものじゃない。誰かを守って、分かり合うためのものだって、いろんな人に教えたいの」
「なのは……。うん、すごく、なのはらしいね」
フェイトもまた、優しい微笑みを浮かべて自分の胸に手を当てた。
「私も、決めたよ。……私は『執務官』になって、次元世界を回りたい。かつての私や、はやてちゃんみたいに、悲しい運命の中で泣いている子たちを、今度は私が先に見つけて、助け出せるように」
「……二人とも、立派な夢だ」
紗雪はコーヒーを置き、少しだけ眩しそうに二人を見た。
「私も、これからゆっくり探すことにする。……いつか、部署の壁を越えてすぐ動けるような、そんなチームを作れたらいいな」
紗雪の言葉に、なのはとフェイトは嬉しそうに頷いた。
そこに、「あ、ずるい! 何三人でコソコソ内緒話してんの!」とはやてが自分の足で駆け寄ってきた。ヴィータやシグナムたちも、不思議そうにこちらを覗き込んでいる。
「いや、少し気の早い話をしていただくだけだ」
紗雪は視界の端でノイズを立てるファイル「MOIRA網」の未来予測を、ためらいなくシャットダウンした。
「……そうか。ここから先は、私も知らない未来か」
小さくこぼれたその独り言を、隣のなのはが聞き逃さなかった。
「怖い?」
「……少しな」
紗雪が素直に弱音を吐くと、フェイトが黄金の瞳を優しく細めて、紗雪の手をぎゅっと握った。
「じゃあ、一緒に行こう」
「ああ……そうだな」
窓から差し込む朝の光が、少女たちの笑顔をキラキラと照らし出していた。
未来知識という最大の武器は、もう必要ない。それを手放しても怖くないと思えるだけの絆を、彼女はこの時代で確かに手に入れたのだから。
魔法少女たちの、長くて過酷な戦いの日々は終わった。
誰も知らない新しい未来の足跡は、この温かい食卓から、真っ直ぐに明日へと続いている。
<第二期(A's)編・完>