魔法少女リリカルなのは ~コード・イレイザー~ 作:長谷川広軌
ミッドチルダ・機動六課 隊舎ブリーフィングルーム。
その日の六課は、かつてないほどの重く冷たい静寂に包まれていた。
「――以上が、当監査部が独自に収集した、機動六課における『情報通信および機材運用の重大な違反疑い』のリストです」
上座に立つ、時空管理局本局・監査部から派遣された氷のような眼差しを持つ初老の監査官。
彼が机に叩きつけた分厚いファイルには、地獄のような監査項目が羅列されていた。
未承認OSの無断適用
出所不明の独自術式の本番環境実装
特命課との非正規な部署間共同開発
謎の『J.S』なる署名による決裁バイパス
私物ファイル「MOIRA網」との非公式なシステム直結
上記をすべて満たした状態での『実戦投入済み』という運用実績
「あわわわ……」
壁際で控えるティアナは完全に顔面を蒼白にし、シャーリーは胃を押さえて蹲っている。八神はやて部隊長ですら、額に冷や汗を浮かべて苦笑いするしかなかった。
しかし、当の主犯である芹葉紗雪一尉は、涼しい顔で腕を組んでいた。
「監査官殿。ご指摘のシステムはすべて、先日のAMF環境下において遅延ゼロの完全稼働を証明しています。性能と安全性については実証済みですが」
「芹葉一尉。私は性能の話をしているのではありません」
監査官の冷徹な声が、紗雪の言葉をピシャリと遮った。
「私が問うているのは、**『誰が承認し、誰が保守責任を負うのか』**というガバナンス(統治)の問題です」
「……」
「性能が良いからといって、一個人の裁量でブラックボックス化されたシステムを本番環境へ投入するなど、組織として言語道断。十九歳で特任教官に就かれた優秀さは認めますが、あなたの行動はシステム運用における最大の禁忌だ」
十九歳の生ける伝説、珍しく完全被弾(クリティカルヒット)。
紗雪が沈黙する中、監査官は手元の端末を操作し、強引に一つの通信回線を開いた。
『……なんだね。こちらは忙しいのだが』
モニターに、ジェイル・スカリエッティが不機嫌そうに映し出される。
「本局特命課長、スカリエッティ博士ですね。監査部です。六課の未承認カーネルに付与された『J.S』という署名について、あなたのものであると確認が取れていますが」
『フン。当然だ。私が六課の三流コードを極限まで最適化し、技術承認(コミット)したのだからな。何か文句があるかね?』
誇らしげに胸を張る天才技術者。
しかし、監査官の眼鏡がキラリと光った。
「素晴らしい。では、技術部特命課長として、本件の『正式な保守責任』を引き受けていただけるのですね?」
『……えっ?』
「システムを技術承認したということは、今後のバグ対応、パッチ提供、AMF耐性の恒久的な品質保証を、あなたと特命課が全責任を負うという宣言に他なりません。直ちに調印を」
『ま、待て! 私はただ、目の前のスパゲッティコードが許せずにリファクタリングをしただけで――』
「逃げ道はありませんよ、課長」
監査官が外堀を完全に埋めた瞬間、スカリエッティの顔が絶望に染まった。
「……さて」
監査官は再び紗雪へ向き直る。
「独自規格のOSは百歩譲って特命課の保守としましょう。しかし、芹葉一尉。あなたが組み込んだという独自術式『結線記法』。こちらの仕様書と運用マニュアルはどこにありますか? まさか、あなたの頭の中だけにあるなどと――」
「あります!!!」
その時、壁際にいたティアナが弾かれたように飛び出し、自分の身長ほどもある分厚いバインダーの山を机に叩きつけた。
「芹葉教官の『結線記法』の基本原理から、標準術式へのアダプタ層のソースコード、AMF環境下での例外処理パターンまで! 全600ページの標準化ドキュメント、私が全部文書化しました!!」
「……いつの間に」
紗雪が目を丸くする。
「教官が! 何も紙(ログ)に残さないからです!! 監査が来たら私が責任を問われるに決まってるじゃないですか!!」
涙目で叫ぶティアナ。
監査官はパラパラとバインダーをめくり、その完璧な文書化(ドキュメンテーション)に驚きの表情を浮かべた。
「……見事だ。これほどの仕様書があれば、局の標準教育にも組み込める。ティアナ・ランスター二等空士。君の保守・標準化への意識は、全六課員の中で最も高く、そして正しい」
その言葉に、モニター越しのスカリエッティが目を輝かせた。
『なるほど。素晴らしい内部統制能力だ。ティアナ君、君は我が技術部へ来る気はないかね? 狂った現場(六課)にいるより、よほど才能を活かせるぞ』
「人の教え子を勝手にスカウトするな」
紗雪が睨みつける。
『君だって私の貴重な労働時間(リソース)を六課で酷使しているだろう!』
「今それ監査官の前で言わないでくださいぃぃ!!」
ティアナの悲鳴が響き渡る中、八神はやてが静かに立ち上がった。
「監査官殿。これで役者は揃いましたな」
はやては一枚の電子書類――『責任分界表(RACIマトリクス)』を提示する。
「機動六課の運用責任および最終承認(Accountable)は、私、八神はやてが負います。技術保守・インフラ管理(Responsible)はジェイル・スカリエッティ課長。設計・戦術要求(Consulted)は芹葉紗雪一尉。実装管理はシャーリー。そして、標準化文書の継続アップデート(Informed)はティアナが担当します。……これで、文句はおまへんな?」
監査官は書類に目を通し、深く頷いた。
「……結構です。正式な運用体制が構築されたと認めましょう。……しかし、八神部隊長」
監査官の声が、ふとトーンを落とした。
「我々監査部が、なぜこれほど迅速に六課の『非正規開発』を察知できたか、分かりますか?」
監査官は、端末から一つのアクセスログを投影した。
「……最高評議会です。評議会側から『六課のシステムが規程違反をしているから調査・解体せよ』という圧力(タレコミ)がありました」
「……!」
「しかし、我々が正しく監査・トレースした結果、システムエラーではなく、むしろ**評議会側からの不自然なアクセス(バックドア構築の試み)**の痕跡が多数見つかった。……六課の皆さん。あなた方のシステムは今、外の敵よりも、内なる上の組織から狙われている。どうか、ご無事で」
監査官は敵ではなかった。
正しく監査し、正しくログを追った結果、最高評議会(三脳)の介入という「真のバグ」を六課に知らせに来てくれたのだ。
同日・夕刻。隊舎の屋上。
抜き打ち監査を乗り切り、正式に「標準化担当」としての役割を認められたティアナ。
しかし、彼女は夕日に染まる自分の両手をじっと見つめ、唇を噛み締めていた。
(私は……役に立っている。監査官も褒めてくれた。教官も頼りにしてくれている。……でも)
彼女の脳裏に浮かぶのは、模擬戦で圧倒的な空間支配を見せた紗雪の背中と、なのは達の凄まじい魔法の応酬。
(私が欲しい役立ち方は、これじゃない。……私は、あそこ(前衛)で、あの人たちと肩を並べて戦いたいのに……!)
その背中を、屋上の入り口から静かに見つめる影があった。
芹葉紗雪だ。
彼女の瞳に映っているのは、現在のティアナではない。
かつて10年前、「全部自分でできなければ意味がない」「自分が最強の前衛にならなければ誰も救えない」と思い詰め、自分自身を壊すためのシステムを組み上げようとしていた、九歳の自分自身の姿だった。
(……来るか、ティアナ)
紗雪は目を細め、静かに踵を返した。
(お前のその『焦り』が臨界点に達した時……私が、10年前の自分自身(おまえ)を論理で壊してやる)